VRMMO [AnotherWorld]

LostAngel

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第二話

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[第二話]

「しっかし、驚いたよな、校長そっくりのAIアバターなんてな」

「ほんとだよ。びっくりして椅子から転げ落ちそうになったもん」

「全くだ。次ログインしたら速攻でアバター変えてやる」

 食堂にやってきた俺、昇、彰は昼食を楽しみながら雑談に勤しんでいた。食堂は講堂と同じくらい広く、優に百人は入るだろう。
入口正面にキッチンがあり、その脇の券売機で買った食券を厨房の方に渡して料理を持ってもらい、おいしく頂くという流れだ。
四人掛けのこじゃれたイスとテーブルがいくつも並べられており、そのほとんどが埋まっていた。

 俺はカレーライスのご飯とルーをバランスよくスプーンに乗せていると、横で昇がズルズルと音を立ててラーメンをすする。
彰はカツ丼のラストスパートに差し掛かり、どんぶりを傾けてかっこんでいる。二人とも食べるの早いな。

「この席、座ってもよろしくて?」

そんな折、一人の女子生徒が開いている席を指さして話しかけてきた。二人の口は塞がっているので俺が応対する。

「ああ、どうぞ」

 スプーンを持ったまま俺は承諾する。左の昇も首肯した。彰はどんぶりに顔を突っ込んでいるので、彼女の到来に気づいていない。
「ありがとう」と小さく言った彼女は、片手で持っていた生姜焼き定食をテーブルの上に置くと、俺の正面の席に腰かけた。
やや間をおいて、空になったどんぶりを下ろして視界を確保した彰が、隣に座った彼女を見て、素っ頓狂な声を上げた。

「初めまして。同じクラスの森静ですわ。気軽に静と呼んでくださいまし。亘さんの前、濱さんの左隣の席ですの」

 第一声はスルーしていたが、中々インパクトのある口調だ。いわゆるお嬢様なのだろうか。
森静と名乗った彼女は、端正な顔立ちをしており、茶色がかった黒髪を後ろで結ってポニーテールにしている。
色白の肌で、顔にはうっすらとメイクをしているようだ。パーカーにジーンズのズボンというラフな格好をしているが、
俺の知らないブランドものかもしれない。

「僭越ながらホームルームであなた方のお話を聞かせて頂いておりました。私も[AnotherWorld]に大変興味があるので
是非ご一緒させてほしいと思っていたのですが、お三方の話が盛り上がっていたようでしたから、お話に加わるタイミングを
失っておりましたわ」

「気にせず話しかけてくれればよかったのに」

 昇があっけらかんと言う。彰もうんうんと頷いている。彰に続いて友達希望者が現れるとは。俺たち三人も軽く
自己紹介を済ませる。

「よし、これで二組の四分の一は友達だな。この後のVRゲームが楽しみだ」

 無事カレーを完食した俺は、お冷を飲みつつそう話しかける。

「でも、体験版はそれ用のソフトがあると姉から聞きましたし、基本個人でプレイするらしいですわよ」

「えっ、そうなのか。まあ考えてみればそうだよな、体験版だし」

 てっきり既存の家庭用ゲームのように、体験プレイでもマルチで遊べると思っていた。それにしても静って
お姉さんいるのか。

「静ってお姉さんいるのか?その口ぶりだともしかして二年生か?」

 昇が俺の思ったことを質問してくれた。彼女は頷き、

「そうですわ。ゲーマーの姉が一人いますの。以前から[AnotherWorld]の魅力について色々聞かされていましたから、私も
遊んでみようと思ったのですわ」

と答えた。

 なるほど、同じ学校にきょうだいがいると心強くていいな。そう思っていると、

「私も食べ終わりましたし、お開きに致しましょう。まだまだ混んでいますし」

と彼女が締めくくった。いつの間にか、彼女の皿も空になっていた。みんな食べるの速いな。

 俺も急いでカレーの残りを頬張り、何とか完食した。食器を片付け、階段を上って教室へと戻る。ぽつぽつと席に座っている生徒がいるが、
アロハ短パンの姿はない。

 今十二時半だから、部活動体験会が始まる十三時まで教室で話していようか。各々席に着き、彰と森は椅子を移動させて雑談の陣形を組む。

「お昼ごはんおいしかったですわね」

「ああ、学食も侮れないな」

「カレーはちょっと甘かったけどな」

 大衆向けのカレーは甘いと相場が決まっている。こんな感じで会話に華を咲かせていると、静のこともだいぶ分かった。

 俺たちと同様に、VRに興味を惹かれてこの高校に決めたこと、部活はVRゲーム部の他に、園芸部を考えていること、この絶妙なお嬢様口調は昔放送されていたアニメのヒロインのものが移って生み出されており、実家は普通の家庭であることなど、色々語ってくれた。

「そろそろ時間になりましてよ」

 気づけば十二時五十分。二十分余りも話し込んでいた。俺たちはぞろぞろと教室を後にし、いったん別れて
それぞれの部活の活動場所に向かった。

 読書部は図書室で活動している。なので階段で一階に降りて廊下を進み、講堂の入口を通り過ぎて校舎の反対側を目指す。位置関係としては、東西に長い直方体の校舎の西側に講堂、東側に図書室があるという感じだ。東西の端には階段があり、出入り口は南側に面する講堂前と図書館前と、北側の校庭に出る校舎中央の計三か所に存在する。

 図書室の扉は開いている。隣の壁の掲示スペースには”部活動体験会開催中!入ってすぐ左:受付、手前側:読書部、奥側:執筆部”と画用紙にマジックで書かれている。執筆部は主に文章を書いており、積極的に新人賞などにエントリーしている部活だ。

 中に入ると、カウンターに頬杖をついている女子生徒があくびをしたところだった。俺の存在に気付いた彼女は、自身の振る舞いに恥ずかしがることなく視線を合わせてきた。

「いらっしゃい。初めて見る顔だし、一年生だよねえ。読書部と執筆部、どちらの部に興味がありますかあ」

 さっきまで居眠りをしていたのか、声がふにゃふにゃである。なかなか肝が据わった先輩だ。

 俺は読書部の体験会に参加したい旨を彼女に伝えた。

「始まって一番に来るなんて、大した熱意だねえ。おおい、本多、お客さんだぞお」

 間延びした声でそう言うと、受付カウンターの正面ほどのテーブルで本を読んでいた一人の男子生徒が、顔を上げてこちらを見た。彼は本を机に置いてすっくと立ち上がると、大股でこちらに歩み寄ってきた。背が高く、角刈りの頭に細い縁の眼鏡をかけている。

 少しして彼が俺たちの前に到着すると、受付のおっとり女子が紹介を始めた。

「こちら読書部副部長の本多だ。去年のビブリオコンで銅賞を獲得した本の虫だ」

「お前に言われると嫌味かと思うからその紹介はやめろ。最優秀受賞者で部長のお前が」

 え、最優秀受賞者?じゃあこの人って……

「お前のことだからめんどくさがって自己紹介してないんだろ。全く……」

「あはは。いいじゃん別に。今は受付やらされてるんだから」

「いいわけないだろ。しかも時間ギリギリまで寝てただろ。せっかく来てくれた新入生を寝ぼけ顔で迎えるなんて、
それじゃあ上級生としての威厳が……」

「本多はいつも細かいんだよ、今から説明すればいいじゃん。読書部希望ということだしね」

「お前はいつもいつも…」

 本多先輩は額に手を当ててうなだれてしまった。見てて飽きないお似合いのコンビだな。

 部長と紹介された受付の彼女は仰々しく姿勢を正すと、曇りのない瞳でこちらを見つめてくる。セミロングの黒髪が揺れる。

「改めて、読書部の体験会へようこそ。部長の吾妻だ。もしかしたら知っているかもしれないが、昨年のビブリオコンでは運よく最優秀賞を頂いた。
使い物にならない副部長に代わって歓迎するよ」

「二組の柊透と言います」

 吾妻先輩の最後の一言で俯いていた本多先輩の肩がわなわなと震え始めたが、見なかったことにする。彼を差し置いてカウンターを回り込んでこちらに
やってきた吾妻部長は、俺をテーブルに促す。俺と部長は向き合う形で椅子に座る。部長はテーブルの上にあったプリントの束から一枚を手に取り、
俺に渡す。ざっと眺めると、読書部の概要を記されている。

「それは部屋に戻った後にでもゆっくり見てみてくれ。活動内容、日時、入部するにあたって必要なことなんかが書いてある」

 そう聞いて俺は部長に向き直る。

「ぶっちゃけそれを読んでくれれば事足りてるんだけどね。部員の口からも説明しろって言われててね」

 それは何ともめんどくさいものだ。メールやビデオ会議などのオンラインコミュニケーションを使えば便利だが、顔を突き合わせる機会が
減ってしまう。それに、一度会えば先輩の顔と名前を覚えられるし、先輩方もそうだろう。

 こんなことを話していると、ようやく我に返った本多先輩が戻ってきて、吾妻部長の左隣の椅子に腰かけた。

「おい、まだ説明することが残っているだろう。そのプリントに書いてある通り、読書部は基本的に水曜日の放課後に活動している。明後日の
ミーティングでは今日いないメンバーも含め全員が集まって、二~三のグループ分けを行う予定だ。来週以降は、各自読んできた本の内容や
良かった点、感想などをまとめたプレゼンを一日一グループやってもらう。明後日の放課後は空いてるか?」

 彼は早口でそう説明すると、俺に尋ねてきた。

「水曜日は大丈夫です」

「よかった。特に必要なものはないから、授業が終わったらここに来てくれ」

「はい!」

 本多先輩は結構几帳面な性格に思える。渡されたプリントには、明後日やることは詳しく書かれていない。

 すると、吾妻部長から横槍が入る。

「ちょっと、勝手に話進めちゃってるけど、彼の最終的な意志を聞いていないだろ。柊君は読書部に入部という形でいいのかい」

「はい、ぜひよろしくお願いします!」

 俺は入部の意志を伝える。読書部というと真面目で堅いイメージがあったが、二人とも面白い人で、これからの活動が楽しくなりそうだ。

「それなら良かった。これからよろしく」

「よろしく頼む」

「よろしくお願いします」

 俺と先輩方の三人は改まって礼を交わす。こうして、俺は読書部に入部することが決まったのだった。

 その後、今日は何をするんですかときいてみたら、体験会といってもうちは本を読むだけだから特にない、と言われあっさり解放された俺は、
約束の時間が迫っていることもあり図書室を後にした。部屋を出るとき、入部希望者とみられる女子生徒とすれ違った。執筆部希望かもしれないが、
今年の読書部の新入部員が俺一人だった、という事態は避けられそうかもしれない。

 時刻は十三時二十五分。いい時間だが、みんないるだろうか。
図書室と集合場所であるレクリエーション室1は目と鼻の距離ほどの近さなので、すぐに到着した。閉められた入り口の扉の向こうから、
賑やかな声が聞こえる。VRゲーム部は大盛況のようだ。

 扉の近くには先客がいたので、近づいて声をかける。

「やあ、静。早かったな」

「あら透。まずは一つ目の部活体験会、お疲れ様でしてよ」

「園芸部はどうだった?読書部はプリント渡されて先輩と少し話しただけだったけど。何も体験することなかった」

「こちらも似たようなものでしたわ。中庭に集まって軽く自己紹介、ぐるっと花壇を見て回ってから、連絡事項と入部の是非という感じでしてよ」

「俺らの部活は集まってすぐできるような内容じゃないしな。そんなもんか」

「そんなもんでしてよ」

「園芸部はどんなことするんだ?」

「まずは割り振られた曜日に朝夕の花壇の花の水やりと土の管理、雑草の処理を行いますわ。さらに月に何度か、日曜の午前中に駅や道路上の花壇の整備をするみたいですわ。読書部はどうですの?」

「読書部はな…」

 こんな感じで雑談していると、廊下の向こうから昇と彰がやってきた。

「悪いな。遅れた」

「ごめん。校長の話が長くて」

 聞くと昇が行った陸上部は体験会の名の通り、先輩と一緒に校庭を走っており、彰が行ったVR開発部は顧問の白峰校長が暴走し、いかにVR技術が画期的
で素晴らしいものかを延々と説いていたため、時間をオーバーしたとのこと。

「いいよいいよ。五分も待ってないし」

「全く気にしておりませんわ。ちょうど空いたみたいですし。私たちの番のようですわ」

 静が扉を少し開けて中を覗き込みながら言う。ややあって、体験プレイが終わった一年生のグループが反対側の出口から出てきた。
続いて、部員らしき生徒がこちらの入口から出てきた。

「こんにちは!皆さん部活体験希望ですか!?体験機に空きができたので、ご案内しますよ!」

 ショートカットで、活発そうな女子生徒だ。ヘアピンで横の髪を止めている。すべての語尾に「!」がつくんじゃないかというくらい
快活に話す先輩だな。

 俺たちは彼女の後についてレクリエーション室1へと入った。室内の大部分は均等な間隔で椅子とサイドテーブルが置かれていた。
入ってすぐの受付で部活動のあらましが説明されたプリントを受け取った後、一人に一席ずつ、空いている席を案内してもらった。席は十ほどあり、
一席につき先輩が一人配置されているらしい。俺には先ほどのショートカットの先輩があてがわれた。

「私は陽野明美!VRゲーム部の部員です!君はなんていうの!?」

「一組の柊透って言います。今日はよろしくお願いします」

「そんなかしこまらなくていいよっ!よろしくね」

 自己紹介もそこそこに、陽野先輩が説明を始める。

「今から君に遊んでもらうのは、去年発売された大人気ゲーム、[AnotherWorld]の体験版だよ!…と言ってもチュートリアルくらいのボリュームだから、
五分くらいで終わっちゃうけど!ぜひ興味を持って入部してくれると嬉しいな!」

 彼女はそう言ってにっこりとほほ笑む。その屈託のない笑顔に、この人なかなかモテそうだな、と内心思った。

 言われるがままにサイドテーブルの上にあったVRヘッドセットを頭に着け、コントローラを握りしめる。途端に青い空と緑の草原が視界いっぱい
に広がった。

  ▼[AnotherWorld]体験版へようこそ!▼

 目の前に一昔前のドットで描かれたウインドウメッセージが表示された。体験版とはいえ、凝った作りのようだ。

  ▼まずは歩いてみよう!コントローラの左スティックキーを動かしてみて!▼

 続いて表示された文章に従ってキーを操作してみる。おお、左スティックに連動して自分が移動した。一人称視点なので慣れるのに大変そうだ。
遊んでいるうちに、スティックを小さく傾けると歩き、大きく傾けると走れることに気が付いた。ちゃんと教えてくれよ。
こんな感じで適当にうろうろしてると、次のウインドウが現れた。

  ▼次に視界を動かそう!コントローラの右スティックだよ!▼

 言われたとおりにやってみると、視界がぐるぐると回る。顔を動かして雲一つない空を眺めたり、地平線の彼方を見つめたりしていた。

  ▼次はモンスターと戦ってみよう!今から出現するファングウルフを倒せるかな!?▼

 続いてこんなウインドウが出現すると、近くの空間が歪んで狼が現れた。大型犬くらいの大きさで、茶色と白の毛並みをしている。剥き出した
牙が並んだ口からは涎と低いうなり声が出ている。こいつはファングウルフというのか。

 一体のファングウルフがこちらに向かって飛び掛かってくるのと同時に、ウインドウが切り替わる。

  ▼回避:Bボタン▼

 Bボタンは右コントローラにあるボタンの一つだ。俺はウルフの迫力に驚きながらボタンを入力すると、
体を丸めながら右側に転がり、ウルフの牙を躱した。お腹や下半身が視界に飛び込んでくるが、
どうやら俺は植物か何かの繊維でできた粗末な服を身に着けているようだ。
体勢を立て直してウルフの方を振り返ると、攻撃の反動か、頭を左右に振って隙を見せていた。今がチャンスだな。

  ▼攻撃は右のコントローラを振ってできるよ!チャンスを見極めて攻撃してみよう!▼

 俺は素早くウルフの前に走り寄って右腕をふるう。すると、いつの間にか右手に持っていた剣で、ウルフの胴体めがけて斜めに切りかかっていた。
剣は刃渡り一mもないくらいの長さで、くすんだ銀白色をしている。

 刃が胴に直撃すると、エフェクトと共にウルフは大きくのけぞり、数歩ほど後ずさった。効いているようだ。

 傷を負ったウルフは、こちらの様子を窺うようにその場をうろつき始めた。警戒しているな。俺も細かい操作でフェイントを混ぜつつ、
相手に対抗する。とても生身の人間ではできないカクカクとしたステップはめちゃめちゃ酔う。
数十秒間不毛な駆け引きを続けていると、間合いに入ったのか、ウルフは俺が近づいた瞬間に大ぶりの噛み付き攻撃を仕掛けてきた。

 二、三歩詰めながら顎をこちらに突き出し、大きく発達した牙で俺の肉を引き裂かんとする。駆け引きに焦らされていた俺は、
もはや適当に移動していたため、ウルフに飛び込んでいくような姿勢になった。目の前に反り返った牙たちが迫る。口内の舌は
くたびれたように曲がっており、濃いピンク色が先端に向かうにつれて白みがかっている。すごいリアルだな。口の中までしっかり獣っぽい。
 
 そう思いつつ、俺は回避を入力する。噛み付きを半身でよけながら、ウルフとすれ違う形で攻撃をいなす。次の瞬間、ウルフの顎が勢いよく閉じられ、
「バクンッ!!」という音が響いた。この攻撃を食らってたらどうなってたか。ゲームの中だから痛いってことはないと思うけど。

 現れた再びのチャンス。スタミナを絞りつくしたのか、ウルフは顎を閉じたままうずくまっていた。だがその目は未だ俺の様子を警戒する、鋭い目だ。
好機とみていいだろう。奴はスタミナ切れだ。

 俺は駆け出して奴の前に躍り出ると、攻撃を行う。剣の柄を持ち直し、切っ先を天に向け目の前の相手を切り裂く構えをとる。

 これで、トドメだっ!

 勝者の優越感に浸りながら剣を振り下ろそうとした瞬間、急に俺のキャラクターが持ち上げていた腕をだらりと落とした。どういうことだ。
あと少しだったのに…

 するとウインドウが新しくポップした。

  ▼このように、一定時間内にダッシュ移動や攻撃、回避を複数回行うと、スタミナが枯渇し疲労状態と呼ばれる状態異常になります!▼

 は?先に言えや!

 俺のさっきの行動の異常は、疲労状態のペナルティらしい。数秒間歩くことも攻撃することも回避することもできず、じっとしてスタミナの
回復を待つという行動をとらないといけない。

 ということで俺は情けなくも、瀕死のウルフの前で立ちすくみスタミナが復活するのを待つ。ウルフも疲労状態に陥っていたと考えると、奴の方が先に
回復する姿勢を取っていたことになる。

 とすると、先に疲労状態から回復するのはウルフの方だ!これはまずい。

 こうなることを予測していたのか、疲労から回復したウルフは、こちらをあざ笑うかのように顎を開いて牙をのぞかせてくる。距離を離そうとも、
俺は動けない。逃げられない。

 ウルフは悠然とこちらににじり寄ってくる。俺の一撃を受けているためその足取りは重い。

 予想できる俺の未来は二つに一つだ。『手負いのウルフが疲労状態の俺に近づいて倒す』か、『疲労状態が回復した俺が手負いのウルフを倒す』か。
一つ目のパターンは何となくいやだ。よって除外!二つ目のパターンでは、おそらく間に合わない。ならば俺がとるべき行動は……

「こうだ!」

 俺は再び剣を握りなおすと、両手をだらりと下げたまま疲労が癒えるのを待つ。ウルフは先ほどと同じ体勢で噛み付き攻撃の構えを取っている。
まだだ。まだ回復しない。もう少し、もうちょっと…。今だ!

 ウルフは以前と全く同じモーションで大口を開けて飛び込んでくる。俺は感覚が戻った右腕を前に突き出し、剣の切っ先を相手に向けた。

 ウルフの口が剣の刀身に突っ込む形で、最小限の動きによってカウンターに成功した。先ほどよりも大きなエフェクトを散らして
大ダメージを受けたウルフは、全身を光の粒子に変えて消滅した。倒したか?

  ▼おめでとう!見事モンスターを倒すことができたね!▼
 
 倒せたみたいだな。それにしてもチュートリアル、説明なしに戦闘させて、プレイヤーを疲労状態にさせるなんてえげつないことするな。

  ▼モンスターを倒すとアイテムをドロップするよ!Cボタンで武器をしまって拾ってみよう!▼

 Cボタンを押すと、左の腰に着けていた鞘に剣を収めた。ウルフが消えた場所を見てみると、白い光のマーカーに包まれた牙と皮が落ちていた。

 [ファングウルフの牙×1]

 [ファングウルフの皮×1]

 アイテムの近くでCボタンを二回押すと、サウンドと共にアイテムが消えた。
代わりにアイテムがあった場所に名前と個数が小さく表示された。これがアイテムドロップというわけか。

  ▼以上で[AnotherWorld]体験版は終わりだよ!お疲れ様!製品版ではスキルとか魔法とか色んな要素があるからお楽しみに!▼

 ウインドウメッセージが一方的に締めくくると、ヘッドセットを外すよう促すテキストが視界の真ん中に出現する。俺はヘッドセットを脱いだ。

「お疲れ様!体験版はどうだった!?」

「とっても面白かったです。オオカミもリアルで」

「でしょ!実はこの体験版、去年VR開発部で私が作ったんだ!」

 陽野先輩はそう言うと、えっへん、と言わんばかりに胸を張る。ということは初心者泣かせのあの疲労トラップも……
意外と悪戯心が旺盛な陽野先輩の一面に、俺は顔をひきつらせたのだった。

[第二話]

「しっかし、驚いたよな、校長そっくりのAIアバターなんてな」

「ほんとだよ。びっくりして椅子から転げ落ちそうになったもん」

「全くだ。次ログインしたら速攻でアバター変えてやる」

 食堂にやってきた俺、昇、彰は昼食を楽しみながら雑談に勤しんでいた。食堂は講堂と同じくらい広く、優に百人は入るだろう。入口正面にキッチンがあり、その脇の券売機で買った食券を厨房の方に渡して料理を持ってもらい、おいしく頂くという流れだ。四人掛けのこじゃれたイスとテーブルがいくつも並べられており、そのほとんどが埋まっていた。

 俺はカレーライスのご飯とルーをバランスよくスプーンに乗せていると、横で昇がズルズルと音を立ててラーメンをすする。彰はカツ丼のラストスパートに差し掛かり、どんぶりを傾けてかっこんでいる。二人とも食べるの早いな。

「この席、座ってもよろしくて?」

 そんな折、一人の女子生徒が開いている席を指さして話しかけてきた。二人の口は塞がっているので俺が応対する。

「ああ、どうぞ」

 スプーンを持ったまま俺は承諾する。左の昇も首肯した。彰はどんぶりに顔を突っ込んでいるので、彼女の到来に気づいていない。「ありがとう」と小さく言った彼女は、片手で持っていた生姜焼き定食をテーブルの上に置くと、俺の正面の席に腰かけた。やや間をおいて、空になったどんぶりを下ろして視界を確保した彰が、隣に座った彼女を見て、素っ頓狂な声を上げた。

「初めまして。同じクラスの森静ですわ。気軽に静と呼んでくださいまし。亘さんの前、濱さんの左隣の席ですの」

 第一声はスルーしていたが、中々インパクトのある口調だ。いわゆるお嬢様なのだろうか。森静と名乗った彼女は、端正な顔立ちをしており、茶色がかった黒髪を後ろで結ってポニーテールにしている。色白の肌で、顔にはうっすらとメイクをしているようだ。パーカーにジーンズのズボンというラフな格好をしているが、俺の知らないブランドものかもしれない。

「僭越ながらホームルームであなた方のお話を聞かせて頂いておりました。私も[AnotherWorld]に大変興味があるので是非ご一緒させてほしいと思っていたのですが、お三方の話が盛り上がっていたようでしたから、お話に加わるタイミングを失っておりましたわ」

「気にせず話しかけてくれればよかったのに」

 昇があっけらかんと言う。彰もうんうんと頷いている。彰に続いて友達希望者が現れるとは。俺たち三人も軽く自己紹介を済ませる。

「よし、これで二組の四分の一は友達だな。この後のVRゲームが楽しみだ」

 無事カレーを完食した俺は、お冷を飲みつつそう話しかける。

「でも、体験版はそれ用のソフトがあると姉から聞きましたし、基本個人でプレイするらしいですわよ」

「えっ、そうなのか。まあ考えてみればそうだよな、体験版だし」

 てっきり既存の家庭用ゲームのように、体験プレイでもマルチで遊べると思っていた。それにしても静ってお姉さんいるのか。

「静ってお姉さんいるのか?その口ぶりだともしかして二年生か?」

 昇が俺の思ったことを質問してくれた。彼女は頷き、

「そうですわ。ゲーマーの姉が一人いますの。以前から[AnotherWorld]の魅力について色々聞かされていましたから、私も遊んでみようと思ったのですわ」

と答えた。

 なるほど、同じ学校にきょうだいがいると心強くていいな。そう思っていると、

「私も食べ終わりましたし、お開きに致しましょう。まだまだ混んでいますし」

と彼女が締めくくった。いつの間にか、彼女の皿も空になっていた。

 俺も急いでカレーの残りを頬張り、何とか完食した。食器を片付け、階段を上って教室へと戻る。ぽつぽつと席に座っている生徒がいるが、アロハ短パンの姿はない。

 今十二時半だから、部活動体験会が始まる十三時まで教室で話していようか。各々席に着き、彰と森は椅子を移動させて雑談の陣形を組む。

「お昼ごはんおいしかったですわね」

「ああ、学食も侮れないな」

「カレーはちょっと甘かったけどな」

 大衆向けのカレーは甘いと相場が決まっている。こんな感じで会話に華を咲かせていると、静のこともだいぶ分かった。

 俺たちと同様に、VRに興味を惹かれてこの高校に決めたこと、部活はVRゲーム部の他に、園芸部を考えていること、この絶妙なお嬢様口調は昔放送されていたアニメのヒロインのものが移って生み出されており、実家は普通の家庭であることなど、色々語ってくれた。

「そろそろ時間になりましてよ」

 気づけば十二時五十分。二十分余りも話し込んでいた。俺たちはぞろぞろと教室を後にし、いったん別れてそれぞれの部活の活動場所に向かった。

 読書部は図書室で活動している。なので階段で一階に降りて廊下を進み、講堂の入口を通り過ぎて校舎の反対側を目指す。位置関係としては、東西に長い直方体の校舎の西側に講堂、東側に図書室があるという感じだ。東西の端には階段があり、出入り口は南側に面する講堂前と図書館前と、北側の校庭に出る校舎中央の計三か所に存在する。

 図書室の扉は開いている。隣の壁の掲示スペースには”部活動体験会開催中!入ってすぐ左:受付、手前側:読書部、奥側:執筆部”と画用紙にマジックで書かれている。執筆部は主に文章を書いており、積極的に新人賞などにエントリーしている部活だ。

 中に入ると、カウンターに頬杖をついている女子生徒があくびをしたところだった。俺の存在に気付いた彼女は、自身の振る舞いに恥ずかしがることなく視線を合わせてきた。

「いらっしゃい。初めて見る顔だし、一年生だよねえ。読書部と執筆部、どちらの部に興味がありますかあ」

 さっきまで居眠りをしていたのか、声がふにゃふにゃである。なかなか肝が据わった先輩だ。俺は読書部の体験会に参加したい旨を彼女に伝えた。

「始まって一番に来るなんて、大した熱意だねえ。おおい、本多、お客さんだぞお」

 間延びした声でそう言うと、受付カウンターの正面ほどのテーブルで本を読んでいた一人の男子生徒が、顔を上げてこちらを見た。彼は本を机に置いてすっくと立ち上がると、大股でこちらに歩み寄ってきた。背が高く、角刈りの頭に細い縁の眼鏡をかけている。

 少しして彼が俺たちの前に到着すると、受付のおっとり女子が紹介を始めた。

「こちら読書部副部長の本多だ。去年のビブリオコンで銅賞を獲得した本の虫だ」

「お前に言われると嫌味かと思うからその紹介はやめろ。最優秀受賞者で部長のお前が」

 え、最優秀受賞者?じゃあこの人って……

「お前のことだからめんどくさがって自己紹介してないんだろ。全く……」

「あはは。いいじゃん別に。今は受付やらされてるんだから」

「いいわけないだろ。しかも時間ギリギリまで寝てただろ。せっかく来てくれた新入生を寝ぼけ顔で迎えるなんて、それじゃあ上級生としての威厳が……」

「本多はいつも細かいんだよ、今から説明すればいいじゃん。読書部希望ということだしね」

「お前はいつもいつも…」

 本多先輩は額に手を当ててうなだれてしまった。見てて飽きないお似合いのコンビだな。

 部長と紹介された受付の彼女は仰々しく姿勢を正すと、曇りのない瞳でこちらを見つめてくる。セミロングの黒髪が揺れる。

「改めて、読書部の体験会へようこそ。部長の吾妻だ。もしかしたら知っているかもしれないが、昨年のビブリオコンでは運よく最優秀賞を頂いた。使い物にならない副部長に代わって歓迎するよ」

「二組の柊透と言います」

 吾妻先輩の最後の一言で俯いていた本多先輩の肩がわなわなと震え始めたが、見なかったことにする。彼を差し置いてカウンターを回り込んでこちらにやってきた吾妻部長は、俺をテーブルに促す。俺と部長は向き合う形で椅子に座る。部長はテーブルの上にあったプリントの束から一枚を手に取り、俺に渡す。ざっと眺めると、読書部の概要を記されている。

「それは部屋に戻った後にでもゆっくり見てみてくれ。活動内容、日時、入部するにあたって必要なことなんかが書いてある」

 そう聞いて俺は部長に向き直る。

「ぶっちゃけそれを読んでくれれば事足りてるんだけどね。部員の口からも説明しろって言われててね」

 それは何ともめんどくさいものだ。メールやビデオ会議などのオンラインコミュニケーションを使えば便利だが、顔を突き合わせる機会が減ってしまう。それに、一度会えば先輩の顔と名前を覚えられるし、先輩方もそうだろう。

 こんなことを話していると、ようやく我に返った本多先輩が戻ってきて、吾妻部長の左隣の椅子に腰かけた。

「おい、まだ説明することが残っているだろう。そのプリントに書いてある通り、読書部は基本的に水曜日の放課後に活動している。明後日のミーティングでは今日いないメンバーも含め全員が集まって、二~三のグループ分けを行う予定だ。来週以降は、各自読んできた本の内容や良かった点、感想などをまとめたプレゼンを一日一グループやってもらう。明後日の放課後は空いてるか?」

 彼は早口でそう説明すると、俺に尋ねてきた。

「水曜日は大丈夫です」

「よかった。特に必要なものはないから、授業が終わったらここに来てくれ」

「はい!」

 本多先輩は結構几帳面な性格に思える。渡されたプリントには、明後日やることは詳しく書かれていない。

 すると、吾妻部長から横槍が入る。

「ちょっと、勝手に話進めちゃってるけど、彼の最終的な意志を聞いていないだろ。柊君は読書部に入部という形でいいのかい」

「はい、ぜひよろしくお願いします!」

 俺は入部の意志を伝える。読書部というと真面目で堅いイメージがあったが、二人とも面白い人で、これからの活動が楽しくなりそうだ。

「それなら良かった。これからよろしく」

「よろしく頼む」

「よろしくお願いします」

 俺と先輩方の三人は改まって礼を交わす。こうして、俺は読書部に入部することが決まったのだった。

 その後、今日は何をするんですかときいてみたら、体験会といってもうちは本を読むだけだから特にない、と言われあっさり解放された俺は、約束の時間が迫っていることもあり図書室を後にした。部屋を出るとき、入部希望者とみられる女子生徒とすれ違った。執筆部希望かもしれないが、今年の読書部の新入部員が俺一人だった、という事態は避けられそうかもしれない。

 時刻は十三時二十五分。いい時間だが、みんないるだろうか。図書室と集合場所であるレクリエーション室1は目と鼻の距離ほどの近さなので、すぐに到着した。閉められた入り口の扉の向こうから、賑やかな声が聞こえる。VRゲーム部は大盛況のようだ。

 扉の近くには先客がいたので、近づいて声をかける。

「やあ、静。早かったな」

「あら透。まずは一つ目の部活体験会、お疲れ様でしてよ」

「園芸部はどうだった?読書部はプリント渡されて先輩と少し話しただけだったけど。何も体験することなかった」

「こちらも似たようなものでしたわ。中庭に集まって軽く自己紹介、ぐるっと花壇を見て回ってから、連絡事項と入部の是非という感じでしてよ」

「俺らの部活は集まってすぐできるような内容じゃないしな。そんなもんか」

「そんなもんでしてよ」

「園芸部はどんなことするんだ?」

「まずは割り振られた曜日に朝夕の花壇の花の水やりと土の管理、雑草の処理を行いますわ。さらに月に何度か、日曜の午前中に駅や道路上の花壇の整備をするみたいですわ。読書部はどうですの?」

「読書部はな…」

 こんな感じで雑談していると、廊下の向こうから昇と彰がやってきた。

「悪いな。遅れた」

「ごめん。校長の話が長くて」

 聞くと昇が行った陸上部は体験会の名の通り、先輩と一緒に校庭を走っており、彰が行ったVR開発部は顧問の白峰校長が暴走し、いかにVR技術が画期的で素晴らしいものかを延々と説いていたため、時間をオーバーしたとのこと。

「いいよいいよ。五分も待ってないし」

「全く気にしておりませんわ。ちょうど空いたみたいですし。私たちの番のようですわ」

 静が扉を少し開けて中を覗き込みながら言う。ややあって、体験プレイが終わった一年生のグループが反対側の出口から出てきた。続いて、部員らしき生徒がこちらの入口から出てきた。

「こんにちは!皆さん部活体験希望ですか!?体験機に空きができたので、ご案内しますよ!」

 ショートカットで、活発そうな女子生徒だ。ヘアピンで横の髪を止めている。すべての語尾に「!」がつくんじゃないかというくらい快活に話す先輩だな。

 俺たちは彼女の後についてレクリエーション室1へと入った。室内の大部分は均等な間隔で椅子とサイドテーブルが置かれていた。入ってすぐの受付で部活動のあらましが説明されたプリントを受け取った後、一人に一席ずつ、空いている席を案内してもらった。席は十ほどあり、一席につき先輩が一人配置されているらしい。俺には先ほどのショートカットの先輩があてがわれた。

「私は陽野明美!VRゲーム部の部員です!君はなんていうの!?」

「一組の柊透って言います。今日はよろしくお願いします」

「そんなかしこまらなくていいよっ!よろしくね」

 自己紹介もそこそこに、陽野先輩が説明を始める。

「今から君に遊んでもらうのは、去年発売された大人気ゲーム、[AnotherWorld]の体験版だよ!…と言ってもチュートリアルくらいのボリュームだから、五分くらいで終わっちゃうけど!ぜひ興味を持って入部してくれると嬉しいな!」

 彼女はそう言ってにっこりとほほ笑む。その屈託のない笑顔に、この人なかなかモテそうだな、と内心思った。

 言われるがままにサイドテーブルの上にあったVRヘッドセットを頭に着け、コントローラを握りしめる。途端に青い空と緑の草原が視界いっぱいに広がった。

  ▼[AnotherWorld]体験版へようこそ!▼

 目の前に一昔前のドットで描かれたウインドウメッセージが表示された。体験版とはいえ、凝った作りのようだ。

  ▼まずは歩いてみよう!コントローラの左スティックキーを動かしてみて!▼

 続いて表示された文章に従ってキーを操作してみる。おお、左スティックに連動して自分が移動した。一人称視点なので慣れるのに大変そうだ。遊んでいるうちに、スティックを小さく傾けると歩き、大きく傾けると走れることに気が付いた。ちゃんと教えてくれよ。こんな感じで適当にうろうろしてると、次のウインドウが現れた。

  ▼次に視界を動かそう!コントローラの右スティックだよ!▼

 言われたとおりにやってみると、視界がぐるぐると回る。顔を動かして雲一つない空を眺めたり、地平線の彼方を見つめたりしていた。

  ▼次はモンスターと戦ってみよう!今から出現するファングウルフを倒せるかな!?▼

 続いてこんなウインドウが出現すると、近くの空間が歪んで狼が現れた。大型犬くらいの大きさで、茶色と白の毛並みをしている。剥き出した牙が並んだ口からは涎と低いうなり声が出ている。こいつはファングウルフというのか。

 一体のファングウルフがこちらに向かって飛び掛かってくるのと同時に、ウインドウが切り替わる。

  ▼回避:Bボタン▼

 Bボタンは右コントローラにあるボタンの一つだ。俺はウルフの迫力に驚きながらボタンを入力すると、体を丸めながら右側に転がり、ウルフの牙を躱した。お腹や下半身が視界に飛び込んでくるが、どうやら俺は植物か何かの繊維でできた粗末な服を身に着けているようだ。体勢を立て直してウルフの方を振り返ると、攻撃の反動か、頭を左右に振って隙を見せていた。今がチャンスだな。

  ▼攻撃は右のコントローラを振ってできるよ!チャンスを見極めて攻撃してみよう!▼

 俺は素早くウルフの前に走り寄って右腕をふるう。すると、いつの間にか右手に持っていた剣で、ウルフの胴体めがけて斜めに切りかかっていた。剣は刃渡り一mもないくらいの長さで、くすんだ銀白色をしている。

