『何色』青葉とコーヨー イケメンでモテモテなノンケの先輩が平凡で地味な僕とつきあうなんてありえない

こやまことり

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第51話 「据え膳食わぬは男の恥、って」

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 呆気にとられた様子の先輩はすぐに言葉が出ないようだった。
 目線をあわせるのが気まずくてうつむく。
 二人が立っている玄関に沈黙が落ちる。

 しんとした静けさは時間間隔すらわからなくさせる。ドクンドクンと心臓が跳ねているはずなのに、引きつって筋肉が硬直した身体には、とうてい心臓から血流が通っている気がしない。

 きちんとした単語は出さなかったけど、「最後までする」という言葉の意味は、当たり前だけどやりかけのゲームとかそういうものじゃない。
 ずっと、先輩が途中でやめていた行為。
 つまり――セックスだということは先輩だってわかるはずだ。

 ふいに先輩の手が頬に近づく。
 びくっと大げさに反応してしまう。
 やってしまったと焦るが、手は近づいただけで触れはしない。
 指一本分、間隔をあけたところで先輩の手が止まる。

 すぐそばに感じる先輩の掌の気配。

「……本気で言ってんの?」

 上から落とされる、低い、何の感情も読ませない声。
 ぐっと手を握りしめて、数瞬迷ってからコクリと頷く。

「……それじゃ、こっちきて」

 くるりと振り返った青葉先輩は、靴を脱いで廊下を進んでいく。足がもつれないように、なんとかそれについていく。
 リビングのソファを通り過ぎて、そのまま奥のベッドがある寝室へ。

 心臓が引きつる。

 自分で言ったことだ。望んだことだ。
 だけど、これまで前準備として行われてきたときは、合宿の時をのぞけば、リビングで時間を使ってから、あらためてベッドへ行くばかりで。こんなあからさまに寝室に直行することなんてなかった。

 いこのあいだの花火大会の日は、たしかにすぐベッドに行ったけど。それはゲームをするっていう大義名分があった。
 だけどこの空気でわざわざゲームをしたり雑談をするとは思えない。

 ベッドは夏用の布団はめくられているけど、きれいに整えられていて、薄いタオルケットが敷かれている。
 先輩はベッドの端に腰掛ける。そのまま「ここ座って」と自分の横のスペースをぽんぽんと叩く。
 知らずゴクリと喉が鳴る。油の切れた人形のようにぎこちなく指示されたそこへ座る。
 青葉先輩はずっと無表情で、何を考えているのかまるでわからない。
 これから起きるであろう出来事を思い浮かべて、先輩の顔は見れずにフローリングの床に視線を落とす。

 青葉先輩が、ほんとうに男同士のセックスを望んでいるかは、いまだにわからない。
 この間、中途半端なところで止めたのは先輩だ。まだ準備ができてないと思っているのか、もしかして男同士ですることにためらいがあるからかはわからない。
 ちゃんと、先輩は僕の体でも興奮する、ということを示してくれた。最後までしたい、という意思も伝えてくれている。
 でも。それは先輩の好奇心的な興味からかもしれないし、『恋人』だったらそういう行為をして当然だからと思っている可能性もある。実際、性欲を満たすには『恋人』とそういうことをするのが楽だろう。
 最後まで、つまり、先輩のものを、僕の体の中に突き入れられたとして。
 それが先輩にとって、女性とのセックスよりもいいものかも、僕にはわからない。

 だとしても今。めんどうな男の体よりも、きっとセックスするに適している女性が先輩の近くに現れていて。
 それならせめて。
 先輩にとって気持ちいものであることを願って、男でも――僕でもセックスができて、先輩の性欲を満たせることができることを示せたなら。
 そうしたら、『恋人』としての役割を少しでも果たせる気がする、から。

 すっと先輩の手が伸びてきて、横に流れる髪をすくわれる。
 その些細な仕草にも緊張が高まった体はびくりと反応する。
 先輩の指はそのまま流れるように耳から頬をつたって、僕の顎をすくう。

 くいっと顔を先輩の方に向けられる。
 青葉先輩はじっと真剣な目で見つめてくる。僕のかすかな反応も見逃さないとしてるみたいに。
 僕は、顎を軽い力でつかまれただけで動けなくなって、ただ黙ってそれを見返すしかない。

 軽く顎を上向きにされて、先輩の顔がゆっくりと近づいてくる。
 ああ、はじまるんだ。きっとこのキスを受け入れたら、たぶん。
 ドクドクと弾む心音と、ガチガチにこわばった身体。
 震えそうになるのをこらえて、ぎゅうっと強く瞼を閉じた。

 緊張しすぎて何も考えられなくなって、黙って目を閉じてその瞬間を待った。
 だけどすぐ訪れるかと思った接触はこなくて。
 かわりに「はあ」と深いため息が聞こえた。

「……据え膳かぁー……」

 ぽつりと呟かれた声は思ってたより遠くて。
 おそるおそる目を開く。
 先輩の顔はほとんどさっきの場所から移動してなくて、難しい顔をして眉を寄せ、目を伏せていた。少しの間そうやって悩んだ様子を見せたあと、「うん」と顔をあげてニッと笑った。
 顎にかけていた手を外して、かわりに僕の頭をぽんと撫でる。あっけにとられていた僕はただぽかんとするばかり。

「据え膳食わぬは男の恥、っていうけど、それなら俺は恥を食う」

 笑いながら、安心させるように優しく先輩の手が頭を撫でる。
 先輩の言葉の意味がすぐにわからなくて、バカみたいに目をぱちくりさせる。
 それからようやく、据え膳というのは僕のことで、そして先輩は据え膳ではなく恥を――セックスしないということを選んだんだと理解した。

 わかった途端、わきあがるのは焦燥。
 どうして。やっぱり男相手とセックスなんて嫌だったんだろうか。
 だったら。恋人をしている今の僕の価値は。

 巻き起こる不安と焦りが体内を竜巻になって暴れる。ほとんど頭が働かない状態で、いや軽くパニックを起こしながら口を開く。

「それ、は。あの、僕は大丈夫です、から。あ、いや、先輩がイヤなら、それは仕方ないんです、けど。えっと、そうじゃなくて、えっと」
「あー、コーヨー待って待って。違う違う。イヤとかじゃないから」

 なだめすかすように僕の両肩をつかむ。とんとんとあやすように叩かれながら、ゆっくりと僕と目を合わせて話を続ける。

「イヤだから、しないってわけじゃない。ただ――このまんま、流れてやっちゃうと、なんか、このあと身体だけの関係になる気がして」

 そう言った先輩は苦みを噛み殺した顔をしていて。
 そして僕はその言葉に、何も言えなくなっていた。

 否定できなかった。だって、実際、せめてセックスだけでも先輩に満足してもらえたら。先輩の『恋人』であることを許される気がして、あんなことを言ったから。
 もし。先輩とこのままセックスをしたら。このさき、僕はいつでも先輩に身体を差し出して、先輩が満足しているうちは大丈夫だと、セックスのたびに思っていただろう。
 そうなれば、セックスをすることだけが僕にとって自分の存在意義を確認する行為になっていたのではないか。

 それが「身体だけの関係」と指摘されれば、その通りだった。

「オレはコーヨーがしたくないなら、セックスしなくてもいいって思ってる。あー、本音はめっちゃくちゃしたいけど。ただコーヨーに無理してあわせてほしいわけじゃなくって……って、今までさんざん好きにしてきたオレがいうのも説得力ねえなあ」

 うーん、と頭をかく先輩は「やーでもコーヨーのきもちよさそーなとこは見たいし……」とぽつぽつとこぼしながら、どう説明しようか考えあぐねているようだった。
 僕は僕で、先輩が僕を案じてセックスしないという選択肢を選んだんだという思考と、それでもやっぱり僕に性的魅力が足りないからしないんじゃないか、という考えが行ったり来たりして思考がまとまらない。
 先輩の言葉を素直に信じるべき、と理性が言っているのに。ゆるく巻かれた髪に明るい色のサンダルをはいた女性の姿がチラつく。

 わかっている。今ここで、セックスをすることを選んだら、たぶん二人にとって良くない結果になることは。でも、そうなると、どうやったら僕は。

 どうやったら先輩を信じて、自惚れることができるんだろう。

「……そもそも、どうやったらオレのこと信じてくれるかって話だったよな」

 顎に手をあててポツリと呟いた言葉は、まさに今自分が考えていたことで。
 心が読まれたのかと驚く。だけど先輩は一人で「よし」とわかったように何度かうなずいてから、ぴたり、と僕を見た。

「じゃあ、最後まではできないけど。――オレがコーヨーにだけ、そういうことしたいって思っているのを、わかってもらうしかないか」

 唐突な言葉に、すなおに「え?」と漏れる。
 たしかに、僕が考えていたのは、僕以外に魅力的なひとがいたらそっちがいいんじゃないか、っていうことで。
 でも、それをどうやって僕だけ、なんてことを証明するっていうんだろう。

 先輩は少し気まずそうな顔をした。「あーっと、な」とさっきのように言葉を探しあぐねている。それからうかがうように僕のほうを見る。

「……ちょっといまから気持ち悪いこと言うかもしんないんだけど、引かない?」

 本気で心配そうな顔をしている先輩を見て、首を傾げる。
 気持ち悪いこと、と青葉先輩のイメージがまるで重ならない。
 この流れからしたら、性的なことなんだろう。もちろん先輩だって人間なのだし、僕の知らないマニアックな趣味とか、そういうのを持っていてもおかしくはない。でもそれで僕が気持ち悪いと思うとか、先輩に引くという自分の姿も思い浮かべられない。

 だから自然とこくんと頷いた。それを見て先輩は「そっか」と呟いて、覚悟を決めるように、ひとつ、深呼吸する。
 それから気まずげに、でもしっかりと僕を見ながら、先輩は言った。

「――オレ、コーヨーとつきあってから、オナニーのおかずにしてるのコーヨーだけなんだよね」

 言われた言葉がすぐに理解できなくて、頭がフリーズした。
 思わず固まった僕に先輩が不安そうにしながら聞いてくる。

「やっぱり引いた?」

 さっきの言葉の羅列の解析は済んでいないけど、その言葉の意味はすぐに分かった。だから慌てて首を横に振る。

「引いてませ、ん」

 そう、引いてはいない。ただたんに言葉の意味と意図が理解しきれなかっただけ。
 先輩はすこしだけ顔の表情をゆるませる。

「ホント? あーよかった。ただ、まあ、いくら恋人っていってもはっきりオナニーのネタにされてるとか、やっぱ気分よくないかなって」

 それはそう、なのかもしれない。
 誰かが自慰行為をするときに、AVやそういった用途の書籍ではなく、その性的興奮として自分を使われていると知ったら、それは気分がよくないもの、になるだろう。
 解析が進んできた頭が動き出す。そう、つまり。

 先輩はまだ若い男性で。
 普段から、それは、まあ、一人で自慰行為することだってあるだろう。
 そして自慰行為をするときに、性的興奮するための材料として選ばれているのが僕だということで。

 ふいに、今ここにいるのが先輩の寝室で。ベッドの上にいて。
 この部屋で、先輩が、夜、ひとりオナニーをして。

 その時考えているのが、僕だというところを、想像して。


 引くどころか、頭の容量がパンクして、もう一度固まってしまった。


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