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第六話
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[第六話]
「ようこそ、魔法使いギルドへ」
転びそうになった俺に手を貸してくれた先輩プレイヤー、シズクさんがおどけた感じで言う。魔法使いと言っていたが、薄い水色のブラウスにくるぶし丈の白いパンツ、青のローファーというスタイリッシュな出で立ちをしている。髪型はうなじが見えるくらいのウルフカットで、全身から活動的なイメージを感じられるが、言葉を発する口調と表情が平坦だ。
ギルドの中はお金持ちの別荘のようだった。焦げ茶色の板張りの床とレンガで敷き詰められた壁が渋い雰囲気を醸し出している。
正面には冒険者ギルドのような受付が五つあり、職員だろう人たちが詰めている。今は窓口を訪ねる人がいないので、暇そうにあくびをしている人もいる。
左手には大きな暖炉があり、薪がくべられていないのにも拘わらず炎が煌々と揺れている。あれも何かの魔法だろうか。暖炉の側にはテーブルと椅子が数セットある。三席埋まっているが、どの人も分厚い本を読んでいた。
右手には茶色のドアがあるのみだ。室内は薄暗く、暖炉の火と冒険者ギルドのものとは違った見た目の明かりが照らしている。
「まずは登録をした方がいい。その後、私がギルド内の設備について説明する」
「わかりました」
シズクさんに手続きは一番右の窓口で受け付けている、と教えて頂き、そちらに向かう。窓口にはおじいさんが座っていた。俺はカウンター前の椅子に座っておじいさんに対面する。
「こんにちは」
「ああ」
見た目通りのしわがれた声だった。おじいさんはカウンターに頬杖をつき、ため息を一つこぼした。
「わしはローレンツ・シュバルトハイツという。土魔法使いをやっているが、人手不足のためこうして受付を手伝っておる。全く、年寄りをこき使いおって」
「た、大変ですね。トールっていいます」
またすごい人だな。ローレンツはいかにも面倒臭い、といった感じで説明を続ける。
「トールだな。見ない顔だが、魔法使いの登録ということでいいな」
「はい」
「じゃあまずは扱う属性を決めてくれ。後から変更するのは手間じゃから後悔のない選択をしろ」
年老いた受付は「ただし二属性を扱えるような才能が有れば杞憂じゃがな」と茶化すように付け足す。どうも、俺はこの人と反りが合わなそうだ。
直後に職業を決めたときに出てきたウインドウが現れた。だが表示される選択肢は前より多くなかった。
「その中から好きな属性を選べ。もう決まっておると思うが」
もちろん。俺は『火』、『水』、『風』、『土』の四つの属性の中から、水属性を選択した。偶然にも、シズクと同じ属性だ。
ここで、属性について説明したいと思う。魔法には、基本的な属性として火、水、風、土の四つがある。
火属性は燃え上がる炎で相手を攻撃する。火に触れた相手に一定確率で『火傷』の状態異常を与えることができ、また、火属性魔法には威力が高いものがほとんどなので一番人気の属性だ。生産では、鍛冶や料理に応用できる。ただ難点があり、火属性魔法を使うと周囲の気温が上がり、暑くなるらしい。そのため、熱い地域での冒険では、火属性魔法使いは文字通り煙たがられるとか。
水属性は生み出した水を強い勢いで相手にぶつけて攻撃する。ダメージは他の属性よりも低いが、様々な生産活動に応用することができる。また、状態異常の中に、長時間にわたり水分を摂取しないことで起きる、『脱水』がある。無論、ゲーム内で飲食はできないから、食糧アイテムを消費するという形で回避できるが、水属性魔法は飲み水を生み出せるため、喉の渇きを心配することなく冒険できる。
風属性は鋭い風で切りつけたり、強風で吹き飛ばして攻撃する。前者では相手に『出血』状態を負わせられ、後者では地面やオブジェクトにぶつけることで『気絶』状態を誘発できる。切断、乾燥といった工程を簡略化できるため、生産活動への利用にも重宝される。あと空を飛んだりもできる。体験者曰く、旅客機で揺られているような酔いがひどくて二度と使いたくない、らしい。
土属性は土塊、石、岩を生み出して切りつけたり、ぶつけたりして攻撃する。こちらも魔法の種類によって『出血』『気絶』といった状態異常の発動が見込める。他の属性と違って物理的なものを出現させるので、土の柱を足場にしたり、地形を変化させたりといったトリッキーな使い方も可能だ。さらに、やせ細った土地に栄養をもたらしたり、宝石を生み出したりと、生産活動もお手の物だ。
まだまだ言い足りないことがあるが、属性についてはこれくらいにする。さて、なぜ俺が水属性魔法使いにしたかというと、『調薬』をやってみたいと思ったからだ。『調薬』は体力や魔力の回復、各種バフや状態異常を付与する飲み薬や塗り薬、錠剤を調合する生産活動だ。『調薬師』という調薬に特化した生産職があり、そちらの方が品質の高い薬を作れる。しかし、水属性魔法では一般的なゲームで言うところの、ポーションに必要な純粋な水を魔力の限り生み出すことができ、冒険者に必要な飲み薬をたくさん作れるので、お金には困らないだろうという下世話な算用がある。
選択を終えウインドウを閉じると、ローレンツは胡乱な目を向けてきた。
「ほお、水属性か。珍しいな。物好きもいたもんだ」
「好きな属性を選べと言われたので」
「ふん」
物好きで結構。それにしても、水属性ってそんなに人気ないのか。俺の態度が気に食わなかったのか、彼は俺をにらみつけたまま、しわしわの口元を動かす。
「これで魔法使いとしての登録は終わりだ。後はギルドの設備の紹介だが、わしもそう暇ではない。そこの嬢ちゃんに手取り足取り教えてもらいな」
「そうします。ありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない」
不躾に会話を切ると、ローレンツは扉を開け、奥の部屋に消えていった。ちらっと隙間から見た感じ、奥の部屋は職員の事務室になっているようだ。
こっちも苦手な人だと思っていたが、俺との会話はそんなに不快だったのだろうか、と訝しみながら暖炉近くの椅子に座っていたシズクの下に向かう。俺とローレンツのやり取りを眺めていた彼女は立ち上がる。
「あの人のことは気にしなくていい。プレイヤーの中でもぶっちぎりで不人気だから。あと、彼は午後五時までの勤務で、定時になるとさっさと帰りたがる」
曰く、攻略サイトの掲示板でもローレンツは叩かれているらしい。まあ、現実でも性格の良い人ばかりではないから、そこまでしなくてもとは思うが。
仕事を早く終わらせたいというのも、現代社会の人間より人間らしいのではないだろうか。メニューで時間を確認してみると、確かに十七時ちょうどだった。
なるほどそういう人かと納得してしまえば、ローレンツに対する嫌悪感は幾分和らいだ。
「じゃあ設備の説明に入る。そんなにかからないけど、時間は大丈夫?」
メニューを開いていた俺を見て、シズクが平坦な声で聞いてくる。
「はい。大丈夫です。ぜひよろしくお願いします」
「じゃあ、始める」
彼女は淡々と、魔法使いギルドの各種設備についての説明を始めた。
「まずは受付窓口。新しく魔法使いになる人の登録や、聞きたいことがあるときに来る」
シズクはそういいながら、さっきまで俺がいた、一番右の窓口を示した。カウンターにはローレンツと交代した職員が席に着くところだった。
「大体、わからないことがあっても他の窓口で聞くから、初めて来たときにしか使わない。それなのにローレンツにあたったトールはかわいそう」
なぜか憐みの視線を送られた。無表情なのに視線からは憐憫の情を感じるという不思議。せっかく忘れようと思ったのに。どうやらあの窓口はインフォメーションカウンターとしての役割もあるらしいが、あまりに人が来ないため、あのおじいさんにも務まるのだろう。
「次は一番左端の窓口。あそこは魔道具商人がいて、魔法や魔力に関するアイテム、素材の売買ができる」
彼女は反対側のカウンターを指す。指の先にはいかにも、もみ手をしそうなしたり顔の男が座っている。その商人は魔法使い然の女性と向かい合っており、現在取り込み中だ。電卓のような機械を手に持って何か打ち込んでおり、カウンターの上にはキラキラした宝石が転がっている。
