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二夜目
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くる…と。
本当に微かな音だったのに、目の前の貴人は耳聡く聞きつけたらしい。ふ…と鼻を鳴らすと、書類から目を上げた。
「何か、果物でも持ってこさせようか?」
「いえ、結構です。」
それより、とっとと終わらせろ、というのが言外に伝わったのか、帝は面白そうな顔をしながらも再び書類に目を戻した。
その書類は先程持ち込まれたもので、近く行われる地方官人事を決める閣議の内容を記したものだ。ちらりと視線を走らせて、帝が眉を上げた。
「相も変わらず…だな。」
地方官の主な仕事は徴税である。
その土地毎に決められた量の税を集めて国に納める訳だが、決まった分だけ納めてしまえば後は俸禄として自分のものにする事が認められている。
度々起こる天災や流行病等で、農民達が国から与えられた土地を捨てて逃げ出すのを止められず、本来の税収は下がる一方で、官吏に支払うべき禄は下にいく程滞りがちだ。
都に居て少ない禄を食んで貧しい暮らしをするよりは、都を出る事になっても地方に赴任する方が、自分の裁量次第で豊かな生活を手に入れる事が出来るとあり、中央の要職に就く事の出来ない、中・下流の貴族にとって地方官は、実に旨みのある役職となっていた。
当然ながら希望者も多く、人事決定権を持つ一部の上流貴族の推挙を得るべく、賄賂が横行するのは世の理だが、そもそも都在中の官吏には先立つものが無い。
となれば、すでに地方官を務めたものが、その財力を元手に役職を継続するのが殆どで、余程の事が無い限りは、似たり寄ったりの人選になるのだった。
「二条の奥方は、先の越前守の娘御だったか…」
上国を渡り歩いて莫大な富を築いた、なかなかのやり手だったという。
今も、二条の屋敷―――これは娘夫婦のために先の越前守が買い取ったもので、その敷地内にある倉の中は、彼の遺したもので溢れているという専らの噂だ。
娘婿が上卿の息子とはいえ、三男でありながら大臣にまで登り詰めたのも、彼のもつ財力がものを言ったという。
実際、屋敷の北側に並び立つ倉町は高い塀に覆われて、屈強の侍どもが警備に当たっていた。
(あの中を探るのは、なかなか厄介だな。)
露顕が済めば、昼中から屋敷に出入りする事も可能にはなるが…
ふと、出掛けに覗いた姫君の寝顔を思い出す。
彼女は夜半に意識を失ったまま、明け方近くになっても目を覚まさなかった。それで、そのまま置いて出仕してきたのだが、普通、初めて来た場所であそこまで熟睡出来るものだろうか?と思う。
半ば呆れながら衝立の向こうで着替えていると、寝言だろう、小さな呟きが聞こえてきた。
―――かあさま…
思わず手を止めて覗き込むと、体を横向きにして、上掛けの衣を握りしめながら眠っている。音を立てずに近寄ると、薄闇越しに、彼女の目頭から透明な雫が零れ落ちるのが見えた。
母親が亡くなった後で、父親である二条の大臣に引き取られたと聞いている。その母親は、先々代の帝の血を引いていたという話だが、早くに親を亡くして、侘しい暮らしをしていたという。
どういう経緯でそうなったのかは謎だが、大臣が妻として通うようになり、娘が生まれた。母親に似て美しい、姫君が―――。
そっと、親指で雫を拭う。
そのまま指の背で、柔らかな頰を撫でてみたが、それでも目を覚まさない事に苦笑した。無防備にも程があるだろう?
「―――だね?」
ハッとして顔を上げると、目の前で帝がニヤリと笑った。
「上手くいっている様で何よりだ。其方のそんな顔は初めて見たよ。」
―――一体、どんな顔だよ?
不敬にも、憮然とした顔になるのを止められなかった。
本当に微かな音だったのに、目の前の貴人は耳聡く聞きつけたらしい。ふ…と鼻を鳴らすと、書類から目を上げた。
「何か、果物でも持ってこさせようか?」
「いえ、結構です。」
それより、とっとと終わらせろ、というのが言外に伝わったのか、帝は面白そうな顔をしながらも再び書類に目を戻した。
その書類は先程持ち込まれたもので、近く行われる地方官人事を決める閣議の内容を記したものだ。ちらりと視線を走らせて、帝が眉を上げた。
「相も変わらず…だな。」
地方官の主な仕事は徴税である。
その土地毎に決められた量の税を集めて国に納める訳だが、決まった分だけ納めてしまえば後は俸禄として自分のものにする事が認められている。
度々起こる天災や流行病等で、農民達が国から与えられた土地を捨てて逃げ出すのを止められず、本来の税収は下がる一方で、官吏に支払うべき禄は下にいく程滞りがちだ。
都に居て少ない禄を食んで貧しい暮らしをするよりは、都を出る事になっても地方に赴任する方が、自分の裁量次第で豊かな生活を手に入れる事が出来るとあり、中央の要職に就く事の出来ない、中・下流の貴族にとって地方官は、実に旨みのある役職となっていた。
当然ながら希望者も多く、人事決定権を持つ一部の上流貴族の推挙を得るべく、賄賂が横行するのは世の理だが、そもそも都在中の官吏には先立つものが無い。
となれば、すでに地方官を務めたものが、その財力を元手に役職を継続するのが殆どで、余程の事が無い限りは、似たり寄ったりの人選になるのだった。
「二条の奥方は、先の越前守の娘御だったか…」
上国を渡り歩いて莫大な富を築いた、なかなかのやり手だったという。
今も、二条の屋敷―――これは娘夫婦のために先の越前守が買い取ったもので、その敷地内にある倉の中は、彼の遺したもので溢れているという専らの噂だ。
娘婿が上卿の息子とはいえ、三男でありながら大臣にまで登り詰めたのも、彼のもつ財力がものを言ったという。
実際、屋敷の北側に並び立つ倉町は高い塀に覆われて、屈強の侍どもが警備に当たっていた。
(あの中を探るのは、なかなか厄介だな。)
露顕が済めば、昼中から屋敷に出入りする事も可能にはなるが…
ふと、出掛けに覗いた姫君の寝顔を思い出す。
彼女は夜半に意識を失ったまま、明け方近くになっても目を覚まさなかった。それで、そのまま置いて出仕してきたのだが、普通、初めて来た場所であそこまで熟睡出来るものだろうか?と思う。
半ば呆れながら衝立の向こうで着替えていると、寝言だろう、小さな呟きが聞こえてきた。
―――かあさま…
思わず手を止めて覗き込むと、体を横向きにして、上掛けの衣を握りしめながら眠っている。音を立てずに近寄ると、薄闇越しに、彼女の目頭から透明な雫が零れ落ちるのが見えた。
母親が亡くなった後で、父親である二条の大臣に引き取られたと聞いている。その母親は、先々代の帝の血を引いていたという話だが、早くに親を亡くして、侘しい暮らしをしていたという。
どういう経緯でそうなったのかは謎だが、大臣が妻として通うようになり、娘が生まれた。母親に似て美しい、姫君が―――。
そっと、親指で雫を拭う。
そのまま指の背で、柔らかな頰を撫でてみたが、それでも目を覚まさない事に苦笑した。無防備にも程があるだろう?
「―――だね?」
ハッとして顔を上げると、目の前で帝がニヤリと笑った。
「上手くいっている様で何よりだ。其方のそんな顔は初めて見たよ。」
―――一体、どんな顔だよ?
不敬にも、憮然とした顔になるのを止められなかった。
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