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どうかわかってほしい
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わたしは窓を開け放ち、夜の冷気を迎え入れた。その清新さをいっぱいに吸い込みたかった。
〈でも、ここの空気は人のにおいがする〉
そうなのだ、ここでは草木も風を避けてもらい、動物は馴らされ、それらが本来帯びるはずの峻厳を削がれてしまっている。そんななかで咲く花もまた美しいはずはなかった。
わたしはエミリアがかわいそうになった。こんなところで暮らしていては、エミリアのせっかくの溌剌さもだいなしになってしまう……。
そこまで考えて、わたしは苦笑した。わたしはすっかり山岳部族の思考を身につけてしまっているようだ。かつてエマであったわたしも、エミリアも、そこまで厳しい自然のなかに暮らしていたわけではない。バンティ・マインドとなったわたしはともかくも、エミリアにそんな心配は必要ないのだった。
そんなとき、小道を小走りに東屋へと向かう姿が白くぼうっと浮かんだ。エミリアではないか。どうも寝衣のままであるらしい。
わたしは立ち上がると、上着を手にし、エミリアの後を追った。訳はわからないが、とにかく上着をかけてやらねばならない。話はそれからだ。
◇◇◇
ベンチに腰を下ろしたエミリアはじっとうつむいている。未明の静謐の気配がその両頬に映り込んでいる気がした。
「奥様」
と、わたしは呼びかけた。
だがエミリアは顔を上げようともしない。声が届かなかったのか? いや、この東屋に向かうわたしの姿はさっき認めたようだから、きっと気づかないふりをしているのだろう。もちろん悪気があってのことではないはずだ。こんな時間に寝室を飛び出してきたところをわたしに見つかって、きまりが悪く、戸惑ってしまったのではないだろうか。わたしはまたエミリアがいとおしくなった。
「奥様」
もう一度呼びかけると、エミリアはやっと顔を上げた。
「奥様、夜風は侮れませんから、これをお召しになってください」
わたしは持ってきた上着をそっとエミリアの肩にかけた。エミリアは腕を通そうとはせず、手首を交差させた両手で打ち合わせを握り締める。
「ありがとう」
とエミリアはわたしに笑顔を差し向けた。だが、頬のあたりにはまだ張りつめた気配が残っている。
「こんな時刻に、いったいどうなさったのです?」
わたしが尋ねると、エミリアは間髪を置かず、
「ええ、ちょっと風に当たりたかったものだから……」
「それで……旦那様は?」
と、わたしはぶしつけに訊いた。気になるのだからしかたがない。
「眠っているのではないかしら……」
また、やにわの返答だった。反応が早すぎるのがどうにも不自然だ。
やはりエミリアとルースは、まだほんとうの意味での夫婦にはなっていない。わたしはそれを確信し、ほくそ笑んだ。
もちろん二人の幸せを妨害してやろうという悪意があるわけではない。
この一月、夜の営みがないことにエミリアが悩んでしまっているふうなのを見ると、心が痛んだが、そうも言ってられなかった。エミリアがルースのような下劣な男の妻となることは不幸以外の何ものでもないのだから、姉としては鬼になるほかはなかった。
じつは、わたしがまず狙ったのは婚約の解消だった。さすがにもう手遅れで、エミリアは嫁いできてしまったが、それでも後々のことを考えれば、傷は少ないほうがよかった。清らかな体のまま、離縁が叶えば、エミリアにはもっとふさわしい夫がきっと現れるはずだ。
わたしがそこで次善策として、何とか二人をほんとうの夫婦にはせずにおけないものか、と企てたのもそのためなのだ。
〈あなたを思ってのことなの、ごめんね……どうかわかってほしい〉
わたしは自分の憤りを宥めるようにそっとつぶやいた。
〈でも、ここの空気は人のにおいがする〉
そうなのだ、ここでは草木も風を避けてもらい、動物は馴らされ、それらが本来帯びるはずの峻厳を削がれてしまっている。そんななかで咲く花もまた美しいはずはなかった。
わたしはエミリアがかわいそうになった。こんなところで暮らしていては、エミリアのせっかくの溌剌さもだいなしになってしまう……。
そこまで考えて、わたしは苦笑した。わたしはすっかり山岳部族の思考を身につけてしまっているようだ。かつてエマであったわたしも、エミリアも、そこまで厳しい自然のなかに暮らしていたわけではない。バンティ・マインドとなったわたしはともかくも、エミリアにそんな心配は必要ないのだった。
そんなとき、小道を小走りに東屋へと向かう姿が白くぼうっと浮かんだ。エミリアではないか。どうも寝衣のままであるらしい。
わたしは立ち上がると、上着を手にし、エミリアの後を追った。訳はわからないが、とにかく上着をかけてやらねばならない。話はそれからだ。
◇◇◇
ベンチに腰を下ろしたエミリアはじっとうつむいている。未明の静謐の気配がその両頬に映り込んでいる気がした。
「奥様」
と、わたしは呼びかけた。
だがエミリアは顔を上げようともしない。声が届かなかったのか? いや、この東屋に向かうわたしの姿はさっき認めたようだから、きっと気づかないふりをしているのだろう。もちろん悪気があってのことではないはずだ。こんな時間に寝室を飛び出してきたところをわたしに見つかって、きまりが悪く、戸惑ってしまったのではないだろうか。わたしはまたエミリアがいとおしくなった。
「奥様」
もう一度呼びかけると、エミリアはやっと顔を上げた。
「奥様、夜風は侮れませんから、これをお召しになってください」
わたしは持ってきた上着をそっとエミリアの肩にかけた。エミリアは腕を通そうとはせず、手首を交差させた両手で打ち合わせを握り締める。
「ありがとう」
とエミリアはわたしに笑顔を差し向けた。だが、頬のあたりにはまだ張りつめた気配が残っている。
「こんな時刻に、いったいどうなさったのです?」
わたしが尋ねると、エミリアは間髪を置かず、
「ええ、ちょっと風に当たりたかったものだから……」
「それで……旦那様は?」
と、わたしはぶしつけに訊いた。気になるのだからしかたがない。
「眠っているのではないかしら……」
また、やにわの返答だった。反応が早すぎるのがどうにも不自然だ。
やはりエミリアとルースは、まだほんとうの意味での夫婦にはなっていない。わたしはそれを確信し、ほくそ笑んだ。
もちろん二人の幸せを妨害してやろうという悪意があるわけではない。
この一月、夜の営みがないことにエミリアが悩んでしまっているふうなのを見ると、心が痛んだが、そうも言ってられなかった。エミリアがルースのような下劣な男の妻となることは不幸以外の何ものでもないのだから、姉としては鬼になるほかはなかった。
じつは、わたしがまず狙ったのは婚約の解消だった。さすがにもう手遅れで、エミリアは嫁いできてしまったが、それでも後々のことを考えれば、傷は少ないほうがよかった。清らかな体のまま、離縁が叶えば、エミリアにはもっとふさわしい夫がきっと現れるはずだ。
わたしがそこで次善策として、何とか二人をほんとうの夫婦にはせずにおけないものか、と企てたのもそのためなのだ。
〈あなたを思ってのことなの、ごめんね……どうかわかってほしい〉
わたしは自分の憤りを宥めるようにそっとつぶやいた。
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