シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----

ササキ・シゲロー

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シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈9〉

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 根源的な不幸あるいは生命を根こそぎにする不幸とは、それが「自他の区別のつきかねるもの」として見出されたがゆえに、「…何よりも名前を持たない(アノニム)もの…」(※1)として見出されるのだ、とヴェイユは言う。見出されると言うものの、しかし実はそのような名前のない不幸は、誰からもけっして顧みられることがない。そのような境遇に置かれた人は、名前ばかりでなく人格そのものさえ剥ぎ取られ、単なる「肉塊」のようなものとして無造作に道端に投げ捨てられている。尊厳をもって扱われることはけっしてないし、誰もその必要性を感じない。それを考慮することもない。なぜなら、「…そういう人たちのすぐそばを通りながら、わたしたちはそれに気づかない…」(※2)し、「…しばらくたってからも、自分たちはそれを見たのかどうかすらわからない有様…」(※3)なのだ。あたかも、そのようなものなど存在すらしていなかったかのように。ここには「関係」というものが、そっくりそのまま抜け落ちている。なぜ関係そのものが欠落してしまうのか。それは、「関心がない」からだ。存在していないと思われるものに対して、関心の持ちようもない。不幸な人は、そうでない人にとってその存在すら認知されない。この意味で「…不幸は無関心であり、無関心なものの冷たさ…」(※4)なのだ、とヴェイユには考えられた。
 
 不幸な人々に関心を向けるには、何か「自然ではない力」が必要なのだ、とヴェイユは考える。それは、「…これまで不幸を経験せず、不幸が何であるかを知らない人にとっても、不幸を体験したり、予感して、不幸をおそろしく思うようになった人にとっても、同じ程度に、自然に反するものとみえる…」(※5)ような行動を伴う。
 それは、一体何か?
 それは、「注意力」である、とヴェイユは考える。
「…不幸な人々がこの世において必要としているのは、ただ自分たちに注意をむけてくれることのできる人たちだけである。…」(※6)
「…超自然的な隣人愛は、人格をそなえている人と、人格を奪われている人と、ふたりの間に閃光のように生じるあわれみと感謝の交換なのである。ふたりの中の一人がただ、いくらかはだかのままの肉体で、道端のみぞのふちに動かず、血まみれで、名前もなく、だれからもまったく知られずにいるのである。(中略)ただひとり、立ちどまって、注意する人がいる。そのあとの行ないは、この瞬間の注意からおのずから出てきた結果にほかならない。この注意こそ、創造的である。…」(※7)
「…隣人愛の極致は、ただ、「君はどのように苦しんでいるのか」と問いかけることができるということに尽きる。すなわち、不幸な人の存在を、なにか陳列品の一種のようにみなしたり、「不幸な者」というレッテルを貼られた社会の一部門の見本のようにみなしたりせずに、あくまでわたしたちと正確に同じ人間と見て行くことである。その人間が、たまたま、不幸のために、他の者には追随することのできないしるしを身に帯びるにいたったのだと知ることである。そのためには、ただ不幸な人の上にいちずな思いをこめた目を向けることができれば、それで十分であり、またそれがどうしても必要なことである。
その目は、何よりも注意する目である。こうしてたましいは、自分自身のものをことごとく、捨て去って、今その目で、あるがままに、まったき真実のうちに見つめているものを、自分のうちにむかえ入れることができる。注意力をはたらかす能力をもつ人だけに、このことが可能である。…」(※8)
 注意力とは関心であり、そして自ら動いて実際に関わることである。しかし、そのように不幸な人々に注意を向けるということ自体が、「自然な状態」のままでは大変に困難なことでもある、とヴェイユは言う。なぜなら、「自然に反する」かのような、「…創造的な注意というのは、存在していないものに、現実に注意を向けること…」(※9)だからだ、と。
 「…道端で動こうともしない無名の肉塊の中には人間性は存在しない…」(※10)かのように、「自然な状態」あるいは普通の社会感覚にある人間の目、その一般的な意識においては見なされてしまうことになる。大抵の人は、その肉塊の傍らを「何の注意もせず」にただ通り過ぎていく。「自分には関係のないことだ」とでもいうように。たとえそのように思ったとしても、誰もその気を咎めないし、そのように思ったことさえすぐに忘れてしまう。
 逆に「…この存在しない人間性に注意を向け…」(※11)ることができ、それに対して「声をかけることができる」ということが、むしろ傍から見れば、「不自然なこと」であり、そのような自然ではないことを「敢えてすることができる」というのが、この注意力というものの「超自然的な力」なのだ、とヴェイユは考える。
(つづく)

◎引用・参照
(※1)ヴェイユ「神への愛と不幸」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※2)ヴェイユ「神への愛と不幸」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※3)ヴェイユ「神への暗黙的な愛の種々相」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※4)ヴェイユ「神への愛と不幸」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※5)ヴェイユ「神への暗黙的な愛の種々相」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※6)ヴェイユ「神への愛のために学業を善用することについての省察」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※7)ヴェイユ「神への暗黙的な愛の種々相」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※8)ヴェイユ「神への愛のために学業を善用することについての省察」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※9)ヴェイユ「神への暗黙的な愛の種々相」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※10)ヴェイユ「神への暗黙的な愛の種々相」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※11)ヴェイユ「神への暗黙的な愛の種々相」(『神を待ちのぞむ』所収)

◎参考書籍
シモーヌ・ヴェイユ
『抑圧と自由』(石川湧訳 東京創元社)
『労働と人生についての省察』(黒木義典・田辺保訳 勁草書房)
『神を待ちのぞむ』(田辺保・杉山毅訳 勁草書房)
『重力と恩寵』(田辺保訳 ちくま学芸文庫)
『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(今村純子編訳 河出文庫)
吉本隆明
『甦るヴェイユ』(JICC出版局)
冨原真弓
『人と思想 ヴェーユ』(清水書院)

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