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第二章
44話 温泉旅館
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結局、予想外の温泉の事を除けば条件がいいこの宿に泊まることになった。
「本気で温泉に入る気か、あの坊ちゃん」
名無しがフレドリックにそう問いかけると、フレドリックは苦笑いをして答えた。
「まぁ、本気だと思います。……こう言っては何ですが私は強く反対する気になれなくて」
「なんでだ」
「ライアン様にとってこれが人生で初めての旅、そして、場合によっては俗世との最後のふれあいになるかも……と思いますと……」
フレドリックはそう言いながら俯いた。政情が不安定なうちはライアンは中央教会の外には出られないだろう。あの王太子次第では本来なら約束されていたはずの輝かしい未来を捨てて教会の中で老いて死んでいくのかもしれない。
そう思うと不憫で、せめてこの最後の街で美味しい物を食べて珍しい温泉とやらを体験させてやりたいという気持ちがフレドリックにはあった。
「ふぅん……」
「入浴中の護衛は私がやりますから」
「それで済めばいいけどな……」
名無しはそう呟いて、剣の手入れをはじめた。一方、隣のライアンとエミリアの部屋ではライアンがエミリアをしきりに温泉に誘っていた。
「だからエミリアも遠慮はしなくていいんだ」
「別に遠慮をしている訳では……」
エミリアはほとほと困った顔をしてライアンの説得を聞いていた。
「エミリアは温泉に入ったことがあるのか?」
「え? いいえ……?」
「なら行こう。大体、そんなぼさぼさのぼろぼろで中央協会に戻っても笑われるぞ?」
「……ぼさぼさ? え……?」
ライアンはこくりと頷いた。エミリアは不安になって荷物の中から小さな手鏡を取りだして自分を見た。確かに改めて見ると髪は痛んでいるし、肌の潤いが足りない気がする。尼僧になったからといってこれらがまったく気にならない訳ではない女心が頭をもたげる。
「うーん……」
エミリアは考え込んでしまった。そこにライアンが追い打ちをかける。
「エミリア、教会に戻ったら二度と来れないんだぞ」
「……で、温泉に入りたいと」
「うん」
「そしてエミリアも」
「は、はい……」
フレドリックの言葉にエミリアは小さくなった。ふぅ、とフレドリックはため息をついた。ライアンは予想していたがエミリアまでそう言い出すとは思わなかったのだ。フレドリックは後ろに立つ名無しを振り返った。
「……俺が護衛につく。それで問題ないだろう」
エミリアが自分から何かしたい事を言い出したのなんて、一緒に町に出かけた時くらいだ。あれだって巡礼の路銀稼ぎが目的で、本当に自分の為に何かをしたいと言ったのはこれが初めてではないだろうか。名無しはフレドリックの言葉を聞いて思うところもあり、危険なのは承知で頷いた。
「アル、いいんですか」
「たまにはゆっくりしてこい」
「……ええ」
エミリアは少しうきうきした気持ちを隠しきれずに頷いた。
「じゃあ話がついた所で食事にしますか」
「ああ」
フレドリックが話しを遮り、一行は宿の食堂に向かった。酒を飲み過ぎて騒いでいるものなどもおらず、ここの客の客層がよく分かる。服装から見るに、羽振りのいい行商人が多いようだった。
「では前菜からです」
こうして旅の最後の晩餐が始まった。フレドリックと名無しは酒を控えたが、ライアンは水で割ったワインを飲み、エミリアも少々ではあるがワインを口にした。
「悪くないワインだ」
ライアンは満足そうに言った。前菜はきのこと野菜のマリネだったが特に文句も言わずに食べている。
「エミリア、もっと飲め」
「私はあまり……」
ライアンにお代わりを勧められて手を振って断るエミリアを見て名無しは思わず小さく吹きだした。
「あんたけっこうイケる口じゃないか」
「ア、 アル!! ……もう知りませんからね」
名無しに笑われてエミリアは膨れながら杯を飲み干した。それから四人は次々と出てくるこの宿の特製ソースのかかった魚のフライや鹿を薬草で香り付けしたローストなどを平らげた。
「ここの女将は正直者のようだ」
満足そうに口元を拭いながらライアンが言った。横のフレドリックも頷く。
「美味しゅうございましたな」
食後に出てきた苺のカスタードパイとお茶を飲んで、くつろいだ雰囲気が一行を包んだ。
「野営同然のボロ屋とかしみったれた教会に比べたら天国だ。ははは」
子供のくせにしかめ面をしている事が多いライアンも、この時ばかりは愉快そうであった。そして……食事を終えたらライアンの待望の温泉である。
「ここの廊下をまっすぐ行くと浴場施設に直結しております。雨の日も濡れないし、冬場も寒くないという訳です」
「ほーう」
宿の女将の説明に、ライアンが感心したように声を出して廊下を眺めた。
「よし、早く行こう!」
「ライアン様、走らないでください!!」
駆け足で進んで行くライアンをフレドリックが追いかける。ライアンもやはりまだ子供なのだ。しかし、その足がぴたりと止った。
「……ん? 入り口が二つ??」
「ああ、こっちが男でこっちが女だよ」
入り口にいた監視員らしき男がライアンに言った。
「男女別なのか?」
「ああ。うんと小さい子供はどっちでもいいけど……ほらみんな裸だからなぁ」
「は、はだか?」
ライアンはポカンとしてフレドリックを振り返った。
「フレドリック、温泉は裸で入るのか」
「そうですね……ライアン様も風呂は裸で入るでしょうに」
「赤の他人の前だぞ?」
ライアンは混乱しているようだった。名無しはそんなライアンを見てぼそっと呟いた。
「別に男同士で何が困るんだ?」
「そ、そうか……そうだな……」
結局ライアンは温泉への好奇心が勝ったようだった。大げさを腕を振り上げると男湯の方に向かっていく。
「では行ってきますんで」
「ああ」
そして、後には名無しとエミリアが残された。
「あの……アルは?」
「護衛すると言ったろう。ここで待っているから早く浸かってこい」
「あ、はい……」
エミリアは申し訳無さそうな顔をしながら、温泉の入り口に陣取った。
「兄ちゃんは入らないのかい」
「俺は護衛なんでな」
「女湯の中まで護衛できなくて残念だな。ははは」
名無しは黙って監視員のおっさんの戯れ言を聞いていた。
「本気で温泉に入る気か、あの坊ちゃん」
名無しがフレドリックにそう問いかけると、フレドリックは苦笑いをして答えた。
「まぁ、本気だと思います。……こう言っては何ですが私は強く反対する気になれなくて」
「なんでだ」
「ライアン様にとってこれが人生で初めての旅、そして、場合によっては俗世との最後のふれあいになるかも……と思いますと……」
フレドリックはそう言いながら俯いた。政情が不安定なうちはライアンは中央教会の外には出られないだろう。あの王太子次第では本来なら約束されていたはずの輝かしい未来を捨てて教会の中で老いて死んでいくのかもしれない。
そう思うと不憫で、せめてこの最後の街で美味しい物を食べて珍しい温泉とやらを体験させてやりたいという気持ちがフレドリックにはあった。
「ふぅん……」
「入浴中の護衛は私がやりますから」
「それで済めばいいけどな……」
名無しはそう呟いて、剣の手入れをはじめた。一方、隣のライアンとエミリアの部屋ではライアンがエミリアをしきりに温泉に誘っていた。
「だからエミリアも遠慮はしなくていいんだ」
「別に遠慮をしている訳では……」
エミリアはほとほと困った顔をしてライアンの説得を聞いていた。
「エミリアは温泉に入ったことがあるのか?」
「え? いいえ……?」
「なら行こう。大体、そんなぼさぼさのぼろぼろで中央協会に戻っても笑われるぞ?」
「……ぼさぼさ? え……?」
ライアンはこくりと頷いた。エミリアは不安になって荷物の中から小さな手鏡を取りだして自分を見た。確かに改めて見ると髪は痛んでいるし、肌の潤いが足りない気がする。尼僧になったからといってこれらがまったく気にならない訳ではない女心が頭をもたげる。
「うーん……」
エミリアは考え込んでしまった。そこにライアンが追い打ちをかける。
「エミリア、教会に戻ったら二度と来れないんだぞ」
「……で、温泉に入りたいと」
「うん」
「そしてエミリアも」
「は、はい……」
フレドリックの言葉にエミリアは小さくなった。ふぅ、とフレドリックはため息をついた。ライアンは予想していたがエミリアまでそう言い出すとは思わなかったのだ。フレドリックは後ろに立つ名無しを振り返った。
「……俺が護衛につく。それで問題ないだろう」
エミリアが自分から何かしたい事を言い出したのなんて、一緒に町に出かけた時くらいだ。あれだって巡礼の路銀稼ぎが目的で、本当に自分の為に何かをしたいと言ったのはこれが初めてではないだろうか。名無しはフレドリックの言葉を聞いて思うところもあり、危険なのは承知で頷いた。
「アル、いいんですか」
「たまにはゆっくりしてこい」
「……ええ」
エミリアは少しうきうきした気持ちを隠しきれずに頷いた。
「じゃあ話がついた所で食事にしますか」
「ああ」
フレドリックが話しを遮り、一行は宿の食堂に向かった。酒を飲み過ぎて騒いでいるものなどもおらず、ここの客の客層がよく分かる。服装から見るに、羽振りのいい行商人が多いようだった。
「では前菜からです」
こうして旅の最後の晩餐が始まった。フレドリックと名無しは酒を控えたが、ライアンは水で割ったワインを飲み、エミリアも少々ではあるがワインを口にした。
「悪くないワインだ」
ライアンは満足そうに言った。前菜はきのこと野菜のマリネだったが特に文句も言わずに食べている。
「エミリア、もっと飲め」
「私はあまり……」
ライアンにお代わりを勧められて手を振って断るエミリアを見て名無しは思わず小さく吹きだした。
「あんたけっこうイケる口じゃないか」
「ア、 アル!! ……もう知りませんからね」
名無しに笑われてエミリアは膨れながら杯を飲み干した。それから四人は次々と出てくるこの宿の特製ソースのかかった魚のフライや鹿を薬草で香り付けしたローストなどを平らげた。
「ここの女将は正直者のようだ」
満足そうに口元を拭いながらライアンが言った。横のフレドリックも頷く。
「美味しゅうございましたな」
食後に出てきた苺のカスタードパイとお茶を飲んで、くつろいだ雰囲気が一行を包んだ。
「野営同然のボロ屋とかしみったれた教会に比べたら天国だ。ははは」
子供のくせにしかめ面をしている事が多いライアンも、この時ばかりは愉快そうであった。そして……食事を終えたらライアンの待望の温泉である。
「ここの廊下をまっすぐ行くと浴場施設に直結しております。雨の日も濡れないし、冬場も寒くないという訳です」
「ほーう」
宿の女将の説明に、ライアンが感心したように声を出して廊下を眺めた。
「よし、早く行こう!」
「ライアン様、走らないでください!!」
駆け足で進んで行くライアンをフレドリックが追いかける。ライアンもやはりまだ子供なのだ。しかし、その足がぴたりと止った。
「……ん? 入り口が二つ??」
「ああ、こっちが男でこっちが女だよ」
入り口にいた監視員らしき男がライアンに言った。
「男女別なのか?」
「ああ。うんと小さい子供はどっちでもいいけど……ほらみんな裸だからなぁ」
「は、はだか?」
ライアンはポカンとしてフレドリックを振り返った。
「フレドリック、温泉は裸で入るのか」
「そうですね……ライアン様も風呂は裸で入るでしょうに」
「赤の他人の前だぞ?」
ライアンは混乱しているようだった。名無しはそんなライアンを見てぼそっと呟いた。
「別に男同士で何が困るんだ?」
「そ、そうか……そうだな……」
結局ライアンは温泉への好奇心が勝ったようだった。大げさを腕を振り上げると男湯の方に向かっていく。
「では行ってきますんで」
「ああ」
そして、後には名無しとエミリアが残された。
「あの……アルは?」
「護衛すると言ったろう。ここで待っているから早く浸かってこい」
「あ、はい……」
エミリアは申し訳無さそうな顔をしながら、温泉の入り口に陣取った。
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「女湯の中まで護衛できなくて残念だな。ははは」
名無しは黙って監視員のおっさんの戯れ言を聞いていた。
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