雨に薫る

はなの*ゆき

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2.Yellow star jasmine

乃東枯2

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「じゃあ、止めましょうか?」

 そう言って、目の前の女はニッコリと微笑んだ。



 何がきっかけと言えば、ムカデだった。

 夜中に何やら耳元でゴソゴソ動くものがあるな…と思いながら払った手に激痛が走った。
 まさかの、ムカデ。
 寝込みを襲われるとは思いもしなかった。

「ああ、ここからでしょうね…。」

 昔からの友人が寄越してきたのは、パンツスーツを着てショートボブの、まぁ、いかにもな女だった。

うち・・には勿体ない位の女性ひとなんだけどね~。」

 そう言った顔は“デレる”という表現がぴったりで、要は、あれか、気があるんだなと直ぐに分かった。
 まぁ、お互い、仕事にかまけて逃げられた口だから、幸せなのが何よりだと思うけど、お前にはもっとこう、前の奥さんみたいに可愛らしいカンジのがいいんじゃねぇの?と、心の中で呟くほど、意外だった。

 年齢は四十前後所謂アラフォーだろう。
 白い肌が映えるさらりとした黒髪に、切れ長の奥二重で、不自然さが全く無い睫毛はやたらと長く、頰に影を落としている。
 黒いパンツスーツに包まれたスラリとした体は、ほっそりと無駄な肉が無く、家庭的な要素がまるで無い―――要するにキャリアウーマンで独身だと、指輪の痕すら無い手を見ながら勝手に思ったのだが。

「多分、この下も割れてますね。ここから入ってきてるんでしょう。」

 そう言って、目地が割れてあちこちタイルの浮いた浴室の床を指し示す。
 気にしてなかったが、その間も、チョロチョロと小さい虫が割れた隙間から出入りしていた。

「こういう古い造りの浴室は、どうしてもこうなりますよね。」

 大きなバッグから出したカメラで丁寧に写真を撮り、メジャーを使って寸法を測っている。

「土台は捲ってみないと何とも言えないんですけど、ひとまず見積もり出してきますので、こちらのカタログを見てご検討頂けますか?」

 ユニットバスのカタログを何冊か差し出した女が、それぞれを説明しようと口を開いた所で、手を上げて制した。

「あー、その辺はお任せで頼むわ。金額も、アイツの事信用してるから大丈夫。正直俺は、ムカデさえ何とかなりゃいいんでね。」

 …と、ここまで言った所で、冒頭に戻る訳だ。



「ムカデだけなら、家の周りに殺虫剤まきゃいいんですよ。ああ、建物の周りにあまり鉢植えを置くのも良くないですね。後はご自分でお調べになったらいいんじゃないですか。今はネットで何でも分かる時代ですから。」

 暴言、と言っていいんじゃないだろうかと思う。少なくとも、客に対して言う台詞じゃねえよな?

「あんたな…」
「十万二十万で済む話じゃないんですよ。」

 真っ直ぐに見つめ返されて言葉を呑んだ。

「お金を使ってする以上は、ちゃんと考えて下さい。このお風呂使うの、私じゃないんですから。」

 思いの外真摯な眼差しだった。どちらかというと、クールな印象だっただけに。

「…お父さん・・・・?」

 コトリ…と音がして、リビングの入り口から“母”が顔を覗かせた。

「あら、お客様?」
「あー、うん。茶ー頼んでいいか?」

 はいはい、と言いながら扉の向こうへ引っ込んだ母から視線を戻すと、女がまじまじとこっちを見つめている。思わず首の後ろに手をやった。

「母親だよ、俺の。」

 去年夫である親父を亡くした母は、普通にしていれば、どこもおかしな所は無い。俺の事を“お父さん”と呼ぶ以外は。
 家事も普通にこなすし、認知では無いらしいんだが…という説明を、彼女は顎に手をやって考えているような顔で聞いていた。

「お身体の方も?」
「今のとこはな、昔ギックリ腰をやった位か。」
「…失礼ですけど、この先、施設などにご入居の予定は…」

 突然の質問に面食らう。施設って…あれか、老人ホームって事か?!

「ねぇよ。」

 剣呑な声を出したのはしょうが無いと思う。何なんだよ、コイツは?!

「では、最後までこちらで面倒をみられるということですね?」
「だったらなんだ?!」

 すると、不意に、彼女が微笑んだ。
 さっきまでとはまるで違う、柔らかな笑みを浮かべて続ける。

「わかりました。では、浴室もその様に提案させて頂きますね。」

 そう言って、カタログを捲った。





「ユニットバスというのは機密性もいいし、施工も早くて良いんですけど、後から手を加えるというのが出来ないんですよ。」

 見せられたのは、浴室内の壁に手摺をつけた―――所謂高齢者向けの仕様になったものだ。どうやら手摺1つも、後から付けることが出来ないらしい。

「ご高齢の方は、浴室内で事故に遭われる事が本当に多いんです。ヒートショックなどの心配もありますから、浴室暖房をつけるのも、今は一般的なんですよ。」

 それからまた、失礼ですけど、と言って、このまま同居を続けるのかと聞いてくる。
 足腰が弱ってくると風呂掃除も大変だからと、自動洗浄機能が付いたものまであると言われ、言葉を無くした。

「考えて下さいって言うのは、こういう事です。」

 彼女はそう言って、真っ直ぐに見つめ返す瞳を和ませた。



 ―――家は人が生活するための“器”なんですから、と。



「お母様がこのおうちで、最後まで快適にお住まいになれるよう、考えて差し上げて下さい。こちらもご相談頂ければ、最善を尽くさせて頂きますから。」

 思わず、苦笑した。なんて女だ。

「あんた、営業向いてないって言われないか?」

 そう言うと、彼女は驚いたように目を見開いた後、どうでしょう?と言うように小首を傾げながら、ふ、と微笑んだ。

 その、少し悪戯っぽい笑顔に、一瞬気を取られるのと、
 ピンポーンと玄関チャイムが鳴るのと、
「こんにちわ~」
 と言いながらドアが開けられるのが、同時だった。

「あ、すみませんさーせん、お客さん…」

 と言った頭が、後ろから叩かれる。

「バカかお前、玄関鳴らす意味ねーだろ?!」
「えー、いーじゃん、てか“すなおっち”、監督彼女…」
「は?」

 続けて入ってきた人物が、こっちを見て目を見開いた。

 彼女ってなんだ?―――という言葉は返せなかった。
 そいつ・・・の、驚愕、というのが1番ぴったりとくる顔を見たのが初めてだったから。

 進藤が、絞り出すように呟いた。



「トーコさん…」
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