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第八話
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[第八話]
王都周辺は、丈の低い草が茂る草原のフィールドになっている。名前は『ガルアリンデ平原』。ここ、王都を首都とする王国の正式名称を『ガルアリンデ王国』といい、周辺に広がるこの平原もそう呼ばれるようになった。
「しかし、広いな」
ひとり呟いた声もそよ風に消える。遠くのほうは真っ暗だが、王都を囲む外壁には間隔を空けて松明が置かれているので、多少は安全だ。
ガルアリンデ平原に生息するモンスターは昼と夜で異なる。
ファングウルフはもはやおなじみ。鋭く大きな牙が特徴の、茶色と白の毛並みの狼だ。平原では昼夜問わず一匹でうろついており、後述のグリーンラビットを捕食する。人を見かけると襲い掛かってくる、アクティブモンスターだ。
グリーンラビットは、薄い緑色をした小型のウサギだ。大きな耳をぴんと立てて光合成をすることで栄養を摂取している。そのため、日の当たるところに身を置く必要があり、天敵に見つかりやすいという悲しい運命を背負っている。臆病な性格で、人を見つけると逃げ出してしまうノンアクティブモンスターだ。昼にのみ出現する。
モグモグラは茶色いモグラのようなモンスターだ。目が退化しているにもかかわらず、地中で捕まえた虫を地面の上に出てから食べるので見つけやすい。ノンアクティブモンスターで、プレイヤーの歩く音を検知して逃げ出してしまう。昼夜問わず出現する。
ウインドイーグルは上空から風属性の刃を飛ばしてくる昼間の害悪モンスター。ただし頭がよくないので、魔法を好きに打たせておくと魔力が枯渇して墜落する。そのため乱獲が進み、平原周辺では個体数が少ないレア枠になった。
ストレンジワームはカラフルなでかいミミズで、モグモグラの主食だ。地中にいることが多いが、たまに地面を這っている。倒した攻撃の属性によってドロップするアイテムが変わり、調薬や錬金といった生産に使われる。一日中現れる。
キャンユーフライは夜間の超害悪モンスター。ハエをでかくした気持ち悪い見た目で、発達した前足を必死にこすり合わせている。耳障りな羽音が近づいてきたら要注意だ。前足で外敵の体を掴んで上空へと運び、高所から落下させることにより、破裂した死骸から血をすする。モンスター、人間問わず、複眼の視界に入ったあらゆる生者をターゲットにする。血の匂いに誘引されるので、これを利用してうまくおびき寄せることもできる。夜にのみ出現する。水辺に数十個の卵を産み付け、ふ化した幼虫(蛆)は水の中で育つ。ゲーム内のモンスター生態学者の研究によると、幼虫は水中のプランクトンや小さな昆虫を捕食して成長し、ふ化後三日ほどで成虫になるとされている。
シャドウレイブンは夜にのみ出現するカラスのモンスター。光を嫌うため明かりを持っていると出会えない。キャンユーフライを主食にし、暗がりにフライの死体を放り込むことで簡単におびき寄せられる。賢く、闇属性魔法を使って遠巻きに攻撃してくる。
とまあ、こんな感じだろうか。画像、映像のネタバレが嫌で攻略サイトは覗かなかったので、シズクさんに口伝で教えてもらった。
それなりの覚悟はしていたが、流石に暗すぎる。松明を拝借できないだろうか。王都の外壁に手を伸ばし松明を握ったが、どうやらきつく固定してあるようだ。明かりぐらいなら500タメルでも用意できたか?
しょうがないので、夜の平原を歩く。目の前の三メートルぐらいしか見えない。耳を澄ませると、ところどころから獣のうなり声が聞こえる。腹をすかせたファングウルフだろう。
とはいえ、今夜の俺のお目当てはアイテムじゃない。その先にあるものだ。金だ。タメルだ。
攻略サイトの『職人掲示板』で、調薬が手ごろに稼げるかつ、地味であまり人気がなく、職業人口が少ないと聞いた。
装備のショッピングでもタメルがいかに大切かを思い知った。
さらに聞くところによると、[AnotherWorld]の人間社会の市場には需要と供給があり、モンスターには習性と生態があるという。
これを利用しない手はない。スタートダッシュで大儲けだ。
※※※
数分後、俺は王都からそれほど離れておらず、適度にくぼんだ地形のある場所を見つけた。途中、何度かモンスターに遭遇したが、全てダッシュで撒いた。ハエは羽音でわかるので鉢会う前に逃げている。
雨が降れば水たまりができるような、緩く傾斜のあるくぼみに向かって、魔法を唱える。
「アクア・クリエイト」
顔が洗えるくらいの量の水が手からあふれる。
「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」
何度も繰り返す。一回一回は少量でも、集まればそれは大きなうねりになる。
「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」
数えきれないほど『アクア・クリエイト』を発動する。とりあえず五十回くらいでいいか。
練習場で試してみて気づいたことだが、『アクア・クリエイト』で生み出した水はその場に残り続ける。そのため、目の前のくぼみには水が満たされ、小さな池ができていた。魔法の連続使用で魔力を五十ほど消費し、キャラクターレベルと職業レベルが三に上がっていた。体力は一ずつ上がって百三に、魔力は五上がって百五になっていた。
こんなもんで大丈夫か。こっちの準備も時間がかかるし、血はまかなくてもいいかな。
俺は来た道を引き返す。エリアマップがあるから迷わずに帰れそうだ。魔力が半分ほど余ったので、襲ってきたモンスターは迎撃してアイテムに変換する。
もくもくと歩いていると、王都の外壁の明かりが見えてきた。時刻は九時三十分。門番のおじさん騎士は夜の散歩ぐらいにしか思わないだろう。できればあまり覚えていないことを願う。
大きな扉に入り、街を出るときと同じように騎士の人に身元をチェックしてもらう。外から入ってくるときはオミナさんという女性の方の担当だ。
「こんばんは、ずいぶん遅い時間ですが、アラニアからお越しですか?」
数十分前の痴話喧嘩で近くにいたのに、オミナさんは俺のことを覚えていないようだった。力と引き換えに物覚えが少し、アレなのかもしれない。おじさん騎士の姿もないし、僥倖だ。ちなみに、『アラニア』というのは、南にある大きな街だ。
「まあ、そんなところです」
適当に受け答えし、入れてもらう。そのまま噴水広場に向かう。
町の出入りを誰かに見られたくないのなら、死に戻りすればいいじゃないのか、という意見があると思うが、それだと問題がある。タメルがなくなってしまうのだ。この後はホテルハミングバードに泊まりたいが、最低グレードの部屋でも一泊五百タメル必要だ。現在の所持金がぴったり五百タメルなので、死に戻りによる所持金半減が痛いのだ。
じゃあ泊まらなければいいじゃん、という意見があると思うが、それだと魔力が回復しきらない可能性があるのだ。
ログアウト中には、経過時間ごとに消費した体力と魔力がじわじわと回復していくという仕様がある。しかし、宿泊施設や自宅以外の場所でゲームを終了するとそれらの回復量にペナルティが課せられてしまうのだ。このシステムについて検証したプレイヤーもいたが、どうやら毎日個人によってランダムに回復量が設定されるらしく、お手上げのようだった。
さらに、ホテルや宿屋、旅館といった宿泊施設の部屋のグレードによって、翌日にバフ、デバフがつくらしい。これも確率で発生する。
よって、泊まるのにお金をかけるのなんて、とバカにできないのだ。
こんなことを説明しているうちに、どんちゃん騒ぎの大通りを抜けて噴水広場に到着した。
ホテルハミングバードは白く塗ったレンガ造りの建物だ。横幅はエクリプス装備店と同じくらいだが、高さはこちらの方が高い。高級なホテルにある回転式のガラスドアからは、きらびやかな光に包まれたフロントが見える。
俺はドアを開けて中に入った。受付にはひょろっとした男性の従業員が背筋を伸ばして立っていた。
ホテルの一階はフロントとラウンジのようだった。二人一組のテーブル席がいくつか並べられているが、今はだれも座っていない。壁際にはバーカウンターが拵えられている。フロントの左手には大理石のような石材でできたエレベーターが二基ある。
「こんばんは、ご宿泊ですか?」
男性はベースボールキャップにポロシャツ、スウェット、右手にはサンゴの杖を握った俺を見ても眉一つ動かさず、三十度くらいのお辞儀をした。
「はい、一階でお願いします」
「かしこまりました。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「トールです」
「ありがとうございます。一泊五百タメルになります」
『ホテルハミングバード:王都店の一階に宿泊します。よろしいですか? 宿泊費用:五百タメル』というウインドウが出たので、『はい』を押して了承する。
「確かに頂きました。お部屋へはあちらのドアからご入室できます」
彼はそう言ってすらりと伸びた腕で右側を指した。そこには白い木製のドアがあった。
促されるままに扉を開け、中に入る。洋風のシングルルームが広がっている。
部屋の手前の入口は、洗面所と浴槽、トイレが一体になっているユニットバスにつながっている。客室は、正面がベランダに出られる大きな窓があるが、今はカーテンがしまっている。中央には白くしわのないシーツの敷かれたシングルベッドが置かれており、瀟洒な意匠が施されたサイドテーブルの上には置き時計がある。白く清潔感を感じる壁には、風景画が飾られている。
ここで、フロントから直接客室につながっているのはおかしいと思う方も多いだろう。実はここ、魔法使いギルドの練習場のようなパーソナルスペースになっているのだ。そのため、客室につながる廊下は存在せず、それぞれの階数に通じる扉を開けるだけで部屋に着くし、満室になることはない。
フロントで、「一階でお願いします」と言ったのは、階数によって部屋のグレードが分けられているためだ。ここホテルハミングバード:王都店は全六階で、一階が一番安く、階が上がるごとに宿泊費も上がる。
とまあ、ホテルについてはこんな感じだ。もうすぐ十時だし、今日は終わりにしよう。
ベッドに近づくと、『眠りにつきますか?』というウインドウが出現する。『はい』を選択すると、勝手に体が動きベッドの上に五体を投げ出した。天井についている照明が柔らかい光を放っている。
「明日はそんなに遊べなさそうだけど、『やること』があるからな」
俺のアバターはそのままゆっくりと目を閉じる。視界が徐々に狭まり、黒に覆われていく。こんな感じでログアウトするのかと、このゲームの完成度の高さをかみしめているうちに、完全な闇に包まれ、[AnotherWorld]のログアウトが完了した。
※※※
――よう、トオル!お疲れさま!もう夜も更けてきたが、元気か!?
「ちょっと疲れたな。また明日。ちびドラゴン」
――ちびではない!!生育途中なだけだ!!!
少し眠気が迫ってきているので、ちびドラゴンとのじゃれあいもそこそこに、VR空間からもログインした。それにしても、ちびドラゴンをはじめとするAIは、特定の単語に反応して専用のレスポンスを返してくれるようだ。なんて優秀な人工知能だろうか。
まだ高校で着ていた服のままだ。いそいそと寝間着に着替え、ベッドにもぐりこむ。
ついさっき同じような行動をしたが、ゲームと異なり、リアルに感じる眠気がそこにあった。
翌日。朝食を済ませて桜杏高校に登校した俺たちは、教室でホームルームを受けていた。
「みんないるな。おはようさん!今日から通常授業が始まるから気を抜いて行けよ!後寝るなよ!」
相変わらずアロハシャツに短パンといった風体の我らが担任、アロハ短パンが大声で俺らに言う。昨日VRゲーム部の集会で居眠りしてしまったので、少し反省して聞いておく。
「一時間目はこのまま俺が担当する数学だ!五十分から始めるぞ」
本日は、四月三日の水曜日だ。一年生の水曜日の時間割は、一時間目に担任が受け持つ授業から始まり、担任がローテーションする形で二時間目、三時間目、四時間目と続くということだった。俺ら二組の場合は、一時間目にアロハ短パンの数学、二時間目に一組の担任の国語、三時間目に四組の担任の理科、四時間目に三組の担任の社会科という感じだ。
桜杏高校の授業では紙の教科書が必要なく、タブレットの教材アプリによって電子上で学ぶことができる。こういったアプリは入学の際に授業料として支払われており、決して安く済むというわけではないのがつらいところだ。しかし、全ての科目の教材をアプリ一つで読めるため、重くてかさばる教科書を持ち歩いたり、余計な忘れ物が増えることが少ないのはいいところといえる。
午前中の一~四時間目は、初回ということもありほとんどがイントロダクション、授業の進め方や各回でどのようなことをするかといった説明が主だった。なのでばっさりカット。
さて、退屈な授業も一区切り、今はお昼休みの時間だ。俺、昇、彰、静の四人は一階の食堂で昼食を摂っていた。
「しかし、思った通りつまんなかったな」
思っていることはみんな同じなのか、きつねうどんの揚げを頬張りながら、昇がつぶやいた。
「しょうがないよ。教材アプリなんて、今日初めて触ったから使い方なんてあんまりわからなかったし」
彰は親子丼にがっつきながら昇にレスポンスする。
「だからって同じような説明を四回繰り返されるこっちの身にもなれっての」
昇の言う通り、一時間目のアロハ短パンから四時間目のひょろ眼鏡スーツに至るまで、各授業の始めには、アプリの開き方、タッチペンを使った書き込み方、マーカーの色の変え方、付箋のつけ方、編集の保存方法など、教材アプリのシステム面の説明をしていた。飽きっぽい昇にとっては酷な時間だっただろう。
「確かに、あれはしつこかったよな」
ハンバーグ定食をゆっくり食べながら、俺も口をはさむ。
「まあ、長くても今週いっぱいの辛抱ですわ」
アジの開きの骨を取るのに四苦八苦していた静は、歯を食いしばりながら言う。
「あ、そうだ!」
どんぶりを傾けつゆまで飲み干した昇が急に大きな声を出す。大盛りを頼んでいたはずだったが、いつものごとく食べるのが速い。
「どうした?」
「ごほっ、ごほっ!」
俺は聞き返し、隣の彰はご飯が詰まったのかむせ始める。彼はグラスのお冷をあおると、
「いきなり大きな声出さないでよ、びっくりしたじゃん」
と返す。
「悪い…。すっかり忘れてたんだけどさ、今週の金曜日か土曜日か日曜日に、パーティ組んで[AnotherWorld]遊んでみないか!?みんな時間あると思うから!」
「いいですわね。賛成ですわ」
骨だけになったアジの載った皿をどけながら静がうなずく。だから食べるの速くないか?
「僕もいいよ。昨日で色々コツはつかめたし、もう少しプレイすればチームで行けると思う」
彰も乗り気のようだ。親子丼がたっぷり入ったどんぶりがいつの間にか空になっている。え?まだ食べ始めて五分くらいしか経ってないよな?俺が遅すぎるのか?
「俺もやりたい。何曜日にするか?」
「俺はいつでもいいぜ。ちょくちょくランニングとかしたいからずっとはやれないが」
「僕は土曜日が厳しいかな…。実家に帰る予定があって」
「一学期が始まってまだ一週間しか経ってないけど、もう帰省するのか?」
「実は一人暮らしに慣れるために三月初めから入寮しててね。こっちに来て一か月以上なんだ。だから授業も始まってうまくやれてるっていうのを直接伝えておきたいなって。それに、中学のころ趣味で勉強してたプログラミングの本とか、意外とVR開発部の活動でも使えるみたいで、取りに帰ろうと思って」
桜杏高校の生徒は遠方から来る人も多いので、一人暮らしと学期の始まりが被って負担にならないように、三月から寮に住むことができる。俺も半月前位から今の部屋に住んでいる。
「偉いですわ。私なんて通話やメールで済ませてしまいますわ。週末の予定に関しては、私は日曜午前は園芸部の活動で都合が合いませんわ。それ以外なら大丈夫でしてよ」
「俺もいつでもいける。土日どっちかで買い出しに行こうと思ってるくらいだからな」
これからは毎週末、麓の大型ショッピングモールで買い出しに行こうと考えている。食材や日用品など、両手に抱えきれないほどの量になると思うが。
「じゃあ、金曜、高校から帰ってきたらでどうだ?夜でもいいが、暗いときついしな」
「了解」「いいよ」「いいですわ」
昇が提案し、それ以外の三人が賛成する。
「ところで、今日の授業後の皆さんの予定は何ですの?私は買い物に行こうと思っていましてよ」
まだ食べ終わらない俺を気遣ってか、静が話題を振る。すいません。
「俺は部活だな。陸上部員の顔合わせとやりたい種目のヒアリング!」
「僕もVR開発部の活動があるね。顔合わせとか、機材の使い方の講習だって」
「俺は読書部のミーティングだな」
そう言って俺は味噌汁を流し込む。やっぱり味噌汁はわかめに豆腐だな!無事完食いたしました。
「皆さん、午後もファイトですわ」
静が総括して、俺らは席を立って食器を片付け始めた。
※※※
五時間目は、チェリーギアに搭載されている学習ソフト、『VRラーニング』を利用する授業、『VR教養1』だった。VRゲーム部の集会で集まったレクリエーション室1に行って行ったが、他の授業と変わらずこちらも画面の操作方法を説明しているだけで時間いっぱいを使った。
今日の授業はこれで終わり。最後にアロハ短パンが教壇に立ち、帰りのホームルームをして下校の時刻になった。昨日出すのを忘れていたタブレットとチェリーギアの保証書を提出しておいた。
授業後はいよいよミーティングだ。読書部の全員が図書室に集まる。同僚や先輩はどんな人だろうか。吾妻部長と本多副部長は面白い人たちだったが。
帰りの支度をして、四人で一階に降りる。図書室は三人の行く方向とは別なので、みんなに別れの挨拶をする。
「お疲れ、みんな昼にも言ったけど、今日読書部の集まりがあるから。帰ったら[AnotherWorld]にログインするから、もしかしたら会えるかもしれないけど」
「おう、お疲れ!やっと辛気臭い授業も終わって、ひとっ走りできるぜ!」
「お疲れさま。僕もPC室に行かないといけないからここでお別れだ。白峰校長にしごかれてくるよ」
「お疲れ様ですわ」
各々返事をして別れ、一人になった。廊下を少し歩き、図書室の扉の前に到着する。俺は新しい部員の人たちと仲良くなれますように、と心の中で祈りながら、一息に引き戸を開け放つのであった。
王都周辺は、丈の低い草が茂る草原のフィールドになっている。名前は『ガルアリンデ平原』。ここ、王都を首都とする王国の正式名称を『ガルアリンデ王国』といい、周辺に広がるこの平原もそう呼ばれるようになった。
「しかし、広いな」
ひとり呟いた声もそよ風に消える。遠くのほうは真っ暗だが、王都を囲む外壁には間隔を空けて松明が置かれているので、多少は安全だ。
ガルアリンデ平原に生息するモンスターは昼と夜で異なる。
ファングウルフはもはやおなじみ。鋭く大きな牙が特徴の、茶色と白の毛並みの狼だ。平原では昼夜問わず一匹でうろついており、後述のグリーンラビットを捕食する。人を見かけると襲い掛かってくる、アクティブモンスターだ。
グリーンラビットは、薄い緑色をした小型のウサギだ。大きな耳をぴんと立てて光合成をすることで栄養を摂取している。そのため、日の当たるところに身を置く必要があり、天敵に見つかりやすいという悲しい運命を背負っている。臆病な性格で、人を見つけると逃げ出してしまうノンアクティブモンスターだ。昼にのみ出現する。
モグモグラは茶色いモグラのようなモンスターだ。目が退化しているにもかかわらず、地中で捕まえた虫を地面の上に出てから食べるので見つけやすい。ノンアクティブモンスターで、プレイヤーの歩く音を検知して逃げ出してしまう。昼夜問わず出現する。
ウインドイーグルは上空から風属性の刃を飛ばしてくる昼間の害悪モンスター。ただし頭がよくないので、魔法を好きに打たせておくと魔力が枯渇して墜落する。そのため乱獲が進み、平原周辺では個体数が少ないレア枠になった。
ストレンジワームはカラフルなでかいミミズで、モグモグラの主食だ。地中にいることが多いが、たまに地面を這っている。倒した攻撃の属性によってドロップするアイテムが変わり、調薬や錬金といった生産に使われる。一日中現れる。
キャンユーフライは夜間の超害悪モンスター。ハエをでかくした気持ち悪い見た目で、発達した前足を必死にこすり合わせている。耳障りな羽音が近づいてきたら要注意だ。前足で外敵の体を掴んで上空へと運び、高所から落下させることにより、破裂した死骸から血をすする。モンスター、人間問わず、複眼の視界に入ったあらゆる生者をターゲットにする。血の匂いに誘引されるので、これを利用してうまくおびき寄せることもできる。夜にのみ出現する。水辺に数十個の卵を産み付け、ふ化した幼虫(蛆)は水の中で育つ。ゲーム内のモンスター生態学者の研究によると、幼虫は水中のプランクトンや小さな昆虫を捕食して成長し、ふ化後三日ほどで成虫になるとされている。
シャドウレイブンは夜にのみ出現するカラスのモンスター。光を嫌うため明かりを持っていると出会えない。キャンユーフライを主食にし、暗がりにフライの死体を放り込むことで簡単におびき寄せられる。賢く、闇属性魔法を使って遠巻きに攻撃してくる。
とまあ、こんな感じだろうか。画像、映像のネタバレが嫌で攻略サイトは覗かなかったので、シズクさんに口伝で教えてもらった。
それなりの覚悟はしていたが、流石に暗すぎる。松明を拝借できないだろうか。王都の外壁に手を伸ばし松明を握ったが、どうやらきつく固定してあるようだ。明かりぐらいなら500タメルでも用意できたか?
しょうがないので、夜の平原を歩く。目の前の三メートルぐらいしか見えない。耳を澄ませると、ところどころから獣のうなり声が聞こえる。腹をすかせたファングウルフだろう。
とはいえ、今夜の俺のお目当てはアイテムじゃない。その先にあるものだ。金だ。タメルだ。
攻略サイトの『職人掲示板』で、調薬が手ごろに稼げるかつ、地味であまり人気がなく、職業人口が少ないと聞いた。
装備のショッピングでもタメルがいかに大切かを思い知った。
さらに聞くところによると、[AnotherWorld]の人間社会の市場には需要と供給があり、モンスターには習性と生態があるという。
これを利用しない手はない。スタートダッシュで大儲けだ。
※※※
数分後、俺は王都からそれほど離れておらず、適度にくぼんだ地形のある場所を見つけた。途中、何度かモンスターに遭遇したが、全てダッシュで撒いた。ハエは羽音でわかるので鉢会う前に逃げている。
雨が降れば水たまりができるような、緩く傾斜のあるくぼみに向かって、魔法を唱える。
「アクア・クリエイト」
顔が洗えるくらいの量の水が手からあふれる。
「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」
何度も繰り返す。一回一回は少量でも、集まればそれは大きなうねりになる。
「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」「アクア・クリエイト」
数えきれないほど『アクア・クリエイト』を発動する。とりあえず五十回くらいでいいか。
練習場で試してみて気づいたことだが、『アクア・クリエイト』で生み出した水はその場に残り続ける。そのため、目の前のくぼみには水が満たされ、小さな池ができていた。魔法の連続使用で魔力を五十ほど消費し、キャラクターレベルと職業レベルが三に上がっていた。体力は一ずつ上がって百三に、魔力は五上がって百五になっていた。
こんなもんで大丈夫か。こっちの準備も時間がかかるし、血はまかなくてもいいかな。
俺は来た道を引き返す。エリアマップがあるから迷わずに帰れそうだ。魔力が半分ほど余ったので、襲ってきたモンスターは迎撃してアイテムに変換する。
もくもくと歩いていると、王都の外壁の明かりが見えてきた。時刻は九時三十分。門番のおじさん騎士は夜の散歩ぐらいにしか思わないだろう。できればあまり覚えていないことを願う。
大きな扉に入り、街を出るときと同じように騎士の人に身元をチェックしてもらう。外から入ってくるときはオミナさんという女性の方の担当だ。
「こんばんは、ずいぶん遅い時間ですが、アラニアからお越しですか?」
数十分前の痴話喧嘩で近くにいたのに、オミナさんは俺のことを覚えていないようだった。力と引き換えに物覚えが少し、アレなのかもしれない。おじさん騎士の姿もないし、僥倖だ。ちなみに、『アラニア』というのは、南にある大きな街だ。
「まあ、そんなところです」
適当に受け答えし、入れてもらう。そのまま噴水広場に向かう。
町の出入りを誰かに見られたくないのなら、死に戻りすればいいじゃないのか、という意見があると思うが、それだと問題がある。タメルがなくなってしまうのだ。この後はホテルハミングバードに泊まりたいが、最低グレードの部屋でも一泊五百タメル必要だ。現在の所持金がぴったり五百タメルなので、死に戻りによる所持金半減が痛いのだ。
じゃあ泊まらなければいいじゃん、という意見があると思うが、それだと魔力が回復しきらない可能性があるのだ。
ログアウト中には、経過時間ごとに消費した体力と魔力がじわじわと回復していくという仕様がある。しかし、宿泊施設や自宅以外の場所でゲームを終了するとそれらの回復量にペナルティが課せられてしまうのだ。このシステムについて検証したプレイヤーもいたが、どうやら毎日個人によってランダムに回復量が設定されるらしく、お手上げのようだった。
さらに、ホテルや宿屋、旅館といった宿泊施設の部屋のグレードによって、翌日にバフ、デバフがつくらしい。これも確率で発生する。
よって、泊まるのにお金をかけるのなんて、とバカにできないのだ。
こんなことを説明しているうちに、どんちゃん騒ぎの大通りを抜けて噴水広場に到着した。
ホテルハミングバードは白く塗ったレンガ造りの建物だ。横幅はエクリプス装備店と同じくらいだが、高さはこちらの方が高い。高級なホテルにある回転式のガラスドアからは、きらびやかな光に包まれたフロントが見える。
俺はドアを開けて中に入った。受付にはひょろっとした男性の従業員が背筋を伸ばして立っていた。
ホテルの一階はフロントとラウンジのようだった。二人一組のテーブル席がいくつか並べられているが、今はだれも座っていない。壁際にはバーカウンターが拵えられている。フロントの左手には大理石のような石材でできたエレベーターが二基ある。
「こんばんは、ご宿泊ですか?」
男性はベースボールキャップにポロシャツ、スウェット、右手にはサンゴの杖を握った俺を見ても眉一つ動かさず、三十度くらいのお辞儀をした。
「はい、一階でお願いします」
「かしこまりました。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「トールです」
「ありがとうございます。一泊五百タメルになります」
『ホテルハミングバード:王都店の一階に宿泊します。よろしいですか? 宿泊費用:五百タメル』というウインドウが出たので、『はい』を押して了承する。
「確かに頂きました。お部屋へはあちらのドアからご入室できます」
彼はそう言ってすらりと伸びた腕で右側を指した。そこには白い木製のドアがあった。
促されるままに扉を開け、中に入る。洋風のシングルルームが広がっている。
部屋の手前の入口は、洗面所と浴槽、トイレが一体になっているユニットバスにつながっている。客室は、正面がベランダに出られる大きな窓があるが、今はカーテンがしまっている。中央には白くしわのないシーツの敷かれたシングルベッドが置かれており、瀟洒な意匠が施されたサイドテーブルの上には置き時計がある。白く清潔感を感じる壁には、風景画が飾られている。
ここで、フロントから直接客室につながっているのはおかしいと思う方も多いだろう。実はここ、魔法使いギルドの練習場のようなパーソナルスペースになっているのだ。そのため、客室につながる廊下は存在せず、それぞれの階数に通じる扉を開けるだけで部屋に着くし、満室になることはない。
フロントで、「一階でお願いします」と言ったのは、階数によって部屋のグレードが分けられているためだ。ここホテルハミングバード:王都店は全六階で、一階が一番安く、階が上がるごとに宿泊費も上がる。
とまあ、ホテルについてはこんな感じだ。もうすぐ十時だし、今日は終わりにしよう。
ベッドに近づくと、『眠りにつきますか?』というウインドウが出現する。『はい』を選択すると、勝手に体が動きベッドの上に五体を投げ出した。天井についている照明が柔らかい光を放っている。
「明日はそんなに遊べなさそうだけど、『やること』があるからな」
俺のアバターはそのままゆっくりと目を閉じる。視界が徐々に狭まり、黒に覆われていく。こんな感じでログアウトするのかと、このゲームの完成度の高さをかみしめているうちに、完全な闇に包まれ、[AnotherWorld]のログアウトが完了した。
※※※
――よう、トオル!お疲れさま!もう夜も更けてきたが、元気か!?
「ちょっと疲れたな。また明日。ちびドラゴン」
――ちびではない!!生育途中なだけだ!!!
少し眠気が迫ってきているので、ちびドラゴンとのじゃれあいもそこそこに、VR空間からもログインした。それにしても、ちびドラゴンをはじめとするAIは、特定の単語に反応して専用のレスポンスを返してくれるようだ。なんて優秀な人工知能だろうか。
まだ高校で着ていた服のままだ。いそいそと寝間着に着替え、ベッドにもぐりこむ。
ついさっき同じような行動をしたが、ゲームと異なり、リアルに感じる眠気がそこにあった。
翌日。朝食を済ませて桜杏高校に登校した俺たちは、教室でホームルームを受けていた。
「みんないるな。おはようさん!今日から通常授業が始まるから気を抜いて行けよ!後寝るなよ!」
相変わらずアロハシャツに短パンといった風体の我らが担任、アロハ短パンが大声で俺らに言う。昨日VRゲーム部の集会で居眠りしてしまったので、少し反省して聞いておく。
「一時間目はこのまま俺が担当する数学だ!五十分から始めるぞ」
本日は、四月三日の水曜日だ。一年生の水曜日の時間割は、一時間目に担任が受け持つ授業から始まり、担任がローテーションする形で二時間目、三時間目、四時間目と続くということだった。俺ら二組の場合は、一時間目にアロハ短パンの数学、二時間目に一組の担任の国語、三時間目に四組の担任の理科、四時間目に三組の担任の社会科という感じだ。
桜杏高校の授業では紙の教科書が必要なく、タブレットの教材アプリによって電子上で学ぶことができる。こういったアプリは入学の際に授業料として支払われており、決して安く済むというわけではないのがつらいところだ。しかし、全ての科目の教材をアプリ一つで読めるため、重くてかさばる教科書を持ち歩いたり、余計な忘れ物が増えることが少ないのはいいところといえる。
午前中の一~四時間目は、初回ということもありほとんどがイントロダクション、授業の進め方や各回でどのようなことをするかといった説明が主だった。なのでばっさりカット。
さて、退屈な授業も一区切り、今はお昼休みの時間だ。俺、昇、彰、静の四人は一階の食堂で昼食を摂っていた。
「しかし、思った通りつまんなかったな」
思っていることはみんな同じなのか、きつねうどんの揚げを頬張りながら、昇がつぶやいた。
「しょうがないよ。教材アプリなんて、今日初めて触ったから使い方なんてあんまりわからなかったし」
彰は親子丼にがっつきながら昇にレスポンスする。
「だからって同じような説明を四回繰り返されるこっちの身にもなれっての」
昇の言う通り、一時間目のアロハ短パンから四時間目のひょろ眼鏡スーツに至るまで、各授業の始めには、アプリの開き方、タッチペンを使った書き込み方、マーカーの色の変え方、付箋のつけ方、編集の保存方法など、教材アプリのシステム面の説明をしていた。飽きっぽい昇にとっては酷な時間だっただろう。
「確かに、あれはしつこかったよな」
ハンバーグ定食をゆっくり食べながら、俺も口をはさむ。
「まあ、長くても今週いっぱいの辛抱ですわ」
アジの開きの骨を取るのに四苦八苦していた静は、歯を食いしばりながら言う。
「あ、そうだ!」
どんぶりを傾けつゆまで飲み干した昇が急に大きな声を出す。大盛りを頼んでいたはずだったが、いつものごとく食べるのが速い。
「どうした?」
「ごほっ、ごほっ!」
俺は聞き返し、隣の彰はご飯が詰まったのかむせ始める。彼はグラスのお冷をあおると、
「いきなり大きな声出さないでよ、びっくりしたじゃん」
と返す。
「悪い…。すっかり忘れてたんだけどさ、今週の金曜日か土曜日か日曜日に、パーティ組んで[AnotherWorld]遊んでみないか!?みんな時間あると思うから!」
「いいですわね。賛成ですわ」
骨だけになったアジの載った皿をどけながら静がうなずく。だから食べるの速くないか?
「僕もいいよ。昨日で色々コツはつかめたし、もう少しプレイすればチームで行けると思う」
彰も乗り気のようだ。親子丼がたっぷり入ったどんぶりがいつの間にか空になっている。え?まだ食べ始めて五分くらいしか経ってないよな?俺が遅すぎるのか?
「俺もやりたい。何曜日にするか?」
「俺はいつでもいいぜ。ちょくちょくランニングとかしたいからずっとはやれないが」
「僕は土曜日が厳しいかな…。実家に帰る予定があって」
「一学期が始まってまだ一週間しか経ってないけど、もう帰省するのか?」
「実は一人暮らしに慣れるために三月初めから入寮しててね。こっちに来て一か月以上なんだ。だから授業も始まってうまくやれてるっていうのを直接伝えておきたいなって。それに、中学のころ趣味で勉強してたプログラミングの本とか、意外とVR開発部の活動でも使えるみたいで、取りに帰ろうと思って」
桜杏高校の生徒は遠方から来る人も多いので、一人暮らしと学期の始まりが被って負担にならないように、三月から寮に住むことができる。俺も半月前位から今の部屋に住んでいる。
「偉いですわ。私なんて通話やメールで済ませてしまいますわ。週末の予定に関しては、私は日曜午前は園芸部の活動で都合が合いませんわ。それ以外なら大丈夫でしてよ」
「俺もいつでもいける。土日どっちかで買い出しに行こうと思ってるくらいだからな」
これからは毎週末、麓の大型ショッピングモールで買い出しに行こうと考えている。食材や日用品など、両手に抱えきれないほどの量になると思うが。
「じゃあ、金曜、高校から帰ってきたらでどうだ?夜でもいいが、暗いときついしな」
「了解」「いいよ」「いいですわ」
昇が提案し、それ以外の三人が賛成する。
「ところで、今日の授業後の皆さんの予定は何ですの?私は買い物に行こうと思っていましてよ」
まだ食べ終わらない俺を気遣ってか、静が話題を振る。すいません。
「俺は部活だな。陸上部員の顔合わせとやりたい種目のヒアリング!」
「僕もVR開発部の活動があるね。顔合わせとか、機材の使い方の講習だって」
「俺は読書部のミーティングだな」
そう言って俺は味噌汁を流し込む。やっぱり味噌汁はわかめに豆腐だな!無事完食いたしました。
「皆さん、午後もファイトですわ」
静が総括して、俺らは席を立って食器を片付け始めた。
※※※
五時間目は、チェリーギアに搭載されている学習ソフト、『VRラーニング』を利用する授業、『VR教養1』だった。VRゲーム部の集会で集まったレクリエーション室1に行って行ったが、他の授業と変わらずこちらも画面の操作方法を説明しているだけで時間いっぱいを使った。
今日の授業はこれで終わり。最後にアロハ短パンが教壇に立ち、帰りのホームルームをして下校の時刻になった。昨日出すのを忘れていたタブレットとチェリーギアの保証書を提出しておいた。
授業後はいよいよミーティングだ。読書部の全員が図書室に集まる。同僚や先輩はどんな人だろうか。吾妻部長と本多副部長は面白い人たちだったが。
帰りの支度をして、四人で一階に降りる。図書室は三人の行く方向とは別なので、みんなに別れの挨拶をする。
「お疲れ、みんな昼にも言ったけど、今日読書部の集まりがあるから。帰ったら[AnotherWorld]にログインするから、もしかしたら会えるかもしれないけど」
「おう、お疲れ!やっと辛気臭い授業も終わって、ひとっ走りできるぜ!」
「お疲れさま。僕もPC室に行かないといけないからここでお別れだ。白峰校長にしごかれてくるよ」
「お疲れ様ですわ」
各々返事をして別れ、一人になった。廊下を少し歩き、図書室の扉の前に到着する。俺は新しい部員の人たちと仲良くなれますように、と心の中で祈りながら、一息に引き戸を開け放つのであった。
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