その魔法が解ける前に

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第65話

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「俺は、花澄の優しいところが好きだよ」

 その言葉が落ちた瞬間、胸の奥がじんと熱くなった。

 まるで誰にも見せたことのない部分を、そっと撫でられたような気がした。

 誰にも見せたことのない、見せる必要もないと思っていた部分。

 むしろ、気を遣いすぎて疲れてしまう自分を、ずっと否定してきた。

 それを、壱馬さんは「好き」と言った。

 その言葉の重みが、胸の奥にじんわりと染み込んでいく。

「なに言って、」

 照れ隠しのように言葉を返したけれど、声が少しだけ震えていた。

 嬉しいのに、どうして素直に受け取れないんだろう。

 誰かに褒められることに慣れていなくて、信じることが怖くて、

 つい否定してしまう。

 そんな自分が、少しだけもどかしかった。

「でも、その謙虚さがそうさせてるなら、もっと自信持ってもいいと思う」

 壱馬さんの声は、まっすぐで優しくて、私の心の奥にある“遠慮”に、そっと触れてくるようだった。

 自信なんて、持ったことがなかった。

 誰かと比べては、自分には何もないと思い込んでいた。

 華やかさも、人を惹きつけるような魅力も、
 何かに秀でた才能も。

 私は、ただ静かにそこにいるだけの人間だった。

 誰かの後ろで、そっと支えることしかできない。

 そんな自分に、価値があるなんて思えなかった。

「私に自信を持てるものなんてないです」

 ずっとそう思って生きてきた。

 誰かに必要とされることも、誰かに選ばれることも、

 自分には縁のないものだと思っていた。

「誰かのために動けるところとか。言葉にしなくても、空気で気づけるところとか。そういうのって、誰にでもできることじゃないよ」

 そんなふうに見てくれていたんだ。

 私が気づかれたくなくて、そっと隠していた部分を、彼はちゃんと見てくれていた。

 それが、あまりにも優しくて、あまりにも切なくて、涙が出そうになった。

 誰にも気づかれないように、

 空気を読んで、場を和ませて、誰かのために動いてきた。

 それは自分を守るためでもあったし、誰かに嫌われないためでもあった。

「私は、壱馬さんに何かを返せてるでしょうか」

 その問いは、ずっと胸の奥に沈んでいたものだった。

 彼の優しさに触れるたび、自分が何も返せていない気がして、申し訳なくなった。

 ただ隣にいるだけで、彼の心に何か届いているのだろうか。

 そんな不安が、言葉になってこぼれた。

「花澄が俺の隣にいてくれるだけで、それだけで、十分すぎるくらい返してもらってるよ」

 その言葉は飾り気がなくて、まるで春の風のように、心にそっと触れた。

 壱馬さんは、何も求めていなかった。

 ただ、私がそこにいることを、それだけで価値だと言ってくれた。

 その優しさがあまりにも温かくて、胸がまた静かに軋んだ。

「そんなの、私なんかじゃ」

 私なんかじゃ釣り合わないのに。

 そう言おうとした。

 でも私が自分のことを卑下する度に、壱馬さんが悲しそうな顔をするから。

 その顔を、もう見たくなかった。

 だから、言葉の続きを飲み込んだ。

 壱馬さんは、困ったように笑った。

 その笑顔が、どこか切なくて。
 私の否定を、そっと包み込んでくれるようだった。

「俺が勝手に花澄を大事にしたくて、勝手にそばにいたいって思ってるだけだよ」

 その言葉が、私の罪悪感を少しだけ軽くしてくれた。

 彼は、私に何かを求めているわけじゃない。

 ただ、自分の意思で、私を大切にしたいと思ってくれている。

 涙がまた、頬を伝っていった。

 でも今度は、その涙を隠さなかった。
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