その魔法が解ける前に

hayama_25

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第59話

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「壱馬さん!起きてください!」

 私は、壱馬さんの肩を揺らしながら、自分の声が震えていることに気づいた。

 怖かった。

 彼の寝言があまりにも苦しげで、その眉間の深い皺が、何かに怯えているようで。

 彼が、遠くへ行ってしまいそうで。

 私の声が届かない場所に、心だけが置き去りにされてしまうような、そんな気がした。

 壱馬さんが目を開けたとき、その瞳にはまだ夢の残像があった。

 焦点が合っていないようで、でも、私の名前を呼んだ。

「…はぁ……っ、花澄、」

 その一言に、私は息を呑んだ。

 壱馬さんの声は掠れていて、まるで何かにすがるような響きだった。

 私の名前を呼んでくれた。

 彼の中に、私がいることが嬉しかった。

 でも同時に、その声に込められた痛みが、私の胸を刺した。

「大丈夫、ですか、?」

 壱馬さんの瞳は揺れていた。

 まるで何かを拒絶しているようで、でも同時に何かを求めているようでもあった。

「俺…」

 壱馬さんが言いかけた言葉は、途中で途切れた。

 その沈黙が言葉よりも重くて、私はどうしていいか分からなかった。

「うなされて、ずっと苦しそうで、」

 夢の中で、何かに追われているような。
 逃げ場のない場所に閉じ込められているような。

 そんな声で、誰かに謝ってた。

「…花澄、」

 そう言うと、壱馬さんは突然、私に抱きついてきた。

「っ、壱馬さん、?」

 驚いて、身体が一瞬硬直する。

 でも彼の腕の中にある温度が、あまりにも切実で、拒むことなんてできなかった。

 顔を見ようとしたけれど、彼の手が震えていることに気づいた。

 その震えが何かを物語っているようで、私はただ、彼の背中を優しくトントンと叩いた。

「俺は…」

 彼が何かを言おうとしている。
 でも、言葉にならない。

 その沈黙の中に、壱馬さんの過去がある。

「…大丈夫。大丈夫です」

 私は、そっと囁いた。

 無理に話そうとしなくていい。
 言葉にできないこともある。

 私も、そうだったから。

 誰にも言えない痛みを抱えてる。

 誰かに触れられるのが怖くて、でも、触れてほしくて。 

 その矛盾の中で、ずっと揺れていた。

 だからこそ、壱馬さんの震える手に触れて、
 彼の腕の中にいることが、私にとっても救いだった。

 彼の痛みを、全部は分からない。

 でも、彼の過去に踏み込むことはできなくても、今の彼に寄り添うことはできる。

 私は、彼の背中をトントンと叩きながら、その温度を感じていた。 

 彼の震えが、少しずつ落ち着いていくのを感じながら、

 私の心も、静かに彼に寄り添っていた。

 この人は、きっと誰にも言えない痛みを抱えている。

 でも、それを無理に引き出すことはしない。

 私は、ただそばにいる。
 それだけでいい。

 それが、今の私にできる精一杯の優しさだった。

 そしてその優しさが、彼に届いてくれることを、
 ただ静かに願っていた。

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