5 / 51
5話 婚約
しおりを挟む
5話 婚約
「酷い状態ですが、1週間もすれば普通に戻るでしょう」
熱を出してから1日と半日経過して、ようやく主治医が俺を診た。医者は一通りの診察を終え、淡々と現状を説明する。両親は本邸の会議室で話を聞き、俺は本邸から600m離れた別邸で眠っていた。父は眉を寄せ、腕を組んでいて不機嫌な様子。母は扇で口元を覆い、その内側を隠そうとしている。このふたりの仲が決して良くないことは、子供の俺でもよくわかる。兄弟ですら話題にしようとしない、暗黙のルール。望まない政略結婚の果て、冷え切った夫婦仲。わざわざ言及することもないだろう。
「それでは、失礼いたします」
医者が部屋から出ると、父は鼻で笑い、母は目を伏せた。
「まったく、我がフォールディングの面汚しが」
「一体いつになれば……」
母の小さな嘆きに、父は足を踏み鳴らして答えた。
「どうせもう終わりだ。私たちは何もしなくていい」
「そうですわね。手を下すまでもありませんわ」
「……」
医者の出たドアの向こう側、ひとりの人間が耳を澄ます。目を光らせ、息を殺し、会話を盗み聞きする。頭の中にメモし、思考を巡らせる。結局、その人が両親にも屋敷の使用人にも認知されることはなかった。
その人物の正体を確かめる間もなく、「それ」は突然訪れた。
「婚約……!?」
まだ夢が続いているのかと疑った。信じられない。今まで散々死人のように扱って、除け者だと弾き出されてきたのに。今更?
「そうだ。お前はただ座っていればいい」
表情を悟らせぬよう、幕1枚越しに父が話しかける。侮蔑のこもった声で、有無を言わせぬ早さで。
「しかし、今になってなぜ……?」
俺は普段の呼吸を意識し、布団を強く握った。この気持ち悪さは、病み上がりで熱が満ちているからか、それとも……。
「そんなことお前には関係ないだろう。喜べ。能無しのお前でももらってくれるところが見つかった。ストローマ家のブレイカ令嬢と婚約だ」
「え……」
嘲笑。
何を今更。この人は、最初からこういう人間性を持っていたじゃないか。自分より下の人間を見下して、高笑いする人だってこと。わかっていた。この人の前では、俺の存在意義も、経験も、ほぼない未来も、何の意味もないってこと。
これ以上何も言わないよう、口を噤んだ。
「口答えなんてするなよ。俺はなあ、お前みたいな貧弱なやつを息子だと思ったことはない。血を分けたことが恥ずかしいくらい、出来損ないの無能だ。結婚してお家の役に立てることを誇りに思え。そして、さっさと家を出ていけ。お前にフォールディングの姓はやらん」
「酷い状態ですが、1週間もすれば普通に戻るでしょう」
熱を出してから1日と半日経過して、ようやく主治医が俺を診た。医者は一通りの診察を終え、淡々と現状を説明する。両親は本邸の会議室で話を聞き、俺は本邸から600m離れた別邸で眠っていた。父は眉を寄せ、腕を組んでいて不機嫌な様子。母は扇で口元を覆い、その内側を隠そうとしている。このふたりの仲が決して良くないことは、子供の俺でもよくわかる。兄弟ですら話題にしようとしない、暗黙のルール。望まない政略結婚の果て、冷え切った夫婦仲。わざわざ言及することもないだろう。
「それでは、失礼いたします」
医者が部屋から出ると、父は鼻で笑い、母は目を伏せた。
「まったく、我がフォールディングの面汚しが」
「一体いつになれば……」
母の小さな嘆きに、父は足を踏み鳴らして答えた。
「どうせもう終わりだ。私たちは何もしなくていい」
「そうですわね。手を下すまでもありませんわ」
「……」
医者の出たドアの向こう側、ひとりの人間が耳を澄ます。目を光らせ、息を殺し、会話を盗み聞きする。頭の中にメモし、思考を巡らせる。結局、その人が両親にも屋敷の使用人にも認知されることはなかった。
その人物の正体を確かめる間もなく、「それ」は突然訪れた。
「婚約……!?」
まだ夢が続いているのかと疑った。信じられない。今まで散々死人のように扱って、除け者だと弾き出されてきたのに。今更?
「そうだ。お前はただ座っていればいい」
表情を悟らせぬよう、幕1枚越しに父が話しかける。侮蔑のこもった声で、有無を言わせぬ早さで。
「しかし、今になってなぜ……?」
俺は普段の呼吸を意識し、布団を強く握った。この気持ち悪さは、病み上がりで熱が満ちているからか、それとも……。
「そんなことお前には関係ないだろう。喜べ。能無しのお前でももらってくれるところが見つかった。ストローマ家のブレイカ令嬢と婚約だ」
「え……」
嘲笑。
何を今更。この人は、最初からこういう人間性を持っていたじゃないか。自分より下の人間を見下して、高笑いする人だってこと。わかっていた。この人の前では、俺の存在意義も、経験も、ほぼない未来も、何の意味もないってこと。
これ以上何も言わないよう、口を噤んだ。
「口答えなんてするなよ。俺はなあ、お前みたいな貧弱なやつを息子だと思ったことはない。血を分けたことが恥ずかしいくらい、出来損ないの無能だ。結婚してお家の役に立てることを誇りに思え。そして、さっさと家を出ていけ。お前にフォールディングの姓はやらん」
1
あなたにおすすめの小説
どうかこの偽りがいつまでも続きますように…
矢野りと
恋愛
ある日突然『魅了』の罪で捕らえられてしまった。でも誤解はすぐに解けるはずと思っていた、だって私は魅了なんて使っていないのだから…。
それなのに真実は闇に葬り去られ、残ったのは周囲からの冷たい眼差しだけ。
もう誰も私を信じてはくれない。
昨日までは『絶対に君を信じている』と言っていた婚約者さえも憎悪を向けてくる。
まるで人が変わったかのように…。
*設定はゆるいです。
【完結】時計台の約束
とっくり
恋愛
あの日、彼は約束の場所に現れなかった。
それは裏切りではなく、永遠の別れの始まりだった――。
孤児院で出会い、時を経て再び交わった二人の絆は、すれ違いと痛みの中で静かに崩れていく。
偽りの事故が奪ったのは、未来への希望さえも。
それでも、彼を想い続ける少女の胸には、小さな命と共に新しい未来が灯る。
中世異世界を舞台に紡がれる、愛と喪失の切ない物語。
※短編から長編に変更いたしました。
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】
積み上がった伏線の回収目前!!
夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。
長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。
待っていたのは、凍てつく絶望。
けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。
「夫は愛人と生きればいい。
今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」
それでも私は誓う――
「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」
歪で、完全な幸福――それとも、破滅。
“石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。
恋心を利用されている夫をそろそろ返してもらいます
しゃーりん
恋愛
ソランジュは婚約者のオーリオと結婚した。
オーリオには前から好きな人がいることをソランジュは知っていた。
だがその相手は王太子殿下の婚約者で今では王太子妃。
どんなに思っても結ばれることはない。
その恋心を王太子殿下に利用され、王太子妃にも利用されていることにオーリオは気づいていない。
妻であるソランジュとは最低限の会話だけ。無下にされることはないが好意的でもない。
そんな、いかにも政略結婚をした夫でも必要になったので返してもらうというお話です。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる