三日夜の恋

はなの*ゆき

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一夜目

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 ―――もう、後には引けない。


 覚悟を決めた上での事だ。
 そう、思っていても。
 かたり、と。
 妻戸の開く音に、びく、と体が強張った。

 さらさらと衣擦れの音と共に、父親とは違う、涼やかな薫りが近付いてくる。息を詰めたまま、暗闇の中で、するり、と音を立てずに立ち上がった。
 気配から逃れるように、空間を仕切るように立てられた几帳の間をすり抜けると、月明かりが隙間から僅かに零れ落ちる蔀戸の脇に立つ。

 さらり、と。

 唯一羽織っていた、薄物の単衣を肩から滑り落とす。
 そして、胸の辺りで半分に別れた蔀戸を押して、月明かりを招き入れた。

 満月に程近い、それは。
 白く華奢な身体を余す所なく照らし出す。
 部屋の奥の暗がりから、息を呑む気配が聞こえる。

 何故ならそこにある身体には。

 あるべき“膨らみ”が無く、有り得べかざるモノが着いているから―――

 ゴクリ、と。
 息を呑んだのは、自分か、彼か。




 都でも評判の美姫だという噂だった。

 いずれは帝の妃にと、その父親が望んでいたにもかかわらず、姫君はその年、国の五穀豊穣を願う祭りで、帝に代わって祭祀を行う巫女姫に付き従っていた、見目麗しい青年武官に心奪われた。
 昼も夜もなく恋い焦がれている―――と、伝え聞いた帝が、それ程までに思うのならばと父親を窘め、それによって渋々ながらも父親が折れて、この結婚は整った。
 形ばかりの恋文を遣り取りした後、3夜続けて花嫁の元へ訪れる事が出来る良き日を占い、そうして花婿が訪れたのが昨夜の事だ。

 結婚の作法は。

 3夜続けて、花婿が花嫁の元に通う事。
 3日目の夜に、花嫁の家で準備した餅を食す事。
 その後、公に婿になった事を公表して、初めて夫婦として認められる。

(まあでも、今日は来ないかも。)

 行儀悪く脇息の上で頬杖をつきながら、“姫君”はため息をついた。
 勿論、それも想定内だ。
 3夜続かなくても、餅を拒否しても、破談。
 破談になった娘を欲しがる物好きは、そうは居ないだろう。
 ましてや、帝の妃になど。
 ただ、破談にすれば上流貴族で大臣という要職に就く父を敵に回す事になり、それでは申し訳無いから、ひとまず結婚して欲しいと彼には頼んだ。
 その後で、彼の屋敷に引き取って貰ったら、時期を見て病にかかり・・・・・、看病の甲斐無く死んでしまえば良いのだ。
 そう告げると、彼はしばらく思案した後、「少し考えさせて欲しい」と言って、夜が明ける前に帰って行った。


 視線を落とすと、そこには綺麗に染められた薄様紙に、流麗な文字でしたためられた、後朝のちのあさの歌。


 花影にいかがはせむと惑ひけり 後の心を君や知るらむ


 ―――月明かりに照らされた花の姿に心惑わされています。この思いを貴女は知っているでしょうか―――



 彼の迷いがそのまま歌われている―――けれど。
 これを読んだ事情を知らない・・・・・・・父は、花婿が花嫁に惑うほど心奪われて満足していると、喜んだ事だろう。頭の良い人だと、感心する。
 しかもこれは、帰るや否や届けられたのだ。
 初夜の後に届けられる恋文は、早ければ早いほど良いとされる。

(ホント、生真面目な人……だから結婚して貰おうと思ったんだけど。)

 申し訳ないという気持は大いにあった。

 本当なら、自分で喉を掻き切って全てを終わりにしてしまえばいい。こんな身体でこの先も生きていく事など、出来る筈はないから。
 でも、母亡き後も自分を護ってくれた乳母や、乳姉妹の事を思うと、そう簡単に手放す事の出来ない命でもあった。乳母の夫はすでに亡い。
 真実を知ったら、父がどうするか―――そう考えると恐ろしかったからこそ、これまで耐え忍んできたのだ。

(2人の事も、頼んだら引き受けてもらえるかな……)
 自分は尼寺に行くなり、……最悪野垂れ死んだって構わないから、2人の面倒は見て欲しい。
(……今夜も来てくれたら、頼んでみよう。)
 そう思いながら、料紙を手に取った。

「お返事は如何なさいますか? 御使者の方がお待ちで―――あら?」

 さっきまでそこに控えてらしたのに―――そう言いながら、乳姉妹のコヨリ・・・が立ち上がる。廊下と室内を遮る御簾を押し退けて庭先に出るのを見送る。もう、夜は明けただろうか―――ボンヤリとそう思った、その時だった。

 不意に後ろから伸びてきた腕に腰を引かれ、あっと声を上げそうになった口を、大きな手の平で塞がれた。

 強く抱き竦められて、全身が総毛立つ。
 何しろ生まれてこの方、この身体に触れた事があるのは、母親と乳母、乳姉妹の3人だけなのだ。

 だが、恐怖に強張る鼻先で、ふわりと漂った薫りに、驚いて目を見開いた。この薫りは、まさか。
 口を塞がれたまま、背後の人物の顔を見ようと首を動かそうとしても、力が強くて叶わない。
 ―――と、後ろから腹に回されていた腕が動いて、大きな手の平が、あろう事か襟の合わせ目から胸元に差し込まれた。
 暖かな温もりが、下から掬い上げるように、豊かな膨らみ・・・を包み込むと、存外に優しい力で感触を確かめるように力が込められた。
「んんん―――っっ!!!」
 口を塞がれたまま声にならない声で叫びながら、腕を掴んで身を捩る。
 その様子を見て、ふ……と、耳元で息が零れた。
「まがい物では無いようだな。」
 低い声に、身体が強張る。
 まさか、確かめに来たという事だろうか? 昨夜話した、自分の事情・・を。

(でもだからって、これは無い―――!!!)

 カッと頭に血が上り、咄嗟に爪を立てようとした瞬間、それに気付いた腕の力が緩んで開放された。前のめりに倒れそうになるのを、辛うじて手をついて支えている内に、背後の温もりが離れる。

「確かに、の内は女子おみなごのようだ。」

 思わず見上げると、冴え冴えと怜悧に輝く、月のように美しい顔が見下ろしていた。

「では、また今宵―――」

 そう言って立ち去る背中を、ただ呆然と見送るしか、彼女には出来なかった。
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