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第6章 王家の森
第131話 大司教の申し出
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ミルトさんから差し出された本を手に取ったフィナントロープさんは、その中の一番薄い一冊をパラパラめくりながら言った。
「これは、子供向けの本かい。
なになに、『初めて学ぶ人体の仕組み』、これがどうし……。」
何か言いかけたフィナントロープさんはそのまま固まってしまった。
「一年前ウンディーネ様からいただいた大量の本、やっと少し翻訳できたの。
医療関係で翻訳できたのは今のところその三冊だけ、専門用語が多いらしくて翻訳が難航しているの。」
固まっているフィナントロープさんを尻目にミルトさんはわたしに本の説明をしてくれた。
精霊の森を訪問したときにもらった旧魔導王国の本なんだ。
旧魔導王国の言葉で書かれていたんで翻訳が必要だったのね。
その時我にかえったフィナントロープさんが言った。
「子供向けの平易な言葉を選んでいて、絵よる説明もたくさんあってわかり易い、確かに子供向けの本だ。
しかし、この内容を子供に読ませるのかい、肺や心臓の役割とかならともかく肝臓や腎臓の役割なんて創世教の研究でもやっと最近わかったことだよ。
脳の部位ごとの役割とか免疫細胞の役割に至っては、創世教の研究の題材にも上がっていない未知の領域さね。私も今初めて知ったよ。
ミルト様、この本はどこで手に入れなさった。」
わたしには何のことかサッパリわからないけど、旧魔導王国が進んでいたことだけはわかったよ。
「それは、旧魔導王国の書物です。
二千年前の魔導王国の言葉で書かれていたもので、翻訳に難儀しました。
この子の母親が大切に保存していたものを一部譲っていただいたのです。」
ミルトさんはわたしを指差していった。
「この本が二千年も前に書かれたものだって……。
しかし、そもそもこの本に書いてあるのは本当のことなのかい。実証できているのかい。」
フィナントロープさんはミルトさんの返答に驚きながらも、至極当然の疑問を呈した。
「ご存知かと思いますが、この国はあまり工業とか医療とかが進んでいないのです。
翻訳が終ったとき、この本に書かれている内容が正しいのか検証できなくて困りましたわ。
ところが、何の偶然かこの国に侵攻してきた南の大陸の軍艦に軍医が乗っていましたの。
南の大陸は治癒術が存在していない代わりに医学、医療技術が進歩していると聞きました。
それで捕虜にしたその軍医を王都に呼んでこの三冊について検証させたところ、今の南の大陸の通説と照らして齟齬はないそうです。」
その軍医さん、魔導王国の書物に関心を持ってしまい今は翻訳作業を手伝っているらしい。
コルテス王国の人、何気に役に立っているな…。
「そうかい、でも、たった三冊の本の知識じゃ治癒術師を育てることはできないだろう?」
フィナントロープさんの指摘にミルトさんは自信たっぷりに答えた。
「もちろんです。実は旧魔導王国の医療関係の本は数百冊あるんです。
リストを作るため表題だけ翻訳させたところ医療分野の多岐にわたって網羅されていることがわかりました。
元々私の計画は創世教が治癒術師の独占を止めてもらえないと実現ができないものです。
それは、一年や二年で叶うものだとは思っていません。
その間に翻訳を進めて教材を揃えるつもりなのです。
幸い、今は捕虜の身である軍医がこの国に帰化して協力すると言ってくれています。
軍医には南の大陸の最新の医学を指導してもらうつもりです、治癒術の方はマリアさんに協力を仰ぐつもりです。
それで、最初は少人数から始めて、徐々に増やしていければと計画しているところです。」
黙って聞いていたフィナントロープさんがにっこり笑って言った。
「そうかい、貴重な文献がそんなにあるのかい。
そりゃあ、知的好奇心が刺激されるねえ。
ミルト様、あなたが治癒術のことをお手軽に考えている訳じゃないことはわかった。
でも、正直なところ手が足りていないだろう。
老い先短い最後の奉公だと思って、私が手を貸そうと思うがどうだい。」
今度はミルトさんが驚く番だった。
「それはどういう意味でしょうか?」
「私が、創世教をやめてミルト様に仕えるといってるんだよ。
まあ、今はグラウベの尻拭いをしなきゃならんので、すぐにとは行かないがな。
そのかわり、創世教が治癒術師を独占している問題な、それは私がきっちりかたをつけてやるよ。
数年後には、ミルト様の計画が始まるから準備を急ぎなよ。」
フィナントロープさんの話では、グラウベ司教の数々の失言もあって今王都では創世教を脱退したいと申し出る信者が急増しているそうだ。それこそ千人単位で。
そうなると毎年税金のように徴収していたお金が激減することになる。
フィナントロープさんは信者のご機嫌を取るために治癒術に対する対価を減額することを決めたらしい。現在最低金貨一枚の浄財を求めているのを一割の銀貨十枚にまで下げるそうだ。
たまにしか入らない金貨一枚よりも、毎年多くの人から定期的に入る銀貨数枚の方が大事だそうだ。
教会の利益を考えると銀貨十枚で治癒術を施すと、現在のように多大なコストをかけて治癒術師の独占にこだわるのは割が合わないそうだ。
単価を十分の一にしても、患者さんが十倍に増えれば問題ない気がするんだけど、違うのかな?
幼少の頃から治癒術の素養があるものを囲うことによる養育費の負担が大きいみたいなことを言っている。
詳しいことはわからないけど、フィナントロープさんの話では数年のうちには治癒術師の独占は放棄することになるって。
それにあわせて、フィナントロープさんは創世教の大司教を辞するつもりらしい。
創世教を辞めて商売敵のミルトさんに肩入れして大丈夫かと聞くと、
「最近の私の仕事は、思い上がった司教達があっちこっちでやらかした不始末の尻拭いばかりだ。
今回なんか、この年寄りに大陸の西の端から東の端まで行けとぬかしやがった。
もううんざりだし、これだけ骨を折ったんだ、誰にも文句言わせないよ。」
と言っている。
フィナントロープさんは現在唯一の女性大司教だそうだ。
大司教になってからの主な仕事が苦情処理係なんだって、あちらこちらの教区で信徒や為政者と衝突する司祭がおり、とりなしをして歩くんだって。頭を下げるのは女性の方が良いそうだ。
「金の亡者から離れて、初心に戻って治癒術師を育てられるなんて有り難いことだよ。
それに、旧魔導王国の貴重な書物に触れられるなんて、久し振りに胸が躍るよ。」
フィナントロープさんは、良い顔をして言っている。
なんか、ミルトさんのプランがいきなり走り出しちゃったよ…。
「これは、子供向けの本かい。
なになに、『初めて学ぶ人体の仕組み』、これがどうし……。」
何か言いかけたフィナントロープさんはそのまま固まってしまった。
「一年前ウンディーネ様からいただいた大量の本、やっと少し翻訳できたの。
医療関係で翻訳できたのは今のところその三冊だけ、専門用語が多いらしくて翻訳が難航しているの。」
固まっているフィナントロープさんを尻目にミルトさんはわたしに本の説明をしてくれた。
精霊の森を訪問したときにもらった旧魔導王国の本なんだ。
旧魔導王国の言葉で書かれていたんで翻訳が必要だったのね。
その時我にかえったフィナントロープさんが言った。
「子供向けの平易な言葉を選んでいて、絵よる説明もたくさんあってわかり易い、確かに子供向けの本だ。
しかし、この内容を子供に読ませるのかい、肺や心臓の役割とかならともかく肝臓や腎臓の役割なんて創世教の研究でもやっと最近わかったことだよ。
脳の部位ごとの役割とか免疫細胞の役割に至っては、創世教の研究の題材にも上がっていない未知の領域さね。私も今初めて知ったよ。
ミルト様、この本はどこで手に入れなさった。」
わたしには何のことかサッパリわからないけど、旧魔導王国が進んでいたことだけはわかったよ。
「それは、旧魔導王国の書物です。
二千年前の魔導王国の言葉で書かれていたもので、翻訳に難儀しました。
この子の母親が大切に保存していたものを一部譲っていただいたのです。」
ミルトさんはわたしを指差していった。
「この本が二千年も前に書かれたものだって……。
しかし、そもそもこの本に書いてあるのは本当のことなのかい。実証できているのかい。」
フィナントロープさんはミルトさんの返答に驚きながらも、至極当然の疑問を呈した。
「ご存知かと思いますが、この国はあまり工業とか医療とかが進んでいないのです。
翻訳が終ったとき、この本に書かれている内容が正しいのか検証できなくて困りましたわ。
ところが、何の偶然かこの国に侵攻してきた南の大陸の軍艦に軍医が乗っていましたの。
南の大陸は治癒術が存在していない代わりに医学、医療技術が進歩していると聞きました。
それで捕虜にしたその軍医を王都に呼んでこの三冊について検証させたところ、今の南の大陸の通説と照らして齟齬はないそうです。」
その軍医さん、魔導王国の書物に関心を持ってしまい今は翻訳作業を手伝っているらしい。
コルテス王国の人、何気に役に立っているな…。
「そうかい、でも、たった三冊の本の知識じゃ治癒術師を育てることはできないだろう?」
フィナントロープさんの指摘にミルトさんは自信たっぷりに答えた。
「もちろんです。実は旧魔導王国の医療関係の本は数百冊あるんです。
リストを作るため表題だけ翻訳させたところ医療分野の多岐にわたって網羅されていることがわかりました。
元々私の計画は創世教が治癒術師の独占を止めてもらえないと実現ができないものです。
それは、一年や二年で叶うものだとは思っていません。
その間に翻訳を進めて教材を揃えるつもりなのです。
幸い、今は捕虜の身である軍医がこの国に帰化して協力すると言ってくれています。
軍医には南の大陸の最新の医学を指導してもらうつもりです、治癒術の方はマリアさんに協力を仰ぐつもりです。
それで、最初は少人数から始めて、徐々に増やしていければと計画しているところです。」
黙って聞いていたフィナントロープさんがにっこり笑って言った。
「そうかい、貴重な文献がそんなにあるのかい。
そりゃあ、知的好奇心が刺激されるねえ。
ミルト様、あなたが治癒術のことをお手軽に考えている訳じゃないことはわかった。
でも、正直なところ手が足りていないだろう。
老い先短い最後の奉公だと思って、私が手を貸そうと思うがどうだい。」
今度はミルトさんが驚く番だった。
「それはどういう意味でしょうか?」
「私が、創世教をやめてミルト様に仕えるといってるんだよ。
まあ、今はグラウベの尻拭いをしなきゃならんので、すぐにとは行かないがな。
そのかわり、創世教が治癒術師を独占している問題な、それは私がきっちりかたをつけてやるよ。
数年後には、ミルト様の計画が始まるから準備を急ぎなよ。」
フィナントロープさんの話では、グラウベ司教の数々の失言もあって今王都では創世教を脱退したいと申し出る信者が急増しているそうだ。それこそ千人単位で。
そうなると毎年税金のように徴収していたお金が激減することになる。
フィナントロープさんは信者のご機嫌を取るために治癒術に対する対価を減額することを決めたらしい。現在最低金貨一枚の浄財を求めているのを一割の銀貨十枚にまで下げるそうだ。
たまにしか入らない金貨一枚よりも、毎年多くの人から定期的に入る銀貨数枚の方が大事だそうだ。
教会の利益を考えると銀貨十枚で治癒術を施すと、現在のように多大なコストをかけて治癒術師の独占にこだわるのは割が合わないそうだ。
単価を十分の一にしても、患者さんが十倍に増えれば問題ない気がするんだけど、違うのかな?
幼少の頃から治癒術の素養があるものを囲うことによる養育費の負担が大きいみたいなことを言っている。
詳しいことはわからないけど、フィナントロープさんの話では数年のうちには治癒術師の独占は放棄することになるって。
それにあわせて、フィナントロープさんは創世教の大司教を辞するつもりらしい。
創世教を辞めて商売敵のミルトさんに肩入れして大丈夫かと聞くと、
「最近の私の仕事は、思い上がった司教達があっちこっちでやらかした不始末の尻拭いばかりだ。
今回なんか、この年寄りに大陸の西の端から東の端まで行けとぬかしやがった。
もううんざりだし、これだけ骨を折ったんだ、誰にも文句言わせないよ。」
と言っている。
フィナントロープさんは現在唯一の女性大司教だそうだ。
大司教になってからの主な仕事が苦情処理係なんだって、あちらこちらの教区で信徒や為政者と衝突する司祭がおり、とりなしをして歩くんだって。頭を下げるのは女性の方が良いそうだ。
「金の亡者から離れて、初心に戻って治癒術師を育てられるなんて有り難いことだよ。
それに、旧魔導王国の貴重な書物に触れられるなんて、久し振りに胸が躍るよ。」
フィナントロープさんは、良い顔をして言っている。
なんか、ミルトさんのプランがいきなり走り出しちゃったよ…。
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