魔道具は、魔力の込められた人工のアイテムや装備だ。魔法の巻物や魔剣、呪いの装備などがその類いだ。モンスターの素材や魔石は天然由来なので定義から外れるが、あそこで買い取ってくれるらしい。
「真ん中の三つの窓口が依頼の受注、達成報告をするところ。冒険者ギルドと違って、人工魔石の納品や魔法使いに対してのパーティへの募集、魔法を使った生産活動の手伝いなどが多い」
冒険者ギルドでは特定のモンスターの討伐、素材の納品、期間の限られる即席パーティへの勧誘が主だが、ここではより魔法使いに特化した依頼が受けられるということか。ちなみに、人工魔石というのは土属性魔法で作った魔石のことだ。ある程度土魔法使いの職業レベルを上げると魔石を生み出す魔法を覚えるらしい。
「左の暖炉あたりはフリースペース。待ち合わせぐらいにしか用途がない」
すごい言い方だが、俺たちも似たような使い方をしているので、口を挟むのはやめておく。
「最後に、右の扉。これは入ったほうが速い」
シズクはすたすたと歩くと、金色のノブをひねって扉を大きく開けた。今度も内開きだった。
扉の中から見える部屋は、真っ白だった。どこまでも続く透明な空間が広がっているように感じる。
シズクは体を滑らせて室内に入る。俺も急いで後に続いた。扉を閉めるとギルドからもたらされる闇が潰え、部屋は白で満たされた。同時に、目の前にウインドウが出現する。今までのものとは違うタイプだ。
「ここは練習場。魔法使いだけでなく、全ての職業ギルドにある、チュートリアルを受けたり、魔法やスキルを試したりする部屋。このウインドウで色々設定できる」
彼女はウインドウをいじり始める。途端に、周囲が見たことのある景色に変わった。
「これがその一例。フィールドを自由に設定できる。体験版ではこの草原をモチーフにしている」
確かに昨日体験会で見た光景にそっくりだ。シズクはさらに手元を操作すると、俺たちの前にオオカミが現れる。獰猛な目、鋭利な牙。あの時のファングウルフだった。
「このように、モンスターを出すこともできる。ただし、一度倒したことがあるモンスター限定で、倒しても経験値、素材はもらえない」
ここで稼げちゃうとフィールドに行く意味ないもんな。あくまで、練習ができるだけという認識で相違ないだろう。
「他にも機能はあるから気になったときにやってみるといい」
シズクはウインドウを閉じ、こちらを振り向いてそう締めくくった。彼女の背後ではウルフが涎を滴らせて唸りを上げている。
「あの、シズク先輩―――」
「実は、」
俺も慌ててウインドウを閉じ、シズクに呼びかけるが、先輩は俺の言葉を遮って言葉を紡いでいく。右手にはいつの間にか、深い青の宝玉を乗せた黄金の杖が握られている。
「結構嬉しかった」
獣が体を反らす。以前見たことがある、あの飛び掛かり攻撃を繰り出そうとしている。シズクに向かって。
「目立たない水魔法を選んでくれて」
全身をバネのようにして、大きく跳躍する。目を剥き出し、口を裂けんばかりに開く。シズクは腕を上げ、地面と平行になるように杖を寝かせる。宝玉の数センチ先から一滴の水滴ができる。その雫は宝玉と同じく、深い青をたたえていた。
「去年は私しかいなかった」
雫は重力に従ってゆっくりと落ちる。何かの魔法を使おうとしているのか。いくら先輩といえどもそんな小さな水滴でモンスターを倒すことができるのだろうか。今まさにシズクの背中をめがけて鋭い牙と爪が突き立てられようとしていた。
「わからないことがあったら何でも聞いてほしい」
狼の恐ろしい顔が飛び込んでくる。俺は先輩の気迫に圧倒されて、声をかけることも、駆け出して彼女をかばうこともできなかった。
「奥義、[タイカイノシズク]」
シズクがそう呟くと同時に、放たれた雫が草地の地面に着地する。瞬く間にそこから水があふれる。海の流れが、うねりが、着地点から湧いてくる。潮の香りと共に、膨大な海水が全方位に向かって暴れだす。突然発生した激流に俺は思わず顔を手で覆って目を閉じた。滝のような轟音が鼓膜を揺らし続けた。
※※※
