瀬戸内の小さな港町で僕らは働く意味を探す――おしごとフェア、青春協奏曲

乾為天女

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【第5話 カフェで交わす停戦協定】

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 五月上旬、日曜の午後。潮風がふわりと香る港沿いの通り。真白町の海沿いには、近年移住者が改装して営むおしゃれな古民家カフェがいくつか点在している。そのひとつ、「MOKUREN」に、八人の高校生たちが続々と集まっていた。
「へぇ……ここが会場か。思ったよりオシャレだな」
 勇介が感心したように言いながらガラス扉を押し開ける。店内は古材を活かしたカウンターとアンティーク家具、そして大きな窓から海が見えるゆったりとした空間。天井の梁からはドライフラワーが吊るされ、落ち着いたジャズが静かに流れていた。
 この日は、「町ぐるみ職業探究ワークショップ」の計画書再編ミーティング。町と学校の合同審査まで残り1週間と迫る中、内容の精度を高め、いよいよ“本格提出案”としてまとめ上げる必要があった。
 予約していた二階の個室スペースに全員が集まると、菜央が手帳を開いた。
「今日は、“これまでの現場取材の成果を踏まえて、計画書を一本に統合する”のが目的です」
「やっとここまで来たな……」
 大成が肩をほぐしながら呟いた。
 蒼馬は無言でノートパソコンを開き、文書ファイルを呼び出す。診療所、造船所、それぞれの視察班が構成したパートをベースに、真奈美が下書きを統合済みだった。
 だがその文面は、まだ粗削りだった。
 「テーマが二つに分かれている」「構成が曖昧」「対象年齢の設定がバラついている」など、課題が山積みだった。
「じゃあ……一気にいくよ。指摘、遠慮なしで出して。まず、この『命と技術の町ぐるみワーク』ってタイトル、ちょっと固くない?」
 勇介が口火を切った。
「たしかに。“子ども向け”って意識するなら、もう少し柔らかいネーミングがいいかも」
「うん。『ましろのしごとパーク』とか?」
 裕香がぽそっとつぶやいた。控えめな声だったが、場に一拍置かせる力があった。
「……それ、いい」
 蒼馬が思わずつぶやいた。
 みんなが意外そうに彼を見ると、本人は少し目をそらして言葉を継いだ。
「“パーク”という語感には、“体験・発見・探究”の要素が含まれている。かつ、“町ぐるみ”というメッセージも、サブタイトルで補えば補完可能だ」
「“命”とか“技術”っていう言葉よりも、“しごと”って言い方の方が子どもに届くよね」
 菜央も嬉しそうに賛成する。
「じゃあ、タイトルは『ましろのしごとパーク ~つなぐ町、つながる仕事~』に仮決定でいい?」
「異議なし」
 真奈美が即答したことで、議題は進む。次に話題となったのは、「情報の共有と役割の不均衡」だった。
「正直言って……蒼馬くんがやってる作業量が多すぎると思う」
 菜央が率直に口にする。勇介も「うん、それ俺も思ってた」と頷いた。
 蒼馬はキーボードの手を止め、顔を上げた。
「……俺が“やりたいから”やってる。それだけだ」
「でも、チームでやるって決めたんだから、負担は分け合おうよ。じゃなきゃ、意味がない」
「効率が落ちる」
「“効率”と“信頼”は別だよ」
 蒼馬が目を伏せた。
 そのとき、大成が間に入った。
「じゃあ、ルールを決めよう。『作業ログを全員で共有する』『進捗管理をシステム化する』『成果物は必ずレビューを通す』。この三つ、チームの基本にしない?」
「悪くない。明文化することで、責任の所在と分担の見える化ができる」
 蒼馬が静かに頷いた。
(……俺がやりすぎてたのかもしれない)
 そんな考えが、彼の心に、初めて浮かんだ瞬間だった。



 日が傾き、カフェの二階個室には西陽が差し込んでいた。障子風のガラス越しに見える海が、金色に染まりはじめている。
 裕香がノートに静かに書き込みながら言った。
「さっき蒼馬くんが言った“補完可能”って話、ちょっと気になった。サブタイトルって、具体的にどうする?」
 菜央が手帳をめくりながら答える。
「例えば“つなぐ町、つながる仕事”。今までの取材で見てきたことがそのまま詰まってる。診療所も、造船所も、どこも“つながり”が中心だったから」
「うん、それいい。“誰かのしごとが、誰かのくらしをつないでる”って、分かりやすくなるし」
 と勇介が乗ってくる。
 真奈美も冷静に頷いた。
「コピーライティングとしても適切。“つなぐ”は視覚的で汎用性が高い。キャッチとして成立してる」
「じゃあ決まりだな。“ましろのしごとパーク~つなぐ町、つながる仕事~”。長いけど、意義は伝わる」
 大成がそう締めくくった。
 一人ひとりの声が、かつてよりも自然に交わるようになっていた。
   ◆
 その後、チームは進行管理と役割分担を改めて設定した。
「じゃ、進捗管理は星野がまとめてくれるんだよな?」
「うん。“できることを見える化”するっていうの、好きだから。全員分のやることリスト、Googleスプレッドにしておいた」
「はやっ」
 勇介が目を丸くする。
「あと、記事原稿とか映像ナレーションの下書きは私がやる。診療所のインタビューは私が責任持つ」
 麻衣子の発言に、思わず蒼馬が一瞬目を上げた。
「……おまえが?」
「“誰が”とかもうどうでもいい。やりたいからやる。それでしょ、今のルールって」
 その言い方は相変わらずぶっきらぼうだったが、少なくとも以前よりずっと“チームの中のひとり”としての熱を帯びていた。
「いいじゃん、それ。“やりたいことを、ちゃんとチームで共有する”。なんか大人っぽいな」
 勇介が茶化すと、麻衣子は「うるさい」とそっぽを向く。
 蒼馬は、ふと肩の力を抜くようにため息をついた。
「なら俺は、構成案の統合と全体チェックを受け持つ。編集責任を明確にしておいた方が効率がいい。文章の癖も揃えられる」
「助かる!」
 菜央がほっとしたように笑う。
 数週間前なら、“助かる”なんて言葉がこの場に似つかわしいとは到底思えなかった。けれど、いまは違う。
 それぞれが、“自分が担う部分”に誇りを持ちつつ、“他人を頼ること”も覚えはじめている。
   ◆
 ミーティングが終わる頃、店のスタッフが紅茶とケーキを運んできた。
「こちら、追加のご注文です。抹茶とレモンのケーキ、三種類。取り分けはセルフでどうぞ」
 温かい香りに包まれながら、裕香がぽつりとつぶやく。
「……ここ、なんかいいな。静かで、集中できて、落ち着いて……」
「カフェで仕事って、なんか憧れだったんだよねー」
 勇介が言ってから「でも甘い物に弱いだけかも」と笑った。
 その流れで自然に、「カフェの仕事も職業探究対象に入れようか」という話題が出た。
「うん。接客、焙煎、仕入れ、インテリア、空間設計……見えないところで、いろんな役割が動いてる。立派な“しごと”だよ」
 菜央がそう言ったとき、蒼馬が静かに呟いた。
「“目に見えない努力”を伝えるって、案外むずかしい。でも、それが伝わったとき、価値がいちばん大きくなる」
 その言葉に、大成が頷く。
「それ、計画書の冒頭に使ってもいい? “このプロジェクトの理念”って感じで」
「……文脈を整えて使うなら、構わない」
「よっ! 停戦協定成立!」
 勇介が手を挙げて拍手する。
 この笑いに、全員が肩の力を抜いて、自然に笑った。



 日も傾き、ミーティングの終わりが近づく頃。蒼馬がノートPCを閉じ、視線を全員に向けて言った。
「今日の進捗をまとめる。“タイトル・サブタイトルの確定”、“役割分担の明文化”、“作業共有ルールの設定”——それぞれの工程に実働担当がついた。このまま進めば、提出用の計画書は三日以内に整う」
「うん。じゃあ、残り三日はレビューと細部調整にあてよう。審査の前に“伝わるかどうか”の視点で、読み直す時間が必要」
 菜央がそう言うと、真奈美が短く言葉を添えた。
「資料の文章構成、全部自動でチェックできるツール入れてる。要望あれば私が通す。客観的な読みやすさ指標、出せるよ」
「神」
 裕香がぽつりとつぶやいた。
 空気が穏やかに流れたそのとき、大成が声を上げた。
「じゃあ、最後に……ちょっとだけ話させて」
 その声に、皆が手を止めて視線を向ける。
「最初のころ、みんなバラバラだったよな。蒼馬は“単独でやる”って言ってたし、麻衣子は人に興味ないって言ってたし、俺はただ空気読むことしかしてなかったし……」
「言いすぎだろ」
「いや、まあ、全部ホメ言葉ってことで!」
 苦笑しながらも、大成は真剣な目で言葉を続けた。
「でも今、ちゃんと“分担”できてる。“誰かの意見を聞いて、それを活かす”って流れがある。これって、すごいことじゃない? だってさ、学校のグループワークでここまで形になることって、あんまりなくない?」
 たしかにそうだ、と誰もが思った。
「だからさ……今のこの時間も、“働く”のうちなんじゃないかな。自分の得意を出して、苦手は補って、全体の目標に向かって一緒に動いてる。それって、もしかしたら……働くことそのものなんじゃないかって」
 静かに、確かに、その言葉は皆の胸に届いた。
「……じゃあ私、帰ったら原稿の初稿、書いてみる。“働く”って何?ってテーマのリード文を」
 麻衣子が少し目を伏せながら言った。
「いいね、それ。“町ぐるみ”の話に入る前の“問いかけ”としてちょうどいい」
 菜央がにっこり微笑む。
 勇介がケーキの最後の一口を食べながら言った。
「……なんかさ、これって“しごと”っていうより、“部活”に似てるよな」
「どういう意味?」
「最初はうまくいかない。でも、練習して、意見ぶつけて、何回もやって、気づいたら“形”になってる。楽しいとかつらいとかはそのときどきで変わるけど……続けた先に“成果”が見える。そういう感じ」
 その言葉に、蒼馬がそっと言った。
「……続けるって、大事なんだな」
「え、蒼馬がそんなこと言うなんて、台風でも来る?」
「うるさい」
 即答しながらも、蒼馬の顔はどこか穏やかだった。
   ◆
 ミーティングを終え、カフェを出たときには、すっかり日が沈み、港の水面に灯りがちらちらと映っていた。
 蒼馬は立ち止まり、スマホで海を一枚だけ撮った。
 “働くって、誰と何を分かち合うことか”——その問いの答えが、ほんの少しだけ見えかけているような、そんな気がしていた。
——第5話・了(End)
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