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第十八話 『フライ・スタンピード』 後編

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[第十八話] 『フライ・スタンピード』 後編

 なんてこった。

 こんなに大ごとになるなんて。見通しが甘かったと言わざるを得ない。

 王都に戻ってきた俺は、冒険者ギルドで打ちひしがれていた。

 よりにもよって今日、この日に。

 三人と狩りに行こうって日に、こんなことになるなんて。

 酒場スペースの席に座り、考える。

 秘密裏にガルアリンデ平原のそこかしこで水たまりを作り、キャンユーフライを育てる。いわゆるファームという行為だ。

 その後、あふれたキャンユーフライたちを俺が狩る。もしくは、他の人が狩る。

 それにより得られた大量の素材を売る、もしくはキャンユーフライ討伐で体力回復、出血回復の需要が高まったことを利用して、他の人にポーションを売る。

 そんな、漠然とした商売のビジョンを描いていた。

 なのに…。

 俺のせいで、ローズが死に戻りしてしまった。

「…ええ、はい、よろしくお願いします」

 今は、フクキチが窓口で依頼の受注を頼んでくれている。

 個人または数人の冒険者で対処できない魔物が現れた場合、『緊急依頼』なるものを発効して人手を集める必要がある。

 その手続きを、代表して彼にやってもらっている。

「…ありがとうございました」

 話し合いが終わったみたいだ。

 フクキチに応対していた窓口の人が、手元の紙にペンを走らせて何やら書きなぐっている。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 [緊急依頼]:ガルアリンデ平原(西部)におけるキャンユーフライ・ハイヤー及びキャンユーフライの群れの討伐

  〇発注者:フクキチ

  〇報酬:要相談 

  〇詳細:こんにちは!駆け出し商人のフクキチです。緊急依頼のご連絡です。

      ガルアリンデ平原(西部)でキャンユーフライの群れを確認しました。

      群れを率いているのは上位種、キャンユーフライ・ハイヤーです。

      腕に自信のある冒険者の方々は至急、西部に向かって討伐をお願いします。

      補足すると、群れは南の方からやってきました。

      もしかしたら、南部に巣があるかもしれません。

      そちらの破壊も併せてよろしくお願いします。

      当方駆け出しのため、報酬は大したものが用意できませんが、何卒よろしくお願いいたします。
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 窓口の人のペンを動かす手が止まると同時に、こんな文章がメールで送られてきた。

 どうも緊急依頼の場合は、冒険者全員に通知が行くらしい。

「終わったよ、トール、ライズ」

「あ、ああ。ありがとう」

「ありがとな」

 緊張の糸が解けたといった感じのフクキチに、俺とライズは次々と礼を言う。

「ローズは帰ってきた?」

「まだ。チャットも返ってきてないし、相当参ったんじゃないか」

 席を外していたフクキチがライズに聞くが、連絡も取れない状態だという。

 通常、死に戻りした場合、一番最後に訪れた街でリスポーンする。

 だから、王都のどこかにいるはずなんだが、チャットの返信もないということはログアウトしてしまったんだろうか。

 虫嫌いの彼女に、とんでもない精神的ショックを与えてしまった。

 これは、俺がなんとしても汚名返上しないといけない。

「戦力にならないかもしれないが、とりあえず俺たち三人で行くか?」

「もちろん!」

「次は逃げねえ!ローズの仇は俺がとる!」

 恐る恐る聞いてみると、力強い返答が返ってきた。

 二人なら、そう言ってくれると思ってたよ。

「ありがとう」

 俺たちはキャンユーフライ・ハイヤーたち討伐の誓いを胸に秘め、冒険者ギルドから出るのだった。


 ※※※


「すごい人だ」

 時刻は十九時。日が完全に沈み、辺りが闇に包まれた。

 王都西門に着くと、すでに冒険者と甲冑姿の騎士でごった返している。

 門は大きく開け放たれ、王都中の冒険者が夜の平原に飛び出していく。

 一方、騎士団員は詰め所前で整列しており、点呼を取っているようだ。

「では、今回の西部・南部合同討伐隊のメンバーを発表する。なお、呼ばれなかった者は所属の詰め所で待機とする」

 詰め所の入り口で、知らないおじさんが大声を上げている。

 あの人がマルゲイ・クノーシスさんだろうか。それとも、脇に立っているもう一人の男性だろうか。

「まずは西部から。アレックス・クノーシス、クロル・マンガム、……」

 どうやら、前に挨拶だけしたあの青年も行くみたいだ。

 今のところ、王都を構成する騎士団員はNPCのみ。

 プレイヤーと違い、NPCは死んでしまうと二度と復活できない。現実世界での俺たちみたいに。

 だから、どうか無事でな。

「おい、何よそ見してんだ。準備はできたか?」

 剣を砥石で研いでいたライズが訊いてくる。

 隣では、フクキチがハンマーを磨いている。

「ああ。魔力は満タン、装備にも穴はない。もし体力が減ったら教えてくれ。作ったポーションを投げつけるから」

「それなあ…、本当に効くのか?」

「疑うな。体力回復:小だぞ」

 なにも、ポーションは飲むだけではない。

 効き目は落ちるが、人にかけることによっても効果を発動させることができる。

「おまたせ。行こう」

 フクキチが槌をぴっかぴかに磨き上げ、背中に背負い直す。

 準備ができたみたいだ。出発しよう。

 俺たちも他の冒険者に倣って、西門をくぐるのであった。


 ※※※


 ガルアリンデ平原に出てしばらく歩いても、周りには人、人、人。

 冒険者ばっかりで、ハエの姿はどこにもない。あの羽音もしない。

「どこに行ったんだ?」

「本当に群れなんかいるのかよ」

「デマなんじゃねーか?依頼主も初めて聞くやつだし」

 周りの人たちが口々にそう言い、それを聞いたフクキチがわなわなと震え出す。

 全員NPCのはずだが、ずいぶんと心ない言葉を吐くものだ。

 いや、心がないからこんなことが言えるのか?

「落ち着け。言わせておけばいいんだ」

 俺は彼の肩に手を置くと、フクキチはゆっくりと深呼吸する。

 彼もシステムが産んだ言葉だと気づいて、冷静になれたみたいだ。

「ありがとう」

 そう言い、フクキチは優しく笑った。

 彼をこんな気持ちにさせているのも俺のせいなのに、励ます資格なんてあったのだろうか。

 いや、ある。

 これは俺の贖罪だ。

 安易な思考と行動が引き起こした大惨事への、償いだ。

「しっ」

 そう思っていると、鈍い音がした。

 俺たちは足を止め、辺りを見回す。

 グシャッッ。

 何かと何かがぶつかり合うような音。

 これってもしかして…。

 グシャッ、グシャッッッ。

 グシャッッグシャッグシャッッグシャッグシャッッ。

 …人が落下する音か!

 グシャッグシャッッグシャッグシャッッッグシャッグシャッグシャッッ。

 暗闇に包まれた平原で、そこら中から音が鳴る。

 グシャッグシャッグシャッッッグシャッグシャッッグシャッッッグシャッ。

 やつらは平原にはいなかった。

 それは確かだった。

 グシャッッッ!

 ただ獲物の息の根を止めるために、上空にいただけだったのだ。

「上だ!」

 俺たちは散り散りになり、降ってくる人たちをよけ続ける。

 この人たちは、一足先に狩りに来ていた冒険者たちか。

「きゃあっ!」

「逃げろおっ!」

 NPCの叫び、逃げ惑う声が湧き立つ。

 一瞬のうちに、平原が戦場と化した。

「これってもしかして、かなりヤバい…」

 グシャッッッッッ!!!

 フクキチが察すると、一際大きな音が鳴って人間の雨が終わった。

 そして間を置かず、あの羽音が響き渡る。

「来るぞ、頭上に注意だ!」

 ライズが喚起する。

 上を向くと、今度はハエの雨が降ってきた。

 上空から急降下してくる黒い弾丸たちを、必死でよける。

「『アクア・ソード』!!」

 俺は魔法を発動し、近づいてきた一匹にカウンターを仕掛ける。

 羽根に一撃をもらったフライは自らの勢いで地面に叩きつけられ、ぐちゃぐちゃになった。

 基本属性の中で一番威力の低い『アクア・ソード』でも、フライの柔らかい体に効果的なようだった。

「くっ」

 しかし、その隙に近づいてきた別の一匹に左腕を掴まれる。

 数が多すぎる!

「こんっの!」

 『アクア・ソード』の刃で複眼を刺し貫き、腕を振り払う。

 フライだったものの残骸が無様に転がっていく。

「避けることに集中しろ!騎士団の増援を待つしかない!」

 ライズが声を張り上げる。

 確かに、この量じゃあっという間に群がられるし、数匹倒しても焼け石に水だ。

「……」

 俺は『アクア・ソード』を解除し、回避に専念する。

 突進はステップを踏んだり、屈んだり、前転と駆使して躱す。まとわりついてくる足は杖でいなす。

 体術や魔法で迎撃しない。隙を突かれては致命傷になる。

「…っ、よっ!はっ!」

「ちょっと、きつい…」

 脇目で見ると、ライズもフクキチも身を翻して、降ってくるフライたちを回避していた。

 俺は正直、装備重量がそこまでないからまだ耐えられる。 

 だが、ある程度上半身が重いライズと回避が覚束ないフクキチはいつまでもつか分からない。

 このままじゃじり貧だ。

「……」

 黒い害虫を避けながら、

 何か。何か手はないか。

 思い出せ、過去の自分が考えていたことを。

 シズクさんから教わった、魔物の情報を。

『血の匂いに誘引されるので、これを利用してうまくおびき寄せることもできる』

 そのとき、以前頭に刻み込んだある一文を思い出した。

「『アクア・クリエイト』!」

 俺はすぐさま、自らの頭上に水を出現させる。

 返り血で濡れた体が、瞬時にきれいになる。

「やつらは血に誘引される!」

「え、なんだって?」

「いつまでこうしてれば…!」

「ちょっと痛いけど、我慢しろよ!『アクア・ボール』、『アクア・ボール』!」

「そうか、フライは…ぶふぇっ」

「ぐえっっ」

 飛び交うフライの隙間を縫い、アクア・ボールを当てて二人もきれいにする。

「これで…」

 今現在、地面には大量の血が散乱している。

 腹を空かせた大量のフライは、清潔な生者に飛びかかるのか、それとも新鮮な血をすするのか。

 答えは明白だった。

「やったあ…!」

 フクキチが心底安堵した様子で息をついた。

 急に勢いを失ったハエたちは、ぽつりぽつりと地面に着地していく。

 そして次々にその細い口を血だまりに突っ込み、美味しそうに血を飲んでいる。

「乗り切ったか?」

 ライズが周囲を注意深く見回し、状況把握に努める。

 よかった。こいつらをパッシブ化することができたぞ。

「静かに、歩かない方がいい」

 とはいえ、地面にいるフライに触ってしまうと敵とみなされるため、ここから一歩も動くことができない。

 これ以上、声を上げて刺激するのも得策ではないだろう。

 まさに膠着状態。俺たちもハエたちも、動けない状態が続く。

「…」

「……」

「………」

 一分。二分。三分。

 流れ出る汗をぬぐいながら、俺たちは物音を立てずに立ちすくんでいた。

 数十、数百のキャンユーフライから成る、黒いうごめく絨毯はごくごくと地面の血を飲んでいるが、これがいつ枯渇するか分からない。

 そうなってしまえば、次に狙われるのは新鮮な俺たちだ。

 そして今の俺たちに、フライの群れを御する力などない。スタミナと集中力の観点から見て、これ以上耐えるのも難しい。

「…」

 早く、早く来てくれないか。

 この状況を打破できるのは、俺が知る限りではあの人しかいない。

「来てください…」

 シズクさん。

「奥義、[タイカイノシズク]」

 そう願った途端。

 瞬時に解き放たれた小さな海は、大きなうねりを上げて辺り一面のフライと俺たちを流し尽くした。


 ※※※


「ログインするのが遅れた。大丈夫?」

 十分ほど後。

 流される前の場所まで戻ってくると、シズクさんが佇んでいた。

 暗くて視覚による判別ができないが、羽音は聞こえない。

 フライは周囲にいないようだ。

「ほんっと助かりました!ありがとうございます!」

「ありがとうございました」

 隣では、びしょ濡れのライズとフクキチが彼女に礼を言っている。

 聞くと、緊急依頼を受け取って平原に急行したシズクさんは偶然、俺たちが苦戦しているところに通りかかったそうだ。

 まさに、幸運の女神。

 俺からも感謝の気持ちを伝えよう。

「シズクさんが来てくれなかったら、俺たち全員、死に戻りしていました。本当にありがとうございます」

「心配しなくてもいい。今の一撃でたくさんレベルが上がったから、私としてもうれ……」
 
 照れくさそうにそう言いかけたシズクさん。

 その両肩が、これまでより一際大きな前腕にガシリと掴まれる。

 赤いサングラスに、キャンユーフライより大きな羽。

 やつだ。

 キャンユーフライ・ハイヤーが、まだ生きていた!

「シズクさんっ!」

「大丈夫、離れておいた方がいい」

 フライ・ハイヤーは彼女をしっかりと固定すると、上空に飛び立とうと羽を大きく広げる。

 大丈夫なわけがない。彼女の魔力量は分からないが、奥義を撃ってかなり消耗しているはず。

 このまま上に連れていかれたら、一巻の終わりだ。

「『アクア・…』」

 せめて、魔法で気を逸らすことができたら…。

 そう思って詠唱を始めたそのとき。

「はあああああああっっっ!!!!」

 大きな声が後ろから聞こえた。

 女の人だ。

 俺たちを一息で飛び越えたその人物は、フライ・ハイヤーの顔面に強烈な右ストレートを叩き込む。

「すげえ…!」

 メリメリメリメリッッッ。

 やつの頭部が裂け始め、至るところにひびが走って粉々になる。

 たった一撃で、フライの親玉が文字通り砕け散った。

 なんという怪力。
 
 こんな力を出せるのは、いや出せると評されているのは、あの人しかいない。

「大丈夫ですか、皆さん!」

 構えを解いてこちらを振り向いてきたのは、物々しいガントレットを右腕に装着し、全身を返り血で濡らした鬼神。

 オミナさんだった。

「もう安全ですよ!」

 騎士団の合同討伐隊が、ついにやってきてくれたのだった。
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