音が止み、目を開けると、周囲の光景は一変していた。地平線まで広がる、緑色の草たちが根こそぎ抉り取られたのか、茶色い土が露出している。ウルフの姿は影も形もなく、さっきと同じ場所であろう位置にシズクが、いやシズクさんが立っていた。
「これが奥義。一部の人が使える特別な技」
何事もなかったかのように、相変わらずの無表情でシズクさんが話を続ける。俺は言葉を失っていた。
「私はそれが魔法で、全方位の相手に特大威力の水属性攻撃を与えるというもの。人によってスキルだったり、匠の職人技のようなものだったりする」
「………」
「質問があったら遠慮なく聞いてほしい。それと、できれば、フレンドになってほしい」
最後の言葉はいつも表情の無い目を向けて話す彼女にしては珍しく、俯きがちに発せられた。その気持ち、よくわかります。かしこまって友達になってほしいって言うの、恥ずかしいですよね。
「すいません。さっきの奥義、に圧倒されてました。フレンドについてはこちらからお願いしようと思っていたので、俺でよければ。質問は数えきれないほどあるので、
少し魔法を触ってみてからでもいいですか?」
「わかった。ありがとう。これからよろしく」
「よろしくおねがいします」
俺たちは改まって挨拶を交換すると、メニューの『フレンド』からフレンド登録をした。記念すべきフレンド第一号だ。
「この後時間ありますか?魔法を使ってみようと思ってて。色々教えて頂けますか?」
「ある!なんでも聞いてみて」
薄々感じてたけど、先輩は人に教えるのが好きなんだな。
今日一番の大きな声を上げて俺の提案に応じてくれたシズクさんと共に、摩訶不思議な魔法の世界への扉を叩くのであった。
「ようこそ、魔法使いギルドへ」
転びそうになった俺に手を貸してくれた先輩プレイヤー、シズクさんがおどけた感じで言う。魔法使いと言っていたが、薄い水色のブラウスにくるぶし丈の白いパンツ、青のローファーというスタイリッシュな出で立ちをしている。髪型はうなじが見えるくらいのウルフカットで、全身から活動的なイメージを感じられるが、言葉を発する口調と表情が平坦だ。
ギルドの中はお金持ちの別荘のようだった。焦げ茶色の板張りの床とレンガで敷き詰められた壁が渋い雰囲気を醸し出している。
正面には冒険者ギルドのような受付が五つあり、職員だろう人たちが詰めている。今は窓口を訪ねる人がいないので、暇そうにあくびをしている人もいる。
左手には大きな暖炉があり、薪がくべられていないのにも拘わらず炎が煌々と揺れている。あれも何かの魔法だろうか。暖炉の側にはテーブルと椅子が数セットある。三席埋まっているが、どの人も分厚い本を読んでいた。
右手には茶色のドアがあるのみだ。室内は薄暗く、暖炉の火と冒険者ギルドのものとは違った見た目の明かりが照らしている。
「まずは登録をした方がいい。その後、私がギルド内の設備について説明する」
「わかりました」
シズクさんに手続きは一番右の窓口で受け付けている、と教えて頂き、そちらに向かう。窓口にはおじいさんが座っていた。俺はカウンター前の椅子に座っておじいさんに対面する。
「こんにちは」
「ああ」
見た目通りのしわがれた声だった。おじいさんはカウンターに頬杖をつき、ため息を一つこぼした。
「わしはローレンツ・シュバルトハイツという。土魔法使いをやっているが、人手不足のためこうして受付を手伝っておる。全く、年寄りをこき使いおって」
「た、大変ですね。トールっていいます」
またすごい人だな。ローレンツはいかにも面倒臭い、といった感じで説明を続ける。
「トールだな。見ない顔だが、魔法使いの登録ということでいいな」
「はい」
「じゃあまずは扱う属性を決めてくれ。後から変更するのは手間じゃから後悔のない選択をしろ」
年老いた受付は「ただし二属性を扱えるような才能が有れば杞憂じゃがな」と茶化すように付け足す。どうも、俺はこの人と反りが合わなそうだ。
直後に職業を決めたときに出てきたウインドウが現れた。だが表示される選択肢は前より多くなかった。
「その中から好きな属性を選べ。もう決まっておると思うが」
もちろん。俺は『火』、『水』、『風』、『土』の四つの属性の中から、水属性を選択した。偶然にも、シズクと同じ属性だ。
ここで、属性について説明したいと思う。魔法には、基本的な属性として火、水、風、土の四つがある。
火属性は燃え上がる炎で相手を攻撃する。火に触れた相手に一定確率で『火傷』の状態異常を与えることができ、また、火属性魔法には威力が高いものがほとんどなので一番人気の属性だ。生産では、鍛冶や料理に応用できる。ただ難点があり、火属性魔法を使うと周囲の気温が上がり、暑くなるらしい。そのため、熱い地域での冒険では、火属性魔法使いは文字通り煙たがられるとか。
水属性は生み出した水を強い勢いで相手にぶつけて攻撃する。ダメージは他の属性よりも低いが、様々な生産活動に応用することができる。また、状態異常の中に、長時間にわたり水分を摂取しないことで起きる、『脱水』がある。無論、ゲーム内で飲食はできないから、食糧アイテムを消費するという形で回避できるが、水属性魔法は飲み水を生み出せるため、喉の渇きを心配することなく冒険できる。
風属性は鋭い風で切りつけたり、強風で吹き飛ばして攻撃する。前者では相手に『出血』状態を負わせられ、後者では地面やオブジェクトにぶつけることで『気絶』状態を誘発できる。切断、乾燥といった工程を簡略化できるため、生産活動への利用にも重宝される。あと空を飛んだりもできる。体験者曰く、旅客機で揺られているような酔いがひどくて二度と使いたくない、らしい。
土属性は土塊、石、岩を生み出して切りつけたり、ぶつけたりして攻撃する。こちらも魔法の種類によって『出血』『気絶』といった状態異常の発動が見込める。他の属性と違って物理的なものを出現させるので、土の柱を足場にしたり、地形を変化させたりといったトリッキーな使い方も可能だ。さらに、やせ細った土地に栄養をもたらしたり、宝石を生み出したりと、生産活動もお手の物だ。
まだまだ言い足りないことがあるが、属性についてはこれくらいにする。さて、なぜ俺が水属性魔法使いにしたかというと、『調薬』をやってみたいと思ったからだ。『調薬』は体力や魔力の回復、各種バフや状態異常を付与する飲み薬や塗り薬、錠剤を調合する生産活動だ。『調薬師』という調薬に特化した生産職があり、そちらの方が品質の高い薬を作れる。しかし、水属性魔法では一般的なゲームで言うところの、ポーションに必要な純粋な水を魔力の限り生み出すことができ、冒険者に必要な飲み薬をたくさん作れるので、お金には困らないだろうという下世話な算用がある。
選択を終えウインドウを閉じると、ローレンツは胡乱な目を向けてきた。
「ほお、水属性か。珍しいな。物好きもいたもんだ」
「好きな属性を選べと言われたので」
「ふん」
物好きで結構。それにしても、水属性ってそんなに人気ないのか。俺の態度が気に食わなかったのか、彼は俺をにらみつけたまま、しわしわの口元を動かす。
「これで魔法使いとしての登録は終わりだ。後はギルドの設備の紹介だが、わしもそう暇ではない。そこの嬢ちゃんに手取り足取り教えてもらいな」
「そうします。ありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない」
不躾に会話を切ると、ローレンツは扉を開け、奥の部屋に消えていった。ちらっと隙間から見た感じ、奥の部屋は職員の事務室になっているようだ。
こっちも苦手な人だと思っていたが、俺との会話はそんなに不快だったのだろうか、と訝しみながら暖炉近くの椅子に座っていたシズクの下に向かう。俺とローレンツのやり取りを眺めていた彼女は立ち上がる。
「あの人のことは気にしなくていい。プレイヤーの中でもぶっちぎりで不人気だから。あと、彼は午後五時までの勤務で、定時になるとさっさと帰りたがる」
曰く、攻略サイトの掲示板でもローレンツは叩かれているらしい。まあ、現実でも性格の良い人ばかりではないから、そこまでしなくてもとは思うが。
仕事を早く終わらせたいというのも、現代社会の人間より人間らしいのではないだろうか。メニューで時間を確認してみると、確かに十七時ちょうどだった。
なるほどそういう人かと納得してしまえば、ローレンツに対する嫌悪感は幾分和らいだ。
「じゃあ設備の説明に入る。そんなにかからないけど、時間は大丈夫?」
メニューを開いていた俺を見て、シズクが平坦な声で聞いてくる。
「はい。大丈夫です。ぜひよろしくお願いします」
「じゃあ、始める」
彼女は淡々と、魔法使いギルドの各種設備についての説明を始めた。
「まずは受付窓口。新しく魔法使いになる人の登録や、聞きたいことがあるときに来る」
シズクはそういいながら、さっきまで俺がいた、一番右の窓口を示した。カウンターにはローレンツと交代した職員が席に着くところだった。
「大体、わからないことがあっても他の窓口で聞くから、初めて来たときにしか使わない。それなのにローレンツにあたったトールはかわいそう」
なぜか憐みの視線を送られた。無表情なのに視線からは憐憫の情を感じるという不思議。せっかく忘れようと思ったのに。どうやらあの窓口はインフォメーションカウンターとしての役割もあるらしいが、あまりに人が来ないため、あのおじいさんにも務まるのだろう。
「次は一番左端の窓口。あそこは魔道具商人がいて、魔法や魔力に関するアイテム、素材の売買ができる」
彼女は反対側のカウンターを指す。指の先にはいかにも、もみ手をしそうなしたり顔の男が座っている。その商人は魔法使い然の女性と向かい合っており、現在取り込み中だ。電卓のような機械を手に持って何か打ち込んでおり、カウンターの上にはキラキラした宝石が転がっている。
魔道具は、魔力の込められた人工のアイテムや装備だ。魔法の巻物や魔剣、呪いの装備などがその類いだ。モンスターの素材や魔石は天然由来なので定義から外れるが、あそこで買い取ってくれるらしい。
「真ん中の三つの窓口が依頼の受注、達成報告をするところ。冒険者ギルドと違って、人工魔石の納品や魔法使いに対してのパーティへの募集、魔法を使った生産活動の手伝いなどが多い」
冒険者ギルドでは特定のモンスターの討伐、素材の納品、期間の限られる即席パーティへの勧誘が主だが、ここではより魔法使いに特化した依頼が受けられるということか。ちなみに、人工魔石というのは土属性魔法で作った魔石のことだ。ある程度土魔法使いの職業レベルを上げると魔石を生み出す魔法を覚えるらしい。
「左の暖炉あたりはフリースペース。待ち合わせぐらいにしか用途がない」
すごい言い方だが、俺たちも似たような使い方をしているので、口を挟むのはやめておく。
「最後に、右の扉。これは入ったほうが速い」
シズクはすたすたと歩くと、金色のノブをひねって扉を大きく開けた。今度も内開きだった。
扉の中から見える部屋は、真っ白だった。どこまでも続く透明な空間が広がっているように感じる。
シズクは体を滑らせて室内に入る。俺も急いで後に続いた。扉を閉めるとギルドからもたらされる闇が潰え、部屋は白で満たされた。同時に、目の前にウインドウが出現する。今までのものとは違うタイプだ。
「ここは練習場。魔法使いだけでなく、全ての職業ギルドにある、チュートリアルを受けたり、魔法やスキルを試したりする部屋。このウインドウで色々設定できる」
彼女はウインドウをいじり始める。途端に、周囲が見たことのある景色に変わった。
「これがその一例。フィールドを自由に設定できる。体験版ではこの草原をモチーフにしている」
確かに昨日体験会で見た光景にそっくりだ。シズクはさらに手元を操作すると、俺たちの前にオオカミが現れる。獰猛な目、鋭利な牙。あの時のファングウルフだった。
「このように、モンスターを出すこともできる。ただし、一度倒したことがあるモンスター限定で、倒しても経験値、素材はもらえない」
ここで稼げちゃうとフィールドに行く意味ないもんな。あくまで、練習ができるだけという認識で相違ないだろう。
「他にも機能はあるから気になったときにやってみるといい」
シズクはウインドウを閉じ、こちらを振り向いてそう締めくくった。彼女の背後ではウルフが涎を滴らせて唸りを上げている。
「あの、シズク先輩―――」
「実は、」
俺も慌ててウインドウを閉じ、シズクに呼びかけるが、先輩は俺の言葉を遮って言葉を紡いでいく。右手にはいつの間にか、深い青の宝玉を乗せた黄金の杖が握られている。
