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二夜目
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―――依々依り来 我が思ふ人
それは、とても古い、古い歌。
お呪いのように、母が呟いていた歌。
いつも、いつも
会いに来て
愛しいあなた―――
連れて行かれたのは、主殿の裏手にある北殿だった。
通常、ここには屋敷の主の奥方が住まって、家事の一切を取り仕切るのだが、この屋敷は少し―――いやかなり勝手が違っていた。
「はい、ここ座って。持ってくるから待ってて。」
そう言って、カヤに座らされたのは北殿の南庇で、ここも主殿と同じく蔀戸が全て開けられている。
庇の間には長い机が幾つか置かれており、そこでは、水干姿の若者達が楽しげに話ながら椀を啜っていた。
「カヤ、誰だそれ?」
「またアイツ、拾ってきたのか?」
「違うよ、仁のお客さん。」
「客ぅ? そんなちっこいのが?」
「てか、女みてぇだな」
全くだ―――と言って、笑い声を上げる。
不躾な視線に、依は身を竦ませて俯いた。女みたいも何も、女だし、今は。
「気ぃつけろよ、お前みてぇなのは、すーぐ攫われっちまうからな。フラフラ1人で歩くなよ?」
「まー、屋敷ん中いても攫われる奴ぁいるけどなぁ…」
物騒な言葉に依が顔を上げると、男達は思いがけず真面目な顔でこちらを見ている。
「ほら、脅かさないよ。あんたら、ゴッツいんだから。」
「なんだよ、悪かったな!」
アハハと笑い飛ばしながら、彼等から視線を遮るように、カヤが目の前に腰掛けた。
ホッとした依の前に温かな湯気を立てた椀が置かれ、見るととろりとした粥が入っている。
直ぐ隣に置かれた皿には、半月型に切られた大根らしきものが載っていた。
粥の中にも大根の葉が細かく刻んで入れられているのを見て、依は懐かしさに目を細めた。
顔を上げると、細殿で繋がれた主殿と北殿の間の坪庭には、大きな屋敷には不釣り合いな畑が作られており、青々とした葉が揺れている。
昔―――まだ母が生きていた頃、住んでいた家を思い出し、依は少しだけ泣きたい気分になった。
「ほら、食べよう。」
そう言って向かいに座ったカヤが、椀を一口啜った所で、あっ…と声を上げる。
「ゴメン、米じゃ無いんだけど、食べれる?」
言われて見れば、椀の中身が少し黄色い。だが、顔が見えるような薄さでは無い事に気付いて、依は微笑んだ。
「もちろん、いただきます。」
依が口を付けると、カヤがホッと息を付いた。
「ゴメンね~、仁もいつもこれだから。うっかりしてた。」
そう言えばさっきも似たような事を言っていた…と思い出す。彼もこっちで食べてる―――と。
彼は間違いなく、この屋敷の主だろうと思う。ならば普通であれば、あちらの主殿に構えて、侍女に給仕をさせて食事をするのではないだろうか。
少なくとも、父の屋敷に住むようになってからは…いや、母と暮らしている時ですら、乳母子であるコヨリと食事をしたことは無かったと気が付いて、依は改めて周りを見渡した。
カヤを含め、長机に着いている者達は皆、清潔ではあるものの、麻などの衣を纏っている。
コヨリも乳母も贅沢では無くても絹織物を纏っている事を思えば、彼等は使用人だとしても、かなり身分としては低いという事になる。
それなのに、彼は皆と一緒に食事を取り、気易く名を呼ぶ事を許しているのだ。
「アイツらはね、仁の子飼いよ。元々市で悪さしてたトコを、仁にとっ捕まえられてね、やること無いなら手伝えって。」
「皆、ここで、暮らしてるの?」
「そうよ、他に行くとこ無いし。」
殆どが、地方から流れて来た農民の出だ―――そう言いながら、粥を啜るカヤも、そうなのだろうか。
依は同じく椀を啜りながら、思う。
椀の中身は粟だろうか、でもかなりもったりとしていて食べ応えがある。皿の大根は塩で漬けてあるのか、カヤがパリパリと囓りながら一緒に食べているのを真似すると、かなり美味しかった。
「…良かった。」
「え?」
カヤがポツリと呟いた言葉に顔を上げる。
「ちょっと心配してたんだ、仁が結婚するって聞いて…」
薄らと笑みを浮かべながら、少し俯いたカヤが、一瞬泣いている様に見えて、依は箸を止めた。
気付いたカヤが、取り繕う様に微笑む。
「ほら、仁って変わってるでしょ? お貴族様の姫君となんて、うまくいくのかなって。」
確かにこの屋敷の様子は普通じゃないと、依ですらわかる。そもそも普通の侍女とか家人が居るんだろうか?
でも…と思う。
直ぐ近くで甲高い笑い声が上がる。
バタバタと足音を響かせながら、やはり麻の衣を纏った子供達が駆けてきた。
「姫様ーっ」
その言葉に、男衆がギョッとして辺りを見回し、こちらを見て、動きを止めた。
カヤが困った様に額を押さえる。
「ご飯食べたら、月照様が来てーだって。」
それだけ言うと、また笑いながら駆けていく。それはそれは、楽しそうに。
あの子達も、ここで食事をしたのだろうか。
何となく、暖かな気持ちになりながら、依は再び椀に口を寄せる。
その唇が、薄らと笑みを刷いている事に、本人だけが気付いていなかった。
それは、とても古い、古い歌。
お呪いのように、母が呟いていた歌。
いつも、いつも
会いに来て
愛しいあなた―――
連れて行かれたのは、主殿の裏手にある北殿だった。
通常、ここには屋敷の主の奥方が住まって、家事の一切を取り仕切るのだが、この屋敷は少し―――いやかなり勝手が違っていた。
「はい、ここ座って。持ってくるから待ってて。」
そう言って、カヤに座らされたのは北殿の南庇で、ここも主殿と同じく蔀戸が全て開けられている。
庇の間には長い机が幾つか置かれており、そこでは、水干姿の若者達が楽しげに話ながら椀を啜っていた。
「カヤ、誰だそれ?」
「またアイツ、拾ってきたのか?」
「違うよ、仁のお客さん。」
「客ぅ? そんなちっこいのが?」
「てか、女みてぇだな」
全くだ―――と言って、笑い声を上げる。
不躾な視線に、依は身を竦ませて俯いた。女みたいも何も、女だし、今は。
「気ぃつけろよ、お前みてぇなのは、すーぐ攫われっちまうからな。フラフラ1人で歩くなよ?」
「まー、屋敷ん中いても攫われる奴ぁいるけどなぁ…」
物騒な言葉に依が顔を上げると、男達は思いがけず真面目な顔でこちらを見ている。
「ほら、脅かさないよ。あんたら、ゴッツいんだから。」
「なんだよ、悪かったな!」
アハハと笑い飛ばしながら、彼等から視線を遮るように、カヤが目の前に腰掛けた。
ホッとした依の前に温かな湯気を立てた椀が置かれ、見るととろりとした粥が入っている。
直ぐ隣に置かれた皿には、半月型に切られた大根らしきものが載っていた。
粥の中にも大根の葉が細かく刻んで入れられているのを見て、依は懐かしさに目を細めた。
顔を上げると、細殿で繋がれた主殿と北殿の間の坪庭には、大きな屋敷には不釣り合いな畑が作られており、青々とした葉が揺れている。
昔―――まだ母が生きていた頃、住んでいた家を思い出し、依は少しだけ泣きたい気分になった。
「ほら、食べよう。」
そう言って向かいに座ったカヤが、椀を一口啜った所で、あっ…と声を上げる。
「ゴメン、米じゃ無いんだけど、食べれる?」
言われて見れば、椀の中身が少し黄色い。だが、顔が見えるような薄さでは無い事に気付いて、依は微笑んだ。
「もちろん、いただきます。」
依が口を付けると、カヤがホッと息を付いた。
「ゴメンね~、仁もいつもこれだから。うっかりしてた。」
そう言えばさっきも似たような事を言っていた…と思い出す。彼もこっちで食べてる―――と。
彼は間違いなく、この屋敷の主だろうと思う。ならば普通であれば、あちらの主殿に構えて、侍女に給仕をさせて食事をするのではないだろうか。
少なくとも、父の屋敷に住むようになってからは…いや、母と暮らしている時ですら、乳母子であるコヨリと食事をしたことは無かったと気が付いて、依は改めて周りを見渡した。
カヤを含め、長机に着いている者達は皆、清潔ではあるものの、麻などの衣を纏っている。
コヨリも乳母も贅沢では無くても絹織物を纏っている事を思えば、彼等は使用人だとしても、かなり身分としては低いという事になる。
それなのに、彼は皆と一緒に食事を取り、気易く名を呼ぶ事を許しているのだ。
「アイツらはね、仁の子飼いよ。元々市で悪さしてたトコを、仁にとっ捕まえられてね、やること無いなら手伝えって。」
「皆、ここで、暮らしてるの?」
「そうよ、他に行くとこ無いし。」
殆どが、地方から流れて来た農民の出だ―――そう言いながら、粥を啜るカヤも、そうなのだろうか。
依は同じく椀を啜りながら、思う。
椀の中身は粟だろうか、でもかなりもったりとしていて食べ応えがある。皿の大根は塩で漬けてあるのか、カヤがパリパリと囓りながら一緒に食べているのを真似すると、かなり美味しかった。
「…良かった。」
「え?」
カヤがポツリと呟いた言葉に顔を上げる。
「ちょっと心配してたんだ、仁が結婚するって聞いて…」
薄らと笑みを浮かべながら、少し俯いたカヤが、一瞬泣いている様に見えて、依は箸を止めた。
気付いたカヤが、取り繕う様に微笑む。
「ほら、仁って変わってるでしょ? お貴族様の姫君となんて、うまくいくのかなって。」
確かにこの屋敷の様子は普通じゃないと、依ですらわかる。そもそも普通の侍女とか家人が居るんだろうか?
でも…と思う。
直ぐ近くで甲高い笑い声が上がる。
バタバタと足音を響かせながら、やはり麻の衣を纏った子供達が駆けてきた。
「姫様ーっ」
その言葉に、男衆がギョッとして辺りを見回し、こちらを見て、動きを止めた。
カヤが困った様に額を押さえる。
「ご飯食べたら、月照様が来てーだって。」
それだけ言うと、また笑いながら駆けていく。それはそれは、楽しそうに。
あの子達も、ここで食事をしたのだろうか。
何となく、暖かな気持ちになりながら、依は再び椀に口を寄せる。
その唇が、薄らと笑みを刷いている事に、本人だけが気付いていなかった。
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