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2.Yellow star jasmine
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小さかった頃、よく熱を出していた。
自分では、熱があるとは全く思わないのに、母もスミも、耳の下に手を当てて言うのだ。
「あ、やっぱりあるね。」
そう言うときの顔は、心配していると言うより、ほらね?というのがぴったりな、今で言うならドヤ顔をしていた…と思う。
それから病院に連れて行かれて、甘い匂いの割に対して甘くない薬を飲まされて布団に寝かされると、必ずスミが傍に寄ってきて、寝ている自分を尻目に、人のおもちゃで遊んでいた。
年中位になると、字を読むことを覚えたスミが、絵本を持ってきて読むようになった。
最初は文章になっていない、字の羅列にしか聞こえない読み聞かせだったけど、一生懸命読んでくれるから、一人で遊ばれるよりずっと嬉しかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スミは激しく泣き叫んでいて、しかも小学生だったから、救急車には母が付き添う事になった。が、当然ながら、スミは玄関でトーコさんの担架に追いすがった。
「スミちゃんっ、お願いっ、早くしないとっ、すぐたっくん帰ってくるからっっ」
「やだーっっ、いやだーっっ、おかあさーんっっっ」
空気を引き裂くような声に、誰もが、救急隊員もが顔を歪めて、でもどうすることも出来ずに焦っていた。
トーコさんは呼び掛けても反応しなかったから。
「いやーっっ」
一際高い声が上がった瞬間、咄嗟に体が動いていた。
「スミッッ!!!」
生まれて初めて出した大声だった。
こんなに大きい声が出るなんて、自分でも知らなかった。
自分はスミの腕を掴んで、揺さぶっていた。
スミが大きく目を見開いている。
ちょっとだけ開いた口は痙攣したように震えていて、喉がひくっひくっと動いている。
堪らずぎゅっと頭を抱え込んでしがみついた。
スミの方が少し背が高くて、それまで、そんな風に感じたことは無かったのに。
スミが、自分より小さく感じて、ますます強く抱き締めた。
「泣くなっ、泣くなっっ」
言い聞かせると言うよりは、叫んでいた。
「泣くなっ、泣くなっ、泣くなっ」
後で母が、「何か、呪文かけてるみたいだったわ~」と笑っていたが、無意識にそうしていたのかもしれない。
スミは、ふっ、ふっ、としゃくり上げていたけど、叫び声は止まって。
そのかわり、ぱたぱたぱたっ…と。
音を立てて、沢山の水滴が床に零れ落ちた。
涙の海が出来ちゃうんじゃないかと思うぐらい、それは、大粒の涙だった。
あの時も、後悔したのに。
後で悔やむ、とか、出来すぎな言葉だと思う。
正直なところ、自分はそれ程かずさんが死んだことに実感が無かった。そもそも、平日は働いていたし、休みの日に会うぐらいだったから。
将棋の駒を使って遊んでくれていたけど、まだちゃんと教えてもらってなかったし。
だから、スミやトーコさんがお葬式で泣かなかった事に、何の疑問も抱いていなかったのだ。自分の母が泣いていたのに。
スミは沢山泣いた。
涙は後から後から溢れてきて、父が帰ってきて、病院に連れて行ってくれてる間も、ずっと泣いていた。
その間、自分はずっと、スミの隣で手を握っていた。
自分からは離さなかったし、スミも離さなかった。
ずっと隣にいて、スミの濡れた睫毛と、赤くなった鼻と、半開きのまま微かに震える唇を、ずっと、見ていた。
スミの痛みが、自分でも、ものすごく痛く感じて。
こんなにも沢山の涙を溜め込んでいたことを知って。
その事に気付かなかった自分を、恥ずかしいと思った。
そしてそれまで、自分よりちょっと先を行く、ほのかな憧憬の対象だったスミが。
誰も知らない場所で、こっそり泣いている女の子になった。
スミ、と呼び捨てるようになり。
うちのメニューから、カレーが消えた。
―――ピコンッ…と。
独特の機械音が鳴って。
同時にハッと、身じろぎをした。
―――ピコンッ…
立て続けに音が鳴る。
スミが少し動く気配がして、すぐ近くに置いていたスマートフォンを手に取ると、白い画面がぼうっと暗闇に浮かび上がっていた。
『晩ご飯!!』
『怒』
母親が送りつけてきたメッセージに、ふっ…と、スミが笑う。同時に手の力が緩んだことに気が付いて、無意識に握り込んだ。
スミが体を起こそうとして、バタッと元に戻る。
「起きれないよ」
今度は自分が笑った。
ひょいっと体を起こして、握ったまま引っ張ってやる。
「腹筋無さ過ぎ」
「ふーん、だ」
「お前も行けば?」
どこに?と言いかけて、あぁ…と呟く。
「楽しかった?」
「うん、マッチョなおっさんがいて、色々教えてくれた」
「ええ~、目指すの?」
「ん?うーん…」
「似合わないよー、かなちゃ泣くよ」
「あれはどうでもいい」
「ええー…」
どうでもいい話にスミが浮かべた、笑顔に。
ぎゅっ、と。
繋いだままだった手の平を、もう一度握りしめた。
「…無理すんなよ」
静けさの中で声だけが響いて。
スミは返事の代わりに、きゅっと手を握り返した。
部屋はもうすっかり暗くて、お互いの顔は見えなかった。
家に戻ると、母が微妙な顔をしていた。
「…あんたのこと信じていいよね?」
その時は、「は?」という顔をして返した。
―――その時は。
自分では、熱があるとは全く思わないのに、母もスミも、耳の下に手を当てて言うのだ。
「あ、やっぱりあるね。」
そう言うときの顔は、心配していると言うより、ほらね?というのがぴったりな、今で言うならドヤ顔をしていた…と思う。
それから病院に連れて行かれて、甘い匂いの割に対して甘くない薬を飲まされて布団に寝かされると、必ずスミが傍に寄ってきて、寝ている自分を尻目に、人のおもちゃで遊んでいた。
年中位になると、字を読むことを覚えたスミが、絵本を持ってきて読むようになった。
最初は文章になっていない、字の羅列にしか聞こえない読み聞かせだったけど、一生懸命読んでくれるから、一人で遊ばれるよりずっと嬉しかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
スミは激しく泣き叫んでいて、しかも小学生だったから、救急車には母が付き添う事になった。が、当然ながら、スミは玄関でトーコさんの担架に追いすがった。
「スミちゃんっ、お願いっ、早くしないとっ、すぐたっくん帰ってくるからっっ」
「やだーっっ、いやだーっっ、おかあさーんっっっ」
空気を引き裂くような声に、誰もが、救急隊員もが顔を歪めて、でもどうすることも出来ずに焦っていた。
トーコさんは呼び掛けても反応しなかったから。
「いやーっっ」
一際高い声が上がった瞬間、咄嗟に体が動いていた。
「スミッッ!!!」
生まれて初めて出した大声だった。
こんなに大きい声が出るなんて、自分でも知らなかった。
自分はスミの腕を掴んで、揺さぶっていた。
スミが大きく目を見開いている。
ちょっとだけ開いた口は痙攣したように震えていて、喉がひくっひくっと動いている。
堪らずぎゅっと頭を抱え込んでしがみついた。
スミの方が少し背が高くて、それまで、そんな風に感じたことは無かったのに。
スミが、自分より小さく感じて、ますます強く抱き締めた。
「泣くなっ、泣くなっっ」
言い聞かせると言うよりは、叫んでいた。
「泣くなっ、泣くなっ、泣くなっ」
後で母が、「何か、呪文かけてるみたいだったわ~」と笑っていたが、無意識にそうしていたのかもしれない。
スミは、ふっ、ふっ、としゃくり上げていたけど、叫び声は止まって。
そのかわり、ぱたぱたぱたっ…と。
音を立てて、沢山の水滴が床に零れ落ちた。
涙の海が出来ちゃうんじゃないかと思うぐらい、それは、大粒の涙だった。
あの時も、後悔したのに。
後で悔やむ、とか、出来すぎな言葉だと思う。
正直なところ、自分はそれ程かずさんが死んだことに実感が無かった。そもそも、平日は働いていたし、休みの日に会うぐらいだったから。
将棋の駒を使って遊んでくれていたけど、まだちゃんと教えてもらってなかったし。
だから、スミやトーコさんがお葬式で泣かなかった事に、何の疑問も抱いていなかったのだ。自分の母が泣いていたのに。
スミは沢山泣いた。
涙は後から後から溢れてきて、父が帰ってきて、病院に連れて行ってくれてる間も、ずっと泣いていた。
その間、自分はずっと、スミの隣で手を握っていた。
自分からは離さなかったし、スミも離さなかった。
ずっと隣にいて、スミの濡れた睫毛と、赤くなった鼻と、半開きのまま微かに震える唇を、ずっと、見ていた。
スミの痛みが、自分でも、ものすごく痛く感じて。
こんなにも沢山の涙を溜め込んでいたことを知って。
その事に気付かなかった自分を、恥ずかしいと思った。
そしてそれまで、自分よりちょっと先を行く、ほのかな憧憬の対象だったスミが。
誰も知らない場所で、こっそり泣いている女の子になった。
スミ、と呼び捨てるようになり。
うちのメニューから、カレーが消えた。
―――ピコンッ…と。
独特の機械音が鳴って。
同時にハッと、身じろぎをした。
―――ピコンッ…
立て続けに音が鳴る。
スミが少し動く気配がして、すぐ近くに置いていたスマートフォンを手に取ると、白い画面がぼうっと暗闇に浮かび上がっていた。
『晩ご飯!!』
『怒』
母親が送りつけてきたメッセージに、ふっ…と、スミが笑う。同時に手の力が緩んだことに気が付いて、無意識に握り込んだ。
スミが体を起こそうとして、バタッと元に戻る。
「起きれないよ」
今度は自分が笑った。
ひょいっと体を起こして、握ったまま引っ張ってやる。
「腹筋無さ過ぎ」
「ふーん、だ」
「お前も行けば?」
どこに?と言いかけて、あぁ…と呟く。
「楽しかった?」
「うん、マッチョなおっさんがいて、色々教えてくれた」
「ええ~、目指すの?」
「ん?うーん…」
「似合わないよー、かなちゃ泣くよ」
「あれはどうでもいい」
「ええー…」
どうでもいい話にスミが浮かべた、笑顔に。
ぎゅっ、と。
繋いだままだった手の平を、もう一度握りしめた。
「…無理すんなよ」
静けさの中で声だけが響いて。
スミは返事の代わりに、きゅっと手を握り返した。
部屋はもうすっかり暗くて、お互いの顔は見えなかった。
家に戻ると、母が微妙な顔をしていた。
「…あんたのこと信じていいよね?」
その時は、「は?」という顔をして返した。
―――その時は。
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