30 / 39
第31話 浮遊都市ゼピュロス
しおりを挟む
南海──エリュシオン湾の遥か沖。水平線の向こうに、空へ浮かぶ巨大な島影があった。
それが浮遊都市〈ゼピュロス〉──風と魔導工学の奇跡が築いた、空に浮かぶ交易都市だ。
王国と帝国の休戦から数週間後。巧たちは、ゼピュロスの交易船団が謎の空賊に襲われたという報告を受け、調査のために出航していた。
潮風が吹きつける甲板で、すずが伸びをして空を見上げる。
「いやー、浮いてる都市って、初めて見たけど……あれ、普通におかしいでしょ。どういう仕組みで浮いてんのよ」
「浮遊結晶体を核にした魔導反重力装置だよ」
すずの疑問に答えたのは友子だった。浮遊都市の研究資料を綴じた巻物を抱えたまま、彼女は真顔で続ける。
「理論的にはね、でもこの規模は異常。だから興味あるんだ。行って確かめたいの。直接!」
「まーた暴走してる……」
すずが呆れる横で、巧は手すりに肘をつけ、視線を空の都市へと向けていた。
「今回の任務は“調査と交渉”だ。過度な干渉は避けるぞ」
「うわ、出たよ軍人モード……」
「誤解されるのはもう慣れた」
乾いた返しに、すずは笑って舌を出した。
その時、見張り台の兵士が叫んだ。
「視認! 浮遊艇三隻、急速接近!」
空賊か──全員が身構えたが、すぐに信号旗が翻る。
「……あれ、向こう、交渉の使者だって」
近づいてきたのは、ゼピュロスの哨戒艇。その中で先頭に立つのは、白銀の軍帽をかぶった若い女性だった。
「空賊じゃなかったか。あれが交渉代表……ん?」
すずが目を細めて呟いた。
女将校は、どう見ても十代半ば。だがその眼光には迷いがなく、将校服の着こなしは完璧だった。
彼女は名乗った。
「空の守り手、レイナ・ヴァルティナ。浮遊都市防衛軍、臨時司令官です」
まさかの少女指揮官に、一行は驚きを隠せなかった。
が、さらに予想外の発言が続く。
「我々は、貴国の要請に応じ協力する所存ですが──一つ条件があります」
レイナは、毅然と告げた。
「空賊の頭領と名指しされている“あの者”の保護を、我が軍は望みます。彼女は、私の姉です」
重苦しい空気が一気に張り詰めた。
敵か、味方か。交渉か、交戦か。
再び、風が都市を巡る。
「姉妹で……空賊と将軍?」
最初に声を漏らしたのは紗織だった。驚きというより、困惑に近い色が強い。
レイナは首肯する。
「レティア・ヴァルティナ。姉は三年前、都市のエネルギー炉開発部門にいた天才技師です。ですが、都市運営評議会との対立の末、追放されました」
「それが空賊の頭領になった理由か」
勇が前に出る。王子としての立場より、兄妹としての物語に興味を持った様子だ。
「……でも、それだけで反乱を起こすか?」
巧の問いに、レイナは目を伏せた。
「彼女は、都市のエネルギー炉“アスフェリオン”が、近く暴走の危険を孕んでいると警告しました。しかし評議会は……政治的配慮を優先して、黙殺したのです」
「……それで、強行手段に」
友子が静かに呟いた。彼女の研究者としての勘が告げるのだ。
“その予言、たぶん本当だ”と。
「姉は、ゼピュロスを壊すために空賊になったのではありません。守るために、強行に出たのです」
レイナは、決して揺れない声で言った。
勇が息をついた。
「……なら、交渉の余地はある。俺たちが、その“姉君”に直接会えれば」
レイナの瞳に、微かに驚きの色が灯る。
「会ってどうするつもりですか? 剣を向けるのですか? それとも……彼女を、信じますか?」
その問いに、勇は少し口元を歪めて笑う。
「俺たちは、そういう“面倒な奴ら”を信じてきたんだ」
巧が頷いた。
「誤解で動いた奴らばかりだ。勘違いされ、勘当され、追放された。だが──誰一人、本当に見捨てたことはない」
「それに……」とすずが口を挟む。
「話がこじれた姉妹って、旅の物語には絶対必要なのよ。つまり出番ってこと!」
裕哉が溜息をついた。
「それで事態が収まるなら、安い芝居だ」
レイナはしばし黙し──やがて、唇を開いた。
「では、貴方がたに任せます。姉に会う手筈は整えます。ですが……交渉に失敗した場合、我が軍は……都市を守るため、力を振るいます」
「わかってるさ」
巧は、短く頷いた。
その表情は冷静だが、瞳は真っ直ぐに空を見ていた。
浮かぶ都市。
裂けかけた絆。
そして、再び問われる──「信じる」とは何か。
浮遊艇が、都市へ向けて風を切った。
浮遊艇〈ノルデリカ〉は、午前の雲を抜けてゆっくりと上昇していった。甲板に立つ巧たちは、眼下に広がる海と、目前に迫る雲海の上の“浮遊都市ゼピュロス”を見つめる。
空に浮かぶ都市。その姿は神殿のように荘厳で、中央の巨大な塔は都市全体を支える浮遊炉〈アスフェリオン〉のエネルギー心核だという。
「高度三千七百メートル。酸素圧、問題なし」
友子がゴーグルの奥で呟き、手元の計器を調整する。
「なあ、すず。高いとこって怖くねぇのか?」
裕哉が聞くと、すずは涼しい顔で返す。
「怖いのは“高さ”じゃなくて、“孤独”よ。見下ろすだけの世界に、自分しかいなかったら、それこそ落ちたくなるじゃない」
「……お前、時々詩人みてぇなこと言うな」
「元々詩人でしょ!」
小さなやり取りに皆が笑ったが、勇は表情を引き締めたまま、上空の都市を見上げていた。
「俺が出る。空賊姫ってのは、軍を抜けたお前の姉貴だろ? なら、立場的には俺と似たようなもんだ」
レイナが小さく頷く。
「姉の名は、レティア・ヴァルティナ。かつて“空域管理長官”だった女。ですが今は、追放者として空を巡る“嵐の矢”です」
「……それ、通り名か?」
「本人が名乗ったわけではないそうです。都市の兵団が勝手にそう呼んでます」
「皮肉だな」
巧がぽつりと呟いた。
「本当は都市を守るために戦ってるのに、“嵐”と呼ばれる。俺たちも、似たようなもんだった」
皆が黙った。かつて誤解され、追放され、名前を奪われた彼らにとって、レティアの話は他人事ではなかった。
「降りるぞ。武器は鞘に納めたままな」
勇の一言に、全員が頷いた。
〈ノルデリカ〉が接舷したのは、ゼピュロス西側の補給区画にある旧管理塔だった。そこには空賊船が一隻、静かに係留されていた。
降り立った瞬間、空気が変わった。熱ではなく、緊張。
「レティア様は、上層制御区画で待っております」
迎えに来たのは、漆黒の制服に身を包んだ若い女性空賊だった。その瞳は鋭く、しかし敵意は感じられない。
エレベーターで塔を登る途中、友子が不意に言った。
「この都市、制御ループが一部壊れてる。数日中に負荷が限界を超える」
皆の顔色が変わる。
「レティアの言っていた通りか……」
裕哉が呟いたとき、エレベーターの扉が音もなく開いた。
最上階。
そこに立っていたのは──
「お前たちが、“交渉人”か」
鋭く、だが透明な声だった。
銀の髪を一つに結い、戦闘服のまま佇む女。
レティア・ヴァルティナ。空賊姫。
彼女の瞳は、どこか寂しげだった。
「お会いできて光栄です、レティア様」
勇が一歩前に出て頭を下げた。が、レティアの瞳は彼の後ろ──紗織へ向いていた。
「……まさか、貴族派の“あの”令嬢が、こんな所まで来るとはね」
「貴族派を辞したのはもう昔です」
紗織は凛とした声で返す。その表情に、かつての“悪役令嬢”の面影はなかった。
「今の私は、この仲間たちと共に未来を探しています」
レティアがふっと笑った。
「面白い連中だな。王子に悪役令嬢、追放冒険者に天才幼女……まるで芝居の登場人物」
「脚本家もいますよ」
裕哉が笑いながら言うと、レティアの眉がピクリと動いた。
「……ヴァイスの弟子か」
「ご存知で?」
「あいつは昔、私にこう言った。“戦場にも脚本はある。書くのは兵じゃない。読む者の数だけ、結末がある”……私には理解できなかったがな」
その言葉に裕哉は黙った。
静かな沈黙の中、レティアは一枚の設計図を取り出した。
「これが、都市の心核炉だ。今、制御コアが腐食していて、あと十日も保たない」
巧たちは図面をのぞき込む。
そこには魔導動力炉と外殻パイロンを繋ぐ三重ループが描かれていた。
友子が指で示す。
「ここの反応炉と制御層を、一時的に断絶して、外部から再起動すれば──いけます」
「ただし」
巧が続けた。
「それやるってことは、一時的に都市の浮力が失われる。……都市ごと落ちるかもしれないってことだ」
「承知の上だ」
レティアは迷いなく頷いた。
「だが、都市を維持するには、どうしても誰かが“核層に潜って手動で操作”しなきゃならない。魔力耐性と熱処理の問題がある。生身じゃ五分も保たない」
「じゃあ、僕が行こう」
誰もが振り向いた。
勇だった。
「俺は王子を捨てた。けど、それでも王国の空は守りたい。俺に、行かせてくれ」
「馬鹿なこと言うな!」
紗織が怒声を上げた。
「こんなことで命を落としたら──あなたの民はどうするの!?」
「だからこそ、俺が行くんだ」
勇の声は静かだった。
「これ以上、誰にも“身代わり”になってほしくないから」
すずがポケットから何かを取り出す。
古びた詩集だった。
「だったらこれを持って。……“風の道標”って詩。死地に向かう人の心を導く詩だって、言い伝えがあるの」
勇はそれを受け取り、笑った。
「ありがとう」
そして皆の顔を見渡す。
「俺は、必ず帰る」
浮遊都市の運命を左右する決断が下され、心核炉再起動作戦が始まろうとしていた。
核層へ通じる通路は、氷のように冷えた魔力と熱気が交錯する異質な空間だった。
巧は勇の背を見送りながら、小さく舌打ちをした。
「どう考えても“主役”ムーブじゃねえかよ……」
すずが囁くように笑う。
「でも、行かせるのは怖いよね。本当は止めたかったくせに」
「ああ。……だから、代わりに用意してやったんだ」
巧は懐から黒い結晶片を取り出す。それは、かつて迷宮で手に入れた“冷却呪符”の断片。
「五分を十秒延ばす程度のもんだ。でも、奴ならきっと十秒で何かやれる」
友子が短く頷く。
「伝送完了。都市管制と魔導炉層、完全接続。起動シークエンス、カウントダウン開始」
管制室に緊張が走った。
一方、炉心部。
熱風の渦巻く空間で、勇は制御弁に手をかけた。
(これが……最後の鍵)
結晶をはめ込む。ガコンと機械音が鳴り、都市の浮力魔法陣が再び光を帯び始めた。
同時に、制御炉の外壁にヒビが入った。
「ッ……!」
魔力の逆流。脳裏を焼くような痛み。
勇は倒れ込みそうになる身体を、詩集に込められた言葉で支えた。
「“風は、空を忘れない”……」
レバーを最後まで引ききる。
閃光。
そして、世界が静かになった。
……
「浮力、回復! 高度安定!」
友子の叫びに、指令室が沸いた。
裕哉が目を細めて言う。
「……やったか?」
その時、通信に微弱な信号が届く。
『──っと、俺は、……ちゃんと、帰るって言ったろ』
「勇!」
紗織が叫び、すずは涙を浮かべた。
レティアが笑う。
「やるじゃない、王子様」
巧は口元を歪めた。
「……やっぱ、主役だな」
浮遊都市ゼピュロスは、今も空に浮かんでいる。
それは、一人の“勘当王子”が、己を捨てて守った空だった。
それが浮遊都市〈ゼピュロス〉──風と魔導工学の奇跡が築いた、空に浮かぶ交易都市だ。
王国と帝国の休戦から数週間後。巧たちは、ゼピュロスの交易船団が謎の空賊に襲われたという報告を受け、調査のために出航していた。
潮風が吹きつける甲板で、すずが伸びをして空を見上げる。
「いやー、浮いてる都市って、初めて見たけど……あれ、普通におかしいでしょ。どういう仕組みで浮いてんのよ」
「浮遊結晶体を核にした魔導反重力装置だよ」
すずの疑問に答えたのは友子だった。浮遊都市の研究資料を綴じた巻物を抱えたまま、彼女は真顔で続ける。
「理論的にはね、でもこの規模は異常。だから興味あるんだ。行って確かめたいの。直接!」
「まーた暴走してる……」
すずが呆れる横で、巧は手すりに肘をつけ、視線を空の都市へと向けていた。
「今回の任務は“調査と交渉”だ。過度な干渉は避けるぞ」
「うわ、出たよ軍人モード……」
「誤解されるのはもう慣れた」
乾いた返しに、すずは笑って舌を出した。
その時、見張り台の兵士が叫んだ。
「視認! 浮遊艇三隻、急速接近!」
空賊か──全員が身構えたが、すぐに信号旗が翻る。
「……あれ、向こう、交渉の使者だって」
近づいてきたのは、ゼピュロスの哨戒艇。その中で先頭に立つのは、白銀の軍帽をかぶった若い女性だった。
「空賊じゃなかったか。あれが交渉代表……ん?」
すずが目を細めて呟いた。
女将校は、どう見ても十代半ば。だがその眼光には迷いがなく、将校服の着こなしは完璧だった。
彼女は名乗った。
「空の守り手、レイナ・ヴァルティナ。浮遊都市防衛軍、臨時司令官です」
まさかの少女指揮官に、一行は驚きを隠せなかった。
が、さらに予想外の発言が続く。
「我々は、貴国の要請に応じ協力する所存ですが──一つ条件があります」
レイナは、毅然と告げた。
「空賊の頭領と名指しされている“あの者”の保護を、我が軍は望みます。彼女は、私の姉です」
重苦しい空気が一気に張り詰めた。
敵か、味方か。交渉か、交戦か。
再び、風が都市を巡る。
「姉妹で……空賊と将軍?」
最初に声を漏らしたのは紗織だった。驚きというより、困惑に近い色が強い。
レイナは首肯する。
「レティア・ヴァルティナ。姉は三年前、都市のエネルギー炉開発部門にいた天才技師です。ですが、都市運営評議会との対立の末、追放されました」
「それが空賊の頭領になった理由か」
勇が前に出る。王子としての立場より、兄妹としての物語に興味を持った様子だ。
「……でも、それだけで反乱を起こすか?」
巧の問いに、レイナは目を伏せた。
「彼女は、都市のエネルギー炉“アスフェリオン”が、近く暴走の危険を孕んでいると警告しました。しかし評議会は……政治的配慮を優先して、黙殺したのです」
「……それで、強行手段に」
友子が静かに呟いた。彼女の研究者としての勘が告げるのだ。
“その予言、たぶん本当だ”と。
「姉は、ゼピュロスを壊すために空賊になったのではありません。守るために、強行に出たのです」
レイナは、決して揺れない声で言った。
勇が息をついた。
「……なら、交渉の余地はある。俺たちが、その“姉君”に直接会えれば」
レイナの瞳に、微かに驚きの色が灯る。
「会ってどうするつもりですか? 剣を向けるのですか? それとも……彼女を、信じますか?」
その問いに、勇は少し口元を歪めて笑う。
「俺たちは、そういう“面倒な奴ら”を信じてきたんだ」
巧が頷いた。
「誤解で動いた奴らばかりだ。勘違いされ、勘当され、追放された。だが──誰一人、本当に見捨てたことはない」
「それに……」とすずが口を挟む。
「話がこじれた姉妹って、旅の物語には絶対必要なのよ。つまり出番ってこと!」
裕哉が溜息をついた。
「それで事態が収まるなら、安い芝居だ」
レイナはしばし黙し──やがて、唇を開いた。
「では、貴方がたに任せます。姉に会う手筈は整えます。ですが……交渉に失敗した場合、我が軍は……都市を守るため、力を振るいます」
「わかってるさ」
巧は、短く頷いた。
その表情は冷静だが、瞳は真っ直ぐに空を見ていた。
浮かぶ都市。
裂けかけた絆。
そして、再び問われる──「信じる」とは何か。
浮遊艇が、都市へ向けて風を切った。
浮遊艇〈ノルデリカ〉は、午前の雲を抜けてゆっくりと上昇していった。甲板に立つ巧たちは、眼下に広がる海と、目前に迫る雲海の上の“浮遊都市ゼピュロス”を見つめる。
空に浮かぶ都市。その姿は神殿のように荘厳で、中央の巨大な塔は都市全体を支える浮遊炉〈アスフェリオン〉のエネルギー心核だという。
「高度三千七百メートル。酸素圧、問題なし」
友子がゴーグルの奥で呟き、手元の計器を調整する。
「なあ、すず。高いとこって怖くねぇのか?」
裕哉が聞くと、すずは涼しい顔で返す。
「怖いのは“高さ”じゃなくて、“孤独”よ。見下ろすだけの世界に、自分しかいなかったら、それこそ落ちたくなるじゃない」
「……お前、時々詩人みてぇなこと言うな」
「元々詩人でしょ!」
小さなやり取りに皆が笑ったが、勇は表情を引き締めたまま、上空の都市を見上げていた。
「俺が出る。空賊姫ってのは、軍を抜けたお前の姉貴だろ? なら、立場的には俺と似たようなもんだ」
レイナが小さく頷く。
「姉の名は、レティア・ヴァルティナ。かつて“空域管理長官”だった女。ですが今は、追放者として空を巡る“嵐の矢”です」
「……それ、通り名か?」
「本人が名乗ったわけではないそうです。都市の兵団が勝手にそう呼んでます」
「皮肉だな」
巧がぽつりと呟いた。
「本当は都市を守るために戦ってるのに、“嵐”と呼ばれる。俺たちも、似たようなもんだった」
皆が黙った。かつて誤解され、追放され、名前を奪われた彼らにとって、レティアの話は他人事ではなかった。
「降りるぞ。武器は鞘に納めたままな」
勇の一言に、全員が頷いた。
〈ノルデリカ〉が接舷したのは、ゼピュロス西側の補給区画にある旧管理塔だった。そこには空賊船が一隻、静かに係留されていた。
降り立った瞬間、空気が変わった。熱ではなく、緊張。
「レティア様は、上層制御区画で待っております」
迎えに来たのは、漆黒の制服に身を包んだ若い女性空賊だった。その瞳は鋭く、しかし敵意は感じられない。
エレベーターで塔を登る途中、友子が不意に言った。
「この都市、制御ループが一部壊れてる。数日中に負荷が限界を超える」
皆の顔色が変わる。
「レティアの言っていた通りか……」
裕哉が呟いたとき、エレベーターの扉が音もなく開いた。
最上階。
そこに立っていたのは──
「お前たちが、“交渉人”か」
鋭く、だが透明な声だった。
銀の髪を一つに結い、戦闘服のまま佇む女。
レティア・ヴァルティナ。空賊姫。
彼女の瞳は、どこか寂しげだった。
「お会いできて光栄です、レティア様」
勇が一歩前に出て頭を下げた。が、レティアの瞳は彼の後ろ──紗織へ向いていた。
「……まさか、貴族派の“あの”令嬢が、こんな所まで来るとはね」
「貴族派を辞したのはもう昔です」
紗織は凛とした声で返す。その表情に、かつての“悪役令嬢”の面影はなかった。
「今の私は、この仲間たちと共に未来を探しています」
レティアがふっと笑った。
「面白い連中だな。王子に悪役令嬢、追放冒険者に天才幼女……まるで芝居の登場人物」
「脚本家もいますよ」
裕哉が笑いながら言うと、レティアの眉がピクリと動いた。
「……ヴァイスの弟子か」
「ご存知で?」
「あいつは昔、私にこう言った。“戦場にも脚本はある。書くのは兵じゃない。読む者の数だけ、結末がある”……私には理解できなかったがな」
その言葉に裕哉は黙った。
静かな沈黙の中、レティアは一枚の設計図を取り出した。
「これが、都市の心核炉だ。今、制御コアが腐食していて、あと十日も保たない」
巧たちは図面をのぞき込む。
そこには魔導動力炉と外殻パイロンを繋ぐ三重ループが描かれていた。
友子が指で示す。
「ここの反応炉と制御層を、一時的に断絶して、外部から再起動すれば──いけます」
「ただし」
巧が続けた。
「それやるってことは、一時的に都市の浮力が失われる。……都市ごと落ちるかもしれないってことだ」
「承知の上だ」
レティアは迷いなく頷いた。
「だが、都市を維持するには、どうしても誰かが“核層に潜って手動で操作”しなきゃならない。魔力耐性と熱処理の問題がある。生身じゃ五分も保たない」
「じゃあ、僕が行こう」
誰もが振り向いた。
勇だった。
「俺は王子を捨てた。けど、それでも王国の空は守りたい。俺に、行かせてくれ」
「馬鹿なこと言うな!」
紗織が怒声を上げた。
「こんなことで命を落としたら──あなたの民はどうするの!?」
「だからこそ、俺が行くんだ」
勇の声は静かだった。
「これ以上、誰にも“身代わり”になってほしくないから」
すずがポケットから何かを取り出す。
古びた詩集だった。
「だったらこれを持って。……“風の道標”って詩。死地に向かう人の心を導く詩だって、言い伝えがあるの」
勇はそれを受け取り、笑った。
「ありがとう」
そして皆の顔を見渡す。
「俺は、必ず帰る」
浮遊都市の運命を左右する決断が下され、心核炉再起動作戦が始まろうとしていた。
核層へ通じる通路は、氷のように冷えた魔力と熱気が交錯する異質な空間だった。
巧は勇の背を見送りながら、小さく舌打ちをした。
「どう考えても“主役”ムーブじゃねえかよ……」
すずが囁くように笑う。
「でも、行かせるのは怖いよね。本当は止めたかったくせに」
「ああ。……だから、代わりに用意してやったんだ」
巧は懐から黒い結晶片を取り出す。それは、かつて迷宮で手に入れた“冷却呪符”の断片。
「五分を十秒延ばす程度のもんだ。でも、奴ならきっと十秒で何かやれる」
友子が短く頷く。
「伝送完了。都市管制と魔導炉層、完全接続。起動シークエンス、カウントダウン開始」
管制室に緊張が走った。
一方、炉心部。
熱風の渦巻く空間で、勇は制御弁に手をかけた。
(これが……最後の鍵)
結晶をはめ込む。ガコンと機械音が鳴り、都市の浮力魔法陣が再び光を帯び始めた。
同時に、制御炉の外壁にヒビが入った。
「ッ……!」
魔力の逆流。脳裏を焼くような痛み。
勇は倒れ込みそうになる身体を、詩集に込められた言葉で支えた。
「“風は、空を忘れない”……」
レバーを最後まで引ききる。
閃光。
そして、世界が静かになった。
……
「浮力、回復! 高度安定!」
友子の叫びに、指令室が沸いた。
裕哉が目を細めて言う。
「……やったか?」
その時、通信に微弱な信号が届く。
『──っと、俺は、……ちゃんと、帰るって言ったろ』
「勇!」
紗織が叫び、すずは涙を浮かべた。
レティアが笑う。
「やるじゃない、王子様」
巧は口元を歪めた。
「……やっぱ、主役だな」
浮遊都市ゼピュロスは、今も空に浮かんでいる。
それは、一人の“勘当王子”が、己を捨てて守った空だった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。
「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる