竜の卵を宿すお仕事

サクラギ

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竜の渓谷

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 本来であれば、腹にナイフが刺さった程度の傷で死ぬことも、寝込むこともない。それくらい白銀の竜は治癒能力も高いのだが、カレンを失ったシャルには、生きる気力もないのだろう。細胞の損傷を最小限にナイフを抜き、治療を施したのだが、シャルは人の時間で3日、目を覚まさず、うわ言のようにカレンの名を呼び続けた。

 3日目、ツヴァイが見守る中、目覚めたシャルは、お腹が空いたと笑った。

 すぐにベッドから起き、いつもの店に行く。
 シャルがカレンのことに触れて来ないので、ツヴァイからは何も言わなかった。

 ツヴァイにとってシャルが初めての白銀の竜だ。白銀の竜と始祖の血の人とのあり方がどんなものか、ツヴァイにはわからない。カレンが死んでしまったから、シャルの中のカレンも死に、シャルはもう次の始祖の血を持つ者が現れるのを待つ状態になったのだろうかと思った。それくらいシャルには怒りも悲しみも見えない。

 お腹が空いたと言って自分からベッドを出て歩き始めた。はじめはふらついたから、ツヴァイが手を貸したが、それもいらないとすぐにいつもの調子で歩き始めた。まるで3日寝込んでいたのが嘘のようだ。あの騒動が抜け落ち、平穏な日常の続きをしているような、それくらい、シャルは通常に戻っている。

「酒はやめておけ」

 いつものように酒を注文しようとしたシャルを止めたが、店側はシャルに逆らえない。食べるものも通常通り、鳥の焼いたものや虫を炒ったものを注文している。それに加え、木の実のスープを注文したのはツヴァイだ。腹に空いたナイフの傷はもう塞がっているが、3日胃に何も入れていない。シャルの記憶がどうなっているのかはツヴァイにはわからないが、体は正直に不調を来たすだろう。

「なんで? 酒飲みたい」

 運ばれて来た酒を、瓶のまま口に運ぼうとしたシャルの手から瓶を奪う。

「どうせ飲んだって酔えないんだ。こっちにしておけ」

 奪った瓶の代わりに水の瓶を握らせた。

「うるさいな、好きにさせろよ」

 ツヴァイの手から酒を奪い返したシャルは、ツヴァイの忠告など一切聞く気はなく、瓶を口に当ててごくごくと喉を鳴らす。ツヴァイが止めさせた時には、瓶の半分が無くなっていた。
 飲んですぐに吐き気に襲われたシャルは、店の外に走って行き、店の陰で飲んだ酒と胃液を吐き出した。苦しそうに肩で息をするシャルの背を撫でたツヴァイは、吐いて辛いせいで流す涙なのか、気持ちのうえで流された涙なのか、わからないまま、ただシャルの体を支え、店には戻らず、家への道を進んだ。

「帰ったらスープ作ってやるから」

「いらない」

 まだ泣き続けているシャルの肩を支え、歩く。
 すれ違う者がシャルに咎める視線を送るのは、3日前に起きた騒動のせいだ。怪我をしている者が多くいる。シャルの怒りに感化された者たちが争った痕だ。救いは怒りの騒動が竜の渓谷の細部にまで響かなかったことだ。もし細部にまで広がり、抱えていた卵が割れるような事態にまでなっていたら、シャルは怒り狂った親に殺されていたかもしれない。

 それからシャルは、どこへも出かけようとしなくなった。食事を取らなくなり、ベッドで寝ているばかりだ。ツヴァイが来ても起きず、話しも頷くばかりで聞こうともしない。

 白銀の竜が始祖の血を引く者を失った時、狂う竜がいたという。シャルは生きる気力を失っている。
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