サクササー

勝瀬右近

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第1章 第16話 妻の面影

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■お門違い



 後見人選定討議が行われて数日経ったある日。
 王妃ローレルは近衛隊長のモルドとその部下数名を伴って王城内のある人物が住んでいる部屋を訪れました。
 そのある人物とは。
「は?!私を?!まさか」そう言ってひきつった笑顔を見せたのは典医のローデン=エノレイルでした。「ご冗談でしょう?」
 ローデンはソファに座った王妃の後ろにいるモルドと王妃で視線を往復させ、口元には笑いをそして目には驚きと怯えを浮かべていました。
「もしも冗談なら先生のお部屋にまで押しかけませんよ」
 その言葉でローデンはますます恐慌しました。
「ちょっと待ってください。私は医者ですよ?」
「ええ。よく存じていますわ」
 一瞬間が開きます。
 笑顔を作る時間を得たローデンが、自分を落ち着かせるようにたどたどしい口調で言います。「失礼ですが王妃殿下。あなたは今精神的に不安定になっていらっしゃる。お気持ちはよくわかります。しかし自棄になってはいけません。私を後見人になど正気の沙汰ではない。ご自身が言ったことがどんなに無茶苦茶かお分かりになっておられない」
 ローレルは口に手をあててじっとローデンを見ています。視線を一瞬外してすぐに戻しました。するとローデンがすがるような目つきで背後に控えている近衛の総隊長を見ているのが見えます。
「先生」
「は。なんでしょう?」
 無理に笑顔を作って応えるローデンに王妃は小さく咳払いをしてから話し始めました。
「話が唐突すぎでしたね。まずは私の話をお聴きいただけますか?」
「それは・・・ええ、もちろんです」
「まず・・・」
 王妃は昨日の後見人選定会議の様子を細大漏らさず話しました。
「政治に対する素養が無い者でも担当する者があれば良い。私はそう結論したのです」その上で再度同じことを言ったのです。「後見人になっていただけないかしら?」
 ローレルの口が真一文字に閉じられて数秒してローデンが首をぎこちなく振りながら、それでもきっぱりと言いました。
「お話はよくわかりました。でもダメです。お断りします」
「先生・・・」
「今話していただいた事は聞かなかった事にします。勿論王妃殿下やアレス殿下の置かれた状況は把握できました。理解もできました。しかし、いくら把握できて、理解できたからと言って、受け入れられる事でないことは明白です。私にそんな大役は絶対に無理です」
「居てくださるだけで良いのですよ?」
 ローデンは言葉じりを取る卑劣ともいえる言動の後ろめたさも忘れて言いました。
「もしそうなら私以外の者をお選びください。モルドだって良いし、君だっていいかもしれない」
 ローデンはモルドの隣にいる部下を指さしました。
「それはできません」
「どうしてです?」
「この方には近衛として私やアレスのそばにいてもらわなくてはなりませんから」
「ならば元老院議員のライジェン公爵様は?彼は元王族だし誰も文句は言わないでしょう」
「それもできません」
「どうしてです?」
「私が後見人に指名しないからです」
 その言葉に何かを言おうと口を開けたローデンでしたが、三回もどうしてですというのにバカバカしくなって口を閉じました。そして、「なぜ指名なさらないんです?」ローレルを説き伏せようと試みました。
「私のように政治に全く無知でなく、血筋も申し分なく、年齢も実績も・・・こう申しては何ですが、アレス殿下が成人なさるまでの中継ぎとしてはうってつけの人物だと私には思えますが?」
 彼の言ったことにはアレスが成人するまでの数年ぐらいなら生きているだろうという意味も含まれました。言葉にはしませんでしたがその隠意は伝わりました。
「おっしゃるとおりアレスが成人するまでの中継ぎです。でも中継ぎ以上の事は何もして欲しくないというのがわたくしの本音なのです」
「・・・それは」
 それはとりもなおさず、王権の乱用を防ぎたいという気持ちを言葉で表したものであることはローデンもすぐに理解できました。ではライジェン公爵には後見人を任せたくない理由、いや、なにか問題でもあるのだろうかと彼はすぐに考えました。
「ご想像しているとおり、ライジェン公爵様には問題があります」
 考えを見透かされたのかと思ったローデンはハッとして顔を上げました。
「確かに。政治に疎い私でも元老院会議でのライジェン公爵の王室に対する辛辣な態度発言は聞いたことがあります。しかし今は非常事態ですよ?」
「ライジェン公爵は」王妃はローデンの説得など聞く気はないとでもいう様に話を始めます。「元老院議会の国務院派、貴族院派、そして王弟派の三大派閥のうちの王弟派の中心人物です。もしも後見人になれば元老院議会に大きな影響を及ぼすのは目に見えています」
「ですが」ローデンはやっとという感じで言います。「議員は後見人を兼任できないから辞職しなければならないのでは?・・・」
 笑みを浮かべてローレルは目を細めました。
「よくご存知なのね。少し意外でした。お気を悪くなさらないで」
「いえ。知っているだけですから。・・・議員を辞職するなら議会に影響はないでしょう?」
 憂いを漂わせた表情になって、ローレルはひと呼吸置きます。「私もそうであれば良いと期待したいのですが・・・」
「違うのですか?」
「アレスはまだ若い、というより子供です。即位しても実際に国王として立つには持っているものがあまりにも少ないのです。誰かに血筋を利用されるだけになってしまうかもしれない。そして私は女です。国主になれない女の政治に対する口出しほど疎ましい事はないでしょう?」
「そんな。・・・それではライジェン公爵は後見人の立場を利用して王妃様やアレス殿下を締め出そうと画策しているとでも?」
「私は事実を申し述べているだけです」
 その言葉の意味は、自分と息子の置かれた状況を現実として受け止め、その現実から導き出される可能性を言っているという事です。
 ローデンは妙な勘ぐりをした事を少し恥じて口をつぐみました。
「正直に言えば、王族直系の人物であれば後見人としては申し分ないのです。しかし唯一の直系が元老院議会という政治機関に深く根を下ろしてしまっていることは残念としか言いようがありません。絶えない噂にしがらみを感じるのはきっと私だけではないと思います」
「噂?」
 頷くローレル。「元老院の主な議事録を一通り読んでみましたが、良い悪いは別にしても、元老院議会でも自分の派閥に権力が集中するように画策したり、議会を自分の都合の良いように動かそうとしたりする傾向があるようで、もしもライジェン公爵が後見人になった場合、人知れず議会への影響力が増すという可能性は否定できません」
 「ふぅむ・・・」ローデンが鼻から息を吐くと、今度はモルドが。
「王妃様わたくしからも」
 王妃は手を差し上げて許可の意を表し、モルドは一礼してから話し始めました。聞く方のローデンは君まで何を言い出すんだと言いたげな表情でしたがお構いなしです。
「私にも何人か貴族院議員で懇意にしている方々がいるのだが、彼らの話からも王弟派の権力への執着が感じられる。それにライジェン公爵閣下はご高齢だ。何かを為そうとすれば自分の使う事のできる時間が短い事も十分に承知しているだろう。そういう者はたいていの場合、事を急ぐ。公爵が無欲であればいいが彼の周りの物はそうはいかん。何かの間違いで重大な事をしでかす可能性も低くはない。歴史上そう言った不穏な動きから謀反に至った話も実際にあるのだ」
「その前例の結果は?」
 モルドの言葉にうんうんと頷いていたローレルがその質問に答えました。
「全て三賢者や反国家審問委員会などの手で事無きを得ることができました」
 王妃に視線を戻したローデンは諭すように言います。
「王妃様。もしも今モルドが言ったような事態が起こったとしても、私のような不束者(ふつつかもの)では・・・いや対処するのは私ではないのでしょうが、逆に私が政治に関与することでかえって混乱を招いてしまうかもしれない。それならばなおのこと誰もが納得する、ある程度政治に理解の深い者を選んで、王下院の方々との結束を強くして後見人の行動や発言を制御したほうがよほど効果的だと思います。三賢者にしても評議会の方々にしても王妃様のお味方であることは確かなのですから・・・」
 ローデンの至極まっとうな意見を聞いたローレルは少し考えるように間をとって再び口を開きました。
「王権移譲を確実にしたいという、これは私のわがままなのかもしれません。正直に申し上げれば私は恐れています。誰も信じられないわけではないのですが、不安なのです。今は良いでしょう。でも1年後、そして3年後は?心変わりは人の世の常とも言います」
「お気持ちはわかります。ですが私にはわかって差し上げることしか出来ません。もしも後見人が誰でも良いのなら、私以外の者でも御しやすい者は大勢いましょう?10人いる元帥の誰かだって・・・」
「いや。軍人ではダメだ」
 再度引き合いに出されたモルドは今度はすぐに不承知を口にしました。
「軍人とはいえ元帥だぞ?陛下への忠誠だって並みじゃ・・・」
「違う。軍人が政治的な力を持つことが危険だと言いたいのだ。先ほど王妃様にも申し上げた」
「王妃殿下は誰を?」
「ガーラリエル元帥です」
 王妃の口から出たその名前を聞いてローデンは何度か頷きます。
「私は適任だと思いますが・・・」
 貴族院議員からも人気があって、先ごろのグナス=タイア討伐で国民の受けも悪くない。しかも国家史上初めての女将軍となれば話題性も十分。誰も文句は言わないだろう。ローデンはそう言う意味で適任だと思いました。しかし。
「ダメだ」
 にべもなく再度否定を口にするモルド。
「頑なだな。ロマさんが王権簒奪や国家転覆などという野望を持っているとはとても思えないがね」
 モルドはまたすぐに口を開きました。
「軍人というのは国防に従事する兵隊以上のことをするのは避けるべきだ。仮にロ・・・仮にガーラリエル元帥閣下が後見人になればその執政は軍事色が濃くなるはずだ」
「それのどこがいけない?」
「私があの方のことをよく知っているからだ」
 かつての部下にあの方とか閣下とか気を使うのも大変だなとローデンは思いましたが、確かによく知っているだろう。かつて部下だったのだからと唸りながらも納得しました。
「世界中の歴史を振り返ってみても軍政、つまり軍人が執政する時間が長く続くと必ず権力争いの果てに混乱と破壊が巻き起こっている。そして我が国の有力軍人はほとんどが貴族出身だ。貴族は領地を持っている。権力を手中にすれば自領に手心を加えるというのは人情だ。ない事ではない。そんな事があれば他の議員たちの反感を買い、それが火種になって争いが起こる事も当然の成り行きだ」
 この言い分にはさすがにローデンは納得いきませんでした。
「ロマさん・・・いやガーラリエル元帥が権力闘争だって?馬鹿な。本気で言ってるか?あの人はそんな人じゃ・・・」
 ローデンは言いかけて王妃の言葉を思い出しました。
 1年後、3年後。心変わりは人の世の常。
 権力とは人を狂わせるものなのか・・・しかし先王は狂人ではなかった。すべてにそれが当てはまるとは限らない。ローデンはそんな風に思いながら言葉をつづけました。
「・・・あのひとは信頼に値するよ。軍人であることがいけないなんて考えすぎだ」
 この言葉の裏には、自分を後見人にすることを諦めて欲しいという願いも少しばかり含まれていました。
「先生。私もあなたの意見には賛成です」
 王妃の賛同にほっとするローデン。
「しかしガーラリエル元帥が心変わりしなくても、他の元帥たちが果たしてどうでしょう?」
「他の?」
「ええ。先生は喧嘩千人と覚えておいでですね?」
 ローデンはロマが司令官職に着任そうそうに巻き起こした大乱闘を思い出して何度かうなずきました。
「あれと同じことが今度は師団単位で起こってしまったら・・・果たしてガーラリエル元帥の大暴れだけで事が収まるかしら?」
「え?それはいったいどういう意味で・・・」
 今度はモルドが口を開きます。
「女の司令官の下で働けないというのが喧嘩千人当時の兵隊たちが抱いていた不満だ」
 ローデンはうなずきました。
「今度は女の後見人の下で働けないという理由で師団が喧嘩を売ってくるというのかい?」
「喧嘩じゃない。戦争を仕掛けてくる」
「そんな大げさな」
「今のところは同じ軍人職ですべての元帥や司令官たちはお互いを牽制するぐらいで済んでいるが、自分たちの中から後見人が出たともなれば話は別だ。後見人は政治、軍事、国家運営にことごとく関与、いや、指揮権を持つことになる。つい最近まで自分と同じ立場かそれ以下の、しかも女に」
「モルド。王妃様の前だぞ」
 ローデンは諫めましたが王妃は首を振ってモルドの言葉を引き継ぎました。
「いいえ先生。現実は大佐の仰るとおりです」
 王妃は息を吐きます。
「女が男の世界に踏み込めば争いは必ず起こることを喧嘩千人は教えてくれました。あの時はガーラリエル元帥の強さが良い方向に働いたので収まりがつきました。その後貴族院議員が彼女の出した結果にある意味熱狂したのが決定的となり、その説得に応じて兵士たちに司令官として受け入れられた。そうですわね?大佐」
「はい」
「説得されて?」
「うむ。コーレルやゼン、イサーニといった兵たちから人気のあった士官たちがガーラリエル司令官を受け入れると表明したのを受けてほとんどの兵はそれに従った。それでも納得のできなかった兵は出身元である有力貴族たちに説得されたという経緯がある」
 一部の兵士が納得していないというのはローデンにとっては意外でした。
「一部の者たちの不満というのは、なぜかくすぶり続ける。そのあとにもガーラリエル閣下の下で働けないと師団移動を願い、実際に移動した者もいるのだ」
「話を戻しましょう」
 王妃が静かに言いました。
「同じ立場の元帥である自分がどうして選ばれずに・・・。これは誰がなっても他の元帥の不評を買います。そういう意味で大佐は軍人はダメだとおっしゃっているの」
「兵士は自分の属している師団の司令官に少なからず依拠している。直属の上官を通じてにしてもその司令官がいる師団であるからこそ自分があると感じている兵士は多いだろう。だからもしも自分の直属の司令官が事を起こすとなったら、その勢いに乗ってしまう可能性は決して低くない」
「歴史上でも?」
「ん。枚挙には暇がない。結果はともあれ野心的な軍人は多いしこういった場合の発生率は低くないんだ。そして一度始まってしまえばその収拾には多くの犠牲が払われ、国家の屋台骨が揺らぎ弱体化する」
「じゃあ、彼女でなくとも軍人が後見人になったら・・・」
 紛争や戦争が起こる。
 モルドの言った言葉がただの脅し文句では無いことを理解し、しかも王国の行く末までもが危機に晒されかねないと想像するとローデンは思わず身じろぎました。
 モルドは自分の言葉に同意を示す王妃を見て、今度は少し口調を和らげて話を続けました。
「軍人でなく貴族でもない。そして王室に近しく信用がおける者。現状でそれらの点を全て持ち合わせているのはお前だけなんだよローデン」これは嘘です。同じ条件の物はたくさんいましたがモルドもローレルもローデンにしたかったのです。「そして後見人の任命権は王妃様にある。即位されたアレス殿下が主権者となるが、そのあと陛下が成人するまで矢面に立つ者が必要なのだ。たとえ飾りでもな」
 飾りとはあんまりな言い様でしたが、ローデンにとってそれは失礼でもなんでもない事実でした。
 いつもワインと軍事の話しかしたことがない友人が、自分の説得に歴史的な背景をも話に交えるという事に多少の違和感を感じましたが、どうして自分に白羽の矢がたったのかがなんとなく理解は出来ました。
 しかし『矢面』という言葉は穏やかではありません。
