29 / 54
1章 いびつなこころ
28話 おやすみなさい
しおりを挟む
28話 おやすみなさい
さっきまでのことが信じられない。ノナは落ち着き、今では私の腕の中で眠っている。寝息は穏やかで、激しい感情の起伏も見られない。シーツを敷き直したり、布団を戻したりすることは大変だったが、意味はあった。腕枕をして、抱きしめ、彼女の息を確かめる。今日も、何とか1日が終わった……。
結婚して間もないころ……8年くらい前のことを思い出す。今よりももっと仕事が捗らなかった。家のことは彼女に任せていたが、終わらないものは終わらない。その道に詳しい人に教えてもらいながらの毎日は忙しく、あっという間に1日が過ぎた。げっそりして夕食を食べ、風呂に入り、コーヒーを飲んで一息つく。3日連続の徹夜で身体が堪えない。椅子にもたれかかり、頭を上に向けて目を閉じた。
「ルク?」
「……うぅ」
「おつかれさま。今日も十分頑張ってたよ。またあしたやってみよう」
椅子の後ろに立った彼女に抱きしめられる。顔を寄せて頬にキスして。つらいことがあっても、彼女が励ましてくれたから、何とかなった。
「……ありがとう」
彼女が椅子から離れ、背に隠していた本を見せる。暗くてよく見えなかったが、海と幼いふたりの子供が描かれていた。
「あのね、今日は絵本を持ってきたの。読み聞かせしてもいいかな?」
「いいよ。どんな本?」
「海で遊ぶ子供のお話よ。絵がとても綺麗だから気に入っているの」
結婚して、一緒に暮らしたからわかったこと。彼女はお茶目で、子供っぽいところもあって、毎日可愛い。真剣に絵を描いている姿、優雅に踊る姿、廊下を歩いている姿も、何もかも好きだ。紅茶やティーパーティーが好きで、芸術に詳しくて、素敵な話をしてくれて。彼女が笑うと、私も嬉しくなって、笑いたくなる。無邪気で愛おしい
「じゃあ読むわ。あるところに……」
ベッドに座り、彼女が本のページをめくった。薄暗い光に照らされて、色鮮やかな海が浮かぶ。ゆっくりと丁寧に読み、物語が進む。その心地よさに、今日抱いたマイナスな感情が消えていくのを感じた。彼女の語りは優しく、あっという間に眠れそうだ。
主人公は、水難事故で左手を動かせなくなっても、海への憧れを抱いていた。海は主人公の人生そのもので、インスピレーションの宝庫だった。必死のリハビリと努力が実を結び、見事な海の絵を描き上げた。亡くなった両親のための弔いという、大人向けの作品を読んでくれた。
「海はどこまでも続いていたのでした。おしまい」
「素敵なお話だね」
絵本をナイトスタンドの上に置き、灯りを消す。毛布と布団の中に入り、手をつないで抱きしめた。真っ暗で不安になる夜も、彼女といれば怖くなかった。ぬくもりを感じ、1日の出来事を頭の中で整理する。
「あしたは、コンテストに向けて描いた作品を提出するの。海で泳ぐ女の子をモチーフにして……」
暗闇の中で、彼女は確かに微笑んでいた。私も笑い、抱きしめて眠りにつく。幸せな夜。そのときはまだ、未来が明るいと信じていた。暗いことなんて考えなかった。今に満足していたから。
「ノナは海の絵が好きだよね? どうしてなの?」
「うーん……。なんでだろう? 私の頭の中では、透き通る海が浮かぶの。真っ赤な太陽よりも、青い深海が好きだから」
理由を聞き、壁にかけられた絵を見た。光に照らされた、きらめく海。彼女の描いた素晴らしい作品だ。夜の明かりが苦手な彼女に合わせて、灯りは弱くしておいた。少し作品は見づらいが、確かに輝いている。
「うん。またお話聞かせてね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
さっきまでのことが信じられない。ノナは落ち着き、今では私の腕の中で眠っている。寝息は穏やかで、激しい感情の起伏も見られない。シーツを敷き直したり、布団を戻したりすることは大変だったが、意味はあった。腕枕をして、抱きしめ、彼女の息を確かめる。今日も、何とか1日が終わった……。
結婚して間もないころ……8年くらい前のことを思い出す。今よりももっと仕事が捗らなかった。家のことは彼女に任せていたが、終わらないものは終わらない。その道に詳しい人に教えてもらいながらの毎日は忙しく、あっという間に1日が過ぎた。げっそりして夕食を食べ、風呂に入り、コーヒーを飲んで一息つく。3日連続の徹夜で身体が堪えない。椅子にもたれかかり、頭を上に向けて目を閉じた。
「ルク?」
「……うぅ」
「おつかれさま。今日も十分頑張ってたよ。またあしたやってみよう」
椅子の後ろに立った彼女に抱きしめられる。顔を寄せて頬にキスして。つらいことがあっても、彼女が励ましてくれたから、何とかなった。
「……ありがとう」
彼女が椅子から離れ、背に隠していた本を見せる。暗くてよく見えなかったが、海と幼いふたりの子供が描かれていた。
「あのね、今日は絵本を持ってきたの。読み聞かせしてもいいかな?」
「いいよ。どんな本?」
「海で遊ぶ子供のお話よ。絵がとても綺麗だから気に入っているの」
結婚して、一緒に暮らしたからわかったこと。彼女はお茶目で、子供っぽいところもあって、毎日可愛い。真剣に絵を描いている姿、優雅に踊る姿、廊下を歩いている姿も、何もかも好きだ。紅茶やティーパーティーが好きで、芸術に詳しくて、素敵な話をしてくれて。彼女が笑うと、私も嬉しくなって、笑いたくなる。無邪気で愛おしい
「じゃあ読むわ。あるところに……」
ベッドに座り、彼女が本のページをめくった。薄暗い光に照らされて、色鮮やかな海が浮かぶ。ゆっくりと丁寧に読み、物語が進む。その心地よさに、今日抱いたマイナスな感情が消えていくのを感じた。彼女の語りは優しく、あっという間に眠れそうだ。
主人公は、水難事故で左手を動かせなくなっても、海への憧れを抱いていた。海は主人公の人生そのもので、インスピレーションの宝庫だった。必死のリハビリと努力が実を結び、見事な海の絵を描き上げた。亡くなった両親のための弔いという、大人向けの作品を読んでくれた。
「海はどこまでも続いていたのでした。おしまい」
「素敵なお話だね」
絵本をナイトスタンドの上に置き、灯りを消す。毛布と布団の中に入り、手をつないで抱きしめた。真っ暗で不安になる夜も、彼女といれば怖くなかった。ぬくもりを感じ、1日の出来事を頭の中で整理する。
「あしたは、コンテストに向けて描いた作品を提出するの。海で泳ぐ女の子をモチーフにして……」
暗闇の中で、彼女は確かに微笑んでいた。私も笑い、抱きしめて眠りにつく。幸せな夜。そのときはまだ、未来が明るいと信じていた。暗いことなんて考えなかった。今に満足していたから。
「ノナは海の絵が好きだよね? どうしてなの?」
「うーん……。なんでだろう? 私の頭の中では、透き通る海が浮かぶの。真っ赤な太陽よりも、青い深海が好きだから」
理由を聞き、壁にかけられた絵を見た。光に照らされた、きらめく海。彼女の描いた素晴らしい作品だ。夜の明かりが苦手な彼女に合わせて、灯りは弱くしておいた。少し作品は見づらいが、確かに輝いている。
「うん。またお話聞かせてね。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます
おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。
if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります)
※こちらの作品カクヨムにも掲載します
私たちの離婚幸福論
桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。
しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。
彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。
信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。
だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。
それは救済か、あるいは——
真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。
双子の姉に聴覚を奪われました。
浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』
双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。
さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。
三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。
王妃は涙を流さない〜ただあなたを守りたかっただけでした〜
矢野りと
恋愛
理不尽な理由を掲げて大国に攻め入った母国は、数カ月後には敗戦国となった。
王政を廃するか、それとも王妃を人質として差し出すかと大国は選択を迫ってくる。
『…本当にすまない、ジュンリヤ』
『謝らないで、覚悟はできています』
敗戦後、王位を継いだばかりの夫には私を守るだけの力はなかった。
――たった三年間の別れ…。
三年後に帰国した私を待っていたのは国王である夫の変わらない眼差し。……とその隣で微笑む側妃だった。
『王妃様、シャンナアンナと申します』
もう私の居場所はなくなっていた…。
※設定はゆるいです。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
わたしたちの庭
犬飼ハルノ
恋愛
『夜明けになるまで絶対に寝室の扉を開けないで』
未来の義母が告げたのは奇妙な夜の掟だった。
父に売られる形でブルーノ伯爵子息の婚約者になったフィリスの物語。
ヒロインのフィリスが自らの力と周囲の人々に支えられて幸せをつかむ話ですが、しばらくは暗く重い展開です。
タグを途中から追加します。
他サイトでも公開中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる