この人以外ありえない

鳳雛

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10. どこまでも知っている

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「依(より)ちゃん」
「なにー?糸(いと)ちゃん」
「…母、来ます」

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休日の朝。
今日は依と大きな公園にでも行こうかと思いながら体を起こした瞬間、電話がかかってきた。
『今からそちらへ行きます。それでは』
こっちの返事も待たずに電話を切られた。
急に来んなよ。
今日の計画が丸つぶれだ。
依との時間が減らされるなんて…
「糸ちゃんママに会うの久しぶり~。メイクしなくちゃ!」
「しなくていい」
依は母さんに懐いている。
私も母さんのことは嫌いじゃない。
ただ、いちいちやることが急なんだよ。

ピンポーン

「・・・」
来るの速ぇよ。

******************************

「来ました」
「見ればわかる」
母さんが来た。
電話してから1時間しか経ってない。
しかもこの人はそんな近くに住んでない。
つまり、最初から今日来るつもりでいたのに私に連絡するのが遅すぎる。
…まぁ、いつものことなんだけど。

ガチャ

「何しに来たの」
母さんをリビングに通す。
「様子を見に来ただけです。すぐに帰ります」
「そっか…ホントに何しに来た」
「あ、これお土産です。2人で召し上がってください」
手渡されたのはワイン。
しかも生まれ年もの。
「誕生日、おめでとうございます」
「母さん…」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・今日誕生日じゃねぇよ。
しかもこれ私じゃなくて依の生まれ年だろ」
今日は依の誕生日でもない。
何しに来たんだよ…

ガチャ

「糸ちゃんママ!こんにちは~!」
依が寝室から戻ってきた。
本当にメイクしてきた。
「依さん、こんにちは。元気そうですね」
「うん!」
本当に依は母さんに懐いてる。
犬みたいでかわいいな、依。
「お仕事は大変でしょう?」
「ううん、楽しいよ!」
「そうですか、それはなによりです。立派ですね、高校の教員を務めているなんて」
「全然!糸ちゃんの方が立派だよ~、優秀なルーキーなんだって!」
「もうルーキーじゃない」
てかなんで知ってんだ、そのキモい噂。
「ふふっ、依さんは糸さんのことが大好きなのですね」
「・・・」
依が黙る。
え、なんでそこで黙るの。
依なら即答してくれると思ったんだけど…
「…うん。大好きだよ…///」
「・・・」
照れすぎだろ。

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「依さんと糸さんが今日も幸せそうで安心しました」
「うふふっ、ラブラブですよっ」
「まぁ、うん」
「それにしても」
「「?」」
「こちらのお部屋、少々鉄の匂いがするような…」
「あ」
「うふふっ」
うふふじゃねーよ、依。
私は基本的に母さんに隠し事はしない。
する必要はないし、隠しても大体バレるからだ。
けど、これだけは内緒にしている。
言えるわけないだろ。
恋人に毎日のように殺されかけてるなんて。
「昨日 鮮魚をさばいたからかな。生ゴミは昨日のうちに処理したんだけどね」
依の方を見る。
話を合わせろ。
「大変だったよね~、大量に血が飛び散って」
違う。
『ブリ大根 美味しかったね~』だろ。
大量に血が飛び散ったのは私だ。
「そうでしたか、何を食べたのですか?」
「ブリ大根!」
「それは美味しかったでしょう」
「うん!」
ブリ大根だけ綺麗に回収された。

******************************

母さんはトイレに行った。
依とリビングで2人になる。
「依ちゃん、さっきのどういうつもり?」
「ん?」
「わかってたでしょ、私が話してほしかったこと」
「ああ、ブリ大根」
「なんで血が飛び散ったなんて言ったの」
「え~?だって事実じゃ~ん!
アタシ、"魚の" 血が飛び散ったなんて言ってないし~」
「まったく」
依の賢さが憎い。
「それより、アタシ理想のシチュエーションがあるんだっ」
「なに?」
『お義母さん、糸さんをアタシにください』ならだいぶ前に見た。
まぁ依は純情だから、ベタな恋愛シチュエーションでもやりたいんだろう。
しょうがないから付き合ってやろう。
「あのね、糸ちゃんママに隠れて~」
ああ、親のいる前でこっそり…とかよくあるよな。
「糸ちゃんと恋人つなぎをして~」
「うん」
「バレないように~…」
「うん」
「指の関節を外していくのっ!」
「う…ん?」
恋人つなぎしたその手で私の指の関節を外していくだと?
器用だな。
確かにバレないようにするのは難しい。
音や声が出たり、表情に出たりするから。
私だって痛いものは痛い。
「じゃあ決定ねっ」
なぜ決定した。
依は母さんが戻って来ないうちに指を絡ませてきた。

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「お手洗いお借りしました。綺麗にしているのですね」
「糸ちゃん綺麗好きだからね~」
ベキッ
「っ、うん、まあ」
血の痕処理とか丁寧にやらないとシミになるからね。
「っ・・・」
いやー、痛いな…
母さんが来る前に2本外され、今3本目が外された。
指の形が変わって、赤く腫れている感覚がする。
片手の握力だけでよくこんなことが…
「お二人とも、先ほどより距離が近いですね」
私と依は密着して、裏で恋人つなぎしてるを隠している。
「仲良しですから!
ね?糸ちゃんっ」
ボキッ
「う"ん、恋人だし」
返事させるタイミングに合わせて関節を外すな。
「ていうか、立ち話もなんですから座りましょうよ~」
「いえ、長居はしませんのでこのままで」
「え~!」
パキッ
「んっ…!ゴホン」
「もっと居ればいいのに~」
そろそろごまかしきれなくなってきた。
このまま指の関節をすべて外されたら、左手が野球グローブになってしまう。
「糸さん、具合でも悪いのですか?」
やばい、感づかれた。
「ホントだ!糸ちゃん大丈夫~?
まだ朝ごはん食べてないからかなぁ?」
白々しいなこいつ。
「糸さん、少し横になった方がいいかと。私でよければ診てみましょうか」
本当であれば今すぐ診てほしい、私の左手を。

でも、これくらいの状況なら何とでもなる。

「あ!それがいいよ糸ちゃん!
だって糸ちゃんママ…んっ?!//」
「?、依さん?」
「な、何でもない、よっ。糸ちゃん、ママぁ//」
「?」
手は恋人つなぎをしたまま。
そのまま、私の手の甲を依の尻に押し当てる。
まだそれだけしかしてないのに、依は顔を真っ赤にしてうつむき出した。
「依の方が具合悪そうだね」
「んんっ!//」
手の甲で依の尻を持ち上げて離して、プルンと揺らす。
恋人つなぎをしてるから、依にも指から自分の尻がもてあそばれている感覚が伝わってる。
「母さんに診てもらったら?」
「ん、い、いや…//」
2,3回、依の尻を揺らすのを繰り返して、つながれた手を放そうとした。
でも、依が放そうとしない。
おそらく、いま手を放してしまえば自分がどんな目に遭うかわかっているからだろう。
手を放せば、関節が外れて膨らんだ私の指は自由になるのだから。
やっぱり依は賢い。
「『理想のシチュエーション』、だね」
「っ…!!///」
依の耳元でささやく。

声が出たり、表情に出たり。
バレないようにするのは難しいね。

さて、関節を外そうとする手の動きは完全に止まったし、
母さんがいる目の前で、これからどうやって辱めてやろうかな…

「あ、時間が来たので帰ります」
「・・・」
「はぁ、はぁ…///」
さっき私の心配してたのは演技か?

******************************

母さんを1階のエントランスまで送る。
さっき呼んだタクシーがもうすぐ到着するらしい。
「依さん、大丈夫だったでしょうか?」
「仕事の疲れが抜けてなかったんだよ。依ちゃんは部活の顧問もやってるし」
あの後、依は腰が抜けて股も濡れて、母さんの見送りに来られる状態ではなくなった。
「依さんは忙しいのですね」
「・・・」
一番忙しいのはあんただろ。
「変わりの無いようで安心しました。これからも2人で支え合ってくださいね」
「うん、そうする」

ブロロ…

「タクシーが来たようです。それではまた」
「そんな来なくていいから」
「あら、寂しい。
でも、私がいつ来ても糸さんは迎えてくれますよね」
「そりゃ、せっかく来たのに追い返せないから」
「あなたは優しい子です」
母さんに頭を撫でられる。
大人になっても子ども扱いをされるのは嫌だけど、母さんになら悪い気はしない。
私は母さんを尊敬してるし、いつも私を思ってくれているから。

母さんが医師になったのは、私の病気を解明するため。
今もこの、自然治癒力が異常に高い病気について研究しているらしい。
自分の子供のために、仕事をやめて、勉強して、受験して、大学に入って、
そして本当に医師になった人を、誰が認めないだろう。

ブロロ…

母さんはタクシーに乗って帰っていった。
「・・・」
さっきもらったワイン、依の生まれ年のものを選んだのは私のためだ。
私は自分のための贈り物よりも、依に合わせた物の方が喜ぶ。
それくらい、母さんは私のことをわかっている。
それなのに、忙しいくせに急に来たり、誕生日でもないのにプレゼントを寄越してきたり、成長しても娘の頭を撫でてきたり。
私には"母"の行動がわからない。
母さんが考えていることは、もっとわからない。

その日の夜、私と依は母さんからもらった深紅のワインを口にした。
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