絶対働かないマン

奥田恭平

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いま、暴落中です

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 ――大暴落。
 
それはなんの前触れもなく訪れた。
 12月22日
 俺がさらに仮想通貨の買い増し、イーサリアムを購入した翌日のことだった。
 イーサリアムはすでに値上がりし、1ETHが10万円、俺は20万円で約2ETH購入した。
 コインチェックは手数料が高いので本来はザイフという、別の取引所で購入するべきだが、ここのところの仮想通貨ブームで本人確認の完了に時間がかかっている。
 金銭の損失よりも、待っている間の値上がりの方がもったいないと、あえてイーサリアムで購入したのだったが……。
 
 ――完全に裏目に出た。

 夜寝る前にはほぼ平行だったチャートが、朝目覚めると、驚くほどの直滑降で下っていた。
 ほぼ真下に向かっている。
 これまでも俺はチャートから目を離せない日々を送っていたが、これまで以上に、俺はチャートに釘づけになっていた。上がっている時よりもはるかに目が離せない。
 明け方から始まった急激な下落を見ているうちに、あっという間に夜になってしまった。
 その間、わずかに反発するものの、すぐに再び下落へ。
 力ないちょこんとした突起を作りながら急こう配の下り坂を描き続ける。
 イーサリアムは現在85000円前後。すでに25%ほど下落したことになる。
 ネムコインはさらに酷く30%以上の下落。
 昨日との比較では40万近くの損失を出している。
 もちろん、俺は70万のプラスを出していたので、それが減っただけなのだが……。

「お兄ちゃん、コインの調子はどう?」

 夏葉もやはり不安なようで何度も同じことを尋ねる。

「ああ、まあ、普通だ」

 俺は夏葉に現在暴落中であることは伝えていない。
 なにせ、購入しただけで、あの怒りっぷり。暴落したとわかったら、なにをされるかわかったものではない。
 そして俺には夏葉に黙っていることがもう一つ。

 ――本当はあと10万仮想通貨を購入していたのだ。

 バレないようにコインチェックではなく、別の販売所、ビットフライヤーで。
 購入した仮想通貨はモナコイン。金額は10万円分。
 これが完全に失敗。
 1モナコイン、2500円で購入して、現在は驚きの1350円である。
 10万円が6万円弱に……。
 手痛い。あまりにも手痛い。
 しかもいまもなお、刻々と資産が減っている。
 こんなことは決して夏葉には教えられない。ただ心配をかけるだけ、不安になるのは俺一人で十分だ。絶対働かないマンは弱気になった姿は誰にも見せないのである。
 そして、絶対働かないマンは狼狽売りはしない。信念を貫き通すのみである。
 とはいえ、このまま家にいては、俺の態度で夏葉に暴落を勘づかれてしまう。
 過疎通貨の暴落チャートよりも夏葉の悲しむ顔が見たくない。
 そんなわけで俺は死期を悟った猫のごとく、ふらふらと家を出るのであった。

    ◆
 
 仮想通貨の暴落に心をズタズタにされながら向かった先は、家庭料理『ふみ』。
 チャートにとらわれていると弱い心が出て、いま残っているちょっぴりの利益を確定してしまう恐れがある。
 どうせ俺の力で仮想通貨の値段をどうこうできるわけではない。こんな日は一杯やって忘れてしまうのが正解だ。

「あら、いらっしゃい」

 俺が暖簾をくぐるとふみさんはいつも通りの笑顔で出迎えてくれる。
 実に癒される屈託のない笑顔。さすが俺の将来の嫁候補だ。
 ネムコインが1000倍に値上がりしたら、この店を改装してやろう。
瓶ビールを頼み、お通しのいんげんの胡麻和えをつまみに一杯やる。

「君人さん、なんだか、大人っぽくなりましたね」

 ふみさんがそんな俺の姿を見て、意外なことを言う。
 俺はこれまで大人っぽいと言われた経験は皆無だ。むしろ無職独特のオーラで年齢よりも若く見られることが多い。
 それに絶対働かないマンである俺にとっては年齢も見た目もまったく関係がない。

「そうですか。見た目のことより、ふみさんに名前を憶えてもらったことの方が嬉しいです。結婚に一歩近づきましたね」
「ちょっと、なにを言ってるんですかっ。それだけ個性的だと名前くらい覚えますよ」

 ふみさんはこの程度のジョークでもしっかりと照れてくれる。
別に大人っぽくなどならなくていいが、ふみさんとの会話は弾ませたい。
 俺はさらにビールをあおって、会話に勢いをつける。

「それで、どの辺が大人っぽいですか?」
「なんとなく、その渋さを感じるというか……、本当になんとなくです」
「ふみさんは大人っぽい男は好きですか?」
「どっちかというと、子供っぽいよりは……。あっ、あくまで一般論ですからねっ!」

 なんだか照れっぱなしのふみさん。
 女性が一番魅力的に見える瞬間は照れている時。これは間違いない。
 俺はそんな照れた女性を鑑賞しながら、いつもよりハイペースでビールを飲み、ことさら渋い顔を作る。

「奇遇ですね。僕も普通の女性よりもふみさんのような女性が好みです。あくまで一般論として」

 お酒のせいで、躊躇なく口説き文句が出る。
 元々俺は失うものがない身、さほど躊躇など必要ないのだが。
 それにしても大人の渋みか……。
 いつの間にそんなものが身についたのか……。
 その理由について考えながら、さらにビールをあおる。
思案の結果、俺に大人の渋みを与えた原因がたった一つだけ思い当たった。
 それは……。
仮想通貨の暴落である。
 その悲しみに耐えながら、ビールを飲む姿が、渋みを醸し出した、というか、苦しんでる様がそのように誤解されたのだ。
 なにせ一瞬で数万円が消えていくのだ。朗らかではいられない。
 まさに意外な副産物としか言いようがない。

「やはり、男は乗り越えた悲しみの数だけ、大人になるんでしょうね。そして悲しみを乗り越えるためには女性の笑顔が必要です」

 俺はいま、暴落の悲しみを乗り越えようとしている。
 大人の渋みが出たと誤解されるなら、暴落もアリだ。
 絶対に売らぬ。
 俺は決意を新たにする。
 この苦しみから逃れるために、スマホで簡単にいますぐにでも売れる。そうすれば30万円程度は利益が出るだろう。だが売らぬ。
 こんなことで渋みがゲットできて、好感度が上がるなら、しばらくはホールドである。
なんだったら、しばらく下がりっぱなしでもよしとしようじゃないか。
 
 ――絶対働かないマンはポジティブシンキングなのである。

 このポジティブさだけを武器に、世界の荒波に立ち向かい、そして暗号通貨のボラティリティにも立ち向かう。それが絶対働かないマンなのだ。

「ふみさん。これからはね、暗号通貨っすよ。いまのうちに買っておいたほうがいいっすよ」

 俺はすっかり酔いが回り、ポロポロと口にすべきではないことを話し始めてしまう。
 本来お金の話、ましてや投資の話をこういった場で話すべきではない。
 あまり品がある話ではないからだ。

「仮想通貨、いま話題ですね。儲かるんですか」
「いま、暴落中です」
「えっ……」

 しかも銘柄を進めるなどはやるべきではない。特に暴落している仮想通貨を進めるなど、完全に泥酔者の所業である。
 しかし、俺はすっかり飲みすぎていた。
 泥酔者の所業を行うにふさわしい酒量をたしなんでいるのである。
 俺はさらにビールを追加する。
 やはり仮想通貨の暴落でストレスを感じていたのか、ビールが止まらない。
 その日、俺は完全に飲みすぎて、朦朧とした意識で帰宅し、そのまま着替えもせずに眠った。
 翌日起きると、俺は恐る恐る、仮想通貨のチャートを確認する。
――値はほぼ回復していた。
 ビットコインの暴落につられて、全アルトコインが暴落していたのだが、ビットコインの回復と同時に、他のコインも回復している。
 ほっと一安心だ。
 俺は酒のおかげで狼狽売りをしなくて済んだ。
酒に飲まれてしまった方がいい夜もあるのだ。
俺はチャートを見つめながら、しばらくニヤニヤと笑い続ける。
こうして俺は狼狽売りによる、資産の損失を免れると同時に、大人の渋みも失ったのだった。
 

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