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第22話 「さわりたいから、さわらせて」
しおりを挟む「あー、オレここのシーンめっちゃ好き」
「そうです、ね」
青葉先輩の部屋で、映画を観ている。
映画自体はカーチェイスがメインの話だ。ただ、いまは主人公とヒロインが、コインランドリーでイヤホンを片方ずつわけながら音楽を聞いている。この映画の中でも印象に残る、すごくいいシーンだと思う。
ふだんは二人とも最後まで喋らず観るタイプだけど、今回の映画は何度も観ているから、気楽に内容について話せる。の、だが。
どうしても歯切れ悪くなってしまうのは、体勢のせいだった。
これまで青葉先輩の部屋で映画を観るときはソファの横に並んで観ていた。それだけでもかなり緊張するものだったのに。
青葉先輩はソファを背もたれにして座っていて。僕はといえば、その先輩の膝の間に座らされて、さらに抱え込むように両手を回されている。
つまり、後ろから抱きしめられるような形で、座っていて。
クッションがわりにするには自分の体はかたいんじゃないか、という言葉は映画のオープニングをすぎてからいうタイミングを逃してしまった。
背中ごしでも先輩の体温が伝わるほど密着したこの体勢は恥ずかしくてたまらない。さらに先輩は、縮こまって体育座りしている僕の手を、手慰みのように触ったり握ったりしてくる。正直、映画どころじゃない。
「後ろでカラフルな服がくるくる回ってるのも楽しくていいんだよな」
映画の中で二人が聞いている音楽の、リズミカルなテンポにあわせて手の甲を撫でられる。
僕の心臓はそのテンポにあわせられず、もっと早いリズムで鼓動を鳴らしている。
なんでこんなに近いんだ。なんでずっと先輩は僕の手を触っているんだ。
この間、高熱を出した日。薬がよかったのか、本当にただの夏バテだったのか、次の日にはすっかり治っていた。先輩にうつった様子もなく、安心していた。
先輩は念のためもうすこしゆっくり休んだらいい、と言ってくれた。会うのも元気になってからでいい、とも。
だけど、先輩が用意してくれた薬や食事のお礼を早くしたかった。お金で返すのは受け取ってもらえないだろう、というのはわかっていたから、発泡酒じゃないちゃんとした缶ビールのパックと、ちょっといいところで買った総菜を先輩の家に持っていくことにした。
それで、どちらのバイトも休みの今日、先輩の家にきて、お礼代わりに持ってきたものを渡して。流れで二人とも好きな映画を観ることになって。
「体調はもう治った?」
と聞かれて、すっかりいつも通りになっていたから、「なんともないです」と答えて。
まだお腹は減ってなかったから、買ってきた総菜はあとで食べることにして。それで、そのまま。
流れるようにこの恰好にされて。
ダメだ、思い返してもなんでこんなことになったのか、まるでわからない。
いや、思い当たることは、あるのだけれど。
「あー、やっぱいいなぁ、この二人」
触られていた手を握りしめられ、くいっと後ろに、後ろに引っ張られる。痛くはない。少しの力で、ごく自然に僕の手は自分の頭の真横に持っていかれる。
え、と思っているうちに、指に感じるやわらかい感触。手は自分の耳の横にあるから見ることはできないけど、何をされているかはすぐにわかった。
握られた手に、キスされている。
かあっと、首から上が熱くなる。先輩はたいしたことでもないように、リラックスして映画を観る姿勢を崩さない。
指を絡ませあような形で、人差し指のつけ根、中指、薬指、と順番にキスをされる。唇が軽く触れるだけ、肌の表面を少しかすめるだけ。たったそれだけの接触。
それでも、ないに等しい近すぎる距離と、綿菓子のようなくすぐったい触れ方に、体の神経が全てそちらに集中してしまう。
先輩からは、何も言われてはいない、けど。
お礼をどうしようか、と考えた時、青葉先輩が言っていた『次』という言葉を忘れたわけではない。
もしかしたら、と思って、体もきちんと洗ってきた。お酒やご飯をすぐに食べなかったのも、もし飲食したから不都合があるかもしれない、と考えがあったからだ。
小指までキスされると、次は関節部分に、また順番にキスされる。
それ自体は軽い、なんてことのない戯れ。
ただ、明らかにただの先輩と後輩の関係ではできない、じゃれあいで。
今更だとわかっていても。こんな風に後ろから抱きしめられて、あまつさえ自然なことのように手にキスをされて。
こんな、いかにも、恋人、みたいなこと。
いまだにそれを受け止めきれなくて、胸がざわついて、頭は考えることをやめてしまう。
映画の内容なんてまるではいってこない。それよりも、だんだんと指先へ近づいていく青葉先輩の唇の動きのほうが、よほど気になって。
人差し指の爪を撫でた唇が、そのまま指先を食む。
びくり、と体がどうしても動いてしまった。きっとそれは先輩に伝わったはず、なのに。
何事もなかったかのように、先輩はそれをやめない。
やんわりと薄い唇で爪と指の腹を挟まれる。ちろりと、濡れた舌先が先端をかすった。
何度か濡れた感触が指先を通った後、また一本ずつ、丁寧に、同じことを繰り返される。
そうやって繰り返されるたび、僕の神経はどんどん敏感になっていく。
ただでさえ、こんなに青葉先輩が近くにいるだけで、どうにかなりそうなのに。
弱々しい、くすぶった、熱が体の真ん中に生まれはじめる。それはまるで何かの準備のように。
小指の爪を唇のふちでたどられて、かぷり、と歯を立てられたら、詰めていた息がわずかに漏れ出た。
丁度、映画もクライマックスに近づいていて、激しい車の疾走音と銃撃音にまぎれて聞こえなかったかもしれない。聞こえないでほしいと、願うしかなかった。
長く、ゆっくりしたたわむれが、ようやく終わって先輩の口が指から離れていく。左手は相変わらず先輩にとらわれて、手の甲を撫でられたりしているけれど、緊張がゆるんで体から力がぬける。
それでもすぐにまた体がこわばる。
先輩の吐息が、無防備なうなじにかかった。
薄い唇が、首筋にひとつ、おちる。
「……シャンプーのかおりがする」
その言葉にドキリとする。
ここに来る前、身体を洗ってきたから、その香りがするのは当たり前だ。だけど、それに気づかれると、あらかじめ自分がこの後、なにがあるかわかっていて、シャワーを使ったことがバレたのと同じで。なんなら、こんなに近くにいたんだから、もっと早くにバレていたかもしれない。
準備万端で、先輩の部屋にきたと、知られてしまったことに羞恥で息が詰まる。
けど先輩はそれ以上追及はせずに、僕の頭に顎をのせて、抱きかかえる力を強くこめるだけだった。
「からだ、本当にもうきつくない?」
「あ、はい。あの、その、あのときは、ありがとうございました」
「オレが好きでやっただけだし。あーでも、オレが風邪ひいたら、コーヨーが看病してくれる?」
「それは、その、先輩がいいなら、もちろん」
「んじゃ、それでおあいこな。そういえば、オレ、風邪の時はめっちゃメシ食べて治すタイプ」
「何食べるんですか?」
「ひたすら肉」
「具合悪い時にそんなの食べられるんですか?」
距離は近いけど、いつも、食堂で話すときのような気軽さの会話に、ようやく僕はまともに返事ができる。
「食べる食べる。むしろ食べられないときは相当ヤバいときだな」
「マジっすか。それじゃあ大量に肉買って焼きまくりますよ」
「そうしてくれるとめっちゃ嬉しい。キッチン好きに使ってくれていいし。あー、そーいえば、そういうときのために合鍵、渡しといたほうがいいかな」
ゆるゆると、手持無沙汰のように僕の薬指をさすりながら、食堂のメニューを話すような軽さで先輩は話す。
けれど。僕のほうは、唐突に、ものすごいことを言われて、ようやく取り戻した言葉のコントロールを再度見失ってしまう。
合鍵。
合鍵って、そんな簡単に人に渡すもの、だったろうか。
たとえば、まあ、僕の部屋だったら、宅飲みからの雑魚寝は当たり前で、授業で先に家主の僕が家をでるときがあるから、寝ている友人たちのために合鍵をおいておくこともある。まあ、大抵は何人かがそのまま僕の部屋に居残ってゲームをしてたりするから、そんなに合鍵を使われることはないけれど。
僕の中で合鍵はそういう一時的に貸すことはあっても、そんな風に誰かにずっと渡すものではない。だって、そんな風に、合鍵を渡すっていうのは、そんな関係は。
「……合鍵なんて、僕が悪用したらどうするんですか」
「悪用ってたとえばどんな?」
「え……。勝手にものとってったり、とか……?」
「ん? なんかうちにほしいもんあった?」
「や、たとえばです! えーと……あとは……勝手にあがりこんだりと、か?」
頭をひねってしぼりだした答えは「くっ」と先輩の吹き出した笑いで返された。
「悪用って、それくらいしか浮かばないの?」
「えー……?」
「コーヨーが悪用って、ムリだろ」
いまだに笑いで体を震わせている先輩。なんだか無性に悔しくて、ずっと握られていた手を奪い返して、固く両腕を組んで体育座りで縮こまった。
「ごめんごめん、笑いすぎた」
先輩は体育座りの上から、さらに抱え込むように両腕を回す。
そっと耳にささやかれる。
「それに、コーヨーがうちにくるの、いつでも歓迎だけど?」
そのまま耳の裏に唇を落とされる。続いて、襟足、首筋へと。
ちろり、と舌が肌を這う。
ぞく、と体に走る刺激。
さすがに、何度か体験したから、僕でもわかる。
これは、ただのじゃれあいとは違う、もっと密度と湿り気が濃い接触の前触れ。
ゆっくりと味合うように唇が首筋を食む。跡が残らない程度に歯を立てられて、ぴりっとした微弱な刺激が走る。
ここから先は、熱とシロップみたいな甘さで頭が溶けてしまう行為だ。
緊張で心臓が激しく音が鳴る。
「……からだ、ほんとうにもう平気?」
「っは、い」
「シャワー、あびる?」
「…だい、じょうぶ、です」
先輩が話すたび、首筋に熱い息がかかる。それだけで、身体は敏感になる。
ちゅ、と軽く耳にキスをされて、声が吹き込まれる。
「じゃあ、……触ってもいい?」
最後の確認だというように確かめられて、僕は。
無防備な首筋をさらすように、こくんと頷いた。
顔は見せられない。こんな赤い顔、見られたら。
先輩の手が頬をくすぐる。先輩の指が、僕の顎をくいと後ろのほうへ振り向かせようとする。抵抗なんてもの、存在しなかった。青葉先輩の指先一つにすら、僕は勝てない。
一瞬見えた青葉先輩の、まっすぐ、射貫くような目。
それが近づいた、と思った時には、キスをされていた。
「…っ、ん」
ゆるりと、薄い舌が僕のくちびるを舐める。やっぱり、抵抗なんてできなかった。
陥落したくちびるは迎え入れるように開いてしまう。そのほんの少しの隙間を逃さず、先輩の舌は中にはいてってきた。
ゆるやかに舌をとらえられ、軽く甘噛みして、吸われる。つめていた息が漏れる。
けれどそれから先輩の舌は動かず、むしろ僕の喉へ差し出すように動きを止める。この間のことを思い出して、僕はよわよわしく、歯を立てる。熱があるわけでもないのに、自分からこんなことをするなんて、恥ずかしさで顔も耳も熱くなる。
けれど、先輩がそれを褒めるように、顎の下をくすぐるから。僕はさっき先輩の動きをまねて、舌を吸い上げる。
あまい、唾液があふれてくる。
それを感じたら頭がふわふわしてきて。子どもみたいに、何度も何度も先輩の舌を吸う。もっと、もっと甘い唾液を飲み込みたくて。もっと、もっと、奥に入ってほしくて。
先輩が僕の髪をかき上げて、左耳を触る。薄紙一枚の、触れるか触れないかの接触は、さらに感覚を敏感にさせる。
耳とくびすじで熱を測るように先輩の手が覆う。
途端、持っていたはずの主導権が奪われる。グイっと先輩の舌が中に入って、強く舌を先輩の口のほうへ引き出される。僕よりも強く、本当に飲み込んでしまうんじゃないかという勢いで、吸い上げられる。
やわらかい感触で包まれるそれは、体の中心にくすぶって熾り始めていた熱をさらに強くするには十分で。
「……最後までは、しないから」
キスをやめて、僕の顔を間近でのぞきこみながら、先輩はささやく。
ああ、また、あの目。
そんな、先輩のほうにこそ、熱があるような、目。
「でも、さわりたいから、さわらせて」
そんな目をしているのに、そんな小さな声で、懇願するようにいわれて。
僕が抵抗なんてできるはずない。
頭がくらくらしている。体の感覚は敏感なのに、ふわふわしている。
一滴も飲んでいないのに、アルコールで酩酊しているようだ。
気づけば。
ベッドの上にいて、先輩が僕の上に覆いかぶさっていた。
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