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最終章 それぞれの旅路
第487話 ネルはとっても幸せです
しおりを挟むさて、私、ネルはというとロッテドルフの代官所の空き室を借りて小さな開業医をしています。
ザイヒトお兄ちゃんからプロポーズされたあの日、ネルはお兄ちゃんを伴ってミルト様の許へ王国を出ることについての許しをもらいに行きました。
幼少の頃から生活の一切をお世話になっているのです、勝手をしていい訳がありません。
ネルがミルト様に事情を話し、ザイヒトお兄ちゃんと共に帝国へ行きたいと許しを請いました。
「ネルちゃん、私はあなたに何をしろと強制するつもりは最初から無かったの。
私はネルちゃんを保護する時に言ったはずよ、あなたにたくさんの選択肢を与えたいと。
ただ、それだけなの。あなたはあなたの思う通りすれば良いわ。
私はあなたが選んだ道ならば反対はしないわ。」
ミルト様はそう言ってくださいました。
その表情はいつもと変わらない穏やかな笑顔で、本心から言ってくださっているとわかります。
「私はね、あなたと話していて、とても頭の良い子だと思ったの。
だから、あなたを保護して十分な教育を施すことが国益に適うと思ったのよ。
でもね、国益というのは国政の仕事に就いて直接国に貢献することだけじゃないのよ。
知っての通り、今帝国は大変なことになっているの。
ハンナ皇帝は悪戦苦闘しているの、あなた達なりに在野からハンナ皇帝の力になってあげて。
それが、我が国の国益にも適うことだから。」
ハンナ皇帝は帝国の生まれですが、幼少の頃親に捨てられスラムで瀕死のところをターニャお姉ちゃんに保護されました。
以来、十年以上を王国で過ごし、王立学園を卒業後直ぐに皇帝の座に就いたのです。
ハンナ皇帝の人格形成期は全て王国にあり、彼女は王国流の価値観が身についています。
また、ミルト様やフローラ様と大の仲良しでもあり、帝国との友好関係を維持する上でハンナ皇帝の治世が安定することが望ましいのです。
ネル達の行動が、間接的にでもハンナ皇帝の治世が安定する手助けになるなら、それだけで十分王国の国益に適うとミルト様は言いました。
そして、それだけでもネルを保護した甲斐があったと言ってくださったのです。
なんて寛大な方なのでしょう。
ここまで育てて頂いたご恩も返さずに出て行くネルにそこまで言ってくださるなんて。
ネルが感動に打ち震えていると、ミルト様が尋ねてきました。
「ネルちゃん、開業すると言うけど資金は大丈夫なの?薬剤や医療器具の宛てはあるの?」
資金は潤沢にあります、ザイヒトお兄ちゃんが爵位返上の際に頂いたものが手付かずなので。
ただ、王国でも医学科の卒業生を輩出し始めてまだ三年です。
これまで、南の大陸から亡命してきた医師を含めても王国の医師の数は限られています。
そのため、医療器具や薬剤などもまだ余り流通していないのです。
今後一年の間に少しずつ揃えるつもりだと返答するとミルト様は言いました。
「なら、一式、私が揃えてあげるわ。任せておいて。」
ミルト様は十分すぎるほどの器材と薬剤と揃えてくださいました。
それを格安で譲ってくださったのです。
ネルが恐縮していると…。
「大丈夫よ、損はしていないから気にしないで。
どうせ、私が輸入しているものだから。」
ミルト様はいつもの穏やかな笑顔で言いました。本当にミルト様には頭が上がらないです。
**********
ネルが学園を卒業するのを待って、ザイヒトお兄ちゃんと結婚、そのままロッテドルフに移り住んだ訳ですが。
資金はあっても場所がないと言うことで、当初は患者さんの家に往診する形で始めるつもりだったのです。
ここでも、ターニャお姉ちゃんが力を貸してくれたのです。
「軽症患者にまで一々往診するのは大変だよ。
動ける人には来てもらう方が効率的だし、より多くの患者さんを診られるよ。」
それから数日後、ターニャお姉ちゃんはこの場所を借りる許可をハンナ皇帝から取り付けてきたのです。
この代官所はロッテドルフの発展と東部辺境の大規模な開発を見越して分不相応な大きさで造られていたのです。
当時は空き室も多かったのですが、代官のロッテさんは市井の者に代官所の一部を貸し出して良いものか判断が付かなかったそうです。
実際、役場の一部を貸し出すことは従来無かったようですので。
ハンナ皇帝は、それが住民のためになるのならと快くターニャお姉ちゃんの提案を受け入れたそうです。
こうして、ミルト様とターニャお姉ちゃんの支援を受けて、ネルは無事開業にこぎつけました。
ミルト様からの支援はいまだに続いています。
時折、スイ王女がいらして、薬剤や器材の補充を持ってきてくださるのです。
おかげで、ポルトまで発注する手間も省け、薬剤が不足するという事態も起らず大変助かっています。
ハンナ皇帝の目論見通りロッテドルフは大きく成長しました。
それに伴い、空き室だらけだった代官所の部屋も全て埋まりました。
本当は何時までも代官所に間借りするのではなく自前の医院を構えた方が良いのでしょう。
けれど、ロッテドルフの中心部は既に空いた場所が無く、新たに場所を確保するとなると街外れになってしまうのです。
患者さんに不便な思いをさせたくないので、ハンナ皇帝のご厚意に甘えたまま代官所に居座っています。
**********
「ネル先生、いつも遠いところすまないね。おかげで最近は腰の痛みも大分良くなったです。」
ネルが腰に湿布薬を貼るとお婆さんが相好を崩して言いました。
ネルが開業するとき、ターニャお姉ちゃんから与えられた物がもう一つあります。
魔導車、ハンナ皇帝が使っている物と同じ宮廷にも二台しかない魔導車と同型です。
もちろん、これはタダでもらったものではありません。
ターニャお姉ちゃんは魔導車を差し出す時に言ったのです。
「この魔導車を使って定期的に周辺の医者や治癒術師のいない村を回って。
それで、病気や怪我の人を無償で治療して欲しいの。
もちろん、ネルちゃんには宮廷から月々決まった報酬を出すよ。
それで、必ず言って欲しいのが、ハンナちゃんが慈善事業でやっているという宣伝ね。
引き受けてくれるなら、この魔導車はあげる、自由に使っていいよ。
魔晶石も定期的に交換に来るから。」
民衆のハンナ皇帝に対する評判を高めるために協力しろと言うのです。
元々、治癒術師の癒しを受けられないで亡くなっていく人を救いたいと思い医師になったのです。
ターニャお姉ちゃんの依頼は何の躊躇も無く引き受けました。
開業以来、週二回は定期的に周辺の村々を回って患者さんの治療をしています。
ターニャお姉ちゃんから譲り受けた魔導車は非常に速く、東部辺境の村の何処にでも日帰りで往診にいけるので大変重宝しています。
**********
こうしてミルト様、ターニャお姉ちゃんに支えられて開業し、何とかこの地でやってきました。
この間、病気や怪我で苦しむ人々たくさん救うことができたと自負しています。
でも、ネルが学んだ医学というものは発展途上で、治せない病気もたくさんあります。
ハンナ皇帝やミーナおねえちゃんが使う精霊の術に遠く及ばないことが歯がゆいです。
患者さんを目の前に今度こそはダメかと思ったことは何度もあります。
しかし、不思議なことにそんな時は決まって誰かが来るのです。
ターニャお姉ちゃんだったり、スイ王女だったり、時にはウンディーネ様が見えられたこともありました。
おかげで、ネルの医院からは疾病で亡くなる患者は一度も出ていません。
見計らったようなタイミングで現れるのが不思議でなりませんが、精霊様のご加護があるのだと自分に言い聞かせて納得しています。
おかげさまで、子宝にも恵まれました、一男二女です。
毎回出産のときはミーナお姉ちゃんがわざわざ来てくれます。
もしもの場合に備えて、ターニャお姉ちゃんも付いていてくれるのでとても安心できました。
そんな子供たちも、長男は十二歳、長女は八歳になります。
共に、ネル達の母校オストマルク王立学園に留学させました。
ハンナ皇帝も教育に力を入れていますが、現時点では歴史のある王立学園には適いません。
でも、留学させた本当に理由は、自由な気風のあの学園で楽しい子供時代を送って欲しいと願ったからです。
そう、ネルとザイヒトお兄ちゃんが楽しい時間を過ごしたあの学園で……。
子供達にはたくさんの選択肢を与え好きな道を選んでもらうつもりです、ミルト様がそうしてくれたように。
さて、残る三女ですが、今年四歳になりました。
瘴気の森に近い東部辺境では生まれることが珍しいといわれる『色なし』だったのです。
これは、ターニャお姉ちゃん達の努力が実って東部辺境でも『色なし』が生まれるくらい瘴気が薄くなったということでしょうか。
今は帝国に『色なし』を蔑視する風潮はすっかり無くなっています。
『聖女』といわれる皇帝陛下からして『色なし』なのですから。
ネルもそのことは全く気にしていません、ただこの子が『視える』のかどうかは気になりました。
結論から言えばどうやら『視える』らしいです。
生後何ヶ月かして目が開くようになったとき、しきりに何かに話しかけるような仕草をするのです。
気になったので、ターニャお姉ちゃんに聞いてみました。
「あれ、ずいぶん精霊に懐かれてるね。ミーナちゃん、フローラちゃん以上だね、この子。」
今では、魔法のようなものを使えるようになりました。どんな風に成長するかが楽しみです。
こうして、幸せな日々を送っていても時折思い出します。
ネルに、『頑張って大人になるんだよ』と言い残して自分は大人になれずにこの世を去った人を。
そう、あの頃のネルは大人になるというささやかな願いすら叶わない環境にいたのです。
ネルが無事大人になった姿を見たら優しかったお姉ちゃんは喜んでくれるでしょうか。
「良く頑張ったね。」
そう言ってもらえたら嬉しいなと常々思っています。
**********
そろそろ、旦那様が皇宮へ行く準備が整ったようです。
いつもの作業服と違う正装は、御用商人が宮廷へ上がる時に着る平民としては最高級の服です。
レースの飾り袖に、レースの飾り襟、ヒラヒラして動き難そうですけど、ザイヒトお兄ちゃんは極自然に着こなします。
さすが、元皇子の面目躍如といったところですか、自分の旦那様ながら惚れ惚れしてしまいます。
ザイヒトお兄ちゃんを伴って皇宮へ転移する直前、ターニャお姉ちゃんが尋ねてきました。
「ネルちゃん、今幸せかい?」
もちろん、答えは決まっています。
「ええ、とっても幸せです。」
小さな聖女様がネルに与えてくれた幸せの物語の続きはここまでにしたいと思います。
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