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本編

1 知らない場所

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 気が付くと人通りの多い道に座っていた。気分も悪くなく、本当に瞬間、記憶を無くした程度の違和感だった。
 辺りを見回すと見慣れない場所で、中世のヨーロッパをイメージさせる場所だった。人々はスーツを着ていて、でもサラリーマンというよりは、ホテルのスタッフといった感じがする。女性は長いスカートを穿いていて、ブラウスに日傘という日本でも無ければ現代とも思えない場所だ。

 混乱しながら立ち上がることもままならない状態でいると、なぜか道行く男に手を取られた。

「大丈夫ですか美しい方、お困りならばわが家へおいでください」

「……いや、あの……」

 俺は驚いて取られた手から、手を引き抜き、焦る。

「いえ、私の家の方が近いです。ぜひ家へ」

「あなたのような美しい方に初めてお会い致しました。私とお付き合いを……」

「一目惚れしました。愛人になりませんか?」

 男性に取り囲まれ、手を差し伸べられて良くわからないことを言われている。誰の手を取る気にもならず、混乱が続いている。いったいここはどこ? この状況はなに?

 取り囲んでいる男たちの後ろに馬車が停まり、さらに人が増えている。その中のひとりが咳ばらいをすると、取り囲んでいた男たちが場所を空けた。

 馬車の御者台から降りて来る人は、執事や使用人といった感じに見える。

「私はクリストファ家の執事をしております。主人が貴方をお望みになっております。ぜひおいでください」

「プロメトリック家の者だ、ぜひわが家へ……」

 次々に馬車が停まり、降りて来た人が家名を名乗る。どれも知らないというか、絶対に日本じゃない名前だ。まるで映画の撮影現場にでも迷い込んだ気分で、頭がおかしくなっているとしか思えない。

 誰の手も取ることが出来ず、逃げる場所もなく困っていると、蹄の音がして人垣が割れた。目前に馬が現れ、男が降りたと思うと手を引かれ、立たされ、馬の上に押し上げられた。本当に一瞬の出来事で、気づけば馬の上にいて、背中から腰を抱かれて支えられている。

 甘い薔薇の香りに包まれる。後ろの男の香りだろう。少し首を傾げて見れば、金の髪が見えた。おそろしく美形な男だった。男が俺を見ようとする気配ですぐに逸らした。瞳の色は澄んだ青。まつげまで金色で、まるで人形のように思えたけど、触れている背中が温かい。こんな美形な男に抱きこまれているのだと思うと恥ずかしくなる。

 馬は白い塔を左右に持ち、天使が一対立つ門を潜り、その奥に建つ教会のような建物に近づいて行く。その背景には小高い丘があり、その上部に白く輝く城がある。中世のヨーロッパのようで、おとぎ話の中の風景のように思える。日本じゃない絶対。

 向かった先は奥にあった神殿で、神殿の前で馬から降ろされ、馬は従者に連れられて行った。

 なぜか男に手を繋がれて歩いている。説明も何の言葉もない。っていうか言葉はわかる。取り囲んだ人の言葉がわかったし、従者と男との会話もわかった。これはもう本格的に異世界に飛ばされたのだと思うしかない。それもきっと俺の望んでいたものが許されている世界だ。

 神殿の応接室に連れて来られた俺は、副神殿長だという50代にしてはイケオジな男の座るソファの、向かいのソファを勧められて座った。連れて来た男は、副神殿長の後ろに立つ。もうひとり、彼の隣に男が立った。

「貴方を連れて来た彼、ブラッドが、貴方は迷い人だと言うのですが、合っていますか?」

「はい」

 そう答えながら、異世界から来たとは思っていないだろうなと思ったけど、言っても伝わらないだろうし、おかしな男だと思われたくないから、素直に返事をした。返事をしながら俺を見る3人の男を観察する。

 副神殿長の後ろにいる二人の男は護衛なのだろう。黒い軍服、腰に剣を佩いている。どちらも金の髪をした雰囲気の違う美形だ。右は金の髪でも明るい色をしていて、甘い雰囲気がある。彼が俺を馬に乗せて来た相手だ。左はインテリな雰囲気がある。いかにも事務的に立ってますを主張しているように見えた。

「名前を言えますか?」

 副神殿長が俺に聞いた。

「はい、……シンと言います」

 本当は慎吾という。でも日本名を答えるとどこの国の名だ? と思われそうで、名前も短くして伝えた。

「シン、貴方は自分が美しいという自覚がありますか?」

「……えっと、どうやらそうみたいだ、というくらいには……」

 たくさんの男たちに取り囲まれて、美しい人、一目惚れ、恋人に、愛人に、などと言われたら、俺ってそういうふうに見えているのか? くらいには思った。
 俺が曖昧な返事をしたせいか、男3人が大きくため息を吐く。

 いったい何がどうなっている? 日本では成績も普通、容姿も悪くないけど目立つ事もない並みの容姿だったのに。

「この国では黒が最も高貴だとされています。それだけでも珍しいというのに、シンの容姿は美しいとされる基準そのものです。加えて男を誘う香りがある。道行く人々が求愛行動をするのも致し方のないことでしょう」

「そうなんですか? 自分ではわからないし、俺のいた国では容姿も何もかも平凡でした。あんな告白なんてされたこともない」

 これは夢かと思ってみたり、お芝居なのかと思ってみたり。でも物に触れる感覚があるし、部屋の中は飾られた花の匂いと蝋燭の匂いがする。夢でここまで作り込むのは難しいと思う。

「求愛者の中に気に入った相手はいませんでしたか? このブラッドがシンの意思に反して連れて来てしまったのでは? なにせシンの求愛者の中には大貴族の息子もいたと聞いています」

「いえ、良くわからなくて困っていたので助かりました。ありがとうございます」

 後ろに立つブラッドという名の男を見て笑うと、ブラッドはすっと視線を逸らした。何か気に入らない事を言ってしまったのかと首を傾げる。

「それなら良いのです。ブラッドもシンの力になれて喜んでおりますよ」

 いやいや、そんな態度ではないだろうとブラッドを見ると、護衛のお仕事中ですと言う感じに無表情だ。せっかくイケメンなのにもったいない。

「お休み頂く場所なのですが……」

「私がシンの面倒を見ます。どうか許可を」

 副神殿長の言葉にブラッドが言葉を重ねた。いやいや、おまえ俺のこと嫌いだろうと思っていると、副神殿長が小さく笑った。

「聖騎士の立場を利用してでもシンに近づきたいということですか? 珍しいですね、ブラッドが公私混同とは」

 背後を見てそう言った副神殿長は、バツの悪そうな表情になっているブラッドから俺の方へ向き直った。

「ですがシン、あなたはどうお思いですか? シンは国宝級に美形であるというだけで、何も悪さをしたわけではありません。ですが今後の争いを考えれば、このブラッドは王族という肩書と聖騎士という肩書がありますから、シンを守るという意味では一番良い場所でしょう。ただ、彼も求愛者と同じ、シンに惹かれているという事はお忘れないように。よくお考え下さい」

 俺は副神殿の言葉を聞きながらブラッドを見る。王族で聖騎士? この国では上級の男だろう。貴族まで群がって来ていたのだ。よくわからない貴族に言い寄られるくらいなら、ブラッドはイケメンで目の保養にもなるし、この男がどう対応してくれるのかというのにも興味がある。むしろ好奇心しかない。

「ブラッドにお願いしても良いですか?」

「わかりました。ブラッド、シンは私が保護しているのです。その辺りをわきまえてくださいね」

「デュアン副神殿長の御心のままに」

 ブラッドは胸に手を当て、視線を下げた。とても優雅な素振りで、俺はうっかり魅入ってしまった。イケメンってすごい。

 副神殿長が椅子から立ち上がるのを、左の護衛が手を添えて支える。副神殿長は足が悪いらしい。左の男の仕草も慣れていて、見ていてとても微笑ましい。

 ブラッドと俺は副神殿長と護衛が部屋を出て行く後ろ姿を見守っていた。
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