18 / 68
第18話 「なあ、おしえて」
しおりを挟む「あれ? もしかしてまだ最後までしてへんの?」
「っ、んっ、ぐっ……!」
ランチに誘われて、お店にはいって一息ついた途端、三木センパイからの唐突な問いかけに思わず飲んでいたアイスコーヒーをむせてしまう。
こほん、と息を整えて、改めて向かいに座る三木センパイに「なんでですか」と問いかける。今日も今日とて変わらぬイケメンだ。
「んー、なんていうか、一度したら余裕とかできるもんやけど、なんかそういう雰囲気できてないなあと思うて」
「はあ……」
わかるようなわからないような理由にあいまいな返事をする。三木センパイは「そうなんかぁ」と一人納得して、頼んだパフェにフォークを絡ませる。
三木センパイが案内してくれたこのお店は、他の客はいない。マスターひとりだけだ。広さは僕の部屋と変わらないくらいの小さな店。席数は少ないけれど座り心地のいいソファとローテーブル。カウンター席の椅子はロッキングチェアだ。意外と開放的な窓から入り込む光と、全体的にウッドテイストでまとめられた店内は落ち着きがある。
基本は夜からのバーの営業で、昼はランチタイム限定でカフェとして開けているらしい。大学前の通りから裏路地にはいったお店は知る人ぞ知る、というようなたたずまいだった。お店のメニュー表すら外にはでておらず、一見何の店かはわからない。僕も案内されて初めて知った。
基本的にランチタイムはバーの常連や知人向けに営業しているらしく、「ここならなに話しても変なことは外にでえへんから」と三木センパイは言った。
なんで三木センパイと二人でここにいるというと、単純に三木センパイから「昼飯食べにいかん?」と昨夜連絡があったからだ。タイミング的に先日の青葉先輩の話だろうと予測がついた。一度三木センパイとその子とについて話してるというのもあって、お昼を一緒にすることにした。
しかし、店について一息ついた途端、本題というには踏み込み過ぎる部分を言われるとは思わず、最初から調子が狂う。
「あ、もしかして、青葉が下手すぎて途中でやめたとか?」
「えっイヤそれは違います! あっと、いや、その」
食い気味に否定してから、自分が何を言っているかに気づいて慌ててしまう。
三木センパイは涼し気な顔のままで、「なんやそうなん?」と軽い反応だ。
「ま、初めてやって時間かけてたらそないな感じか。ちゃんと慎重にやってるんやな。ええやん」
「あ、はは。そうなんですかね」
かなり私的な話なので、ためらいがちに返事をする。
僕から見た三木センパイという存在は、いくつかの側面がある。
ひとつは映研にとっての伝説的存在、雲の上のようなひとだということ。ふたつめは青葉先輩の従兄弟であること。
みっつめは、青葉先輩と僕のことを知っている、唯一のひとだということ。
本来なら気安く話せる関係ではない。たぶん会話の内容を気遣ってわざわざ知り合いがこなさそうなお店を選んでくれたことはわかっている。けど、それだけじゃなくて三木センパイと親しいと他の学生が知ったらあれこれ詮索される、という面の気遣いもあるだろう。
僕はゲイの知り合いはいない。三木センパイはゲイではないけれど、そのあたりのことは僕より詳しい。だから自分じゃわからないことを相談するには、頼れる相手だと思う。
しかし、かといって素直に相談するには、三木センパイは青葉先輩と近すぎる。従兄弟に自分の性的な事情がつつぬけ、というのは、どうなのだろう。青葉先輩は気にしなさそうだけど、それはそれとして、だ。
当の本人の三木センパイはぱくぱくパスタを食べている。
「順調そうやけど、それにしては顔がぱっとせえへんなあ。悩み事でもあるんかいな」
「そう、ですかね」
悩み事、と言われて先日のことを思い出す。
気になって、でも自分では解決しきれないことはいくつかある。
「ご飯、それだけでほんまにええの? セットとかにしてもよかったんに」
「夏バテかもしんないんですけど、あんまりお腹減ってなくて」
三木センパイはパスタにスープとサラダのついたランチセット。僕はサンドイッチ単品。食欲がわかないのは本当で、朝から体が重く、だるかった。しかし特に頭痛とかがあるわけでもないので、まあ平気だろうとここにきた。
「そうなん? 気ぃつけてえな。一人暮らしやろ?」
「はい、そうです」
「一人やとなー、風邪とかしんどいんよなあ。実家はこっちにあるんとちゃうんやっけ」
「飛行機乗らなきゃ帰れない距離です」
「そらなおさら大変やなあ。あれ、もしかして体調悪いのって……やっぱ青葉が下手やって、それで体キツイとか?」
「や、そういうのではないです!」
「おーじゃあ、あいつけっこう上手いんかぁ」
「そ、れは、その」
「ははっ。まあほんまに体には気ぃつけてな。もしほんとに風邪とかやったら、ムリせんといて青葉呼んであれこれ言いつければええよ」
「いや、そんなことしたら青葉先輩の迷惑になっちゃいますし」
「具合悪い恋人の看病するくらい甲斐性の見せ所やろ? そこは甘えていいんちゃう?」
気軽に三木センパイは言うけれど、もしも自分が具合が悪くなったとして、その看病を青葉先輩の頼むなんてこと、絶対にできない。僕のことで先輩の手を煩わせるなんてこと、選択肢にはない。
三木センパイは「うーん」と首をかしげる。
「もし青葉が高熱出して外にでられんようになって、そんでコーヨーくんに飲み物とか食べ物買ってきてー、とかいわれたらどうする?」
「え? それはすぐに必要なもの買っていきますよ」
もし青葉先輩がそんな事態になって、頼られたのなら授業もバイトも放り投げて駆けつけるだろう。
そういうとき、風邪薬とかも買っていったほうがいいのだろうか。冷却シートなんかも必要になるのか。食事も食べやすいものを数種類あったほうがいいか。
そんなもしものときのシミュレーションを頭の中でくりひろげる。体温計くらいは家にあるのか確認してなかった。そんな風に考えてたら、向かいから苦笑する声が聞こえた。
「せやから、それは青葉も同じやと思うけどって話」
同じ。同じだろうか。
僕が、青葉先輩のためになにかするのは当たり前だと思う。僕にできることがあるなら、それで先輩が喜んでくれるなら、助けになるなら、なんだってしたい。
だけど先輩が僕のために他の時間を割いて、わがままを聞いてもらうのは違う気がする。
「同じではないんじゃないかなあと……」
「うーん、なるほどなぁ……」
そうやな、と三木センパイは腕をくむ。
「ま、恋人から甘えられて悪い気はせえへんやろ」
「そういう、ものですか」
「まー限度はあると思うけど……別にセフレって割り切った関係なわけでもないならなあ」
「せっ」
「ああ、すまん。最後までまだしてなかったんやったな。まーでも口だけでもできることはいろいろあるし」
ふいにこの間の時、「口でしますか」といって断られたことを思い出す。
先輩が喜ぶなら、なんでもしたい。けれど結局は断られて。恥ずかしさと、少しの胸のしこりが顔をだして上手く表情を取り繕えない。
それに気づいた三木センパイが不思議そうにする。
「なんや、なんかあったん」
「あーいや……」
「ああ大丈夫大丈夫、コーヨーくんから聞いたこと青葉には言わんし。気軽に言ったってよ。な?」
そうやってにいっと笑う三木センパイにうながされて、ぽつぽつと、自分でも気になっていたことを話し出す。
とくに話す気はなかったはずなのに、三木センパイは聞き上手というか、まるでそれがなんでもないことのようにするから思わずぽろっと話してしまう。あまりにも軽く問いかけられるものだから、もしかして深く考えすぎなだけなのかと考えになってしまう。
申し出たけど断られたこと、そのまま三木センパイの質問に答えていくうちに服を脱ぐことができなかったことまで言ってしまった。
三木センパイは大げさに反応するわけでもなく、けれど興味がなさそうなわけでもなく。「なるほどなあ」とテンポよく相槌をいれていく。
「むずかしいとこやなあ。青葉も別に、コーヨーくんにしてもらうのがイヤだったんとはちゃうと思うで」
最後のパスタを食べ終わった三木センパイは食後のコーヒーを飲んでいる。
「むしろたいていの場合、フェラチオされるの、嬉しいやろ」
「ふぇ……ま、あ、そうですかね」
「ただなあ。……自分のことを後においといて、なのにこっちがされっぱなしにされるのもイヤやろうな、というのはわかるねんなあ」
言っている意味が分からず、首をかしげる。「うーん」と三木センパイは言葉を探しながら話し始める。
「なんやろな。セックスって結局は互いが気持ちようなって、楽しんでっていうための行為やろ? もちろん理由があって、オーラルがダメっていうひともおるけどな。コーヨーくんの場合、自分が気持ちよくなるとか置いといて、全部青葉のこと優先にしてそうっちゅうか」
そういわれて、そんなことは、と考えて。
そんなことは、かなり、あるな、と納得した。
いやでも、そもそも男とセックスができるかわからない青葉先輩のことを優先するのは当たり前、なんじゃないのか。それなら僕のことなんて一旦置いといていいはずじゃないのか。
先輩がその気でいてくれるなら、拒否感を持たないでいてくれるなら。僕ができることをすべきなんじゃないか。
「そりゃ、自分だけ気持ちよくなればオールオッケーみたいなやつもおるけどな。せやけど、青葉ってそういうタイプやと思う?」
「それ、は」
前に青葉先輩本人から言われたことを思い出す。「面倒な準備は全部済ませてきたっていう処女相手に喜ぶと思っているのか」「ちゃんときもちよくなれるように、優しくしたい」と。そういっていて。
あれ? と。
物凄く今更、今更だけど、その点を僕はちゃんと考えたことがなかった、気がする。
朝からだるい身体は、頭がうまく働かずそれ以上のことをよく考えられないけれど。
「相手のためになんかしよ思って、多少のことは自分が我慢したらええとか、損なことしてもええっていうんは必ずしも悪いわけちゃうけどな。はなから自分を勘定にいれてへんのは違うんちゃうかなあ」
そうだろうか。だって僕は青葉先輩の優しさにつけこんで、今の立場にいさせてもらってて。
あさましい願いは僕のものだから。少しでも一緒にいられる権利があるとして、それにすがっているのは僕のほうで。
「まあ、そこらへんは本人が納得せんとわからん部分よなぁ」
「ただコーヨーくんはもうちょっとワガママになってもええんちゃう」と三木センパイは付け加えた。
我儘なんて、ずいぶんさせてもらっている気がする。周りに秘密にしてほしいといって青葉先輩が周りに嘘をつくことになったり、面倒だろうに服は脱ぎたくないと言ったり。
それになにより、先輩がくれたピアスが僕にはある。
これ以上を求めるなんて、強欲がすぎる気がする。
もしもそんな強欲さを先輩が知って、毛嫌いされたら。
ぞわり、と背中にイヤな冷たさが走る。
「……コーヨーくん、大丈夫?」
「……え?」
「や、顔色悪いで。すまん、思ったより体調悪いんとちゃうか? もう出よか」
先程から倦怠感が増して、心なしか寒気がする。自覚はなかったけれど、確かに体調が悪化しているのかもしれない。
それでも口癖のように「大丈夫です、心配かけてすみません」と口にして、三木センパイと連れ立って店をでる。
外の道はアスファルトに熱がこもって暑い。
夏の太陽の日差しを仰ぎ見て、ふらり、と身体が傾いだ。
「わっ」
「あ、……すみません」
体が崩れそうになったとき、ちょうど向かいから歩いてきた女性とぶつかった。
すぐに体勢を立て直して、ぶつかった女性を支える。
自分とほとんど年の変わらない女性は、ほんの少し支えのために触れただけでわかるほど、やわらかかった。
「すみません、前見てなくて、ケガないですか」
「はい」と答えた女性は本当に平気そうで、なにより自分よりも横にいる三木センパイのほうが気になるらしい。目線が完全にそっちへ向かってる。
三木センパイが「連れがすんまへん」とにっこり笑うと、女性はしどろもどろに「ええ、いえ、」などと答えている。確かにあのイケメンの笑顔を直接くらったらそんな風になるよなあ、とぼんやり思った。
笑顔一つで女性を喋れなくしたあと、三木センパイはそっと近づく。
「コーヨーくん、ほんまに大丈夫? 家まで送ろか?」
「まぶしくって、それに目がくらんだだけです。大げさですよ。ここから家近いですし」
気づかわしげな三木センパイに「今日はありがとうございました」とお礼を言って離れようとする。
「あ、三木センパイ」
「うん?」
「あの、今日の話と、体調のことは……青葉先輩には……言わないでもらえると。体調はほんとに、寝れば治ると思うんで」
秀麗な形の眉をよせたあと、三木センパイは一つ「わかった」と頷いた。
一通り挨拶をしたあと、自分の家へと足を向ける。
ぞわぞわした悪寒が止まらない。これは思ったより、体にきているのかもしれない。
ふらつく足を叱咤して歩き出す。
さっき。一瞬ぶつかった、女性のやわらかさを思い出す。
薄い体の、面白みもなんともない自分の身体とは違う感触。
本当なら、青葉先輩がつきあうなら。
ああいうやわらかい体の持ち主の、女性のはずだ。
悪寒のする体を抱えながら、そんなことを考えた。
◇
それから数時間後。
自分の部屋のベッドの中。
三木センパイの話や、自分にはないやわらかい質感が頭の中で渦巻いて。
「コーヨー」
寒気と高熱によって、タオルにくるまりながら。
「なあ、おしえて」
電話の向こうでする声に、なんて答えればいいかわからなくなっていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
119
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる