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第4話 旬の野菜と木漏れ日の彼
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陽苑の菜園は、朝いちばんの空気が澄んでいる。夜の冷たさと朝の日差しが混ざりあう時間が、晴矢はひそかに好きだった。
まだ空の端が白む前、晴矢は厨房の裏口から菜園へ出た。肩には空のかごを二つ、指には馴染んだ鍬の柄。土を一度だけ踏みしめると、湿り具合と固さが足裏から伝わってくる。
「今日は……こっちだな」
昨日から気にしていた畝の前でしゃがみ込む。葉の色、茎のしなり、土の乾き具合。ひとつずつ指先で確かめ、よく育ったものから順番に抜き取っていく。大きさよりも、触れたときにわずかに返ってくる弾力を選ぶ。
祖父の声が頭の奥でよみがえった。
『今日いちばんおいしいやつを、今日のうちに食べてもらえ』
葉の影に隠れていた小ぶりの人参を引き抜くと、期待していた通りの色が現れる。思わず口元が緩み、そのままかごのまんなかにそっと寝かせた。
柔らかな足音が近づいてくる気配がして、晴矢は顔を上げた。
「晴矢さん、おはようございます」
みうが大きめのかごを抱え、まだ眠たそうな目をこすりながら立っていた。腕には、細長い紙切れを束ねたものがぶら下がっている。
「早いですね。配膳の準備もあるのに」
「今日はどうしても、ここに先に寄りたくて」
みうは土の上にかごを置き、紙束をほどいた。細長い札に、丸い字が並んでいる。
「それは?」
「収穫用のかごに付ける札です。前から、お礼をどこかに書きたかったんですけど……。口で言いそびれることも多いから、せめて文字だけでもって」
渡された札には、簡単な言葉が綴られていた。
『今日も、おいしく育ってくれてありがとう』
『運んでくれてありがとう』
『しんどいときほど、食べるものは大事です』
墨のにじみ方がばらばらで、何度か書き直したのだろうことが伝わってくる。
「誰に向けて書いた札なんです?」
「菜園で働いてくれている人たちと、野菜と……あと、配膳を手伝ってくれている人たち全部です」
「全部、ですか」
「はい。誰か一人を選ぶと、選ばれなかった人が寂しくなるかもしれないから」
みうは照れたように笑った。晴矢は、そのうちの一枚をかごの取っ手にくぐらせる。風が吹くと、小さな紙がかすかに揺れた。
「……ありがとうございます」
「え?」
「この札が、ここに付けられているのは、嬉しいです」
「よかった」
みうが胸を撫で下ろしたそのとき、低い声が背後から降ってきた。
「朝っぱらから何をこそこそしてる」
振り向くと、愛祈が回廊の柱の陰から現れた。鎧を簡略化した軽装で、朝の巡回の途中らしい。
「おはようございます、愛祈さん」
二人が頭を下げると、愛祈は片手を上げて応え、みうの手に残った札に目をやった。
「それは新しい命令書か? また敏貴が妙な帳面でも増やしたのかと思ったが」
「ち、違います! これは菜園さんと野菜たちへのお礼を書いた札で」
「ふうん」
愛祈は興味なさそうに言いながら、ひょいと一枚つまみ上げた。
『いつも、誰かのために動いてくれてありがとう』
丸い字が光の中で黒く浮かぶ。愛祈の眉がわずかにゆるんだ。
「『誰か』ってのは、ずいぶん広いな」
「えっと、その……」
「まあ、悪くない言葉だ」
ぶっきらぼうな声のまま、愛祈は札を晴矢のかごの取っ手に結びつけた。
「これ、誰のかごに付けるつもりだった?」
「菜園の一番手前のかごに……」
「なら、ここでいいだろ」
「自分で結ばないでください!」
みうが慌てて抗議すると、愛祈は肩をすくめる。
「どうせ誰かが付けるんだ。だったら早いほうがいい」
口ではそう言いながらも、札を結ぶ手付きは丁寧だった。晴矢は結び目を指でなぞり、もう一度文字を読む。
『いつも、誰かのために動いてくれてありがとう』
誰か、という言葉の中に、自分も含まれてしまっている気がして、胸の奥がむずがゆくなる。
菜園を出て回廊に入ると、石畳の上に木漏れ日が落ちていた。高い塀の向こうの木々の影が、床の上に細かな模様を描いている。その中を、野菜を抱えた晴矢が歩いた。
通りかかった女官たちが、ふと足を止めてその姿を見る。
「ねえ、あの人、昨日のスープを作った人でしょ」
「そうそう。山の村から来たっていう……。今日も朝から菜園?」
「なんかさ、あの人が抱えてる野菜、すごくおいしそうに見えない?」
「人を見て『おいしそう』って言うのはやめなよ」
「違うってば。野菜が、だよ」
ひそひそ声が光の模様の隙間からこぼれる。ひとりがぽんと手を叩いた。
「じゃあさ、あの人のこと、『旬の野菜と木漏れ日の彼』って呼ばない?」
「長い」
「でも、なんかそれっぽくない? 朝の光の中で、今日いちばんいい野菜だけ抱えて歩いてる感じ」
「……たしかに。略したら?」
「『旬木漏れ』とか」
「もっとひどい!」
押し殺した笑い声が弾む。みうは、少し後ろからその会話を聞いてしまい、思わず足を止めかけた。
「どうかしました?」
「い、いえ。札、ちゃんと揺れてますねって言おうとしただけです」
みうは慌てて話題を戻し、かごの取っ手を指さした。晴矢は何も知らずに頷く。
午前の仕事がひと段落した頃、厨房の片隅で水を飲んでいると、奈津海が布巾を肩にかけたまま近づいてきた。
「ねえ」
「はい」
「あんた、今、妙なあだ名で呼ばれてるの知ってる?」
「あだ名、ですか」
「そう。『旬の野菜と木漏れ日の彼』だって」
「……長いですね」
正直な感想がそのまま口をついて出る。奈津海は「だよねえ」と笑った。
「朝の回廊で見かけた子たちが言い出したらしくてさ。『今日の旬の野菜は何かな』とか言いながら、あんたが通るの待ってるんだって」
「待たれているんですか」
「半分は物見高いだけ。残りの半分は、あんたが抱えてる野菜が気になるんでしょ」
奈津海は、洗い場に置かれたかごをちらりと見る。土を洗い落とされた葉物が、きちんと並んでいた。
「……変なあだ名ですね」
「変だけど、悪くはないよ」
奈津海は肩をすくめる。
「『どうせすぐ追い出される』って言ってた人たち、最近ちょっと黙ってきてるし。王妃さまのスープと、その朝の姿のおかげかもね」
棘のある言い方なのに、どこか柔らかさが混じっていた。晴矢は小さく息を吸い、深く頭を下げた。
「ここにいさせてもらえるなら、その分、ちゃんと動きます」
「そういうところ、真面目すぎて心配になるけど……まあ、今のところはそのままでいいんじゃない?」
奈津海はわざとらしくそっぽを向いたあと、ぽつりと続けた。
「変なあだ名が嫌になったら、ちゃんと言いなさいよ。『もうちょっと短くしてください』くらいは、一緒に言ってあげるから」
「その時は、お願いします」
夕方、菜園に戻ると、朝付けた札が風に揺れていた。西日に透けた紙の影が、土の上に小さな四角をいくつも並べている。
晴矢はひとつを指先で押さえ、文字を読み返した。
『今日も、おいしく育ってくれてありがとう』
朝に比べて、葉の影は少し濃くなっていた。ここで育った野菜たちは、明日の誰かの皿に乗るのだろう。
「……旬の野菜、か」
ぽつりとつぶやき、空を見上げる。枝のすき間からこぼれる光が、肩や腕に斑の模様を落としていた。
自分にあだ名が付く日が来るとは思わなかった。けれど、その呼び名の中に、野菜と木漏れ日と、ここで働く人たちの姿が一緒に混ざっている気がして、胸の奥が少し温かくなる。
「明日は、どんな野菜を抱えて歩こうか」
心の中でそう考えながら、晴矢は新しいかごを手に取った。札がまた小さく揺れる。木漏れ日の中で、その揺れを目印に、陽苑の一日は静かに続いていく。
まだ空の端が白む前、晴矢は厨房の裏口から菜園へ出た。肩には空のかごを二つ、指には馴染んだ鍬の柄。土を一度だけ踏みしめると、湿り具合と固さが足裏から伝わってくる。
「今日は……こっちだな」
昨日から気にしていた畝の前でしゃがみ込む。葉の色、茎のしなり、土の乾き具合。ひとつずつ指先で確かめ、よく育ったものから順番に抜き取っていく。大きさよりも、触れたときにわずかに返ってくる弾力を選ぶ。
祖父の声が頭の奥でよみがえった。
『今日いちばんおいしいやつを、今日のうちに食べてもらえ』
葉の影に隠れていた小ぶりの人参を引き抜くと、期待していた通りの色が現れる。思わず口元が緩み、そのままかごのまんなかにそっと寝かせた。
柔らかな足音が近づいてくる気配がして、晴矢は顔を上げた。
「晴矢さん、おはようございます」
みうが大きめのかごを抱え、まだ眠たそうな目をこすりながら立っていた。腕には、細長い紙切れを束ねたものがぶら下がっている。
「早いですね。配膳の準備もあるのに」
「今日はどうしても、ここに先に寄りたくて」
みうは土の上にかごを置き、紙束をほどいた。細長い札に、丸い字が並んでいる。
「それは?」
「収穫用のかごに付ける札です。前から、お礼をどこかに書きたかったんですけど……。口で言いそびれることも多いから、せめて文字だけでもって」
渡された札には、簡単な言葉が綴られていた。
『今日も、おいしく育ってくれてありがとう』
『運んでくれてありがとう』
『しんどいときほど、食べるものは大事です』
墨のにじみ方がばらばらで、何度か書き直したのだろうことが伝わってくる。
「誰に向けて書いた札なんです?」
「菜園で働いてくれている人たちと、野菜と……あと、配膳を手伝ってくれている人たち全部です」
「全部、ですか」
「はい。誰か一人を選ぶと、選ばれなかった人が寂しくなるかもしれないから」
みうは照れたように笑った。晴矢は、そのうちの一枚をかごの取っ手にくぐらせる。風が吹くと、小さな紙がかすかに揺れた。
「……ありがとうございます」
「え?」
「この札が、ここに付けられているのは、嬉しいです」
「よかった」
みうが胸を撫で下ろしたそのとき、低い声が背後から降ってきた。
「朝っぱらから何をこそこそしてる」
振り向くと、愛祈が回廊の柱の陰から現れた。鎧を簡略化した軽装で、朝の巡回の途中らしい。
「おはようございます、愛祈さん」
二人が頭を下げると、愛祈は片手を上げて応え、みうの手に残った札に目をやった。
「それは新しい命令書か? また敏貴が妙な帳面でも増やしたのかと思ったが」
「ち、違います! これは菜園さんと野菜たちへのお礼を書いた札で」
「ふうん」
愛祈は興味なさそうに言いながら、ひょいと一枚つまみ上げた。
『いつも、誰かのために動いてくれてありがとう』
丸い字が光の中で黒く浮かぶ。愛祈の眉がわずかにゆるんだ。
「『誰か』ってのは、ずいぶん広いな」
「えっと、その……」
「まあ、悪くない言葉だ」
ぶっきらぼうな声のまま、愛祈は札を晴矢のかごの取っ手に結びつけた。
「これ、誰のかごに付けるつもりだった?」
「菜園の一番手前のかごに……」
「なら、ここでいいだろ」
「自分で結ばないでください!」
みうが慌てて抗議すると、愛祈は肩をすくめる。
「どうせ誰かが付けるんだ。だったら早いほうがいい」
口ではそう言いながらも、札を結ぶ手付きは丁寧だった。晴矢は結び目を指でなぞり、もう一度文字を読む。
『いつも、誰かのために動いてくれてありがとう』
誰か、という言葉の中に、自分も含まれてしまっている気がして、胸の奥がむずがゆくなる。
菜園を出て回廊に入ると、石畳の上に木漏れ日が落ちていた。高い塀の向こうの木々の影が、床の上に細かな模様を描いている。その中を、野菜を抱えた晴矢が歩いた。
通りかかった女官たちが、ふと足を止めてその姿を見る。
「ねえ、あの人、昨日のスープを作った人でしょ」
「そうそう。山の村から来たっていう……。今日も朝から菜園?」
「なんかさ、あの人が抱えてる野菜、すごくおいしそうに見えない?」
「人を見て『おいしそう』って言うのはやめなよ」
「違うってば。野菜が、だよ」
ひそひそ声が光の模様の隙間からこぼれる。ひとりがぽんと手を叩いた。
「じゃあさ、あの人のこと、『旬の野菜と木漏れ日の彼』って呼ばない?」
「長い」
「でも、なんかそれっぽくない? 朝の光の中で、今日いちばんいい野菜だけ抱えて歩いてる感じ」
「……たしかに。略したら?」
「『旬木漏れ』とか」
「もっとひどい!」
押し殺した笑い声が弾む。みうは、少し後ろからその会話を聞いてしまい、思わず足を止めかけた。
「どうかしました?」
「い、いえ。札、ちゃんと揺れてますねって言おうとしただけです」
みうは慌てて話題を戻し、かごの取っ手を指さした。晴矢は何も知らずに頷く。
午前の仕事がひと段落した頃、厨房の片隅で水を飲んでいると、奈津海が布巾を肩にかけたまま近づいてきた。
「ねえ」
「はい」
「あんた、今、妙なあだ名で呼ばれてるの知ってる?」
「あだ名、ですか」
「そう。『旬の野菜と木漏れ日の彼』だって」
「……長いですね」
正直な感想がそのまま口をついて出る。奈津海は「だよねえ」と笑った。
「朝の回廊で見かけた子たちが言い出したらしくてさ。『今日の旬の野菜は何かな』とか言いながら、あんたが通るの待ってるんだって」
「待たれているんですか」
「半分は物見高いだけ。残りの半分は、あんたが抱えてる野菜が気になるんでしょ」
奈津海は、洗い場に置かれたかごをちらりと見る。土を洗い落とされた葉物が、きちんと並んでいた。
「……変なあだ名ですね」
「変だけど、悪くはないよ」
奈津海は肩をすくめる。
「『どうせすぐ追い出される』って言ってた人たち、最近ちょっと黙ってきてるし。王妃さまのスープと、その朝の姿のおかげかもね」
棘のある言い方なのに、どこか柔らかさが混じっていた。晴矢は小さく息を吸い、深く頭を下げた。
「ここにいさせてもらえるなら、その分、ちゃんと動きます」
「そういうところ、真面目すぎて心配になるけど……まあ、今のところはそのままでいいんじゃない?」
奈津海はわざとらしくそっぽを向いたあと、ぽつりと続けた。
「変なあだ名が嫌になったら、ちゃんと言いなさいよ。『もうちょっと短くしてください』くらいは、一緒に言ってあげるから」
「その時は、お願いします」
夕方、菜園に戻ると、朝付けた札が風に揺れていた。西日に透けた紙の影が、土の上に小さな四角をいくつも並べている。
晴矢はひとつを指先で押さえ、文字を読み返した。
『今日も、おいしく育ってくれてありがとう』
朝に比べて、葉の影は少し濃くなっていた。ここで育った野菜たちは、明日の誰かの皿に乗るのだろう。
「……旬の野菜、か」
ぽつりとつぶやき、空を見上げる。枝のすき間からこぼれる光が、肩や腕に斑の模様を落としていた。
自分にあだ名が付く日が来るとは思わなかった。けれど、その呼び名の中に、野菜と木漏れ日と、ここで働く人たちの姿が一緒に混ざっている気がして、胸の奥が少し温かくなる。
「明日は、どんな野菜を抱えて歩こうか」
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