 刃が胴に直撃すると、エフェクトと共にウルフは大きくのけぞり、数歩ほど後ずさった。効いているようだ。

 傷を負ったウルフは、こちらの様子を窺うようにその場をうろつき始めた。警戒しているな。俺も細かい操作でフェイントを混ぜつつ、相手に対抗する。とても生身の人間ではできないカクカクとしたステップはめちゃめちゃ酔う。数十秒間不毛な駆け引きを続けていると、間合いに入ったのか、ウルフは俺が近づいた瞬間に大ぶりの噛み付き攻撃を仕掛けてきた。

 二、三歩詰めながら顎をこちらに突き出し、大きく発達した牙で俺の肉を引き裂かんとする。駆け引きに焦らされていた俺は、もはや適当に移動していたため、ウルフに飛び込んでいくような姿勢になった。目の前に反り返った牙たちが迫る。口内の舌はくたびれたように曲がっており、濃いピンク色が先端に向かうにつれて白みがかっている。すごいリアルだな。口の中までしっかり獣っぽい。
 
 そう思いつつ、俺は回避を入力する。噛み付きを半身でよけながら、ウルフとすれ違う形で攻撃をいなす。次の瞬間、ウルフの顎が勢いよく閉じられ、「バクンッ!!」という音が響いた。この攻撃を食らってたらどうなってたか。ゲームの中だから痛いってことはないと思うけど。

 現れた再びのチャンス。スタミナを絞りつくしたのか、ウルフは顎を閉じたままうずくまっていた。だがその目は未だ俺の様子を警戒する、鋭い目だ。好機とみていいだろう。奴はスタミナ切れだ。

 俺は駆け出して奴の前に躍り出ると、攻撃を行う。剣の柄を持ち直し、切っ先を天に向け目の前の相手を切り裂く構えをとる。

 これで、トドメだっ!

 勝者の優越感に浸りながら剣を振り下ろそうとした瞬間、急に俺のキャラクターが持ち上げていた腕をだらりと落とした。どういうことだ。あと少しだったのに…

 するとウインドウが新しくポップした。

  ▼このように、一定時間内にダッシュ移動や攻撃、回避を複数回行うと、スタミナが枯渇し疲労状態と呼ばれる状態異常になります!▼

 は?先に言えや!

 俺のさっきの行動の異常は、疲労状態のペナルティらしい。数秒間歩くことも攻撃することも回避することもできず、じっとしてスタミナの回復を待つという行動をとらないといけないとのことだ。

 ということで俺は情けなくも、瀕死のウルフの前で立ちすくみスタミナが復活するのを待つ。ウルフも疲労状態に陥っていたと考えると、奴の方が先に回復する姿勢を取っていたことになる。

 とすると、先に疲労状態から回復するのはウルフの方だ!これはまずい。

 こうなることを予測していたのか、疲労から回復したウルフは、こちらをあざ笑うかのように顎を開いて牙をのぞかせてくる。距離を離そうにも、俺は動けない。逃げられない。

 ウルフは悠然とこちらににじり寄ってくる。俺の一撃を受けているためその足取りは重い。

 予想できる俺の未来は二つに一つだ。『ウルフの攻撃をもらってでも疲労状態を回復し、ウルフを倒す』か、『攻撃の前に疲労状態が回復した俺が手負いのウルフを倒す』か。一発で倒されることがないかもしれないが、一つ目の展開だとリスクが大きい。よって除外。二つ目が理想的だが、疲労回復が間に合う保証がない。ならば俺がとるべき行動は……

「こうだ!」

 俺は再び剣を握りなおすと、両手をだらりと下げたまま疲労が癒えるのを待つ。ウルフは先ほどと同じ体勢で噛み付き攻撃の構えを取っている。

 まだだ。まだ回復しない。もう少し、もうちょっと…。今だ!

 ウルフは以前と全く同じモーションで大口を開けて飛び込んでくる。俺は感覚が戻った右腕を前に突き出し、剣の切っ先を相手に向けた。

 ウルフの口が剣の刀身に突っ込む形で、最小限の動きによってカウンターに成功した。先ほどよりも大きなエフェクトを散らして大ダメージを受けたウルフは、全身を光の粒子に変えて消滅した。倒したか?

  ▼おめでとう!見事モンスターを倒すことができたね!▼
 
 倒せたみたいだな。それにしてもチュートリアル、説明なしに戦闘させて、プレイヤーを疲労状態にさせるなんてえげつないことするな。

  ▼モンスターを倒すとアイテムをドロップするよ!Cボタンで武器をしまって拾ってみよう!▼

 Cボタンを押すと、左の腰に着けていた鞘に剣を収めた。ウルフが消えた場所を見てみると、白い光のマーカーに包まれた牙と皮が落ちていた。

 [ファングウルフの牙×1]

 [ファングウルフの皮×1]

 アイテムの近くでCボタンを二回押すと、サウンドと共にアイテムが消えた。代わりにアイテムがあった場所に名前と個数が小さく表示された。これがアイテムドロップというわけか。

  ▼以上で[AnotherWorld]体験版は終わりだよ!お疲れ様!製品版ではスキルとか魔法とか色んな要素があるからお楽しみに!▼

 ウインドウメッセージが一方的に締めくくると、ヘッドセットを外すよう促すテキストが視界の真ん中に出現する。俺はヘッドセットを脱いだ。

「お疲れ様!体験版はどうだった!?」

「とっても面白かったです。オオカミもリアルで」

「でしょ!実はこの体験版、去年VR開発部で私が作ったんだ!」

 陽野先輩はそう言うと、えっへん、と言わんばかりに胸を張る。ということは初心者泣かせのあの疲労トラップも……

 意外と悪戯心が旺盛な陽野先輩の一面に、俺は顔をひきつらせたのだった。
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