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「クラウス様……」
「ああ、やっぱりファンヌだった。ただでさえ女性は少ないし、君の髪の色は目立つからね」
ファンヌは深々と頭を下げた。これ以上、関わりたくないという意味を込めて。
「なんだって、他人行儀だな。僕と君は婚約していた仲じゃないか」
「それは、過去の話です。クラウス様にはアデラ様がいらっしゃいますよね」
クラウスは鼻で笑った。
「アデラ? あの女は僕の婚約者の器じゃなかったんだ。だから、別れた」
「え?」
確かアデラはクラウスとの子を宿していたはずだが。その考えがファンヌの頭をよぎっていく。
「それに彼女は、教育も受けようとはしないし、政務も手伝おうとはしない。教養も足りない。僕の正妃に相応しくない、という話になったんだ」
「では、アデラ様は?」
そう尋ねたファンヌであるが、アデラよりも二人の子の方が気になっていた。
「アデラはもうここにはいないよ。正確にいうと、この国にはいない」
クラウスは口元に笑みを浮かべていた。
「だからね、ファンヌ。もう僕たちの二人の仲を引き裂くような人間はいなくなったわけだ」
引き裂くも何も、クラウスがファンヌよりもアデラを選んだだけの話だ。
「やはり僕の伴侶として相応しい女性は、君しかいないんだ」
クラウスがファンヌの手を取り、その甲に唇を寄せる。
ファンヌは思わず手を引いた。
「クラウス様。私も他の方と婚約をしたのです。ですから、クラウス様と一緒になることはあり得ません」
ギロリとクラウスが睨みつけてきた。また、何かされるのかと思いきや彼は「誰だ」と静かに尋ねた。
ファンヌには、彼が口にした「誰だ」の意味がわからなかった。だから答えられずにいた。
「君は誰と婚約をしたんだ? 婚約の相手は誰だ」
クラウスは鋭い声でそう尋ねた。ファンヌは、ゴクリと喉を鳴らしてから答える。
「エルさ……。エルランド・キュロ教授です」
「ちっ」
クラウスが忌々しく舌打ちをしたのを、ファンヌは聞き逃さなかった。
「やっぱり、あのベロテニア人か」
そう彼が呟いたことも、しっかりとファンヌの耳には届いていた。
「だがファンヌ。君はすぐにわかるはずだ。君の相手に相応しいのは、あのベロテニア人ではなく、僕であることがね」
チリリンと鐘が鳴った。研究発表がそろそろ始まるという予鈴である。
「それに。今日の研究発表には、僕も出るんだ。あのベロテニア人と同じ『調薬』の分野でね。『調薬』は『調茶』の基礎だろう? 『調茶師』である君に相応しくありたいために、僕も『調薬』を研究したんだ。あの学校で」
ふるっとファンヌの背筋に悪寒が走る。
「じゃ、僕は中に行くよ。君はどうするのかな?」
クラウスと共に中に入ることは癪であったが、時間になってしまったため、ファンヌも慌てて会場内に入った。
中に入ると、クラウスは迷わずに前の方に向かって歩いていく。研究発表をすると言った彼の言葉は本当なのだろう。ファンヌは会場を大きく見回して、エルランドを探した。彼は、後方の窓際に座っていた。ファンヌは慌てて彼の隣の席に座った。
「遅かったな」
「ごめんなさい。クラウス様に捕まってしまいました」
先ほどの件をエルランドに隠すつもりはない。
「そうか……。悪かったな」
側にいなくて悪かった。エルランドはきっとそう言いたかったのだろう。
エルランドがファンヌの前に何かを差し出した。どうやら今日の研究発表のプログラムと論文誌のようだ。
チリチリンと鐘が鳴った。最初の研究発表が始まる。
ファンヌは今日のプログラムにざっと目を通した。最後にマルクスの名があったが、クラウスの名も併記されていた。
(もしかして。マルクス先生の共同研究者がクラウス様?)
発表が始まっていたが、ファンヌは論文誌をペラペラとめくっていた。目的はマルクスとクラウスの論文の中身だ。
論文誌をめくる手がなぜか震えていた。理由はわからない。論文のテーマもプログラムで確認したはずなのに、なぜかファンヌの心臓がバクバクと音を立てている。
だが、論文の中身はテーマ通りのものであった。マルクスがずっと研究を続けていた『頭髪を豊かにする薬』についての効能と、それの応用方法だった。この応用方法というのが興味深く、同じ『薬草』であっても、保管方法や温度によって効能が変化すること。『頭髪を豊かにする薬』と同じ配合で『調薬』しても、『調薬』した環境によっては、違う効能を示す薬ができあがることが、式や表を用いて記されていた。かなりの数の実験も行われたようで、それを示す数値も記されている。
(すごい……)
これをあのマルクスとクラウスがやり遂げたというのが、ファンヌには信じられなかった。
(クラウス様……。努力なされたのね……)
ズキンとファンヌの胸が痛んだ。
「ああ、やっぱりファンヌだった。ただでさえ女性は少ないし、君の髪の色は目立つからね」
ファンヌは深々と頭を下げた。これ以上、関わりたくないという意味を込めて。
「なんだって、他人行儀だな。僕と君は婚約していた仲じゃないか」
「それは、過去の話です。クラウス様にはアデラ様がいらっしゃいますよね」
クラウスは鼻で笑った。
「アデラ? あの女は僕の婚約者の器じゃなかったんだ。だから、別れた」
「え?」
確かアデラはクラウスとの子を宿していたはずだが。その考えがファンヌの頭をよぎっていく。
「それに彼女は、教育も受けようとはしないし、政務も手伝おうとはしない。教養も足りない。僕の正妃に相応しくない、という話になったんだ」
「では、アデラ様は?」
そう尋ねたファンヌであるが、アデラよりも二人の子の方が気になっていた。
「アデラはもうここにはいないよ。正確にいうと、この国にはいない」
クラウスは口元に笑みを浮かべていた。
「だからね、ファンヌ。もう僕たちの二人の仲を引き裂くような人間はいなくなったわけだ」
引き裂くも何も、クラウスがファンヌよりもアデラを選んだだけの話だ。
「やはり僕の伴侶として相応しい女性は、君しかいないんだ」
クラウスがファンヌの手を取り、その甲に唇を寄せる。
ファンヌは思わず手を引いた。
「クラウス様。私も他の方と婚約をしたのです。ですから、クラウス様と一緒になることはあり得ません」
ギロリとクラウスが睨みつけてきた。また、何かされるのかと思いきや彼は「誰だ」と静かに尋ねた。
ファンヌには、彼が口にした「誰だ」の意味がわからなかった。だから答えられずにいた。
「君は誰と婚約をしたんだ? 婚約の相手は誰だ」
クラウスは鋭い声でそう尋ねた。ファンヌは、ゴクリと喉を鳴らしてから答える。
「エルさ……。エルランド・キュロ教授です」
「ちっ」
クラウスが忌々しく舌打ちをしたのを、ファンヌは聞き逃さなかった。
「やっぱり、あのベロテニア人か」
そう彼が呟いたことも、しっかりとファンヌの耳には届いていた。
「だがファンヌ。君はすぐにわかるはずだ。君の相手に相応しいのは、あのベロテニア人ではなく、僕であることがね」
チリリンと鐘が鳴った。研究発表がそろそろ始まるという予鈴である。
「それに。今日の研究発表には、僕も出るんだ。あのベロテニア人と同じ『調薬』の分野でね。『調薬』は『調茶』の基礎だろう? 『調茶師』である君に相応しくありたいために、僕も『調薬』を研究したんだ。あの学校で」
ふるっとファンヌの背筋に悪寒が走る。
「じゃ、僕は中に行くよ。君はどうするのかな?」
クラウスと共に中に入ることは癪であったが、時間になってしまったため、ファンヌも慌てて会場内に入った。
中に入ると、クラウスは迷わずに前の方に向かって歩いていく。研究発表をすると言った彼の言葉は本当なのだろう。ファンヌは会場を大きく見回して、エルランドを探した。彼は、後方の窓際に座っていた。ファンヌは慌てて彼の隣の席に座った。
「遅かったな」
「ごめんなさい。クラウス様に捕まってしまいました」
先ほどの件をエルランドに隠すつもりはない。
「そうか……。悪かったな」
側にいなくて悪かった。エルランドはきっとそう言いたかったのだろう。
エルランドがファンヌの前に何かを差し出した。どうやら今日の研究発表のプログラムと論文誌のようだ。
チリチリンと鐘が鳴った。最初の研究発表が始まる。
ファンヌは今日のプログラムにざっと目を通した。最後にマルクスの名があったが、クラウスの名も併記されていた。
(もしかして。マルクス先生の共同研究者がクラウス様?)
発表が始まっていたが、ファンヌは論文誌をペラペラとめくっていた。目的はマルクスとクラウスの論文の中身だ。
論文誌をめくる手がなぜか震えていた。理由はわからない。論文のテーマもプログラムで確認したはずなのに、なぜかファンヌの心臓がバクバクと音を立てている。
だが、論文の中身はテーマ通りのものであった。マルクスがずっと研究を続けていた『頭髪を豊かにする薬』についての効能と、それの応用方法だった。この応用方法というのが興味深く、同じ『薬草』であっても、保管方法や温度によって効能が変化すること。『頭髪を豊かにする薬』と同じ配合で『調薬』しても、『調薬』した環境によっては、違う効能を示す薬ができあがることが、式や表を用いて記されていた。かなりの数の実験も行われたようで、それを示す数値も記されている。
(すごい……)
これをあのマルクスとクラウスがやり遂げたというのが、ファンヌには信じられなかった。
(クラウス様……。努力なされたのね……)
ズキンとファンヌの胸が痛んだ。
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