イデオロギーは悪なのか

ササキ・シゲロー

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イデオロギーは悪なのか〈17〉

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 国家とはその領域の内部における諸関係を体系化し統合し調整し統制する機能を持っており、「国家装置」は国家の機能そのものとして、その機能としての「権力を表現する装置」であると言える。その機能が「抑圧的に働く」ことがあるのだとしたら、それは「国家に対する関係が抑圧的に働いている」ということである。逆にその機能にもとづいて支配的な立場に立っているとすれば、その支配的な立場に対する支配的な関係を「国家に譲り渡している限り」においてそれは可能だと言える。
 また、「国家装置の機能」すなわち「権力」にもとづいて、「支配的-抑圧的な立場」と「被支配的-被抑圧的な立場」として対立する関係にあるならば、それは国家のその領域の内部において体系化され統合され調整され統制されて、互いに関連づけられた関係の内部において対立しているのであって、国家はその対立する関係も含めた、その領域の内部の諸関係を統合し調整し統制して体系化する「機能」を、「国家装置の機能として持っている」がゆえに、たとえ「支配的-抑圧的な立場」と「被支配的-被抑圧的な立場」が入れ替わったとしても、国家としては変化せず一定のままで存続しうるような「機能そのもの」であることができるというわけである。

 アルチュセールは「学校」が現代のあらゆる社会構成体のもとで「第一のイデオロギー装置」として位置づけられていると言っている。しかしこの言葉にはむしろ注意しなければならない。ある意味でこれはトラップなのである。
 「学校」はたしかにその機能において、現代社会の第一のイデオロギー装置たる資格を有しているのかもしれない。何しろ、その社会に存在する全ての人間がそこを経由することが前提になっているような機関は、現代においては学校しかない。これはもはや幻想ではないが、狂気の沙汰と言っても差し支えはないだろう。
 しかしそれは、学校「固有の」あるいは学校「独自の」機能によるものである、というようには考えてはならない。「学校機能の様態が問題なのである」というようには考えてはならない。ひいては「その様態の問題を解決すればよい」などというようにはけっして考えてはならない。
 アルチュセールは、「国家のイデオロギー装置は、どのように機能するのか?」について言っているのである。それを取り違えてはならない。

 国家のイデオロギー装置の機能の、この「機能自体」は、「どのイデオロギー装置においても機能しうる機能」なのである。だからそのような機能自体を「学校」は、「かつての支配的なイデオロギー装置から引き継いだ」のであり、引き継ぐことができたのだ。
「…われわれは、例えば中世における教会(〈国家の宗教的イデオロギー装置〉)は、(…中略…)過去と比べれば、新しい、相異なる複数の〈国家のイデオロギー装置〉に今日では割り当てられる数多くの機能、とりわけ学校的、文化的諸機能を、当時は一身に兼ね備えていたということを確認している。…」(※1)
「…われわれが大雑把に検討している前-資本主義的な歴史の時期において、宗教的であると同様に、学校的な諸機能のみならず、情報と「文化」の諸機能のきわめて大きな部分をも中心的に担っていた一つの支配的な国家のイデオロギー装置、つまり〈教会〉が存在したというのは全く自明のことである。…」(※2)
 そして逆に言えば、「学校以後」においてもこの機能自体は「何らかのイデオロギー装置に引き継がれうるはず」なのである。だからわれわれは、この問題を検討することにおいては、このイデオロギー装置の「機能自体」を検討しなければならないのだ、とアルチュセールは言っているというように受け止めなければならない。
 だからそれはなにも、「現代の社会構成体の生産諸関係の再生産」や、「ブルジョワ階級の支配的なイデオロギー」に限った話ではない。むしろそれをそのような「限定」において見出すのであれば、それこそそのような視点あるいは立場の「イデオロギー的な関係の内部に限られた」視点あるいは立場を表象していることになるのであり、ありていに言えば「その関係に取り込まれていること」を表象しているのだと言えるのである。
 このように、「まったく自明のこととして、ほとんど意識せずに取り込まれているような関係」のトラップに、アルチュセールは注意を促しているのである。
(つづく)

◎引用・参照
(※1)アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置----探究のためのノート」 西川長夫訳
(※2)アルチュセール「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置----探究のためのノート」 西川長夫訳

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