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第五章(13)
昨夜もジェイラスが部屋に戻ってきたのは遅かった。扉が静かに開く音で彼の帰りを知ったが、言葉を交わす余裕はなかった。
今日、魔法師による記憶解析が行われる。気が張り詰めているせいか、シアはいつもより早く目が覚めた。
シアの隣ではヘリオスがすやすやと眠っているのに、その隣にいるはずのジェイラスの姿がない。部屋はまだ薄暗い。夜明け前だろう。
ヘリオスを起こさないようにと気を遣いながら、シアは寝台から抜け出した。
隣の部屋へ移動すれば、ソファに深く座ったジェイラスが、魔石ランプで手元だけ照らして何やら書類を睨みつけている。
「おはようございます。早いですね」
シアの声に、ジェイラスが顔を上げた。わずかに驚いたような笑みが浮かぶ。
「ああ、おはよう。君こそ、早いな」
「ええ。少し、緊張してしまって……ジェイラスさんは、お仕事ですか? お茶でも淹れましょうか?」
シアも喉を潤したい気分だった。
「頼んでもいいか?」
「もちろんです」
湯を沸かしてお茶を淹れ、ジェイラスの隣へと座る。彼はテーブルの上に広げていた書類をすっかり片づけて、静かに待っていた。
「あの……先日は、すみませんでした」
あの夜の自分の態度をきちんと謝罪していなかった。すれ違いの多い日々の中で、二人でゆっくり話す時間はなかった。
「いや……俺のほうこそ……」
「私、気持ちがぐちゃぐちゃで……。ジェイラスさんに愛されていたアリシアさんに嫉妬しました」
ジェイラスに嫉妬の姿を見せたくなかった。だが彼は、立場も仕事もあるのに、こうやってシアに寄り添ってくれている。
「シア……」
ジェイラスが驚いた表情で見つめてきた。紫色の瞳が、朝の薄光に揺れる。
「いやだったら拒んでくれ。今の俺は、ものすごく君を抱きしめたい」
「え?」
返事をする前に、ジェイラスが力強くシアを抱きしめた。彼のぬくもりが、薄い寝衣越しに伝わってくる。
「俺にとって、シアもアリシアも同じ人物だ。記憶のない君の中ではそうではないかもしれない。だけど、記憶があってもなくても、君は君なんだ。本質は変わらない」
「はい……」
「もし君が不安に思うのなら、無理して記憶解析なんて行わなくていい。だけど、これからも俺の側にいてほしい。俺の願いはそれだけだ」
「あっ……」
その言葉を聞いただけで、過去のアリシアに嫉妬していた自分が馬鹿らしくみえてきた。
何を不安に思っていたのだろう。昔の記憶があろうがなかろうが、アリシアはアリシアだ。
だが記憶を取り戻したいと思ったのは、ヘリオスがいるから。息子の父親をはっきりとさせたかった。
「ありがとうございます。でも、前にも言いましたように、私はヘリオスとその父親と暮らしたいのです。あなたは愛されて生まれてきた子なのよって、それをヘリオスに伝えたい」
「シア……」
なぜかジェイラスがシアの胸元に顔を埋めてきた。それは子どもが母親に甘えるようにも見えた。
(もしかして……ジェイラスさん、泣いてる?)
ジェイラスと両親の関係を聞いたときは、シアも胸が痛んだ。それでも彼の言葉からは両親を憎むような感情は感じられなかった。彼もまた複雑な立場にあり、それを理解しているのだ。
「私では力不足かもしれませんが……私がジェイラスさんを愛します。あなたは、愛されるために生まれてきた子だよって、伝えます」
ジェイラスの肩がぴくりと震える。
「……そうだな。俺はきっと、君と出会うために生まれてきたのかもしれない」
顔も上げず、くぐもった声で答えるジェイラスの背を、シアはやさしくなでる。以前、彼がそうしてくれたように。
「クラリッサ様とお話をして、私も前向きになろうと思いました。ジェイラスさんの隣に立つ人間にふさわしくないと思っていましたが、ふさわしくないならふさわしい人間になればいい。そのためにも、記憶を取り戻したいのです」
そこでシアは「あ」と声をあげる。
「あの……ジェイラスさん。本当は伝えるかどうか迷っていたのですが……」
「なんだ?」
そこで彼が顔を上げた。紫眼が少しだけ潤んでいる。
「お見せしたいものがあります」
すると今度は、紫の瞳が不安そうに揺れた。
シアは席を立つと、以前、荷物の隙間に隠した手紙を手にする。それをジェイラスに手渡した。
「これ、三年前のアリシアさんが書いたものだと思います。宿舎で見つけました」
シアから手紙を受け取ったジェイラスの手は、微かに震えていた。
「三年前のアリシアさんのことは、今の私にはわかりません。だから、一つだけお願いがあります」
シアはキャメル色の瞳で力強くジェイラスを見つめる。
「私が記憶を取り戻し、その手紙のような行動をとったとしても、絶対に追いかけてきてください」
ジェイラスは、なぜシアがそのようなことを言ったのか、理解しきれていないのだろう。すぐに手紙を広げて目を通すが、その顔色がさっと変わる。
「三年前に何があったのか、私にはわかりません。だけど今の私は、ジェイラスさんの側にいたい。三年前のアリシアも今の私も、本質は同じだとジェイラスさんは言いました。私は、ジェイラスさんのことが好きです。だから記憶が戻ったとしても、それに変わりはありません」
「……わかった。三年前、なぜ君がこのような行動を取ったのか、理由はまだわからない。だがもう一度、俺から逃げるのであれば……世界の果てまで追いかける」
ジェイラスの手紙を持つ手に力が入り、クシャリと音を立てる。シアはその彼の手を、両手でそっと包み込んだ。
今日、魔法師による記憶解析が行われる。気が張り詰めているせいか、シアはいつもより早く目が覚めた。
シアの隣ではヘリオスがすやすやと眠っているのに、その隣にいるはずのジェイラスの姿がない。部屋はまだ薄暗い。夜明け前だろう。
ヘリオスを起こさないようにと気を遣いながら、シアは寝台から抜け出した。
隣の部屋へ移動すれば、ソファに深く座ったジェイラスが、魔石ランプで手元だけ照らして何やら書類を睨みつけている。
「おはようございます。早いですね」
シアの声に、ジェイラスが顔を上げた。わずかに驚いたような笑みが浮かぶ。
「ああ、おはよう。君こそ、早いな」
「ええ。少し、緊張してしまって……ジェイラスさんは、お仕事ですか? お茶でも淹れましょうか?」
シアも喉を潤したい気分だった。
「頼んでもいいか?」
「もちろんです」
湯を沸かしてお茶を淹れ、ジェイラスの隣へと座る。彼はテーブルの上に広げていた書類をすっかり片づけて、静かに待っていた。
「あの……先日は、すみませんでした」
あの夜の自分の態度をきちんと謝罪していなかった。すれ違いの多い日々の中で、二人でゆっくり話す時間はなかった。
「いや……俺のほうこそ……」
「私、気持ちがぐちゃぐちゃで……。ジェイラスさんに愛されていたアリシアさんに嫉妬しました」
ジェイラスに嫉妬の姿を見せたくなかった。だが彼は、立場も仕事もあるのに、こうやってシアに寄り添ってくれている。
「シア……」
ジェイラスが驚いた表情で見つめてきた。紫色の瞳が、朝の薄光に揺れる。
「いやだったら拒んでくれ。今の俺は、ものすごく君を抱きしめたい」
「え?」
返事をする前に、ジェイラスが力強くシアを抱きしめた。彼のぬくもりが、薄い寝衣越しに伝わってくる。
「俺にとって、シアもアリシアも同じ人物だ。記憶のない君の中ではそうではないかもしれない。だけど、記憶があってもなくても、君は君なんだ。本質は変わらない」
「はい……」
「もし君が不安に思うのなら、無理して記憶解析なんて行わなくていい。だけど、これからも俺の側にいてほしい。俺の願いはそれだけだ」
「あっ……」
その言葉を聞いただけで、過去のアリシアに嫉妬していた自分が馬鹿らしくみえてきた。
何を不安に思っていたのだろう。昔の記憶があろうがなかろうが、アリシアはアリシアだ。
だが記憶を取り戻したいと思ったのは、ヘリオスがいるから。息子の父親をはっきりとさせたかった。
「ありがとうございます。でも、前にも言いましたように、私はヘリオスとその父親と暮らしたいのです。あなたは愛されて生まれてきた子なのよって、それをヘリオスに伝えたい」
「シア……」
なぜかジェイラスがシアの胸元に顔を埋めてきた。それは子どもが母親に甘えるようにも見えた。
(もしかして……ジェイラスさん、泣いてる?)
ジェイラスと両親の関係を聞いたときは、シアも胸が痛んだ。それでも彼の言葉からは両親を憎むような感情は感じられなかった。彼もまた複雑な立場にあり、それを理解しているのだ。
「私では力不足かもしれませんが……私がジェイラスさんを愛します。あなたは、愛されるために生まれてきた子だよって、伝えます」
ジェイラスの肩がぴくりと震える。
「……そうだな。俺はきっと、君と出会うために生まれてきたのかもしれない」
顔も上げず、くぐもった声で答えるジェイラスの背を、シアはやさしくなでる。以前、彼がそうしてくれたように。
「クラリッサ様とお話をして、私も前向きになろうと思いました。ジェイラスさんの隣に立つ人間にふさわしくないと思っていましたが、ふさわしくないならふさわしい人間になればいい。そのためにも、記憶を取り戻したいのです」
そこでシアは「あ」と声をあげる。
「あの……ジェイラスさん。本当は伝えるかどうか迷っていたのですが……」
「なんだ?」
そこで彼が顔を上げた。紫眼が少しだけ潤んでいる。
「お見せしたいものがあります」
すると今度は、紫の瞳が不安そうに揺れた。
シアは席を立つと、以前、荷物の隙間に隠した手紙を手にする。それをジェイラスに手渡した。
「これ、三年前のアリシアさんが書いたものだと思います。宿舎で見つけました」
シアから手紙を受け取ったジェイラスの手は、微かに震えていた。
「三年前のアリシアさんのことは、今の私にはわかりません。だから、一つだけお願いがあります」
シアはキャメル色の瞳で力強くジェイラスを見つめる。
「私が記憶を取り戻し、その手紙のような行動をとったとしても、絶対に追いかけてきてください」
ジェイラスは、なぜシアがそのようなことを言ったのか、理解しきれていないのだろう。すぐに手紙を広げて目を通すが、その顔色がさっと変わる。
「三年前に何があったのか、私にはわかりません。だけど今の私は、ジェイラスさんの側にいたい。三年前のアリシアも今の私も、本質は同じだとジェイラスさんは言いました。私は、ジェイラスさんのことが好きです。だから記憶が戻ったとしても、それに変わりはありません」
「……わかった。三年前、なぜ君がこのような行動を取ったのか、理由はまだわからない。だがもう一度、俺から逃げるのであれば……世界の果てまで追いかける」
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