「結構嬉しかった」
獣が体を反らす。以前見たことがある、あの飛び掛かり攻撃を繰り出そうとしている。シズクに向かって。
「目立たない水魔法を選んでくれて」
全身をバネのようにして、大きく跳躍する。目を剥き出し、口を裂けんばかりに開く。シズクは腕を上げ、地面と平行になるように杖を寝かせる。宝玉の数センチ先から一滴の水滴ができる。その雫は宝玉と同じく、深い青をたたえていた。
「去年は私しかいなかった」
雫は重力に従ってゆっくりと落ちる。何かの魔法を使おうとしているのか。いくら先輩といえどもそんな小さな水滴でモンスターを倒すことができるのだろうか。今まさにシズクの背中をめがけて鋭い牙と爪が突き立てられようとしていた。
「わからないことがあったら何でも聞いてほしい」
狼の恐ろしい顔が飛び込んでくる。俺は先輩の気迫に圧倒されて、声をかけることも、駆け出して彼女をかばうこともできなかった。
「奥義、[タイカイノシズク]」
シズクがそう呟くと同時に、放たれた雫が草地の地面に着地する。瞬く間にそこから水があふれる。海の流れが、うねりが、着地点から湧いてくる。潮の香りと共に、膨大な海水が全方位に向かって暴れだす。突然発生した激流に俺は思わず顔を手で覆って目を閉じた。滝のような轟音が鼓膜を揺らし続けた。
※※※
音が止み、目を開けると、周囲の光景は一変していた。地平線まで広がる、緑色の草たちが根こそぎ抉り取られたのか、茶色い土が露出している。ウルフの姿は影も形もなく、さっきと同じ場所であろう位置にシズクが、いやシズクさんが立っていた。
「これが奥義。一部の人が使える特別な技」
何事もなかったかのように、相変わらずの無表情でシズクさんが話を続ける。俺は言葉を失っていた。
「私はそれが魔法で、全方位の相手に特大威力の水属性攻撃を与えるというもの。人によってスキルだったり、匠の職人技のようなものだったりする」
「………」
「質問があったら遠慮なく聞いてほしい。それと、できれば、フレンドになってほしい」
最後の言葉はいつも表情の無い目を向けて話す彼女にしては珍しく、俯きがちに発せられた。その気持ち、よくわかります。かしこまって友達になってほしいって言うの、恥ずかしいですよね。
「すいません。さっきの奥義、に圧倒されてました。フレンドについてはこちらからお願いしようと思っていたので、俺でよければ。質問は数えきれないほどあるので、
少し魔法を触ってみてからでもいいですか?」
「わかった。ありがとう。これからよろしく」
「よろしくおねがいします」
俺たちは改まって挨拶を交換すると、メニューの『フレンド』からフレンド登録をした。記念すべきフレンド第一号だ。
「この後時間ありますか?魔法を使ってみようと思ってて。色々教えて頂けますか?」
「ある!なんでも聞いてみて」
薄々感じてたけど、先輩は人に教えるのが好きなんだな。
今日一番の大きな声を上げて俺の提案に応じてくれたシズクさんと共に、摩訶不思議な魔法の世界への扉を叩くのであった。
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02章――冒険の始まり・死に続ける
03章――『超越者』・騎士の国へ
04章――森の守護獣・イベント参加
05章――ダンジョン・未知との遭遇
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07章──強さを求めて・錬金の王
08章──魔族の侵略・魔王との邂逅
09章──匠天の証明・眠る機械龍
10章──東の果てへ・物ノ怪の巫女
11章──アンヤク・封じられし人形
12章──獣人の都・蔓延る闘争
13章──当千の試練・機械仕掛けの不死者
14章──天の集い・北の果て
15章──刀の王様・眠れる妖精
16章──腕輪祭り・悪鬼騒動
17章──幽源の世界・侵略者の侵蝕
18章──タコヤキ作り・幽魔と霊王
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