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11.イケメンは無知でした
しおりを挟む懐からドヤリと謎カードを取り出してきた悠を見て、俺は絶望した───……
凡ミスだ……。
明らかにこれは、俺側の落ち度だろう。
普通に会話をする分には格差を感じることもなかったし、一緒に出かけることすら今までなかったせいで、お互いの『普通』としての感覚に、ズレが生じていることにさえ気がついてやれなかった。
とすれば、やはりこれは俺が招いた凡ミスなんだろう。
くっ……。
初めてのおつかいならぬ、『初めての券売機』が初っ端から失敗してしまっただなんて……。
学校にいるとすぐに忘れそうになるけど、このイケメン様は大層な金持ちだったはず。
いつもはカードが使えるような、高級店にしか出入りしたことがないだろうし、ましてや喉が乾いたからと言って、そこらの自販機でジュースなんかも買ったりしないだろう。
ホテルのラウンジで、小指を立てながら紅茶を飲んでるくらいが似合う男だよ、コイツは。
(あー、くそっ、昨日の俺に懇々と説教をしてやりたい……!)
何で庶民と同じ価値観が通じると思ったんだよ!
昨日のうちにちゃんとそこに気づけていれば、事前に小銭を用意しておくようにときちんと言ってやれてたってのに!
カードを見ながら、俺の顔が引き攣っていることに気づいた悠が、不思議そうに小首を傾げている。
「何か問題があったか?」
(むしろ問題しかないわ!)
一瞬そう叫びそうになったけど……落ち着け俺!
今回は完全に俺が悪い。相手は庶民初体験の幼児と同じなんだ。
これは事前に察してやれなかった、俺の方に非がある。
ならばここはイケメン御曹司に恥をかかせない言い方で、かつ円滑に事実を伝えてやらねばならぬ大事な局面のはず。
今度こそ失敗は許されないぞ。気合を入れろ暁斗!
「何て言えばいいのかな。あー…、伝え忘れていた俺が完全に悪いと思ってくれていいんだけど……」
「あぁ。どうした三由?」
あぁ、くそっ。言うぞ! 言っちゃうぞ、俺!
頼むからショックは受けないでくれよ!
「えっとな……券売機は札か、小銭しか使えねーんだよ」
「え?」
あ、どうしよ……。悠が固まった。
ちゃんと俺の方に非があるということを伝えたつもりだったんだけどなぁ。
んむむむ……。やはりショックを受けちゃったんだろうか。
穏便に伝えるのって難しいな。
「…え?」
バグったようにもう一度同じ言葉を呟いた後、硬直していた悠が動き出した。
俺の顔と手元に持っているカードを何度も交互に見比べた後、やはりまた小首を傾げている。
……ごめんな。何度みても結果は一緒だと思う。
自身満々に取り出したんだろうけど…悪い。それ使えない。
信じたくない気持ちもわかるんだけどさ。
そもそも使えないって、おまえにとってはわけ分かんないよな。
「……これは使えない、のか?」
そんな馬鹿なと手元のカードを見ているけど…ごめん、頷くことしか出来ない。
学校を出ればどんな場所でも使える万能アイテムなんだろうけど、ウチの学校は小銭が物を言う世界なんだよ。
お前がいるのは『庶民の世界』だということを、そろそろ理解した方がいい。
「あー…うん…」
歯切れ悪くそう答えるしか出来ねぇ。
俺の言葉を聞いた途端、悠の柳眉がはっきりと苦悶の表情に歪んでしまった。
わぁあ!どうした悠っ!
お前の美しい顔面が崩壊してるんだけど…!
えっ、え…っ、さすがにここまではっきりと顔に出すのって、珍しいんじゃないのか!?
そこまでショックだったのかよっ!
これまた見たことのない悠の表情に青くなる。
(まずい。言葉は選んだつもりだったけど、α様のプライドを傷つけてしまったのか……!?)
ぎゃ…逆ギレ……逆ギレが、くる?
恐る恐る悠を窺ってみれば、怒りよりも気落ちした雰囲気が伝わってきた。
いつも自信に溢れたような悠の視線が、今ははっきりと下を向いている。
何かを思い詰めたような表情で、悠が俺に謝ってきた。
「……すまない。俺が世間知らずだったようだ。価値観の違いにも気づけなかった上に、事前の確認まで怠っていた自分が恥ずかしくなる」
「え…っ! いやいや。何でお前が反省してんの? お前全く悪くねーじゃん。 伝え忘れていた俺が悪いんだって…!」
悠の謝罪に慌てる。
むしろα様のプライドをズタズタにして、恥をかかせた俺が責められるべきだろ。
α様にだけ謝らせるわけにはいかないと、慌てて身体の前でバタバタと手を横に振りながら否定した。
「だが……」
にもかかわらず、なおも謝罪を続けようとする悠を慌てて制する。
非は俺にも十分あるから!
これ以上は謝られたくないんだって!
むしろ初めての券売機を失敗させてしまった、俺の方が申し訳ないっての。
願わくば笑顔で『買えたぞ三由!』と食券を誇らしげに握る、悠の姿が見たかったんだけどなぁ。
いや……悠が破顔する姿が想像出来ねぇ。
「あ、ほら、券売機!俺達の番だって!」
空気を変えるにはちょうどいいタイミングで、俺達の前に並んでいた生徒が食券を買い終わった。
慌てて券売機の前に行くと財布を取り出す。
中から千円札を取り出すと、オムライス定食と唐揚げ定食のボタンを手早く押して食券を買った。
(あとはコイツだけだな……)
背後の雰囲気が重い。心の中でため息を吐いた後、くるりと後ろを振り返った。
そのまま悄然と項垂れている悠の腕を掴むと、券売機の前から無理やり連れ出す。
まったく。
券を買う姿が見たいって張り切っていたくせに、見てもいないじゃん。
ほんと、手のかかるα様だよ。
俯くα様の顔の前に、買ったばかりの食券を差し出してやる。
「ほら」
「?」
俺の持っている食券を見ても、悠はよく分からないという風に目を瞬かせるだけだ。
「……これは?」
「見てわかるじゃん。オム定の食券」
ほらって言ってんのに、なんで受け取ろうとしないんだよ?
どころか不思議なものを見るかのように、またもやバサバサと音が鳴りそうな毛量の睫毛で目を瞬かせている。
(イケメンのキョトン顔って、結構可愛いかも……)
受け取ってくれないのは困るけど、普段無表情の悠が呆けてる姿は意外と可愛くて和む。
綺麗とか美しいと思う事は数あれど、よもやコイツの顔を見て可愛いなんて感情が湧くとは思わなかった。
ははは。ちょっとキュンとしちゃったかも。
「もー、ほらっ。いいから受け取れって!」
和んだけど、このままじゃ埒が明かない。
そう判断した俺は悠の手をサッと取ると、問答無用とばかりにその手の中に食券を押し付けてやった。
「ほら。これ持って、さっさと給仕のおばちゃんの所に行こーぜ」
クイっと悠の袖を摘むと、給仕カウンターを顎でしゃくる。
悠が何に戸惑いを覚えているのかは分からないけど、渡した食券を瞳を揺らしながら見つめている。
「しかし……あ、いや、すまない。明日にはお金を返す」
「いいっていいって。気にすんな。これは昨日の作業のお礼のつもりだからさ。ありがとな、悠。おかげでバイトにちゃんと間に合ったよ!」
朝にお礼を言いそびれたままだったんだよな、実は。
俺もすぐに埋め合わせが出来て嬉しいですよ、とニッコリする。
だからマジで気にすんな。
「いや、昨日のことなら大した手間でも無かったし、あの時はオレが──」
「ストップ!」
またもや落ち込こみ始めた悠の言葉を、途中で遮った。
コイツ一度落ち込むと長いな。
「あのさ、お前堅苦しいんだよ。こういう時は素直にお礼でいいんだって。お互い助かったならそれでいいじゃん」
悠の腕を軽く叩きながらそう言ってやると、目をパチパチさせながら俺を見ている。
お? もしかして驚いてる?
堅苦しいなんて上から目線なセリフ、β如きに言われたことなんてなさそうだもんな。
ふははは。しかし悪いな和南城。
貴族階級としては満点でも、庶民としてお前は落第点だ。
庶民生活に馴染みたいなら、底辺代表の俺に扱かれる覚悟でいてもらわないと。
わざとニッコリ笑ってやる。
せっかくαの悠がこっちの世界に歩みよって来てくれてんだ。
なら普通の友達として扱ってもいいだろ。
「名前で呼び合う仲じゃん俺ら。失敗なんて友達なんだし、フォロー出来る方がすればいいんだって」
さり気なく『友達』を強調するように言った俺の言葉に対して、悠が虚を突かれたように目を瞠っている。
えっ? 何でそんなに驚くの!?
もしかして──友達だと思ってたのは俺だけなんじゃ…。
うぉおおっ! なにそれっ。
俺ってば、すげー恥ずかしい奴じゃん!
怖いけどやっぱそこの所をきちんと確認しないと、これからの悠とどう付き合っていけばいいのか分かんねぇ。
聞きにくいけど、思い切って悠に聞いてみることにした。
「えーと…。てっきり名前呼びを許してくれたからさ、お前も俺の事を友達として認識してくれてんのかなぁって勝手に思ってたし、嬉しかったんだけど……やっぱこれって完全に俺の勘違いだった?」
さっきまでの強気な気持ちがシュンとなる。
色んな垣根を越えて仲良く出来るんじゃねぇかと思っていたけど、和南城にそんなつもりがなかったんじゃ悲しすぎる。
完全に独り相撲じゃん俺。恥ず……!!
羞恥と自己嫌悪に身悶える俺の姿を、じっと静かに見つめていた悠がポツリと小さな声で呟く。
「名前で呼び合う仲って……オレは三由に、名前で読んでもいいなんて許された覚えはないけど」
今度は俺が虚を突かされる番だ。
は? 何だそれっ。
お前ってば、そんなとこに引っかかってんの?
「え? お前も呼べばいいじゃん。駄目っていったっけ俺?」
「なら、名前で呼んでもいいのか?」
少し掠れた声で、窺うように聞いてきた。
何で名前くらいでそんな緊張感だしてんのお前。
もしや前の学校って「様付け」がデフォルトで、名前呼びまでのハードルがめちゃくちゃ高かったりとか?
ボンボン高だったみたいだし、ありえそう。
ははっ。こんなことくらいで緊張しているイケメンがちょっと可愛くなって、思わず頬が緩む。
名前呼びなんてここでは大したことないんだし、もっと気楽でいいのに。
「バーカ、友達なんだから呼んでいいに決まってんだろ。むしろ遅せーよ」
「おまえ、ちゃんと俺の名前憶えてる?」と試すように聞いてみれば、少しだけ口角を上げるように悠が笑ってきた。
「もちろん。暁斗だろう?」
「そうそう。なんだよ、ちゃんと覚えてんじゃん。暁斗でもアキでも、お前の好きなように呼べよ」
「あぁ。今日は本当は……オレの事情に付き合ってもらってるんだから、暁斗の分までオレが昼食を奢ろうと思っていたんだ」
ほぉ。意外と気配り屋なんだな。
「そんな事思ってたのかよ」
「あぁ。でも結局オレが無知なばかりに、逆に奢らせることになってしまったな。すまない」
恥ずかしそうに謝ってくる悠の姿になるほど、と納得がいく。
だからカードが使えないって知った時は、あんなに落ち込んでいたのか。
変な所ばっかり気にしてくれちゃって。そんなの別に気にしなくてもいいってのに。
まぁ俺の懐具合を、気にしてくれたってのもあるんだろうけどさ。
(──にしても、無知を認めるって正直すごいと思うぞ。αなんてプライドの塊だろうに)
やっぱ悠は良い奴なのかも。
βの俺に逆ギレもせずに、素直に謝ってくる度量まであるんだからさ。
不器用な悠の優しさが分かって思わずニヤける。
「バーーカ、何謝ってんだよ。友達なんだし、こういう時は『ありがとう』でいいって言っただろ」
「そうだったな」
そう言って、悠が照れたように柔らかい笑みを浮かべると、俺にお礼を言ってくれる。
「ありがとう、アキ」
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