【R18】記憶をなくした女騎士、子育てに奔走していたら元彼が追いかけてきたらしい

澤谷弥(さわたに わたる)

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第四章(10)

「ここに来てから二ヶ月くらい経ってから妊娠がわかって……自分がなんで子どもを授かったのかわからなくて……それでもコリンナたちがいてくれたから、生む決心をしました。結果論かもしれませんが、あのとき、子どもをあきらめなくてよかったと思っています。ヘリオスがいてくれるから、なんとかこうして生活できています」

 ジェイラスは何か言いかけようと口を開く。少し息を止めてから「そうか……」と吐息と共に言葉を吐き出した。その声には、抑えた感情がにじんでいた。

「それでも、やはり不安になります。私がどんな人間だったのか。もしかして犯罪者かもしれない、逃亡者かもしれない。そう考えたら怖くて……。だから私は、本当にここにいていい人間なのだろうかって……」

 部屋は静けさに包まれ、ミートパイの焼ける香りとともに、シアの言葉が重く響く。

「王太子殿下が養護院に視察に来られたときから、誰かに見られている感じがしたのですが……ジェイラスさん、ですよね?」
「す、すまない」
「ジェイラスさんは、どうしてそこまで私を……?」
「うっ……」

 ジェイラスは言葉を詰まらせ、きょどきょどと視線をさまよわせる。

 シアは自分の不安を吐露する勇気を振り絞った。

「私、自分が誰なのかわからないから、怖いんです。もし、私を知っているなら、教えてくれませんか?」
「……だが、君には今の生活がある。例えば、真実を知って、この生活を手放すようなことになってもいいのか?」

 ジェイラスの言っていることも理解できる。記憶がないのも不安なのだが、記憶が戻ったときのことを考えても心配になるのだ。

 コリンナたちのことを忘れてしまうのだろうか。養護院や学校の子どもたちのことを覚えているだろうか。教師を続けられるだろうか。

 そんなことを想像すれば、胸が苦しいくらいに締めつけられた。

「俺は……君に思い出してもらいたいと願いながらも、その結果、君から今の生活を奪うことになるのが怖い」

 ジェイラスの声は、痛みを帯びていた。彼の気持ちが、シアの心に深く響く。

 記憶がないことも、取り戻すことも、どちらも怖い。

 だが、シアは子どもたちにいつもこう言っていた――未来がわからないからこそ、今を精一杯生きるのだと。

「ジェイラスさん。未来のことは誰もわかりません。だけど、そのわからない未来をよりよいものにしたいから、私たちは今をもがいているのではありませんか? 私は、ヘリオスがいれば幸せです。でも、この子に父親がいるのならと、最近考えるようになって……」

 フランクとじゃれ合っていたヘリオス。ジェイラスに甘えていたヘリオス。その姿を見て、父親の不在を埋めようとしているのかもしれないと、シアは思わずにはいられなかった。

「わかった……。君が記憶を取り戻したら、今と生活が大きく変わるかもしれない。それでも、いいんだな? 後悔しないな?」
「後悔……するかもしれません。だけど、そうやって逃げていたら、私はいつまでもモンクトン商会のシアで、ヘリオスの母親で、それだけの存在なんです。本当の私を見失ったまま。それに、もしかしたら、私にも家族がいるかもしれませんし……」

 そもそもシアは、実家に帰る途中にコリンナたちと出会ったのだ。その実家がどこにあるのかはわからないが、その話を信じるならば、確実に実家は存在するはずだ。

「わかった……今、俺が言えることだけ伝える」

 そこで、オーブンのブザーがけたたましく鳴り響いた。ミートパイが焼き上がった合図である。

 部屋に広がる香ばしい匂いが、緊張した空気を少し和らげた。
 ブザーの音に反応して、ヘリオスがむくりと起きた。

「リオ、目が覚めた? そろそろご飯の時間よ?」
「まま~」

 ヘリオスがシアに向かって抱っこをせがむ。シアが手を伸ばそうとした瞬間、ジェイラスが先に動いた。

「ヘリオス。ママじゃなくて、俺でもいいか? ママは今、腕を怪我しているだろ? それに、ほら、美味しそうな匂いがする。お腹は空いていないか?」

 そう言ったジェイラスは、ひょいっとヘリオスを抱き上げた。

 ヘリオスが泣くかと思ったが、そうはならなかった。ジェイラスにひたっとくっついて、ぼんやりと目をこする。

「ジェイラスさん。ありがとうございます。今のうちに、夕食の準備をしてしまいますね」

 寝起きでぼんやりしているヘリオスだが、ぱっと目が覚めれば、今度は「おなかすいた!」と騒ぐのが目に見えている。今のうちに、夕食を仕上げてしまおう。

 シアは急いでキッチンに戻り、ミートパイを取り出し、スープとサラダを整えた。食卓に並ぶ温かな料理によって、部屋は穏やかな空気に満たされた。
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