1 / 6
1 Kanato.side
しおりを挟む
僕は、両親の顔を覚えていない。
自分の名前も、どうしてここにいるのかも。
『叶人、おはよう』
「おはよう、ヒカル」
扉を開けて彼が部屋に入ってくると、ふわりと花の香りがする。
僕は少し眠くなるような、そんな穏やかな心地がして、きっとこの感覚は幸せと言うのだろうと、そんなことを考える。
彼の名前は、ヒカル。
僕の大切な人だ。
『ご飯できたから、一緒に食べよう 』
「うん。ありがとう」
ヒカルは、細い腕で僕を抱き上げる。
この細い腕のどこにそんな力があるのだろうと思うけど、全く歩くことをしなくなった僕の足は子どものように細くて、もしかしたら、もうそんなに重くはないのかもしれない。
ヒカルに抱えられながら部屋を出る。
長い廊下を、心地の良い振動に揺られながら歩く。
音楽が好きなヒカルは、よく鼻歌を歌う。
聴いたことのないメロディー…いや、僕が覚えていないだけかもしれない。
廊下の先に、大きく開いたままの扉。
その向こうには広い食堂がある。
この家が、誰の家なのか僕は知らない。
思い出せない。
深く考えようとすると頭が酷く痛むから、僕はいつしか何も考えなくなってしまった。
『いただきます』
「いただきます」
ヒカルは優しくて、暖かくて、心地がいい。
ヒカルのことを僕は何一つ覚えていないけど、ヒカルは僕の知らない僕のことを、沢山話して教えてくれる。
僕の両親は、交通事故で亡くなったそうだ。
その事故が原因で、僕の足は動かなくなった。
病院で目が覚めた僕は、何もかもを忘れていて、そんな真っ白になってしまった僕に残されていたのは、ヒカルだけだった。
ヒカルは、僕の生活の何もかもを、世話してくれている。
この家には、僕が暮らすのに困ることは何一つない。
こんな生活はきっと、世間の常識というものからは大きく外れているように感じるけど、なぜか今の僕は深く考えるということが、出来なくなってしまっている。
頭に靄がかかっているような、そんな感じだ。
ヒカルが大丈夫だと言うなら、きっと全ては大丈夫なんだろう。
今の僕にとって、ヒカルが言うことは全て真実で、することは全て正しい。
常識とか、社会とか、世間とか、僕はそんなもの全部忘れてしまったんだ。
だったら、ヒカルこそが僕の世界だ。
でも、そんな幸せな世界が、最近少し、壊れつつあった。
「ヒカル?」
『………』
ヒカルは、最近少し変だ。
話している途中でも、食事の最中でも、突然電池が切れたように、バタリと眠ってしまうことがある。
僕の力では、テーブルに項垂れて眠ってしまったヒカルをベッドに連れて行ってあげることも出来ないし、こんなふうに眠ってしまった時のヒカルは、自分から目を覚ますまで、何度起こしても起きてはくれない。
「ヒカル…」
もしかしたら何か悪い病気かもしれない。
そう言っても、ヒカルは頑なに、大したことじゃないからと聞く耳を持たなかった。
このまま、目を覚まさないかもしれない。
いつも、そんなことを考えてしまう。
ヒカルを失ったら、僕は生きてはいけないのに。
「ヒカル…」
何度も何度も名前を呼ぶ。
時間が経てばまた、いつものように目を覚ましてくれる…そう自分に言い聞かせながら、何度も何度も。
僕の世界が、終わらないように。
自分の名前も、どうしてここにいるのかも。
『叶人、おはよう』
「おはよう、ヒカル」
扉を開けて彼が部屋に入ってくると、ふわりと花の香りがする。
僕は少し眠くなるような、そんな穏やかな心地がして、きっとこの感覚は幸せと言うのだろうと、そんなことを考える。
彼の名前は、ヒカル。
僕の大切な人だ。
『ご飯できたから、一緒に食べよう 』
「うん。ありがとう」
ヒカルは、細い腕で僕を抱き上げる。
この細い腕のどこにそんな力があるのだろうと思うけど、全く歩くことをしなくなった僕の足は子どものように細くて、もしかしたら、もうそんなに重くはないのかもしれない。
ヒカルに抱えられながら部屋を出る。
長い廊下を、心地の良い振動に揺られながら歩く。
音楽が好きなヒカルは、よく鼻歌を歌う。
聴いたことのないメロディー…いや、僕が覚えていないだけかもしれない。
廊下の先に、大きく開いたままの扉。
その向こうには広い食堂がある。
この家が、誰の家なのか僕は知らない。
思い出せない。
深く考えようとすると頭が酷く痛むから、僕はいつしか何も考えなくなってしまった。
『いただきます』
「いただきます」
ヒカルは優しくて、暖かくて、心地がいい。
ヒカルのことを僕は何一つ覚えていないけど、ヒカルは僕の知らない僕のことを、沢山話して教えてくれる。
僕の両親は、交通事故で亡くなったそうだ。
その事故が原因で、僕の足は動かなくなった。
病院で目が覚めた僕は、何もかもを忘れていて、そんな真っ白になってしまった僕に残されていたのは、ヒカルだけだった。
ヒカルは、僕の生活の何もかもを、世話してくれている。
この家には、僕が暮らすのに困ることは何一つない。
こんな生活はきっと、世間の常識というものからは大きく外れているように感じるけど、なぜか今の僕は深く考えるということが、出来なくなってしまっている。
頭に靄がかかっているような、そんな感じだ。
ヒカルが大丈夫だと言うなら、きっと全ては大丈夫なんだろう。
今の僕にとって、ヒカルが言うことは全て真実で、することは全て正しい。
常識とか、社会とか、世間とか、僕はそんなもの全部忘れてしまったんだ。
だったら、ヒカルこそが僕の世界だ。
でも、そんな幸せな世界が、最近少し、壊れつつあった。
「ヒカル?」
『………』
ヒカルは、最近少し変だ。
話している途中でも、食事の最中でも、突然電池が切れたように、バタリと眠ってしまうことがある。
僕の力では、テーブルに項垂れて眠ってしまったヒカルをベッドに連れて行ってあげることも出来ないし、こんなふうに眠ってしまった時のヒカルは、自分から目を覚ますまで、何度起こしても起きてはくれない。
「ヒカル…」
もしかしたら何か悪い病気かもしれない。
そう言っても、ヒカルは頑なに、大したことじゃないからと聞く耳を持たなかった。
このまま、目を覚まさないかもしれない。
いつも、そんなことを考えてしまう。
ヒカルを失ったら、僕は生きてはいけないのに。
「ヒカル…」
何度も何度も名前を呼ぶ。
時間が経てばまた、いつものように目を覚ましてくれる…そう自分に言い聞かせながら、何度も何度も。
僕の世界が、終わらないように。
0
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる