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第五章(7)
アリシア・ガネルだった――。
その事実にシアは安堵のため息を漏らすものの、それでも自分がアリシアだったときの記憶がすべて戻ったわけではない。アリシアでありながらも、まだシアという人間なのだ。その狭間で、心が揺れ動く。
ガネル子爵夫妻は、しばらくの間、王都の別邸に滞在しているという。本来であれば、アリシアもそこで一緒に暮らすのが望ましいが、王城という守られた空間にいるべきだというのが、ジェイラスの主張だった。
だからすべての記憶を取り戻したら、両親のもとへ行くと約束をした。そのときには、ヘリオスを連れてきてほしいと懇願され、嬉しさと同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
シアがアリシアだと証明された今、やるべきことは山積みだった。
まずはアリシアの上官、第二騎士団を束ねる団長ブルーノのところへ行き、今までのこと、今後のことについて相談する流れとなった。
状況はすでに知らされていたようで「元気だったか?」と声をかけられたが、残念ながらアリシアは彼のことも覚えていない。人のよさそうなおじさんとしか思えなかった。
ジェイラスが説明するには、アリシアの不在は「第二騎士団の諜報活動によるもの」とされ、表向きは休職扱いだったという。複雑な設定に、シアは頭を整理するのに時間がかかった。
またぽっぽちゃんは、第二騎士団で管理する伝書鳩の一羽だった。今は、他の鳩と一緒に鳩小屋に戻っているらしい。
そのまま宿舎に向かった。アリシアを知る顔が「久しぶり」「懐かしいわね」「どうしたの?」と声をかけてきたが、ジェイラスが「任務だ」とぼそりと答えると、彼女たちは何かを察したように会話を切り上げた
必要な物だけを持ち、ジェイラスの私室に戻ると、窓から差し込む夕陽が部屋をオレンジ色に染めていた。
「ヘリオスを迎えにいってくる」
ヘリオスはランドルフが連れていったまま。相手が王太子ならば、ジェイラスに任せるのがいい。
ジェイラスも部屋を出ていったため、シアがぽつんと一人、残された。
宿舎から必要なものとして騎士服を持ってきたが、手入れがされておらず、埃っぽいにおいが鼻につく。着るには手入れが必要だが、時間だけはたっぷりある。
他には、机の上に置いてあった手紙が気になった。どうやらジェイラスに宛てて書いたものらしいが、シアにはさっぱり記憶がない。となれば、これは間違いなく三年以上前に書いたもの。
ジェイラスに渡そうか悩んだが、なぜかシアの中のアリシアがそれを拒んだ。だから隠すようにして持ってきた。
それに、何が書いてあるのか興味があった。もしかしたらこの手紙によって、記憶が戻るかもしれない。
とにかく魔法による記憶解析の前に、シアとアリシアを繋ぐきっかけを手にしておきたかった。
好奇心と恐怖が混じる中、シアは誰もいないことを確認し、そっと封を開けた。
【結婚の話はなかったことにしてください。
騎士団を辞めて、実家に帰ります。
今までありがとうございました。
私のことは、忘れてください――】
手紙の内容に、呼吸を忘れてしまうくらいの衝撃が走った。文字は読めるが、内容を理解することを頭が拒んでいる。
だが、筆跡は間違いなくシアのもの。記憶がなくても筆跡は変わらなかった。だから、自分が書いた文字だとわかるのだが。
(アリシアはジェイラスさんと別れたがっていた?)
ドクンドクンと心臓の音が異様に大きく聞こえる。開けてはいけない厄災の箱を開けてしまった気分だ。
(どうして? アリシアに何があったの? でもジェイラスさんは、別れ話については何も言ってなかったし……)
それどころか求婚をして、それを受けてくれたと、嬉しそうに話していたではないか。
(アリシアはその求婚を受けてから、気が変わったってこと?)
シアにはわからない。だけど、これをジェイラスに見せては駄目だと、心の中のアリシアが叫んでいる。
とにかくこの手紙を見なかったことにして、ジェイラスに見つからないようにと自分の荷物の中に忍び込ませた。
部屋の外から、賑やかな声が聞こえてきた。
「ただいま戻った」
「ラシュ、たかいね~」
ヘリオスを肩にのせたまま部屋に入ってきたジェイラスだが、ヘリオスの頭が扉の枠にぶつかりそうで、ヒヤヒヤしてしまう。
「おかえりなさい。リオは何をして遊んだの?」
息子を見上げ、シアは笑顔を装った。
「おもちゃ、いっぱいよ。リュー、リオよりちいさいよ」
「アンドリュー王子と遊んでいたらしい。喧嘩することなく、仲良く遊んでいたそうだ」
我が子が王族と一緒に遊んでいた現実に、めまいがしそうだった。だがヘリオスがジェイラスの子であれば、そういった関係は自然なもので、今後も続くのだろうか。
「そう。お友達と仲良く遊べて、よかったわね」
そもそもアンドリュー王子を友達と呼んでいいのか。そんな疑問がアリシアの中に生まれた。
三人で夕食をとり、サバドでの生活と同じように時間を過ごした。
だが、サバドの生活と違うのは、シアが何もしなくてもよいということだろう。食事の準備をしなくても出てくるし、もちろん片づけもしなくていい。洗濯もしてもらえるようだが、それには少し抵抗があった。だから自分でやると言ったが、却下された。人を使うことに慣れろという意味らしい。
アリシアの出自とジェイラスとのこれからを考えれば、彼の言うとおりなのだが、それでもシアからアリシアになるには、まだまだ壁があった。
その事実にシアは安堵のため息を漏らすものの、それでも自分がアリシアだったときの記憶がすべて戻ったわけではない。アリシアでありながらも、まだシアという人間なのだ。その狭間で、心が揺れ動く。
ガネル子爵夫妻は、しばらくの間、王都の別邸に滞在しているという。本来であれば、アリシアもそこで一緒に暮らすのが望ましいが、王城という守られた空間にいるべきだというのが、ジェイラスの主張だった。
だからすべての記憶を取り戻したら、両親のもとへ行くと約束をした。そのときには、ヘリオスを連れてきてほしいと懇願され、嬉しさと同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
シアがアリシアだと証明された今、やるべきことは山積みだった。
まずはアリシアの上官、第二騎士団を束ねる団長ブルーノのところへ行き、今までのこと、今後のことについて相談する流れとなった。
状況はすでに知らされていたようで「元気だったか?」と声をかけられたが、残念ながらアリシアは彼のことも覚えていない。人のよさそうなおじさんとしか思えなかった。
ジェイラスが説明するには、アリシアの不在は「第二騎士団の諜報活動によるもの」とされ、表向きは休職扱いだったという。複雑な設定に、シアは頭を整理するのに時間がかかった。
またぽっぽちゃんは、第二騎士団で管理する伝書鳩の一羽だった。今は、他の鳩と一緒に鳩小屋に戻っているらしい。
そのまま宿舎に向かった。アリシアを知る顔が「久しぶり」「懐かしいわね」「どうしたの?」と声をかけてきたが、ジェイラスが「任務だ」とぼそりと答えると、彼女たちは何かを察したように会話を切り上げた
必要な物だけを持ち、ジェイラスの私室に戻ると、窓から差し込む夕陽が部屋をオレンジ色に染めていた。
「ヘリオスを迎えにいってくる」
ヘリオスはランドルフが連れていったまま。相手が王太子ならば、ジェイラスに任せるのがいい。
ジェイラスも部屋を出ていったため、シアがぽつんと一人、残された。
宿舎から必要なものとして騎士服を持ってきたが、手入れがされておらず、埃っぽいにおいが鼻につく。着るには手入れが必要だが、時間だけはたっぷりある。
他には、机の上に置いてあった手紙が気になった。どうやらジェイラスに宛てて書いたものらしいが、シアにはさっぱり記憶がない。となれば、これは間違いなく三年以上前に書いたもの。
ジェイラスに渡そうか悩んだが、なぜかシアの中のアリシアがそれを拒んだ。だから隠すようにして持ってきた。
それに、何が書いてあるのか興味があった。もしかしたらこの手紙によって、記憶が戻るかもしれない。
とにかく魔法による記憶解析の前に、シアとアリシアを繋ぐきっかけを手にしておきたかった。
好奇心と恐怖が混じる中、シアは誰もいないことを確認し、そっと封を開けた。
【結婚の話はなかったことにしてください。
騎士団を辞めて、実家に帰ります。
今までありがとうございました。
私のことは、忘れてください――】
手紙の内容に、呼吸を忘れてしまうくらいの衝撃が走った。文字は読めるが、内容を理解することを頭が拒んでいる。
だが、筆跡は間違いなくシアのもの。記憶がなくても筆跡は変わらなかった。だから、自分が書いた文字だとわかるのだが。
(アリシアはジェイラスさんと別れたがっていた?)
ドクンドクンと心臓の音が異様に大きく聞こえる。開けてはいけない厄災の箱を開けてしまった気分だ。
(どうして? アリシアに何があったの? でもジェイラスさんは、別れ話については何も言ってなかったし……)
それどころか求婚をして、それを受けてくれたと、嬉しそうに話していたではないか。
(アリシアはその求婚を受けてから、気が変わったってこと?)
シアにはわからない。だけど、これをジェイラスに見せては駄目だと、心の中のアリシアが叫んでいる。
とにかくこの手紙を見なかったことにして、ジェイラスに見つからないようにと自分の荷物の中に忍び込ませた。
部屋の外から、賑やかな声が聞こえてきた。
「ただいま戻った」
「ラシュ、たかいね~」
ヘリオスを肩にのせたまま部屋に入ってきたジェイラスだが、ヘリオスの頭が扉の枠にぶつかりそうで、ヒヤヒヤしてしまう。
「おかえりなさい。リオは何をして遊んだの?」
息子を見上げ、シアは笑顔を装った。
「おもちゃ、いっぱいよ。リュー、リオよりちいさいよ」
「アンドリュー王子と遊んでいたらしい。喧嘩することなく、仲良く遊んでいたそうだ」
我が子が王族と一緒に遊んでいた現実に、めまいがしそうだった。だがヘリオスがジェイラスの子であれば、そういった関係は自然なもので、今後も続くのだろうか。
「そう。お友達と仲良く遊べて、よかったわね」
そもそもアンドリュー王子を友達と呼んでいいのか。そんな疑問がアリシアの中に生まれた。
三人で夕食をとり、サバドでの生活と同じように時間を過ごした。
だが、サバドの生活と違うのは、シアが何もしなくてもよいということだろう。食事の準備をしなくても出てくるし、もちろん片づけもしなくていい。洗濯もしてもらえるようだが、それには少し抵抗があった。だから自分でやると言ったが、却下された。人を使うことに慣れろという意味らしい。
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