追放冒険者と勘当王子と悪役令嬢、ときどき天才幼女──誤解だらけの王道物語

乾為天女

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第31話 浮遊都市ゼピュロス

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 南海──エリュシオン湾の遥か沖。水平線の向こうに、空へ浮かぶ巨大な島影があった。
  それが浮遊都市〈ゼピュロス〉──風と魔導工学の奇跡が築いた、空に浮かぶ交易都市だ。
  王国と帝国の休戦から数週間後。巧たちは、ゼピュロスの交易船団が謎の空賊に襲われたという報告を受け、調査のために出航していた。
  潮風が吹きつける甲板で、すずが伸びをして空を見上げる。
 「いやー、浮いてる都市って、初めて見たけど……あれ、普通におかしいでしょ。どういう仕組みで浮いてんのよ」
 「浮遊結晶体を核にした魔導反重力装置だよ」
  すずの疑問に答えたのは友子だった。浮遊都市の研究資料を綴じた巻物を抱えたまま、彼女は真顔で続ける。
 「理論的にはね、でもこの規模は異常。だから興味あるんだ。行って確かめたいの。直接!」
 「まーた暴走してる……」
  すずが呆れる横で、巧は手すりに肘をつけ、視線を空の都市へと向けていた。
 「今回の任務は“調査と交渉”だ。過度な干渉は避けるぞ」
 「うわ、出たよ軍人モード……」
 「誤解されるのはもう慣れた」
  乾いた返しに、すずは笑って舌を出した。
  その時、見張り台の兵士が叫んだ。
 「視認! 浮遊艇三隻、急速接近!」
  空賊か──全員が身構えたが、すぐに信号旗が翻る。
 「……あれ、向こう、交渉の使者だって」
  近づいてきたのは、ゼピュロスの哨戒艇。その中で先頭に立つのは、白銀の軍帽をかぶった若い女性だった。
 「空賊じゃなかったか。あれが交渉代表……ん?」
  すずが目を細めて呟いた。
  女将校は、どう見ても十代半ば。だがその眼光には迷いがなく、将校服の着こなしは完璧だった。
  彼女は名乗った。
 「空の守り手、レイナ・ヴァルティナ。浮遊都市防衛軍、臨時司令官です」
  まさかの少女指揮官に、一行は驚きを隠せなかった。
  が、さらに予想外の発言が続く。
 「我々は、貴国の要請に応じ協力する所存ですが──一つ条件があります」
  レイナは、毅然と告げた。
 「空賊の頭領と名指しされている“あの者”の保護を、我が軍は望みます。彼女は、私の姉です」
  重苦しい空気が一気に張り詰めた。
  敵か、味方か。交渉か、交戦か。
  再び、風が都市を巡る。

 「姉妹で……空賊と将軍?」
  最初に声を漏らしたのは紗織だった。驚きというより、困惑に近い色が強い。
  レイナは首肯する。
 「レティア・ヴァルティナ。姉は三年前、都市のエネルギー炉開発部門にいた天才技師です。ですが、都市運営評議会との対立の末、追放されました」
 「それが空賊の頭領になった理由か」
  勇が前に出る。王子としての立場より、兄妹としての物語に興味を持った様子だ。
 「……でも、それだけで反乱を起こすか?」
  巧の問いに、レイナは目を伏せた。
 「彼女は、都市のエネルギー炉“アスフェリオン”が、近く暴走の危険を孕んでいると警告しました。しかし評議会は……政治的配慮を優先して、黙殺したのです」
 「……それで、強行手段に」
  友子が静かに呟いた。彼女の研究者としての勘が告げるのだ。
  “その予言、たぶん本当だ”と。
 「姉は、ゼピュロスを壊すために空賊になったのではありません。守るために、強行に出たのです」
  レイナは、決して揺れない声で言った。
  勇が息をついた。
 「……なら、交渉の余地はある。俺たちが、その“姉君”に直接会えれば」
  レイナの瞳に、微かに驚きの色が灯る。
 「会ってどうするつもりですか? 剣を向けるのですか? それとも……彼女を、信じますか?」
  その問いに、勇は少し口元を歪めて笑う。
 「俺たちは、そういう“面倒な奴ら”を信じてきたんだ」
  巧が頷いた。
 「誤解で動いた奴らばかりだ。勘違いされ、勘当され、追放された。だが──誰一人、本当に見捨てたことはない」
 「それに……」とすずが口を挟む。
 「話がこじれた姉妹って、旅の物語には絶対必要なのよ。つまり出番ってこと!」
  裕哉が溜息をついた。
 「それで事態が収まるなら、安い芝居だ」
  レイナはしばし黙し──やがて、唇を開いた。
 「では、貴方がたに任せます。姉に会う手筈は整えます。ですが……交渉に失敗した場合、我が軍は……都市を守るため、力を振るいます」
 「わかってるさ」
  巧は、短く頷いた。
  その表情は冷静だが、瞳は真っ直ぐに空を見ていた。
  浮かぶ都市。
  裂けかけた絆。
  そして、再び問われる──「信じる」とは何か。
  浮遊艇が、都市へ向けて風を切った。

 浮遊艇〈ノルデリカ〉は、午前の雲を抜けてゆっくりと上昇していった。甲板に立つ巧たちは、眼下に広がる海と、目前に迫る雲海の上の“浮遊都市ゼピュロス”を見つめる。
  空に浮かぶ都市。その姿は神殿のように荘厳で、中央の巨大な塔は都市全体を支える浮遊炉〈アスフェリオン〉のエネルギー心核だという。
 「高度三千七百メートル。酸素圧、問題なし」
  友子がゴーグルの奥で呟き、手元の計器を調整する。
 「なあ、すず。高いとこって怖くねぇのか?」
  裕哉が聞くと、すずは涼しい顔で返す。
 「怖いのは“高さ”じゃなくて、“孤独”よ。見下ろすだけの世界に、自分しかいなかったら、それこそ落ちたくなるじゃない」
 「……お前、時々詩人みてぇなこと言うな」
 「元々詩人でしょ!」
  小さなやり取りに皆が笑ったが、勇は表情を引き締めたまま、上空の都市を見上げていた。
 「俺が出る。空賊姫ってのは、軍を抜けたお前の姉貴だろ? なら、立場的には俺と似たようなもんだ」
  レイナが小さく頷く。
 「姉の名は、レティア・ヴァルティナ。かつて“空域管理長官”だった女。ですが今は、追放者として空を巡る“嵐の矢”です」
 「……それ、通り名か?」
 「本人が名乗ったわけではないそうです。都市の兵団が勝手にそう呼んでます」
 「皮肉だな」
  巧がぽつりと呟いた。
 「本当は都市を守るために戦ってるのに、“嵐”と呼ばれる。俺たちも、似たようなもんだった」
  皆が黙った。かつて誤解され、追放され、名前を奪われた彼らにとって、レティアの話は他人事ではなかった。
 「降りるぞ。武器は鞘に納めたままな」
  勇の一言に、全員が頷いた。
  〈ノルデリカ〉が接舷したのは、ゼピュロス西側の補給区画にある旧管理塔だった。そこには空賊船が一隻、静かに係留されていた。
  降り立った瞬間、空気が変わった。熱ではなく、緊張。
 「レティア様は、上層制御区画で待っております」
  迎えに来たのは、漆黒の制服に身を包んだ若い女性空賊だった。その瞳は鋭く、しかし敵意は感じられない。
  エレベーターで塔を登る途中、友子が不意に言った。
 「この都市、制御ループが一部壊れてる。数日中に負荷が限界を超える」
  皆の顔色が変わる。
 「レティアの言っていた通りか……」
  裕哉が呟いたとき、エレベーターの扉が音もなく開いた。
  最上階。
  そこに立っていたのは──
 「お前たちが、“交渉人”か」
  鋭く、だが透明な声だった。
  銀の髪を一つに結い、戦闘服のまま佇む女。
  レティア・ヴァルティナ。空賊姫。
  彼女の瞳は、どこか寂しげだった。

 「お会いできて光栄です、レティア様」
  勇が一歩前に出て頭を下げた。が、レティアの瞳は彼の後ろ──紗織へ向いていた。
 「……まさか、貴族派の“あの”令嬢が、こんな所まで来るとはね」
 「貴族派を辞したのはもう昔です」
  紗織は凛とした声で返す。その表情に、かつての“悪役令嬢”の面影はなかった。
 「今の私は、この仲間たちと共に未来を探しています」
  レティアがふっと笑った。
 「面白い連中だな。王子に悪役令嬢、追放冒険者に天才幼女……まるで芝居の登場人物」
 「脚本家もいますよ」
  裕哉が笑いながら言うと、レティアの眉がピクリと動いた。
 「……ヴァイスの弟子か」
 「ご存知で?」
 「あいつは昔、私にこう言った。“戦場にも脚本はある。書くのは兵じゃない。読む者の数だけ、結末がある”……私には理解できなかったがな」
  その言葉に裕哉は黙った。
  静かな沈黙の中、レティアは一枚の設計図を取り出した。
 「これが、都市の心核炉だ。今、制御コアが腐食していて、あと十日も保たない」
  巧たちは図面をのぞき込む。
  そこには魔導動力炉と外殻パイロンを繋ぐ三重ループが描かれていた。
  友子が指で示す。
 「ここの反応炉と制御層を、一時的に断絶して、外部から再起動すれば──いけます」
 「ただし」
  巧が続けた。
 「それやるってことは、一時的に都市の浮力が失われる。……都市ごと落ちるかもしれないってことだ」
 「承知の上だ」
  レティアは迷いなく頷いた。
 「だが、都市を維持するには、どうしても誰かが“核層に潜って手動で操作”しなきゃならない。魔力耐性と熱処理の問題がある。生身じゃ五分も保たない」
 「じゃあ、僕が行こう」
  誰もが振り向いた。
  勇だった。
 「俺は王子を捨てた。けど、それでも王国の空は守りたい。俺に、行かせてくれ」
 「馬鹿なこと言うな!」
  紗織が怒声を上げた。
 「こんなことで命を落としたら──あなたの民はどうするの!?」
 「だからこそ、俺が行くんだ」
  勇の声は静かだった。
 「これ以上、誰にも“身代わり”になってほしくないから」
  すずがポケットから何かを取り出す。
  古びた詩集だった。
 「だったらこれを持って。……“風の道標”って詩。死地に向かう人の心を導く詩だって、言い伝えがあるの」
  勇はそれを受け取り、笑った。
 「ありがとう」
  そして皆の顔を見渡す。
 「俺は、必ず帰る」
  浮遊都市の運命を左右する決断が下され、心核炉再起動作戦が始まろうとしていた。

 核層へ通じる通路は、氷のように冷えた魔力と熱気が交錯する異質な空間だった。
  巧は勇の背を見送りながら、小さく舌打ちをした。
 「どう考えても“主役”ムーブじゃねえかよ……」
  すずが囁くように笑う。
 「でも、行かせるのは怖いよね。本当は止めたかったくせに」
 「ああ。……だから、代わりに用意してやったんだ」
  巧は懐から黒い結晶片を取り出す。それは、かつて迷宮で手に入れた“冷却呪符”の断片。
 「五分を十秒延ばす程度のもんだ。でも、奴ならきっと十秒で何かやれる」
  友子が短く頷く。
 「伝送完了。都市管制と魔導炉層、完全接続。起動シークエンス、カウントダウン開始」
  管制室に緊張が走った。
  一方、炉心部。
  熱風の渦巻く空間で、勇は制御弁に手をかけた。
 (これが……最後の鍵)
  結晶をはめ込む。ガコンと機械音が鳴り、都市の浮力魔法陣が再び光を帯び始めた。
  同時に、制御炉の外壁にヒビが入った。
 「ッ……!」
  魔力の逆流。脳裏を焼くような痛み。
  勇は倒れ込みそうになる身体を、詩集に込められた言葉で支えた。
 「“風は、空を忘れない”……」
  レバーを最後まで引ききる。
  閃光。
  そして、世界が静かになった。
  ……
 「浮力、回復! 高度安定!」
  友子の叫びに、指令室が沸いた。
  裕哉が目を細めて言う。
 「……やったか?」
  その時、通信に微弱な信号が届く。
 『──っと、俺は、……ちゃんと、帰るって言ったろ』
 「勇!」
  紗織が叫び、すずは涙を浮かべた。
  レティアが笑う。
 「やるじゃない、王子様」
  巧は口元を歪めた。
 「……やっぱ、主役だな」
  浮遊都市ゼピュロスは、今も空に浮かんでいる。
  それは、一人の“勘当王子”が、己を捨てて守った空だった。

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