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第1章 第14話 与えられた試練
しおりを挟む■レアン共和国とノスユナイア王国の同盟締結の理由。
レアン共和国の軍隊についてはノスユナイアとは少し事情が違っていて、職業軍人と言う者が存在しません。理由はもちろん国境守備などは商売の二の次で守備のメインは傭兵を雇い入れるかノスユナイアの派兵頼みと軍事的な事はすべてアウトソーシングと言う割り切りぶりでした。
その理由は商売が先決という国家の体制にあります。緊急時には数万人の職人自らが武器をとるという形で対処をしようというのがレアン共和国のやりかたでした。つまり職人は兵士でもあるです。
国防に対して不真面目という訳ではありませんが、なぜノスユナイア王国がレアン共和っ港に派兵をするのか。それは軍事援助などではなく過去の事件以来そうせざるを得ない状況が未だに続いているからなのです。
今からおよそ200年ほど前。
大陸北辺一帯を支配下に置くデヴォール帝国はダナイン帝国を傘下に、そしてフスラン王国の当時の女王を懐柔し、三国連合を樹立させました。
それに危機感を抱いたサホロ公国は宗主国でもあるトスアレナ教皇国と軍事協定を強化してフスラン王国との国境に軍隊を大規模に展開させます。
これを予想していたかのようにデヴォール帝国の皇帝はサホロ公国に軍事的牽制をこそしたものの、それは動きを封じるためで、実際の照準はレアン共和国へ向けられたのでした。
帝国はレアン共和国に使者を派遣し連合に加わるよう迫りましたが、レアン共和国はこれを拒否。理由は連合加入に際しての条件があまりにも非経済的であったからです。
レアン共和国の元首評議会は、同じくフスラン王国と国境を接するサホロ公国に密かに使者を送り対抗勢力を組織しようと目論見ましたが、このことが帝国の知るところとなり、小競り合いから紛争へと発展してしまいます。
レアン共和国軍の必死の抵抗もむなしく、この紛争によってレアン共和国の領土であった大山岳地帯東側部分が帝国によって制圧され占領されてしまったのです。
事態がここまで進んでしまうとトスアレナ教皇国を後ろ盾にしているとはいえ、サホロ公国も迂闊に手を出せなくなり、静観するしかなくなってしまいました。もはやこれまでかと思われたとき、まず最初に動きを見せたのはフラミア連邦王国でした。
フラミア連邦王国の当時の国王は、長年争っている国境紛争地帯に大規模兵力を投入し、これ以上の暴挙をやめるよう皇帝に親書を送り、それと同時にレアン共和国擁護を表明したのです。
しかしデヴォール帝国は親書を破り捨て、フラミア連邦王国との国境地帯に新たに軍事力を振り向けて威嚇。あわや戦争勃発かと危ぶまれたときに、デヴォール帝国すら予測していなかったことが起こったのです。
それはノスユナイア王国のレアン共和国との軍事同盟締結の表明と実現です。
ノスユナイア王国にしてみればレアン共和国陥落の後、帝国は間違いなく自国へ攻め入るであろう事はわかりきっていた事でした。ここでくい止めなければ後が無いと思っていたレアン共和国とノスユナイア王国はまさに同遇の友となりえたのです。
ノスユナイア国王はレアン共和国へ本国にある軍隊の半数以上を送り込みました。
当時の皇帝ウォンダール=ギャベックキッツはあと一歩でレアンを落とせると思っていたところに突然しゃしゃり出てきたノスユナイア王国に当然不快感を露(あらわ)にします。当然ノスユナイア王国に宣戦布告。このままでは世界大戦勃発かという一触即発の危機的状況に世界の人々は固唾を呑みました。
しかし。
兼ねてからレアン共和国への最後の進軍を予定していた帝国軍は河の向こうに展開されたノスユナイア軍とレアン共和国軍の軍用サーリングの大群を見、そして背後では漁夫の利を得ようとフスラン王国領への進軍をにおわせるトスアレナ教皇国軍の不穏な行動を察知、さらにフラミア連邦王国軍はレアン共和国擁護宣言に加えて国境への大規模軍事展開を眼前に突きつけただけでなく、デヴォール帝国の同盟国であるダナイン神聖帝国との国境に軍事的示威行動をするという戦略を展開。するとそれによって浮き足立ったダナイン神聖帝国の皇帝が自国防衛を理由に、デヴォール帝国とフラミア連邦王国の国境戦線から自軍の半数以上を本国に引き上げてしまったのです。皇帝は怒りを爆発させましたが、自分の国を留守にして他国を守るなどという馬鹿な真似をする国主などいませんからどうすることもできません。
また200年前当時にはまだ大山岳地帯東側に棲みついていたタイア一族(獣人)と帝国軍の小競り合いが多発するなど、予期しなかったこれらの状況が皇帝のレアン侵攻を躊躇わせしめる結果となったのです。
デヴォール帝国皇帝ウォンダール=ギャベックキッツは、こうした状況を現実的に受け止めざるを得なくなり、ついにレアン共和国侵攻をあきらめました。
しかしあきらめたとわかったのは数ヶ月の間帝国の軍事展開がまったく為されなくなった事を不思議に思った各国の発掘屋ギルドからもたらされた情報からです。
その情報の内容はこう伝えています。
★★★★★★
現段階でウォンダール=ギャベックキッツ帝国がレアン共和国への侵攻を実現するには、フラミア連邦王国国境、サホロ公国国境の防衛に相当数の兵力を割かねばならない。しかし兵員は足りていてそのための軍需物資の調達は可能でも、物資生産が3か月を待たず追い付かなくなることが発覚。ゆえに開戦となればノスユナイア王国軍を擁するレアン攻略を終える前に物資の枯渇による可能性が高く、この不利によって逆に敵国の帝国本土侵攻を許してしまう結果になりかねない。
戦争状態が長期化すれば、遅かれ早かれ同盟国フスランを失うことは火を見るより明らか。それによってダナイン神聖帝国の連合脱退だけでなく寝返りもあり得る。そうなれば世界中が敵となり孤立は必至。
これらの条件をすべて現実として受け止めたウォンダール=ギャベックキッツ皇帝は、手にしていた錫杖を床に叩きつけると数か月の間ハレムから出てこようとしなかった。
★★★★★★
フラミア連邦王国の誰かがこんなことを言ったと伝えられています。
「もしもデヴォール帝国のギャベックキッツが狂人だったら、帝国はこの世から消え去っていただろう」と。
狂人ではなかった皇帝ウォンダール=ギャベックキッツは、想い半ばで頓挫してしまった自分の行いをどう感じていたのか歴史は明らかにしていません。
果たして休戦の申し入れもなく有耶無耶のままに紛争は終わりを迎えましたが、帝国はレアン共和国から奪った大山岳地帯東側の領土を返還せず、兵員も引き上げませんでした。
南への貿易路を断たれてしまったレアン共和国にしてみればこれは死活問題で、どんなに交渉をしても帝国は無視を決め込みその土地に居座る帝国軍とレアン共和国の間で領有権争いが燻り続け、二つの連合国は常にいがみ合うようになってしまったのです。
しかし貿易立国であったレアン共和国評議会は、解決の糸口の見えない交渉に時間を割くほど愚かではありませんでした。代わりの貿易路を確保に乗り出していたのです。まずは目の前の湾から北の海への航路開発ですが、これはデヴォール帝国の領海を通るため危険すぎるとして却下。そうなれば残された道は山脈を越えてノスユナイア王国経由での南部航路を開発のみです。もちろんノスユナイア王国は快諾。
山脈にサーリングで通行できる立派な道路ができたのはこの頃で、200年たった今でも道路は維持されています。そして山脈を超えた場所からさらにマルデリワの町までの軌道開通をたったの2か月で成し遂げてしまった事にノスユナイアの人々は驚いたのです。
しかしこの即断決行によって領土喪失による死活問題は解決し、あまり栄えていなかったマルデリワ地方が豊かな港湾都市と変貌を遂げることとなりました。さらには両国間の関係や理解を深めることにも一役買いました。
今ではフスラン王国西部となってしまった場所も商路としてしての通行は出来るようになったので、以前ほど賑やかではないにせよマルデリワの町には数千のジェミン族が住まい、ノスユナイア王国で産する資源を使って生産に商売に精力的に活動し、その利益は税として王国を潤していました。
レアン共和国にとって紛争の傷を癒すのに大忙しとなった十数年でしたが、その間ただよい続けた不穏な状況は皇帝ウォンダール=ギャベックキッツが怨念を抱いたまま死去することで本当の終焉を迎えます。
デヴォール帝国の高官たちは経済的な理由からいつまでも仲たがいしているのは己の首を絞めることにもなりかねないと考え始めました。現状のまま各国から取り残されることによる国力減衰を恐れたのです。実際、軍事力に経済の多くを振り向けていた帝国にとって内需だけでは立ち行かなくなっており、これを解決するのが急務となっていたのです。
先ずは小規模に個人商人たちが、そして徐々に有力商人とつながりのある政府高官たちが段階を踏むにせよ歩み寄りを見せ始め、数年後には国家による規制情報、規制品に抵触しない物のみという条件がつくものでしたが通商条約を結ぶまでに至りました。
領土は奪われたままだったのでこれを和解ととるか、譲歩ととるかは意見が分かれるところではありましたが、紛争から15年ほどを経て、世界はようやく平和を手に入れることが出来たのです。
これがノスユナイア軍が常にレアン共和国に派兵するようになった理由です。
ロマがモルドへ書簡を送ってから九日後、ロマのもとへ彼から返事がありました。その内容は”調査依頼了解した。わかり次第連絡する”というごく短いものでした。
彼の性格から要件のみとしたのは手紙の紛失や盗難に配慮したもので、彼は大抵こういったものに対しては用心深いことをロマは知っていましたが、ただひとつ気になったのはその手紙が密書としてではなく、普通の郵便物に紛れこませて送られてきたことでした。つまり密書を持っていった兵士は戻ってこなかったのです。
戻ってこなかった理由はすぐにわかりました。
一般郵便物の中にデルマツィア宛のものがあって、軍管理機関である国務院からその兵士について報せが届いたからです。その報せを受けて、ロマとデルマツィアがこんな話をしています。
「除隊?」
「ええ・・・」
「例の密書を届けてすぐか?」
「そうなんです」
「どうして?」
「旅団長としては恥じるべきことなのですが、実は・・・」
不審に思ったデルマツィアが自分の旅団の中隊長から聞いた話では、その伝令を任せた男は以前からほかの兵士といざこざがあって、締め出される格好で伝令係に転属していたという事で、要するに柵に耐え切れず軍を辞めたという事でした。
「おそらく国に戻って里心がついたか、直属の上官に言いにくかったから本国で除隊を申し出たかと思われますが・・・」
「そうか。そういう者もいるのだろうな。それはいいとしても間が悪い。今回は密書なだけに少し不安だな」
「それは心配ないでしょう。密書に施した魔法封印は本人以外が開ければ焼失するものですし、現にモルド大佐から異常なくお返事が来ているわけですから。筆跡はモルド大佐のものだったのでしょう?」
「それは間違いない」
以前モルドの副官をしていただけにロマの言には確信がありました。
「それなら問題ないのではありませんか?」
「しかしデル。らしくないな。人選が甘い。これからは余計な憂いを残すことがない者を選ぶよう心がけてくれ」
「申し訳ありません。以後気を付けるよう肝に銘じておきます」
「ん、頼む」
「ハ」
そんな会話がされてから間もなくして急速に寒気が押し寄せ、レアン共和国は冬季へと突入しました。共和国の城の背にそびえるレアン山脈の頂付近は日に日に雪化粧が濃くなって行き、厳しい冬の訪れを感じさせています。
本格的な冬を迎えれば、レノア山脈を越えて行き来することが困難になることはよく知られていましたから、モルドからの手紙が辿る道はトスアレナ教皇国を経由する南回りか、それとも微妙な件である事を考慮して他国を経由することを避け、春を待って届けられるかのどちらかになります。ロマはいずれにしても次の返事は少し先になるだろうと予測すると、その予測を裏付けるように、降雪の回数が増えていったのでした。
それから更に、予定通り第七師団が国境防衛任務に就きひと月程過ぎた、そろそろ第八師団が交代する時期になろうと言う頃、冬の山越えは危険とされているのにもかかわらず、本国からの急報が派兵軍の元へ届いたのです。
■運命と妄想
「先生!エノレイル先生!」
休日であったその日、前夜に医学書を読んでいるうちに時を忘れて夜ふかししてしまったローデンは、寝ているところをドアを叩く音で起こされました。
眠い目をこすりながらドアを開けるとそこには青ざめた顔をした近衛兵が立っていました。
「失礼します!」
半ば無理矢理に部屋に入ってきた兵士に驚いたように身を引き、不機嫌そうに眉間に皺をよせます。
「おいおい・・・」
「先生すぐにお支度を」
「なんなんだいったい・・・」
ローデンの不機嫌顔をよそに、近衛兵は唇を震わせながら言いました。
「大佐から。モルド大佐から、至急陛下の寝室へあなたをお連れするようことづかりました。お早く」
その言葉にローデンは眠気が吹き飛びました。
寝室へ。
それは医者であるローデンならばわかる、彼にとっては一番聞きたくない言葉でした。
慌てた様子で支度をしているローデンのもとへエデリカが来て不安そうな表情で呼びかけます。
「お父さん」
「エデリカ留守を頼む。今日は帰れるかわからない。何かあったら城内の私の部屋へ。いいね?」
「うん・・・」
「じゃ行ってくる」
雪がちらつく中をローデンは医療カバンを抱えて急ぎ足で出てゆきました。
国王の寝所の扉の前では既にモルドが待っていて、「遅くなってすまないモルド。陛下は・・・」ローデンが到着するやに言いました。
「ローデン。落ち着いて聞いて欲しい」
モルドの表情にただならぬものを感じたローデンは頭の中が真っ白になりました。
「お前にして欲しいのは治療ではなく、検死だ」
「検・・・死?・・・馬鹿な!」
ローデンが寝室のドアを開けて部屋の中へ足を踏み入れるとそこには三賢者と王下院のいく人か、そして王妃の姿がありました。
「エノレイル先生・・・お休みのところをご苦労をお掛けします」
そう言った王妃への挨拶も忘れ、天蓋付きの豪奢なベッドの上に横たわる国王の傍らへ小走りに駆け寄ったローデン。声をかければ目を覚ましそうなほどの安らかな、ともすれば笑顔ともとれる表情。しかし医師であるローデンにはそれが死に顔であることはすぐに理解でき、改めて愕然としたのでした。
「御つきの近衛が気がついたときにはもう・・・」ディオモレスは鎮痛な口調で言います。
「そんな・・・昨日お会いした時にはなんの兆候も・・・」
極度に疲労した様子で只々国王の顔を見つめていたローレルを見て、諦めきれないローデンは横たわる国王に手をかざして魔法による治療を試みました。が。
「声が・・・声が聞こえない・・・陛下・・・」
心臓か・・・・それとも脳か。
医師としての知識がめまぐるしく脳裏を駆け巡りました。
病死
病死
・・・病死
今のこの状況から見れば病死という判断を下さざるを得ませんでした。
しかし死因がわからない。
ローデンはどうしても納得が出来ませんでしたが、こういった急死の場合でもそうでない場合でも王族に対して解剖するなどの医学的な調査を行うのは汚れた行為であるという理由で禁じられていて、外からの様子だけを見て推察するしかない事を知っていました。 そうである以上、自分が今できることはと自身に問いかけ、彼は国王の表情や首筋など目に見えるところをつぶさに観察し始めたのです。
ディオモレスの配慮で検死が済むまで別室で待つことになったローレルは用意された飲み物にも手を付けず悄然として雪のそぼ降る窓の外を見つめるばかりでした。
モルドはローレルの傍らに立って微動だにせず直立の姿勢をとっていました。
ローレルは表情を全く変えずに口元だけを動かしてモルトに言います。「いずれ・・・いつかはこの時が来る事はわかっていました。覚悟はしていたつもりなのに・・・」
モルドは直立したまま応えました。
「どうか王妃様。このモルド、王妃様の心が癒される暇(いとま)を邪魔するものがあればどんな事をしてでも排除いたします。他の事を考えなさいますな」
「ありがとう・・・・大佐」
放心した表情で口を閉じたローレルを見て、モルドは侍女たちに王妃のそばを離れない事、余計な気を回さず希望があれば全て言われたとおりにするように命じ、一旦その場を離れてローデンのところへ戻ることにしました。
歩きながらモルドは自分が考えている事に少なくない罪悪を感じていました。彼とて国王の死の衝撃は大きく、不安すら感じていました、が、今ある現実を受け入れなければ先に進めない事を良くわかっていました。
そして罪悪を感じながらも冷徹に彼は思うのです。
この国には世継ぎがいる。
アレスがいる、と。
”刺し傷はない。・・・・・血液の付着はどこにもない・・・・・。”
「ん?」
ローデンは首を傾げて耳の穴を覗き込み、持ってきた医療カバンを開けて細い金属の棒の先に綿を巻きつけて国王の耳の穴へと差し入れました。
くるっと一回転させた後取り出してじっとそれを見ると、ガラス容器にそれを収めてまた他の部位の観察するということを繰り返し、数刻が過ぎると鼻から息を吐き出して顔をゴシゴシとこすります。
そこへドアを開けてモルドが入ってきました。それをチラリと見てまた視線を国王へ戻すとモルドは低くくぐもった声で言いました。
「お部屋番だった部下の話では、昨夜は変わったことは何も無かったといっている。陛下の死因は。まさかとは思うが・・・・」
ローデンは顎に拳を当てます。
「なんとも言えん・・・なんとも言えんが、苦しんだ様子も無いから毒殺というのも考えにくい・・・外的印象からは謀殺の線は薄いと見ていいと思う」
「では病死なのだな?」
「それもまだわからない」
「なぜだ?」
「病死とするなら考えられるのは脳溢血や心不全だが、それらの兆候はまったく見られなかった。・・・昨日まではあんなにお健やかだったのに・・・」
ローデンはそう言いながら本当に辛そうな面持ちで国王を見つめました。
モルドは自分の前にいる医師が死に至ってしまった者を助けられなかった事に対する自責の念から過去にこだわっている事を読み取りました。
多かれ少なかれ取り返しのつかない事の結果を目の当たりにした者は、”そこに自分がいさえすれば”という一種の妄想にとり憑かれます。その念は有能な者であればあるほど強い。
モルドは自分自身を含めてそういった者を数多く見てきました。しかしそれはあくまで妄想で、その域を出ることは決してないのです。
そのときそこにいなかった者はそこに居る運命を神から与えられなかったのだと、モルドはいつもそう考えて自分を納得させていました。そして今回も。
「ローデン。お亡くなりになってしまった事実は揺るぎようがない。私は私の出来る事を全力でやる。お前もそうしろ。何かわかった事があったら必ず連絡は私に一番によこせ。いいな?」
ローデンは力なく何度か頷きました。
「ん・・・わかった・・・」
創世歴3733年12月19日。
その日。緊急招集された元老院議会は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、訃報が伝播するにつれて国中が悲しみに包まれていったのです。
■かわらない空
創世歴3733年12月28日。
国境防衛はひと月ごとの交代制で、今月は第七師団が担っていましたがあと三日で月が替わろうという頃。第八師団の兵士たちが国境への出発準備に忙しく動き回っていたそんな時でした。
その日の早朝、本国からの伝令が到着した事を報(し)らされたロマはモルドからの返事かと思いましたが、その伝令兵は機密情報開示のため二人の司令官同席の下に口頭で行う旨を告げました。
ロマはすぐにこの伝令が持ってきた情報がモルドからの返事でないことを悟り、国境へドリエステル元帥召還の書を持たせて行かせたのです。
召還書を出した翌日の午後、ドリエステルは副官を含む数名の部下と共にレアンの城に到着しました。そして二人の司令官は密室において伝令兵から12日前に国王が崩御したという報せを聞き、驚愕したのです。
「なんと・・・それはまことか」
「・・・病死?・・・」
「はい。エノレイル医師の検死により病死と断定されました」
「な・・・なんということだ・・・」ドリエステルは頭を抱えてテーブルに肘を付きます。
「我らの太陽が沈んでしまった・・・。陛下が・・・お亡くなりに・・・・」
ロマもドリエステルと同じ気持ちでした。先日の勲功授与の式典で談笑し、ひと月余り前の派兵式ではしっかりとした様子だったのを思い出すに付け、この伝令が言っていることが嘘ではないのかと勘ぐってしまったほどだったのです。それぐらいに事実を受け止めるのが困難でした。
「ドリエステル閣下。我々だけでも帰国しましょう」
そう言ったのはロマ。こんな事態であれば帰国は当然だと思ったのです。しかしロマのその思いに反してドリエステルは承知しませんでした。
「いや。それは出来ん」
「なぜです?」意外な答えにロマは語気を強めました。
「ガーラリエル少将。戦時であってもなくても冬は休戦期だ。だがその分情報活動が活発になる。この事実は遠からず世界に知れ渡るだろう。デヴォール帝国が我が国の王の世代交代という、国家が不安定な状況につけこんでここぞとばかりに行動を起こす可能性は考えねばならん。我々の使命はまさにこのような状況の時にこそ国境を守る事にほかならない」
「しかし」
敬愛する国王が死んだことでロマは少なからず動揺していました。それを鎮めるようにドリエステルは。「伝令。ここまでの道のりはどうであった?」
「ハ。道程は全日吹雪で踏破は極めて困難でした。伝令任務についた5名のうち1名が誤って滑落して死亡しております。王国評議会からもドリエステル閣下の仰られた仮想敵国に対する備えとしてレアン共和国にとどまるよう両元帥閣下に伝えることを申しつかり、帰国は見合わせ、こちらからの指示を待てと」
その言葉を聞いたドリエステルは深く頷いてからロマに振り向きました。
「少将。自然の猛威を侮ってはならん。感情に任せて持ち場を離れ、危険に臨むような行動は厳禁だ。我々のどちらかが帰国の途に赴いて命を落とすようなことにでもなれば混乱を助長してしまうことにもなるだろう。気持ちはわかるが堪えるのだ」
その言葉は状況に即した妥当なものでしたが、なにより本国から現地に留まれと指令があったのなら従わなければなりません。ロマは無念の思いを胸にしまうほかありませんでした。
「とにかくまず同盟国である共和国の元首評議会にこの事実を伝えよう。今すぐに」
ドリエステルとその副官、ロマとデルマツィアが連れ立って元首ゴスターナ=マンドルの元を訪れたのはそれからすぐ後のことでした。
■
元首評議会の面々は伝えられた事実に一様に驚き、元首であるマンドルも動揺を隠しきれない様子でした。沈痛な面持ちでロマ達に言います。
「季節外れの急使と聞いて何かあったのではと思っていたが・・・なんということだ。心からお悔やみを申し上げる」
「それで?あなたがたは帰国を?」
幾分戸惑い気味の表情で評議員長のロベリアがそう訪ねるとドリエステルが応えます。
「一大事ではありますが、王国評議会からは残留を指示されております」
レアン共和国の者にとってそれはホッとさせる一言でしたが、ことがことだけに内心は複雑でした。ロベリアは彼なりに気を使ったのか、こう言いました。
「今の季節の山越えは危険極まりありません。いずれにしても春を待つのが良いでしょう」
「もとより。しかしこのような事態になった以上、仮想敵国の動きに注意をせねばなりません。このまま任務を続行することに付いてはガーラリエル少将とも意見の一致を見ております」
「そうでしたか。我々にして差し上げられる事があればなんなりと遠慮なくお申し出ください。出来る限りのことはさせていただきます」
「お気遣い感謝致します」
「ひとつ確認しても良いですかな?」と、マンドルがドリエステルに視線を送りました。
「なんでしょう」
「お世継ぎがいらっしゃることは我々も存じておるのですが、それについては問題なく?」
故人をしのぶ喪中の時に確かにこの話はあまり気持ちの良いものではありませんでしたが、国主が他界したことで同盟国の行く末が不透明になることへの不安は無視できないことです。こういった政治的な席では致し方のないことでしたが、ロマはにはどうしても我慢がならなかったのです。「それは問題ないと思っておりますが・・・」ドリエステルの言葉を遮るようにしてロマは立ち上がって言いました。その口調には懇願といくらかの非難が籠められていました。
「元首閣下。我々は国王を失ったのです。確かに世継ぎのことが気になりましょうが、私は・・・」そんな話をして欲しくない。少なくとも今は。ロマはそう言いかけて言葉を詰まらせ「・・・申し訳ない。失礼します」部屋を出ていってしまったのです。
呆気にとられた感じの一同でしたが、マンドルは辛そうに額に皺を寄せ、デルマツィアは慌てて彼女のあとを追って部屋を出てゆきました。
「おい。呼び戻して来い」
ドリエステルは副官にそう命じましたが、マンドルは副官を呼び止めます。「ドリエステル殿。配慮が足りなかった。確かに世継ぎの話は今すべきではなかった。ガーラリエル元帥には申し訳ないことをしてしまった・・・」
ロベリア評議員長は誰にも何も言いませんでしたが、額をこすった手で口を抑えてロマはの出て行ったドアを見つめる眼差しには哀れみに似た色が浮かんでいました。
「失礼をお許しください」
「いや。非は私にあります。どうかガーラリエル殿を責めんでくだされ」
暫くの沈黙の後にロベリアは「では」立ち上がりました。
「残留することは承知いたしました。三日後の国境防衛交代も通常通りということでよろしいですか?」
「結構です」困ったものだとでも言うように吐息をもらしてドリエステルは頷き、会談の席は一旦閉じられることになったのです。
「閣下!」
振り向きもせず街中を歩き続けるロマを呼び止めようと追いついたデルマツィアは彼女の前に回り込み、後ろ歩きしながら白い息を吐きだしていました。
ロマの視線はデルマツィアに向くことはなく、ただまっすぐと前だけを見つめています。その表情には怒りも悲しみも窺う事ができず、心がどこかへ抜け出てしまったかのように見えました。
おそらく今話しかけても何も応えてくれないだろう。そう思ったデルマツィアは自分を落ち着かせるようにロマの隣を同じ方向へと歩きました。そして数分が過ぎた時に広場にたどり着くと立ち止まって空を見上げ、こう言ったのです。
「青空だ・・・」
同じように空を見上げたデルマツィアは、視界を白い雲がゆっくりと右から左に流れてゆくのを見ながら指先で襟を正します。
「いつもとかわらない・・・青空だ・・・」ロマは時間が経てば経つほど自分の心の中に空虚が広がってゆくのを感じていました。「何が起こっても目に映る景色は変わらないのに、・・・心の中に何も思い浮かばない」
ロマの吐息が白くなり、消えてゆきます。
「閣下・・・」
「人は誰であれいつか死ぬ。なのに・・・、分かりきっていることなのに、いざその時になっても受け入れられないなんて、わたしは愚かなだな」
デルマツィアはそれに応えず彼女の次の言葉を待ちました。
「だけど私は、・・・私には陛下の死を、王国の歴史の一つに無機的に加える事なんてとても出来ない」
「親しい人が亡くなれば誰でもそうです」
「マンドル元首を非難しているわけではないのだ・・・」
こういう時のロマの口調はモルドに似ていると心の隅で思いながらデルマツィアは応えました。
「閣下。わかっています。あなたの抱いている感情は人として間違ってはいないのです。ただ政治的に正しいとは言い難いだけで、下される評価は人によってどちらに重きを置くかによる差異に過ぎません」
「そうか・・・」
「あなたはあなたの信ずる正しさを態度に表した。それだけのことです。恥じ入ることでも誰かに理解を求めることでもありません」
「そうか・・・」
「お忘れにならないでください。我々はあなたの側に立っています。いつでも」
「うん・・・」
デルマツィアが「閣下。兵たちにこのことを伝えねば」と言うと、ロマは「そうだな」と言ってまた歩き始めます。
歩いている間、ロマの心に去来する言葉はひとつだけでした。
”本当なのか。本当に陛下はお亡くなりになってしまったのか”
自分の立っている大地がこれほど頼りなく思えたことはありませんでした。そして記憶の中に生きる国王を探しているうちに、勲功授与式でのことを思い出したのです。
”こんなに別れが早いのを知っていたら勲章を受けて、陛下の喜ぶ顔を見たかった。喜ばせてあげたかった”
その時に国王から告げられた言葉が脳裏に浮かびます。
”・・・失ったことを悔やみ嘆くより、乗り越えて先にすすむのだ。それがワシからそなたに与える試練だ”
先に進め。
そう。先に進まなければいけない。
陛下は自分に試練を与え、それを乗り越えろと言った。
そして私はそれを受けた。
今のこの気持ちを乗り越える方法があるとすれば、それは国王陛下が愛していたノスユナイア王国を守り抜くためにすべきことをする事。
感傷に浸る事は陛下が望まれることではない。
自らの命が終(つ)いても王国の終焉を望まれるはずもない。
陛下のために自分ができること。それは・・・。
ロマの目に光が戻り、鼻から息を吸うと彼女はゆっくりと口を開きました。
「デルマツィア」
「はい」
「フスラン国境へ行こう」
●◆●※●◆●※●◆●※●◆●※●◆●※●◆●※●◆●
開けた平原にシンシンと降る雪。その中を長い長い車列が行きます。
サーリングの機動車は最前部と最後尾、そして中ほどの三機列車を推し進める速度はで早くもなく遅くもない速度。その間には20両ほどの車両がガタンゴトンと言う音を出しながら走っています。
車両には小さいながらも採光用の窓もありますし、発光クリスタルの明かりもあるため息が詰まるような不快感はありません。その車両の中に所狭しと犇めいているのはフスラン国境へ向かうノスユナイア軍第八師団の兵士たちでした。
軍用の車両ゆえ、1両に100名ほどが乗車可能で、一度に輸送できる兵員数は2000から無理をすれば3000と言う所ですが、レアン共和国の城壁都市からナウル川までの100kmは五重線になっていて、同じ編成のサーリング軌道車両が5編成同時進行出来ますから国境に運べる兵員数は1万から1万五千もの一括輸送が可能と言う大規模なものでした。さすがはジェミン族と言うと所です。
しかしナウル川から国境線になっているエーヴェイ川までの20kmほどは防衛の観点からも複線とされていて、一部の兵士が先に出発すると残りは徒歩での行軍です。武器装備を背負っての行軍なのは行軍中に敵の襲撃があった場合を想定してのことです。武器はもちろん水や食料なしでは戦えません。
そして第一陣をエーヴェイ川の城塞駅で下ろすと車両が引き返し、ちょうど10kmほど行軍した残りの兵士の一部を載せてまたエーヴェイに向かうと言った感じで兵員を輸送します。この方法だとどうしてもナウル川からエーヴェイ川の城塞駅まで丸々行軍する事になる部隊が出てしまいますが、大隊別にくじ引きで決めています。もちろんくじを引くのは大隊長の役目ですから、連続してハズレくじを引くと「うちの大隊長はクジ運が悪い」などと言われ評判が落ちたりもします。そこで大隊長同士であまりにも連続してハズレを引いてしまった者と連続してあたりを引いた者とで食料やら酒やらをネタにして取引したりもしているようです。
「大隊長・・・またハズレですね!」
「いや~期待を裏切らないですよね大隊長!」
「うっせー!黙って歩けや!!」
後ろからのブーイングに振り向きもせず叫んだのは誰あろう我らが大隊長ナバ=コーレルでした。
「だいたいな!俺の部隊は騎兵隊なんだよ!巡装甲騎兵ともあろう者が車輪に頼るなんてのは言語道断だ!」
「まー確かに歩いているのは僕のお馬さんですけどね・・・」
「ぼくちゃんお尻が痛いの~」
「俺のハーバルウォッケンのミネでお前のケツをぶっ叩いてやろうか?痛みがわからなくなるぜ~~~」
「・・・あ、なんだか急にお尻が気持ちよくなってきたっす~」
笑い声が響き渡ります。子供のようなクダラナイ冗談で盛り上がっているとそこへ一騎後ろからやって来ました。
「ナバ!・・・コーレル大尉、異常なしか」
「兵士どもが口からブーブー屁を垂れるという異常事態があった」
「何?」
「冗談だよゼン。第一大隊異常なしでありまーす!・・・とはいえ」
ナバはさっきまでのバカ騒ぎも一つの憂いを胡麻化すためにしていたような気がして表情を少し暗くします。
「まさか陛下が亡くなられてしまうとはな・・・」
ゼンも表情を硬くします。
「まあみんなその事にあんまり触れないようにしているみたいだけど、却ってそれが気になるっていうか不自然と言うか・・・」
「仕方ないさ・・・誰もが覚悟していたことで誰もが見ないようにしていた・・・それが現実なった。その現実にどうしたらいいかわからないのはみんな同じだよ」
ゼンの言葉に納得し暫く馬を並べて進んでいるとそこへまた一騎がゆっくりと近づいてきました。
「構わんかね?」
「あれ?なんだよおやっさんもハズレかい?」
「まあそんなところだ」
「重装甲歩兵で乗りなれない馬じゃなかなか大変なんじゃ?」
「私も最初はおっかなびっくりだったが、意外と大丈夫だな。わしの指揮下の第一部隊だけがハズレたんだが、若い者たちは乗馬を楽しんでるよ」
「あんまり下手な乗り手は振り落とされるぜ、はははは」
「それも経験さ・・・それよりも」少し間を置いてイサーニがトーンを落とした声で言いました。「残念極まりないな」
「ええ。全くです」
と、ゼン。
「ご高齢ゆえ、私もある程度覚悟はしていたが・・・・いざとなるとこの気持ち、御しきれんな・・・」
「確かに。・・・しかし自分の事はどうとでもなりますが、ただ・・・」
「ただ?」
「王妃様やアレス殿下のことを考えると・・・心配です」
「ん・・・」
暫くの沈黙に耐えきれなかったのかナバがイサーニとゼンの顔を交互に見ます。
「心配ってなんだよ・・・ゼン・・・おやっさん・・・」
イサーニ大佐が口を開きました。
「気になることがあるんだよ・・・私もゼンもな」
「気になる事?」
ゼンが無表情に顔を上げます。
「後継問題さ」
イサーニは何度かうなずき、神妙な表情を浮かべます。
「何言ってんだよ。アレス殿下がいれば王家の血脈に揺るぎなしじゃねぇか。何の心配があるってんだよ」
「ナバ。それは分かっているんだ。我々が心配しているのは後継者の事じゃあない」
「え?」
「後継問題について心配してるんだ」
わかっていないナバにわかりやすくイサーニが言いなおします。
「後見人の指名だよ。ナバ」
「後見・・・人?」
イサーニは頷いて話を続けました。
「どこの国でもそうだが後継者が幼い場合、代理を立てて執政にあたらせるという慣習があるんだよ」
「ああ、まあ・・・そうだろうな。でもどうしてそれが心配なんだよ?」
ゼンは前を見たままナバに言いました。「後見人というのは陛下に代わって国の舵取りをするんだ。つまり国王の代わりだ」
ピンとこない顔をしているナバに今度はイサーニが。「王家の血筋でなくても国王と同じ権限を持つ立場にあるのが後見人というものなんだ」
「え。それじゃあ主権者ってことか?」
「いや。主権は国王にある。後見人と言うのはあくまで国王陛下の代理だ」
しばらく頭を傾げていたナバはハッとしてゼンを見て言いました。
「ちょちょ・・・まってくれよゼン、おやっさん。それってなんだかヤバイ匂いがしねぇ?・・・あ。心配ってそのことかよ」
国王の持つ権力を代行出来る後見人。さすがに政治に疎いナバでも少し表情が曇り始めます。
「うん。私が心配しているのはその立場を打算含みで手に入れようとする輩が出てくるかもしれないということなんだ」
「あ~そうかあ・・・」
納得しかけたナバでしたが、ハッとしたように言いました。
「いやいやゼン。その打算含みで後見人になりたがる奴がいたとしたって、俺らが気づくぐらいなんだから三賢者なら易々と見抜くだろいくら何でも」
今度はイサーニがナバに返答します。
「確かにな。だが話はそう簡単ではないんだ、ナバ」
「そうかなぁ」
「持てる権力が桁違いなんだ。簡単じゃない」
「当然信頼できて信用の置ける人物が選ばれるあろうが、心の移ろいは人の世の常だからな」
「??」
ナバにゼンが説明します。
「初めは良心的であっても、権力を手にしてその強大さに気が付くと心変わりするってことだよ」
ナバが何度か頷くと「しかしある程度は誰が後見人に選ばれるかは予測できる」とイサーニが言いました。
「そうですね」
「え?そうなのかよ。誰だれ?」
意味ありげに顎をさするイサーニ。
「大佐はどなただと?」
「うむ。第一候補はおそらく陛下の弟君ではないか・・・と、私は考えているのだがね」
ああと言ってゼンが頷きました。
「ライジェン公爵閣下ですか。確かに元老院議員でもあるから政りごとにも識が深い。・・・適任でしょうが、しかし噂では王妃様はライジェン公爵を快く思っていらっしゃらないと聞いたことが何度かありますよ?」
「陛下に弟なんていたのかよ」
「ハムラン=ケネス=ライジェン公爵。たしか69歳だ。王位継承権を放棄することを条件に元老院入りしている」
「放棄?」
「ああ、王族は元老院議員にはなれないんだが、王位継承権を放棄することで入閣できるという規則がある。名前も変えなければならない」
「名前・・・」
国王の正式名はマラッガ=ジン=テラヌスだから全然違うなとナバが思います。
「ライジェン公爵の本名はハドリア=マス=テラヌスだったかな・・・」
「もしも王族が元老院議員になったら、多くの議員がその人物に身を寄せ、実質的に議会を牛耳ってしまう恐れがあるからな。それにライジェン公爵は王位継承権の放棄だけでなく王族から離縁もしている」
「離縁?」
「王族を辞めるってことだ」
「もったいねぇ!そんなにしてまで元老院議員になりたいものなのかねぇ」
ゼンは鼻から息を吹き出しました。
「お前なんにも知らないんだな」
「へっ!政治なんて興味ねぇもんよ」
「ははは。まあそう責めるなゼン。ナバ、良い機会だから少し知っておくといい」
イサーニはまず、法では定められていないものの伝統的にノスユナイア王国は男が王位を継承する為、王妃が主権者つまり女王となって国を収めることができないこと、国王崩御から諡号の儀式が行われるまでの短い期間だけ王妃に限定的に主権が与えられることを説明しました。
「それじゃ、いまんところ王妃様に主権があるのか・・・」
「限定的にだよ」
「それって?」
「執政権や人事権などは無く、たったひとつの事だけに有効な権利なんだ」
「なんだか願い事みたいだな。お前の願いをひとつだけかなえてやろう~~~的な」
ゼンが溜息を吐きながら言いました。
「ま、お前らしい発想だけど、言い得て妙だな」
「え?」
「王妃様に与えられた決定権。それはな後見人の任命権なんだ」
「ほほ~」
納得顔のナバを見て頷きながらイサーニは話を続けます。
「わが国では十七歳になれば成人だ。だが十七になれば執政できるというわけでもないからな」
「殿下はいくつだっけ?」
「十四だよ。そのぐらい覚えとけ」
「なはは!めんごめんご」
「アレス殿下が十七になっても後見人がすべての執政を移譲するとは思えんし、まあ徐々に段階を踏んで移譲するというのが自然といえば自然だ」
「私が不安に思うのはそこなんです大佐」
ゼンがいくらか語気を強めて言いました。
「というと?」
「殿下は十四歳、成人まで3年。それまでに国家運営を学ばれるのは難しいでしょう。少なくとも私は軍隊経験も含めて6年、いや7年は必要だと思います」
「ふむ」
その年数にはイサーニも納得の感じでした。
「じゃあ21歳までって事か?」
「問題は7年という長期間国家運営をすれば、後見人が望むと望まざるとにかかわらず、後見人自身と様々な機関との関係が深くなります。中には全幅の信頼を置く人物も現れるしそうでない者も現れると思うんです」
ゼンは息を軽くついて続けます。
「そうなれば国王陛下に執政を委譲した後も、素人の国王よりその道に通じている後見人を頼りにするという事態も起こりえる。・・・いや、国王陛下御自身が後見人を必要以上の地位につけて取り立ててしまった場合、弊害が発生するとか・・・。そういう周囲から不評を買うような事をしないためにも例えば後見人を複数立てて、それぞれの任期を1年づつにするとかして癒着を防ぐなりしないと執政に偏りが出て・・・」
矢継ぎ早に喋るゼンにイサーニが待ったをかけようとする直前、ナバが口をはさみました。
「でもよゼン」
「ん?」
ゼンは少し息を切らしていました。吐く息がもうもうと白くなっています。
「さっきお前、王妃様がその陛下の弟君のライジェン公爵を嫌ってるって言ってたろ?それがほんとなら後見人は違うやつがなるんじゃないか?」
「嫌っていても短い期間なら構わないさ」
「好き嫌いという材料ですべてを決めるわけではあるまい?」
「そうでしょうか」ゼンはイサーニの意見に異議を唱えました。「イサーニ大佐ならどうです?もしもご自分の愛息に後見人を立てるとしたら、好意を持てない人物を選べますか?」
「それは・・・うむ。だが事が事だけに感情を差しはさむ余地はないと思うが・・・」
「後見させるなら信頼が置けるのはもちろんですが、自分の気に入った人物を選択するのは親心としては当たり前のような気がします」
その言葉にイサーニは納得と同時に不安を覚えました。
「たしかに貴公の言うこともわかる。だがそれによる弊害を考えない王妃様ではあるまい?」
「・・・・・」
ゼンは無言のまま顔を正面に向けました。
「やはり多少の危険は伴っても、国家のかじ取りをしっかりできる者を任命すべきだと私は思うがね・・・
「だったら三賢者の誰かがなればいいじゃねぇか」
ナバの突然の言葉にゼンとイサーニは揃って首を振りました。
「それはない」
「なんで?」
「王国法で禁じられているんだよ。三賢者は立法機関でもある王下院の一員だし、神官でもある。元老院議会においても国王陛下に次ぐ強い発言力を持っている。陛下にも意見できるほどのな。その三賢者にさらなる権力を与えることは王家にとっても、周囲に与える影響も大きいからさ」
「ノスユナイア王国の800年近くにわたる歴史の中で、一度だけ三賢者が後見人となったことがあったんだが、その一度がまずい事になったという事例がある」
「ああ・・・マシュラ族賢者の改新騒動ですか」
「なにそれ」
「創世歴3131年だな。ノスユナイア王国が成って150年ほどの事だ」
「覚えやすいですよね」
「単純に言えば後見人になった賢者が幼い国王を差し置いて王位簒奪めいた事を始めた。そしてその賢者は国王陛下を暗殺して自分が王位に就こうと画策したが、他の2賢者に見破られて逆に殺されてしまった」
「謀反ってやつか」
「まあそんなところだ。詳しく知りたければ図書館にでも行くんだな」
イサーニの勧めには肩をすくめるだけのナバでした。
「その事件が発端となって、後継問題は常に王妃様が神経をとがらせる事になった。さっき話した国王陛下が亡くなった後に王妃様に与えられる後見人任命権という特権もそれが理由だ。その事件の前には無かった制度だからな」
「・・・でもさ、王妃様がいないときは?早くに亡くなったとか、離縁しちまったとか・・・」
少し間が空きましたがイサーニが答えます。
「私の知る限り。そういう事実はないな」
「へええー」
ゼンはさっきまでしていた話に流れを戻します。
「・・・というわけで、三賢者には今以上の権限を与えることはないし、たとえ王妃様に頼まれたとしてもディオモレス=ドルシェ様ほどの方なら国家国民を惑わすような真似をすることはまずないだろうさ」
ゼンがイサーニの言葉にそう言い添え、ナバはそれを聞いて手を頭の後ろで組み、やれやれという感じで嘆息しました。
「だったらおやっさんもゼンも心配のしすぎだな」
「なんだと?」
イサーニは意外な事を言うナバを見て口元を緩めました。
「だぁってよ。三賢者が後見人の見張りってことだろ?あのツェーデルのおばさ・・・あ、ごほごほ・・・魔法院長とかカーヌ・アー様もドルシェ公爵も俺のイメージじゃ後見人が悪さしようものならあっという間に見抜いちまうって感じするぜ?」
毒気を抜かれたような顔のゼンが珍しいものを見るような目をしています。
「見抜いた後に三賢者と後見人がそろって悪だくみ・・・なんてちょっと考えにくいな。やっぱイメージでしかないけど後見人をどこのどいつがやろうと三賢者が何とかしてくれそうな気がするよ。難しくて面倒なことは俺たちが考えたってしょうがねぇって。特に政治なんてものはよ!」
「お前の頭が単純すぎるんだよっ」
「大丈夫だって!そんな厳しい顔するなよゼン!」
ゼンの背中をバーンと肩を叩くナバを見てイサーニは笑いながら言いました。
「いずれにしても決めるのは王妃様だ。我々はその判断をよしとするしかない。まあ考えてもせんないことだゼン。王妃様は聡明な方だ。きっと誰もが納得できる選択をされるはずだよ。いざとなれば三賢者という知恵袋と近衛隊という懐刀までついているんだからな」
「モルドのおっさんかぁ・・・元気にしてるかなぁ」
「あの男が元気でない姿など想像もできんよ」
「はーはっ!ちがいねぇ」
「今も、いやこんな時だからこそ精力的に動いているだろう。それこそ鋼の精神力でな」
「鋼の男、面目躍如ってところか」
「うむ」
笑い合うナバとイサーニでしたが、不安を払拭しきれない思案顔のゼンにイサーニは言いました。
「ゼン。我々の使命は国境を守り、そのためにガーラリエル閣下の力になることが最優先任務だ。気持ちはわかるがあまり考え込むな」
「俺はガーラリエル様の力にだったらいくらでもなるぜ。命をかけたっていい」
グっと拳を握ったナバを見てイサーニは微笑みます。
「政治的なことをこうして話し合うのは意義があるが、のめり込み過ぎて本来の任務がおろそかになってしまってはいかん。我々は政治家ではない。政治のことはひとまず置いて、軍人としての責務に専念しよう。ではまたな」
きっとイサーニは仕官や兵士たちを廻ってこうして話を聞くなりするなりして兵士たちの不安を取り除く努力をしているのだろう。彼の後ろ姿を見送りながらゼンはそう思い、イサーニの人となりに敬服しました。そしてひとつため息をついてわだかまりを振り払うように首を振ります。
「大佐の言うとおりだな。閣下の力になって差し上げなくては。・・・とにかく国境だ」
気楽そうにナバが「そうだそうだ」笑いました。
立場にそぐわないことを考えすぎたと反省したゼンですが、彼の予想は半ばは当たっていたのです。
続く・・・・・・・・>>>>
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