 自分に後見人などといった大任が果たして務まるのか。たとえ就任したとしても各方面からの反対は?元老院は?方々からのやっかみで暗殺されてしまうのではないか。ひとりむすめのエデリカは大丈夫なのかという様々な不安が彼の頭の中で渦巻きました。
 そしてふとあるひとつのことに気がついたのです。
「遺言状は・・・。そうだ。王妃様、国王陛下は遺言状を遺されなかったのですか?」
 もしも遺言状があればそこに国王の遺志が篭められているはずと期待を抱きました。しかしその期待は王妃とモルドの表情で打ち砕かれたことをすぐに理解できたのです。
「探したが見つからない・・・いや、最初からなかったのかもしれない。通常は三賢者の誰かにそういったものを預ける仕来たりになっているが、誰も預かっていないとの事だ」
「そんな・・・」
 王妃も表情を曇らせます。
「現在も探していますが今のところそれらしきものは何も見つかっていないのです」
 ローデンは落胆の色を隠すことが出来ませんでした。眉間にしわを寄せ、右手で後頭部を抱えます。
 王位継承という大切な時における王妃への助力。王室に近しいものであればそれは義務と言っても良いこと。人によっては誉れ高い事とさえ思うでしょう。それはローデンにも理解できました。それでも。
 お門違いだ。
 ローデンはこの思いを払拭できずにいました。
 そして最後の足掻きのようにこう言ったのです。
「す・・・・少し・・・・時間をいただけますか・・・・」
ローレルの表情が彼を気遣うかのように優しく穏やかになります。
「勿論です。ええ、ええ。急なお話で戸惑っている事は十分に理解していますよ。ゆっくりお考えになって。お答えは急ぎませんから」
”ゆっくり考えろ。か。だがそう言う王妃様の心の内は既に決まっている。私に選択権はない。”
 君主制下における『任命』は強制の様なものです。ローデンは心底参ったという風に顔中に皺を寄せました。まるで自分が一気に10年も歳をとってしまったかのような疲労感に襲われます。
「ノーディ。決して王妃様から離れるな。アレス殿下の護衛はカレラに頼んであるが定期的に様子を知らせてくれ」
「ハッ!」
 モルドの一声でいつも以上の人数が王妃を囲むように、前後に二人ずつ、左右にひとりずつたちました。
「王妃様。むくつけき男ばかりがお傍にいて煩わしいと思われるかもしれませんが御身のため。ご容赦ください」
「弁えていますよ大佐。ありがとう」
 ローデンは王妃ローレルをモルドと共に見送り、居間に戻るとドサッとソファに腰掛けました。モルドは近くにあった椅子を引き寄せると腰掛け、握った拳で何度も自分の頭をコツコツと叩く男を見つめます。
「よりによって・・・なぜ私なんだモルド」
 鼻から息を吹き出し、モルドはゆっくりと話し始めました。
「お前の気持ちはわかるつもりだローデン」
 本当にわかるのか?苦笑いしてから背もたれに体をあずけます。「君には軍医のような扱いを受けたこともあったが、今度は後見人だと?冗談じゃないよまったく・・・適任者はいないのか、政治の専門家である元老院にあれだけ人数がいて・・・わが国がこんなに人材不足とは知らなかったよ」
 ローデンは誠実で穏やかな男です。その穏やかで誠実な男が毒を吐くほどに追い詰められてしまっていることにモルドは同情しました。
 モルド自身は生まれてからずっと軍人であった父の元で、そして君主制の下で王国軍人となるべくして育ち生きてきたからゆえに王制というものがどういうものなのかを良く理解していたし、それが極当たり前の世界だったので、現在の状況下で自分の身に何が起こっても違和感を感じることはありません。
 しかしローデンは違います。
「王妃様ももう少し人を信じればいいだろうに」
「今のは聞かなかったことにする」
「そいつはありがたいね」ローデンの表情は言葉とは裏腹に困惑と哀訴に満ちていました。
「今まで話した政治的なことは実はそれほど重要なことじゃない。少なくとも私はそう思っている。お前だって、いや医者だからこそわかるはずだ。王妃様は気丈に振舞っているが・・・。連日の元老院議員や貴族の訪問、王下院での会議、国家運営に関係している各方面の動向確認などなどという慣れない事をこなして精神的には相当に疲れていらっしゃる。私も近衛として動ける範囲で手を貸しているのだが立場上なかなか難しくてな・・・・」
 ローデンはすっかり冷えてしまった飲み物で口を湿らせました。
「モルド・・・・・。君が歴史に詳しい事にも驚かされたが、そういう小狡い機転も利く奴だとは知らなかったよ。そうまで言われてしまえば私が実に断りづらくなるのを知っているんだろう?・・・そりゃあ私だって君と同じ気持ちさ。王妃様の役には立ちたい。だがそれは近衛である君と同様に医者としてその範疇を超えなければの話だ。今回の件はいくらなんでも唐突な上、無理がありすぎやしないか?元帥の御歴々や大臣、貴族達だって絶対良い顔はしないと思うぞ」
「そうだな。私も同感だ」
「だったら私の味方をしてくれたって・・・」
「実は俺もはじめは今お前が言ったことをそのまま王妃様に言って反対したんだ」
「え?」
 ローデンは意外そうな表情でモルドを見ました。
「分かっていると思うが、君主制というのは主権は国王陛下にある。そしてわが国では伝統的に男が王座に着くことになっているから女王になれない王妃様は全くと言って良いほど無力なんだよ」
 ローデンは無表情のまま小さく頷きます。
「仮にお前以外の誰かに後見人を任せたとする。そうなれば当然アレス様の執政はその後見人からの影響が強く残る。それは致し方の無いことだが、そうなるとアレス陛下の下したとされる判断でも実際は後見人の主義主張が色濃く出るものとなる。王妃様はそれを危惧していらっしゃるんだ」
「でもそれは仕方ないだろう?」
「私もそう思う。だが国王の一番近くにいて国王が一番信頼を寄せる人物が政治的影響力の強い者であればあるほど味方も増えるが敵も増える。そしてその敵はアレス様の敵ともなりうる。現状で後見人に推されている人物たちはそういう者が多いんだ」
 モルドはいったん言葉を切ってからまた続けました。「もしも後見人が国王となったアレス様が成人しても傍から離れないとなるとそう言った状態が長く続く可能性も否定できない」
「それはそうかもしれないけど・・・」
「国王の権力がその力を発揮できるのは血のなせる技だ。血脈こそがすべてを裏付けることのできる証なのだ」
 亡くなった国王がいかに優れた人物であったか、モルドの言葉が全てを物語っているようでした。主権者が国王ということは独裁ということなのに平和的平等を保ち続けなければならない。こんな矛盾をやってのける理由として血脈は最大の力となります。しかしそれにもまして人望の占める割合も小さくありません。 その二つともを手にしていた人物がこれまで王座についていたのです。ローデンは後を継ぐアレスはさぞかし大変だろうと気の毒に思いました。
 しかし自分も気の毒がられる人になろうとしていることを思い出したローデンは改めて後見人候補に挙がっている人物たちを思ったのです。
「モルド。例えば・・・ライジェン公爵やそのほかの公爵はその・・・王妃様の危惧を助長するような人物ばかりなのかい?」
「陛下がご健在の時は誰もがそんな危惧を抱かせるような人物は皆無だった。だがここに来て不穏な動きがちらほら囁かれるようになった」
「具体的にはどんな?」
「もしも後見人が任命されなければ選挙が行われる。そのための票集めをしているようだ。賄賂の噂もあるがはっきりとはしない」
「賄賂・・・」
 頷くモルド。「諜報部でもわからないらしいが、火のないところに煙は立たない。噂でしかないのかもしれないが、もし本当なら後見人就任後に自分に協力的だった人物や機関にはそれ相応の便宜を図る、ということがあってもおかしくない。そういうことは腐敗につながる。権力の一極集中もありうる。これは王妃様だけでなく王下院が一番憂慮していることだ」
「選挙という愚かな方法で後見人を決めるのは避けたいというわけか・・・確かにそんな人物がアレス様が成人してからも傍にいたら厄介だろうな・・・」
 ローデンはチラリとモルドの顔をうかがいました。いつも厳しい表情のモルドがまさにこの事態にピッタリと嵌って見えます。
「さっきも言ったが、現時点では後見人任命権は王妃様にある。お前が首を縦に振れば後見人の選挙は行われない。王妃様がお前を後見人に任命してそれで終わりだ。そうしなければ有象無象を黙らせることが出来ないからな」
「確かに話はわかる。・・・良くわかるよ。・・・そんな人物に後見人を任せるくらいなら毒にも薬にもならない私のような者が打って付けだろう」
 政治的背景の一端が垣間見えましたが、ローデンにはやはり納得しきれないところでした。どうして自分なのか、と。
「お前に取り入ろうと近づいてくる者が多くいるだろうが、その場合政治に無知であるということが逆に功を奏する。政治というものを識っている人間ならばどう立ち回れば自分に利益を誘導できるか知っているが、お前にはそんなことは出来ないはずだ」
「ああ。やり方すら思い浮かばないよ」
 それで王妃様は私に白羽の矢を立てたのか?ローデンはハッとして首を左右に振って王妃ローレルの笑顔を思い出し、心の中で毒づいたのです。全くとんだ女狐ぶりだな。
「お前の気持ちはわかるつもりだ。こんな願い出からは逃げ出したいだろう・・・」
 視線を落として小さく何度か頷くローデン。
「お前は政治の素人で、政治的な柵(しがらみ)にも慣れていないが故に、元老院議員たちからやっかみの目で見られ続けなければならないことに耐え抜くのは難しいだろうというのが私が反対した理由だ」
「良かったよ。その言葉で君が友人であることを思い出せた。私のことを良くわかってる」
 ローデンは苦笑いを浮かべましたが、モルドはニコリともせず話を続けます。
「だが、王妃様はお前の事を心底信頼していらっしゃるのだ」
 それは医者としてだろう?とローデンは思います。
「私もお前を後見人にという王妃様なりの熱弁に反対の姿勢を貫くことは出来なかった。・・・だが忘れるな。私も王妃様も何があってもお前の味方なのだということを。そして王妃様は我々のような味方を心から欲しておられる。切実にな」
 その言葉の裏には、自分の知人から配下に至るまでの全ての者が味方であるという意味が含まれていました。今のローデンにとってはこの上なく心強い言葉です。
「先ほど王妃様は仰られなかったが、後見人が決まり次第、王下院が再編され臨時の組織が作られる。アレス様と王妃様と後見人、そして三賢者と各機関から選ばれた数名がその評議会の構成員だ。これは陛下が成人されるまでの期限で設置される一時的な機関で、文字通り最高の執政機関だ。権力も絶大だ」
 それを聞いてローデンは、執政手腕がなくても後見人が出来るお膳立て、という言葉を思い浮かべました。その評議会なら後見人が自分でも全く差し支えないといってもいいかもしれない。と。
「つまり私の後見人就任は即位したアレス陛下が成人するまでの間、不穏な勢力を押さえ込むための措置、ということか・・・」
「そうだ」
 後見人の任命。元老院。王下院。執政。ローデンにとってはさっきまである事は知っていましたが、自分の人生ではまったく縁もなかったし意識もしなかった言葉ばかりです。しかしなぜ。堂々巡りの自問自答が頭をぐるぐると回り思考が停止しそうでした。
「こんなことを言っても慰めにもならんかもしれんが考えようだ。陛下があと3年で成人するということはこの役目は長くても4~5年で終わる、という事だ」
 長いと感じるか短いと感じるかはわからないものの、その事実はローデンの苦悩する気持ちをほんの少し救ってくれました。
「時間はまだある。よく考えてくれ。すまないが今の俺にはそれしか言えない。念のため部下を二人置いてゆく。何かあったら部下に言え。すぐに来る」
 そう言ってモルドが出て行ったあと、ローデンはしばらく考え、頭の中を整理し、最終的にこう思いました。
 

 5年か6年。
 長くても6年のうちに望まぬいざこざがなければアレス殿下、いや陛下は成人して執政もある程度行えるようになる。
 後顧の憂いなく。
 その6年を乗り切るためには、息子と特別な関係を結ばないことがハッキリしている人物を後見人に置いて、その間に正統なる後継者としての教育を自らが行いたいのだろう。そしてそれこそが母として息子にしてやれる唯一最大の餞(はなむけ)と考えているのではないか。
”とんだ親バカだが・・・”

 ローデンは内心で呟いたものの、それでもその気持ちは同じ子を持つ親なればこそ理解する事は出来ました。もしも自分が同じ立場だったらきっと最愛の娘に出来る限りのことをするだろう。その一時期がわが子の人生の明暗を決めるならなおさら。
 そんなことを考えながら暫く悶々としていると、そこへエデリカがやってきました。
「お父さん」
 ローデンは少し驚いたように身を起して力なく右手を上げます。
「どうするの?」
 ローデンはエデリカの顔を見て微笑みました。
「盗み聞きしてたな。悪い子だ」
「だって・・・・大佐がいたし。私のことかもしれないって思ったから・・・」
 ローデンはふうっとため息をつくと指先で自分の額をトントンと何度か叩きます。
「参ったよ」
 エデリカは憔悴している父に寄り添うように座りました。
「いやなの?」
「え?」
「王妃様を守るって話・・・」
 暫く間が空きます。
 エデリカはアレスを守ることは自分の人生そのものだと考えていたので、父親が悩んでいることがあまり理解できませんでした。
「いやだとか。そうじゃないとか。そういうことじゃないさ。こんな事になってから初めて自分がどういう国に生きているのかを実感して戸惑っているのかな・・・」
 エデリカはローデンの横顔をじっと見つめます。
「その上まさか自分が後継者問題の渦中に置かれるなんて想像もしなかった・・・。おそらく後見人になりたがる他の人間を抑えるための措置なんだろう。まぁ話を聞いた限りでは他の誰より私のほうが御しやすいという思惑も見えるけど・・・。それにしたって政治的なことにはまるで素人の私にこんな・・・体の良い人身御供だよ・・・まったく」
 そう言ったあと、難しい顔をして頭を振り、思い直したように息を吐きだしました。
「いや・・・。こんなことを言ってはいけないな。王妃様も苦労しておられるのだから・・・。しかし・・・」
 エデリカは父の手の甲にそっと自分の手を載せて思いました。手入れが行き届いた弱々しい、戦いなど知らない医師の手。冷たい。きっと緊張している。そんな彼の肩に頭を載せて呟くように言いました。
「私がお父さんを守ってあげる。ずっとそばを離れない。お父さんがどんな立場になったって私は家族だもの。どこであろうとそうしてもいいはずでしょ。ね?」
 ローデンはハッとしてエデリカの顔を見つめます。
 いつの間にか成長した娘はこんなにも肉体的にも精神的にも逞しくなった。今のエデリカなら私の助力などなくてもどんな困難も退けるだろう。と。
 そして自分を勇気付けるその表情にかつて愛した人の面影を見るに至って、まるで妻が生き返って自分を包み込もうと大きな翼を広げているかのようにも思え、目を潤ませたのです。
 それに比べて今の自分の姿たるやなんと情けないことか。
 そう感じると同時に、医者として国王を救えなかった事への悔やみや嘆きに溺れているより、今生きている王妃やアレスを助ける努力をする方がずっと建設的なのではないかとも考えたのです。
 しばらくまぶたを重たそうにした目で向かい側にある壁の絵を見ていたローデンでしたが、エデリカが口をすぼませて拗ねるように言った次の言葉に思わず笑ってしまい、彼女の頭を優しく抱き寄せました。
「アレスが即位したら『陛下』ってよばなきゃなのかなぁ・・・・・やだなぁ」







続く・・・>>>
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