昼休みは紙月堂で――元会社員と元同僚がつくる、ひと息つける文具店

乾為天女

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第12話 中学生の職場体験

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 火曜日の朝の星見商店街は、いつもより少しだけにぎやかだった。


 アーケードの柱には、「星見第二中学校 職場体験受け入れ ご協力ありがとうございます」と書かれた紙が貼られている。登校時間を過ぎたはずなのに、制服姿の中学生がちらほらと行き交い、それぞれの店の前で立ち止まっては、緊張した顔であいさつをしていた。


 紙月堂の前には、「準備中」の札と並んで、小さな紙が一枚、美津代に頼んで作ってもらったマグネットで止めてある。


 『本日 午前中
 中学生の職場体験の見学があります』


 文字の下には、小さく「静かに応援していただけると助かります」と添えてある。


 「……静かに応援って、具体的にどうするんだろうな」


 カウンターの中で、悠之介がその紙を見上げてつぶやく。


 「きっと、心の中で拍手とか?」


 エプロン姿の紗菜が、カウンターの端で湯飲みを並べながら答える。


 「外からガラス越しに、じーっと見守る、とか」


 「それはそれでプレッシャーじゃない?」


 二人がそんなことを話していると、ガラス戸の向こうに、二つの影が並んだ。


 「し、失礼します!」


 勢いよく戸が開き、制服姿の男女がそろって頭を下げた。


 名札には、「星見第二中学校 職場体験」と書かれた紙がクリップで留めてある。


 「おはようございます。三日間、お世話になります!」


 彼らを引率してきたのは、近所の学習塾でアルバイトをしている大学生だった。聞き覚えのある声だと思ったら、かつて紙月堂で受験勉強をしていた常連だった。


 「店長、覚えてます? 二年前、『ここ、落ち着くから勉強させてください』って言ってた者です」


 「覚えてる。あのときは、こっちの方が『ここで良いのか』ってドキドキしてたな」


 そう言って笑うと、大学生はほっとしたように肩の力を抜いた。


 「この子たち、今日から三日間、こちらで『仕事の見学』をさせていただきます。作業のお手伝いは、できる範囲で」


 「よろしくお願いします」


 男子の方が、少し緊張した声で頭を下げる。前髪が目にかかりそうな彼は、自分の名札をちらっと見てから名乗った。


 「天野 光です。図書委員やってます」


 「同じく、中村 里沙です。放送委員です」


 里沙は、声の出し方に慣れているのか、名前をはっきりと言った。


 「図書と放送か」


 悠之介は、その組み合わせに、職場体験担当の先生の意図を勝手に想像した。


 「ここは、『紙』と『声』、どっちも使う場所だからな」


 「声、ですか?」


 光が、不思議そうに首をかしげる。


 「接客のときの声もそうだし、水曜の相談のときも、『どこまで言葉にするか』っていつも悩むから」


 紗菜が、ポットに水を入れながら言う。


 「今日は、『店の中でどんな言葉が使われているか』を、よく聞いてみてくれる?」


 「はい」


 二人は、少しだけ真剣な顔になった。


 「まずは、店の中を一周しようか」


 紗菜が、店内を案内する。


 入り口近くの「しごと雑貨」の棚。


 カウンターの中のレジと、伝票の束。


 奥の方には、祖父の代から使っている木の棚と、小さな給湯スペース。


 「ここが、『休憩の時間をつくる道具』の棚です」


 下段の棚を指さしながら、紗菜が説明する。


 「マグカップとタイマーと、飴玉。さっき、『休憩を応援する棚です』って言ったら、生徒会長の子に笑われました」


 「笑われたんですか」


 「『応援って、部活みたいでいいですね』って」


 そんな話に、中学生二人も少し笑った。


 「天野くんは、どこを見てみたい?」


 「えっと……その、帳簿とか」


 光は、カウンターの奥に置かれたファイルの山に目をやった。


 「図書室でも、貸出カードとか台帳見るの、けっこう好きで」


 「いいね。こっちは図書室と違って、『お金の本棚』だけど」


 悠之介は、経費ファイルの表紙を軽く叩いた。


 「ただ、中身は個人情報とかもあるから、全部は見せられない。その代わり、『どんなふうに月の終わりを迎えているか』は、ざっくり説明しようか」


 「はい」


 「中村さんは?」


 「私は……放送室みたいなところがあれば、そこを」


 「放送室?」


 里沙は、少し恥ずかしそうに言った。


 「お昼の放送で、図書委員の人が本の紹介をしたりするんですけど、それを『どうやったら聞いてもらえるか』って、よく考えるので。ここでも、そういう『伝え方』をしてるのかなって」


 その言葉に、紗菜と悠之介は、同時に目を合わせた。


 「……あるね」


 「あるな」


 二人の視線が向かったのは、レジの横にある小さな黒板だった。


 そこには、季節のブレンドや、新しく入ったノートの紹介が、短い言葉とイラストで書かれている。


 「ここが、紙月堂の『放送室』みたいなもんだな」


 悠之介が、チョークを持ち上げる。


 「文字数少ないから、一回書き始めると、やり直しがきかない」


 「放送原稿みたいですね」


 里沙が、黒板に顔を近づけた。


 「『今日の気まぐれ』って、先生が言ったら怒りそうな表現ですけど、ここだとなんか、いいですね」


 「『誰の気まぐれか』をちゃんと書いてあるからかも」


 紗菜が、「店長の帳簿と相談します」という部分を指さす。


 「責任者が誰かははっきりしてるから、言葉で遊べる」


 「なるほど……」


 里沙は、黒板の前でメモ帳を取り出し、小さく何かを書き留め始めた。


 午前中は、店の開店準備を見てもらうことにした。


 フロアの掃き掃除。


 棚の上のほこりとり。


 レジの金額の確認。


 中学生に任せることができる作業と、大人がやるべき作業を、うまく分けながら進めていく。


 「この札、今日の分に変えてみる?」


 紗菜が、レジの横にかけてある「今日のひと言」と書かれたボードを指さした。


 そこには、昨日の夜に書いた『月末おつかれさまです』の文字が残っている。


 「天野くんたちが、『今日のひと言』を考えてくれる?」


 「いいんですか」


 「もちろん。ただし条件が一つ」


 紗菜は、ペンをくるくる回しながら言った。


 「この店に来る人の中には、『この一言だけ読む人』もいるって想像して書いてみて」


 「一言だけ……」


 「そう。急いでる人が、足早に通りながらちらっと読む、みたいな」


 二人は、ボードの前で腕を組んだ。


 光が、何度かペンを持っては止め、消しては書き直す。


 里沙は、口の中で小さくつぶやきながら言葉の響きを確かめている。


 十分ほど経って、二人はようやく一つの言葉にたどり着いた。


 『今日の「ここまで」は、自分で決めていいです』


 その下には、小さく「紙月堂」と署名が添えられた。


 「いいじゃん」


 紗菜が、素直に言った。


 「ここまで、ってなんですか?」


 光が尋ねる。


 「宿題かもしれないし、仕事かもしれないし、家事かもしれないけど、『今日はここまででいいや』って線を引くのって、けっこう勇気いるんだよ」


 悠之介は、ボードをガラス戸の近くに掛け替えながら言う。


 「その一言が、どこかで誰かの背中を押したらいいなって」


 「放送室でも使えそうな言葉ですね」


 里沙が、メモ帳にその一文を書き写した。


 開店時間になると、いつものように「準備中」の札をひっくり返し、「営業中」にする。


 中学生ふたりは、カウンターの後ろと棚の近く、それぞれ少し引いた位置で様子を見守ることになった。


 客席には、いつものように、近所の会社員や商店街の人たちがぽつぽつと入ってくる。


 「いらっしゃいませ」


 紗菜の声に続いて、少し遅れて光と里沙の声も重なる。


 「い、いらっしゃいませ」


 「いらっしゃいませ!」


 その差を聞き分けた亜友が、そっと目を細める。


 「かわいいですね」


 「声が変にそろいそうでこわいけどな」


 カウンターの中で、悠之介が小さく笑った。


 午前中の終わりごろ、一人の女性が、戸の前で立ち止まった。


 首から社員証を下げたスーツ姿。書類のファイルを抱え、少し疲れた顔をしている。


 ガラス戸の「今日のひと言」を読み、ふっと笑ってから中に入ってきた。


 「こんにちは。お昼、ここでとってもいいですか」


 「どうぞ」


 紗菜が席を案内し、悠之介が注文を聞きに行く。


 光は、その様子をじっと見ていた。


 「天野くん。さっきの『今日のここまで』、効いたみたいだよ」


 紗菜が小声でささやく。


 「え?」


 「あの人、看板見てから顔が少しやわらいだから」


 言われてみれば、たしかに店に入ってきたときの表情と、今メニューを見ている顔つきは違って見えた。


 「ここでご飯を食べて、『ここまでにしよう』って決める人もいる。逆に、『もう少しだけがんばろう』って決める人もいる」


 「同じ言葉で、ですか」


 「うん。受け取り方は、その人の中にあるから」


 光は、自分が書いた文字を、もう一度思い浮かべた。


 職場体験の時間は、あっという間に過ぎていった。


 閉店前、大学生の引率者が迎えに来る。


 「どうだった?」


 「帳簿って、思ったよりも『出来事のメモ』なんだなって」


 光が、経費ファイルをちらっと見ながら言った。


 「売上だけじゃなくて、『きなこ棒試作』『ごみ箱(おしゃれ度4)』とか、いろいろ書いてあって」


 「そこに気づいたか」


 悠之介は、少し照れくさそうに笑った。


 「放送室みたいな黒板も、面白かったです」


 里沙が言う。


 「『店長の帳簿と相談します』の一言で、急に現実味が出るのに、『気まぐれ』って言葉がゆるくしてくれてるのが、ずるいなって」


 「ずるい?」


 「いい意味で、です」


 里沙は、少し慌てて付け足した。


 「放送でも、『このコーナーは先生たちの独断と偏見でお送りしています』って言うと、みんな笑ってくれるので」


 「独断と偏見は、帳簿に載せにくいけどな」


 紗菜が、苦笑しながら言う。


 「でも、『誰が決めたか』をはっきりさせるのは大事だよね」


 帰り際、二人はガラス戸の前で振り返った。


 「今日のひと言、家でも使ってみます」


 光が言う。


 「宿題の『ここまで』を決めるときに」


 「放送室でも、『今日のここまで』ってコーナー作ろうかな」


 里沙が、半分冗談のように言った。


 「そのときは、『紙月堂の看板から借りました』って、一応言っといて」


 紗菜が笑う。


 「引用元の表記、大事ですからね」


 大学生が、横でうなずいた。


 「じゃあ、明日は、もう少し店の裏側を見てもらおうか」


 悠之介は、心の中で明日の段取りを組み始めていた。


 仕入れのリストの作り方。


 商店街の会合の案内が届いたときの処理。


 水曜の「仕事の話をしても大丈夫な時間」の準備。


 中学生に見せられることと、見せない方がいいこと。


 その線引きも、明日までに決めておかないといけない。


 ガラス戸の外に出て行く三人を見送りながら、悠之介は、「今日のひと言」のボードをもう一度見上げた。


 『今日の「ここまで」は、自分で決めていいです』


 この一文が、店の外でも少しずつ広がっていくのかもしれない。


 そう思うと、帳簿の中の小さな数字も、どこか違って見えてきた。
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