俺の恋人のフリをしてほしいと上司から頼まれたので「それは新手のパワハラですか」と尋ねてみたところ

澤谷弥(さわたに わたる)

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本編

だんだんと罠にはまる(1)

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 モニカは何事もなかったかのように。
「あ、ありがとうございます」

「いや、気をつけろ」
 平静を装ってカリッドは彼女に声をかけるが、平静を装うことができないのが彼の下半身である。
 とにかくカリッドは彼女と少し離れたかった。だけど、自分から「腕を組む」と言ってしまった以上、今更その腕を解けとも言えない。それに彼女が最後まで転ばなかったのも、この腕があったからだ。
 行きはそれほど距離があるとは思わなかった宿までの道のりだが、今はものすごくそこが遠いような感じがしていた。

 宿に着いたときには、なぜかカリッドはぐったりとしてしまった。モニカはきょとんとソファに座っている。
 さて、どうしよう。

「モニカ。今日は疲れたのではないか? 先に、風呂に入るか? 浴室はそこだが」

「あ、はい。そうですね。そうします。ありがとうございます」
 モニカがすっと立ち上がったので、カリッドは彼女を浴室まで案内した。

「うわー。すごいお風呂ですね。一人で入るには広すぎますね」
 浴室を覗き込んだ彼女の感想が、これまたカリッドを刺激した。

「モニカ。君が風呂に入っている間、俺はイアンの部屋で少し打ち合わせをしてくる。一時間後に戻るから、俺が出たらこの部屋に鍵をかけて風呂に入れ」

「はい、わかりました」

「それから、夜着などの着替えはそこにある」

「え、そんなものまで準備してくださったんですか。ありがとうございます」

 カリッドが準備したわけではない。イアンだ。むしろイアンに無理やり押し付けられた、が正解。

「いいか、きちんと鍵をかけるんだぞ」
 しつこく念を押して、カリッドは部屋を出た。
 そして、逃げるようにイアンの部屋の扉を叩く。

「おい、イアン。俺だ。開けろ」

「どうかされましたか、カリッド様」

 イアンのことだ。恐らくのんびりと読書でもしていたのだろう。主のお守りから解放された貴重な自由時間だと思って。

「どうもこうもない。どうしたらいいかがわからん」
 どさっとカリッドはソファに腰をおろした。両手でその顔を覆う。

「それで。どこまでいかれたのですか? この宿を出るときには手を繋いでおりましたよね」

「とりあえず、ドレスを合わせて食事をしてきた」

「ではなくて、ですね」
 そこでイアンはカリッドの前にお茶を置き、彼の向かい側へと座る。この話は長くなりそうだ。
「手を繋ぐ先まではいかれたのですか?」

「く、口づけまでなら……」
 と答えるも、カリッドは顔を手で覆っている。
「モニカが俺を団長と呼んだら、口づけを一回すると、言ってしまった」

 イアンは眼鏡をくいっと押し上げた。なんと、この主が想い人と口づけまで交わすとは、あの短時間でなかなかやるではないか、と感心してしまう。だが、そのペナルティのような言い方はどうなのだろう。それでもこの主がそれなりに考えた結果なのだろうな、とは思うのだが。

「イアン、俺はこの後どうしたらいいんだ?」

 そこでカリッドは顔をあげたが、非常に情けない表情をしていた。顔中に「困ってます」と書かれているような表情。
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