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禁忌と運命
しおりを挟む「……なん、で」
先に疑問を口にしたのは翠だった。呆然とこちらを見つめる瞳が驚きを隠さず揺れている。翼もさすがに動揺していた。
(弱まるどころか、強くなった……!?)
ぶわ、と音が聞こえてきそうなほど、爆発的に匂いが濃くなったのだ。まるで、抑制剤に反発するかのように。
「……っ、なんでこんな……」
「どうなってんだ……っ」
思わず鼻と口元を手の平で覆いながら、互いに驚愕の表情で見つめ合う。
自分たちは間違いなくα用とΩ用の発情抑制剤を飲んだのに。どうして。
認可が下り、実際に世の中で使われ始めてから既に十年ほど経っている薬だ。効果に間違いはないと様々なデータでも立証されている。翼も翠も薬の効きにくい体質ではないし、普段から服薬している日常用の抑制剤は効果が出ていると実感している。
それなのに、なぜ。
──あぁ、これが『運命』か。
翼は、唐突に理解した。両親から散々聞かされた衝動が、今まさに自分たちに襲いかかっているのだ、と。翠も同時に思い至ったのだろう。互いに気づいたことに、気づいてしまった。
発情抑制剤を飲んでも治まらない匂いと症状。体の奥底からマグマのような熱さで湧いてくる強い欲望。
(早く目の前の唯一を捕まえないと)
直後、絶望の表情を浮かべたのは翠だった。翼も、思わず舌打ちする。
(こんなもん、いらねぇのに)
翠に対する執着と渇望に、今更になって運命などという余計な理由をつけたくはなかった。そんなものがなくとも、翼は翠を愛しているし、求めている。
それに、これまでの熟考や忍耐が水の泡になることにも気づいてしまった。自分たちが運命の番だというのなら、今後の身の振り方が大きく変わってくるからだ。
「そんな……」
今、目の前で打ちひしがれている翠は、それでもどうにかできないのか、と必死で思考を巡らせている。
運命の番であること、相手が血の分けた双子の弟であること、今はまだ有効な薬が開発されていないこと、運命の相手であろうときっと世間は難色を示すこと、──それでも、ただ恋しいこと。
たくさん考え、あらゆる意味で逃げ場がなくなったと理解しているからこそ、翠は絶望と動揺を隠せないでいるのだ。
(言い訳が全部、消えちまったからな)
自分たちが運命の番でなければ、翠には逃げる口実としての最後のカードが残っていた。
『他者を運命と仮定して翼を拒否すること』
翠自身、このカードを切るつもりはなかっただろうが、使える手段が残っていることに対する安心感はどこかにあったのだと思う。翼としても、許すかどうかは別として、彼の逃げ道の全部を潰そうとは考えていなかった。
けれど、互いが互いの運命であると知ってしまった今、そのカードは切れなくなった。それに、そんな逃げ道の可能性すら許すことができそうにない。
(こんなの、どうしようもねぇだろ)
自分たちは、運命の強制力を身をもって知ってしまった。無理だ、理性でどうにかできるものではない。
さっきから、翠に飛びかかろうとする己を必死で押し止めているが、唇を噛んだ痛み程度では奥底で暴れている本能には勝てそうもない。滲む血の味すら、興奮材料になっていた。
身も心も求めてやまない相手が同じ家の中にいて、薬には頼れない。運命という強制力の前では、自分の忍耐などペラペラの紙同然だと現状が示している。
お手上げだ。
あとはもう、血の繋がった双子を魂でも繋がる番であると定めた、狂った神様を恨むことくらいしかできそうにない。奇跡と呼ばれるほど極端に低い遭遇率を思い出して、いっそ笑いたくなってきた。
(狂った相手にばっか愛されて、可哀相だな)
翠も、さっさと狂い切ってしまえばいいのに。
けれど、決してそうはならないことを翼は知っている。家族も世間も自分の感情も何もかもを捨てられず、抱えたまま狂うこともできない彼だからこそ、自分は焦がれてやまないのだ。
そうやって望み続けた存在が、運命の番だったなんて。
(むかつくけど、これでやっと手に入れられる)
項垂れている翠を眺めながら、翼は思考を切り替えることにした。気を抜けば番を襲おうとする本能に抗いながら、思いつく選択肢の中から最良なものを選んでいく。
抑制剤が効かず、理性が仕事をしないのであれば、これまでの前提が全て覆る。二人で共に生きるための方法が変わってしまう。
翼にとっては、翠と一緒にいられなくなることが、最も忌避すべき事態だ。それを避けるためならば多少の無理は通すつもりだし、おそらく今がその時だった。
(それに、運命なら間違いにもならない)
自然と口角が上がった。それを見た翠が、大きく目を瞠る。
「まっ、翼、ちょっと待った……っ」
慌ててそう口にする彼の瞳は、翼を求めるように熱を帯びていた。心も体も、ぐらぐらと揺れているのが見て取れる。
翠が自分と同じ選択をして同じ結論に至ったかどうかはわからない。けれど、ひとつだけ気づいたことがある。
(駄目だ。嫌だ。やめろ。……そう言えば、俺を止められるってわかってんのにな)
本気で拒絶されれば、留まることはできただろう。好きだからこそ翠の望まぬことはしたくないという気持ちは今でもちゃんと残っているし、翼がその考えのもとこれまでずっと我慢してきたことを翠も理解している節がある。
だからこそ止められないし、止める理由もなくなってしまった。
「待たない。だってもう、待ったところで変わらないって、翠もわかってんだろ?」
止めるための逃げ道をなくして、止めなくていい理由が増えたのだ。しかも、神様という最強の他者へと責任転嫁ができる。その誘惑に、興奮状態にある今の自分達が勝てるわけがない。
なにより、翠が自分を欲しがっている。そのことに気づいたからこそ、止まる必要がなかった。
「翠」
腕を伸ばし、てのひらで頬に触れる。翠はびくり、と肩を震わせ、なんとか反論を探すように目を泳がせた。結局、拒絶の言葉は吐き出されず、乞うように香りが強くなる。
「……翼」
普段なら決して表に出さないはずの弱々しい声で名を呼ばれ、翼はたまらない気持ちで目を細めた。
(俺らの忍耐をぶち壊した運命の神様とやらは、とんだ悪趣味だな)
禁忌と運命という両方を架してくる狂った神様に、内心で舌打ちする。ギリギリで保っていた均衡を崩し、求めてもなかったお墨付きを勝手に与えてきたのだ。本当に癪に障る。
それでも、翠を手に入れられる喜びは確かに存在していた。だからこそ、狂った神様が自分たちに望んでいる言葉を、翼はあえて吐き出した。
「お前は俺ので、俺はお前のだ」
残酷で、それでいて甘美でもある真実を告げながら、ゆっくりと唇を重ねる。抵抗はなかった。
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