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第2章 第3話 諜報と謀略
しおりを挟む「これはこれは。情報部へようこそ少尉・・・と、言いたいところだけど、やれやれ、今度は君たちか、という僕の気持ちはわかってもらえないんだろうね。昨日と今日で国務院長とライジェン議員が立て続けにやってきてあれこれ訊かれてさすがの僕もちょっぴりうんざりなんだ」
いくらか疲れた感じで出迎えの言葉を言った情報部長メルク=マリウスの前には、モルド大佐の命令でやって来たカレラとエデリカがいました。
「国務院長や侯爵様からは何を訊かれたんです?マリウス長官?」
カレラの怪しげな笑顔を見たマリウスはハアッと息を吐いて手短に言いました。
「まあ座りなよ。僕も疲れたから座らせてもらう」
二人はすすめられるがままにマリウスとテーブルを挟んだ向かいに座りました。
「さてと」手をこすり合わせたマリウスは作り笑顔で話し始めました。「まずライジェン侯爵からいこうかな。彼はエノレイルさん捕縛につながる情報がなかったかときた。王系から外れてしまっている元老院議員でもない人になんでもしゃべるわけないのにね。でもまあ侯爵様にはそんな情報はないと答えておいた」
「実際には?」
「実際その通りだよ」
「本当ですか?」
「疑うのかい?」
カレラはいいえと言って微笑みます。
「他にはどんなことを?」
「反国家審問委員会が動き出す前に目立った動きをした人物や組織はなかったか・・・」
「それは?」
「・・・」
「あったんですね?」
「いや・・・正確に言うとそれと思しき・・・いや反国家審問委員会ではなくて僕の組織で動きがあった」
変に口ごもるマリウス。
「え?」
マリウスは自分で言った言葉が処理しきれないと言う様に頭の後ろで手を組んで椅子をギシギシ動かします。
「その事は目下調査中でね。誰にもまだ話してないんだけど・・・まあそれは後で話すよ。・・・・・・とにかく侯爵様にはそれ以外にもいろいろ聞かれてうざいったらありゃしなかったんだ。追い返すのに苦労したよぉ」そう言った後カレラを見たマリウスは何の反応も見せないのを確認してから言います。「それじゃ今度は国務院長の方を聞かせてあげようかな」
カレラは頷きましたがエデリカは大きな目でジッとマリウスを見たまま動きませんでした。
「あの人が聞いてきたのはライジェン侯爵と同じで、後見人捕縛につながる何らかの陰謀的働きかけをしている団体や事実はなかったかってことだった。これにはライジェン侯爵と同じように答えてあげたよ。そんなものはなかったってね」
「他には?」
「ええっと、エノレイルさんが寝ているベッドが粗末でないかとか、衣食住で困るような環境ではないかとか、待遇はどうなんだとかそんなこと聞いてきたな。まあ審問委員会ってうちと違って男所帯だからそういう生活にかかわるところって行き届いてないんだよね。あんまりよくないとだけ答えておいたよ」
エデリカはこの話から諜報課では反国家審問委員会の中を調べているんだと思いました。
「わかりました。それでね長官。モルド大佐から言付かってきたのは、直前まで監視していた反国家審問委員会の動静について知りたいってことなんです」
「それはさっき言った通り。こちらでは何も察知してない。それと?」
「あなたが今回の反国家審問委員会の動きをどう見ているか」
「僕が?」
「ええ。・・・意外だったか、想定内だったかって事だと思います」
「そう言う事なら、まあ意外だったかな。僕たちが知りうる限りではエノレイルさんが容疑者になる理由なんて何一つなかったんだから」
「じゃああなたも驚いた口?マリウス長官?」
もちろんローデン逮捕に、という意味です。マリウスは頷きました。
「あの委員会・・・というよりカフラーさんにはいつも驚かされるよ。ふふふ」
マリウスの思いなどお構いなしという感じでカレラが口を開きました。
「わかりました。そこでなるべく詳しく聞きたいんです。・・・王妃様がお亡くなりになった直後からすべての機関で怪しい動きをしていた個人団体を探った内部諜報情報も。・・・開示してもらえますか?」
それに応える代わりにマリウスは言います。
「まずこれだけは言っておこうかな。今のところカフラー委員長がエノレイルさんを逮捕する理由は僕にもさっぱりわからない。もしもカフラー委員長が王妃様殺害の決定的な証拠を掴んでいるなら話は別だけど、僕たちが持っている情報からは・・・・、うん、現時点ではなんにもない。現状だと裁判になればカフラーさんはとんでもない恥をかくどころか、後見人を冤罪被害に合わせた不届き者として断罪されることになるねぇ。・・・それでも内部諜報情報を聞きたいというならぁ、話すよ」
マリウスはほっといてもローデンは釈放されると言っているようなものでしたが、この話はエデリカに希望を与えました。
「お願いします」
はいはいという感じで背中を丸めて立ち上がると机上の書類を揃えるマリウス。もとの場所に戻って着席すると、話が始まりました。
「さて、と?」
「まずはエノレイル先生が後見人であることを快く思ってない人物を全員教えてください。それと王妃様がお倒れになった時に元老院議場内で不審な様子を見せた者がいたかどうか、そして王妃様が亡くなられてから動向が気になった人物も」
「随分てんこ盛りだけど・・・。僕も立場上言えないこともあるからなぁ」
ゆるりと話すマリウスと、ピシッと切り込むように話すカレラの口調が対象的です。
「言えることは全部です。というより積極的な協力をさせろとモルド大佐は仰ってました。・・・後見人任命式には諜報員を潜ませていなかった・・・なんて言いませんよね?」
肩をすくめるマリウス。卓の上の飲み物をひとくち口に含みます。
「モルドさんか。・・・かなわないなあ。あの人ときたら・・・。ま、任命式を監視していたかについては肯定しないけど否定もしないよ。これはあくまでもある筋から入手した情報・・・ということでよろしく。ところで」
マリウスは近衛の格好をしたエデリカの姿を見ました。
「君はエノレイルさんの娘の・・・エデリカさんだっけ?近衛になったの?」
エデリカはハッとして表情を固くしました。容疑者の娘には情報を開示しないかもしれないと咄嗟に思ったのです。しかし「いいえ。マカタチの格好のままここへ来たら目立つでしょう?なにか問題でも?」と、事も無げにカレラが首をかしげて言うと、マリウスは天井を上目使いに見て暫く黙っていましたがニコリとします。
「ま、いいでしょ。ところで外部諜報はいいのかい?謀略の線を考えているならそっちも必要だと思うけど?」
「いまは内部諜報だけでお願いします。反国家審問委員会とエノレイル先生の事だけに集中したいので」
「了ぅ解」
大きく頷いて手元の分厚い記録帳をめくり始めました。
「君も既にわかっていることだとは思うけど、エノレイルさんの後見人任命に反対していた元老院議員はほとんど全員だった。貴族を主体とする派閥もだけど、平民議員の殆どは親王妃派だったのに、後見人任命については王妃様の判断に懐疑的だった人も多かったねぇ。後見人を指示する事を表明するのは憚られるほど少なかったねぇ」
「だった・・・ということは今は違う?」
「うん。今は違うねぇ」
政治の専門家である元老院議員たちが、政治に全く素人のローデンが後見人に任命された事に反感を抱くとしても不思議ではありません。カレラもウンウンと頷きました。
「今はほとんど彼を悪く言う人はいない。相変わらず政治的評価は低いけどねぇ。おそらく陛下への気配りとか、弔問団への対応とかが影響したんだろうけど、・・・僕が思うには、エノレイルさんは元老院に対してあれこれ注文をつけてこない人物だったから敵意が消えた・・・というのが本当のところだと思うよ。ククク」
カレラは納得したように頷きました。
「自分の領分を荒らさない人物なら暫く静観してやろうって事かしら?」
「だろうね。だいたい人間ってものは自分の持っているものを奪われるかもしれないっていう危機感がない限りあんまり騒がないものだよ。エノレイルさんは政治的なことはなんにもできないけど、それがかえって良かったんじゃない?ふふ」
マリウスは事実を言っただけで他意はなかったのでしょうが、エデリカは自分の父が馬鹿にされているようで少し気分を悪くしました。
カレラが質問を返します。
「内政については王妃様が亡くなってからひと月半というものレアン共和国とフスラン王国の国境問題もあったし、さしあたって後見人問題を取り沙汰する必要はないと判断したんでしょうか?」
「だと思うよ。喫緊(きっきん)の問題である国境問題が片付いていない今、国内の混乱はできる限り避けたいと保守的な人であれば誰でも思うだろうし。エノレイルさんの評判が良くなったのも・・・」
マリウス長官はエデリカをちらりと見てから言いました。
「・・・・エノレイルさんの評判の良化に一役買っているのはなんといっても陛下を悲しみの底から救い出した事だろうね。それの効果は大きかったみたいで、その事が知られたとたん貴族議員も平民議員も一気にエノレイルさんに対しての反感を抱かなくなった。つまり彼を陥れようとしている人物は今のところ僕らが知る限りいないといってもいい」
マリウス長官の話が真実なら元老院からカフラーに何らかの要請や請願があったとは考えられないということになります。当然エデリカは思いました。だったら何故父が、と。
「それと、王妃様がお倒れになったあの時、不審な様子を見せた者って話だけど・・・僕や部下が見ていたところではいなかったねぇ」
「本当ですか?」
「諜報を生業とする者の目線でって話だけどね。でも僕目線で一人だけ気になる人物がいた。それでもまあ”強いてあげるなら”・・・ていう前提付きでね」
「誰です?」
マリウス長官は意識して活舌をよくして言いました。
「ヴォルジ=オルレゲン元老院議員」
「オルレゲン?」
「オルレゲン元老院議員・・・」
カレラは思い出すような感じで目をキョロリとさせました。彼女は父親が三賢者の一人だったので元老院議員との接触も普通以上にあったのです。
「君でも知らない・・かな?無理もない。あの人目立たないからねぇ」
「どんな人ですか?」
手元の調査資料を目で追いながらマリウスは楽しそうに読み始めました。
「ヴォルジ=オルレゲン元老院議員。貴族議員で貴族派。年齢41歳。独身。兄弟なし。38歳の時に高齢だった両親が続けざまに病死にて他界。遺産を引き継ぐ形でそのまま領主になった。小さな所領だけど。3年前だね。・・・元老院議員だった彼の父親が貴族派の中心人物であるディル=エメス公爵と懇意だった関係から誘いを受けて一年半前に、嫌々議員になったらしい」
「嫌々?」
「彼は小心者でね。元来本を読んだり絵を鑑賞したり、畑仕事や庭木の世話をするのが好きなおとなしい性格なんだ。所領も小さいからエメスさんに管理を頼んでるみたいだねぇ」
「エメス公爵は北方の大貴族ですよね?」
カレラはネオハルド=ディル=エメスは元老院議員で公爵の称号を持つ有力者であることを知っていました。父親であるディオモレス=ドルシェとも懇意で、過去に何度か連れていかれたことを覚えていたのです。
「うん。オルレゲン議員の所領はその南側にあるから昔から先祖代々エメス家とは懇意にしていたみたいだね。子供のころから家族ぐるみでの付き合いもあったから元老院に誘われた時には断れなかったんだろうなぁ・・・気の毒に」
「政治的な事には興味がなかったのね」
「というか、元老院を恐れているらしい。ふふ」
「恐れる?それはどうして?」
「どうしてって・・・」
わかるだろ?マリウスの目はそう言っています。
「元老院てさ、表向きは平民にも開かれた議会で、身分を超えた意見交換の場みたいに思われがちだけど、あそこは伏魔殿だよ?」
小心者、表に出たがらない性格。そう考えれば元老院は彼にとって魅力がある組織とはとても言えません。
「あそこに入ったらまず派閥に属さないわけには行かない。そして派閥に属する以上、敵対派閥からの厳しいあたりは覚悟しなければならない」
「敵対派閥に付け込まれるような下手な事をすれば味方からも責められるっ・・・て事ですね」
マリウスが訳知りに言うカレラの言葉を聞いて頷きます。
「そ・・・、些細な発言であっても何か言おうものなら敵方の派閥からされる攻撃は個人的なことにまで及ぶからね。僕がこの仕事を始めてからそれがもとで殺人が起きた、なんてことは幸いないんだけど、議敵政敵に対する誹謗中傷は聞くに耐えないねぇ。それにそういう攻撃対象には必ず弱い人が選ばれるんだ、オルレゲン議員にとって会議がある日は死刑台に上るような気持ちだったんじゃないかなあ。ククク」
マリウスは腕組みし背もたれに体を預けて笑いながら天井を見上げます。
「気の小さい彼としては、たとえ同派閥の元老院議員たちであっても出来る限りかかわり合いになりたくなかったってところかな。ふふ」
エデリカはそんなに嫌ならやめればいいのにと思いましたが、実は元老院議員は任期制で10年はやめられないのです。
「でも別に後暗いところがなければ・・・」
マリウスが意味ありげにニヤっとします。
「ドルシェ少尉。君・・・それ本気で言ってるのかい?らしくないなぁ。ははは」
カレラは顔を上げてまるで上から見下ろすような感じでマリウスを見ました。たぶん相手に対して不快を伝える態度だったでしょうがマリウスにはまったく伝わっていないようでした。しかしエデリカはカレラが不機嫌になりつつあるのに気が付いてドキリとします。
「敵は攻撃対象と繋がりがあるというだけで無関係の者であっても敵視する。今の君たちのしている事とたいして変わんないよ。怪しいものは黒、灰色なんてない。攻撃するネタ獲得に手段を選ばない。もちろん合法の範囲でって事なんだけどぉ」
マリウスは目の前の二人の女の反応を見て愉快そうな感じの口調です。
「後ろ暗いところがないっていうのはあくまでも他者目線だよ。・・・後暗いところがない人間なんてこの世にいない。叩けば埃とは言わないけど、人間ひとつやふたつ人に知られたくない秘密は持ってる。となれば敵視されるようなことをすれば、敵が自分の弱点を見つけに来るって恐怖は常に付きまとう」
エデリカはおずおずと出された飲み物に手を伸ばしカップを手にすると口元に運びます。
嬉々として話を続けるマリウスを一瞬チラと見て、人の弱いところを見つける事を嬉しそうに話すなんて最低だと思いました。そんなエデリカの思いなどどこ吹く風化とマリウスの話は続きます。
「・・・使用人を装った敵対派閥の間者が自分の家に紛れ込んでいたり、自分の召使いが買収されて他人に知られたくない情報が実は筒抜けだったり、・・・誰も知らないと思っていた自分の秘密を議会で隣の誰かにほのめかされた時なんて身が縮まる思いだろうね。クックック」
その言葉を聞いたエデリカは、この男に自分の個人的情報を知られているのかもしれないとゾッとしました。その反面カレラはマリウスの言葉の意味を理解しながらも冷静で、こう切り返したのです。
「つまり長官は誰も知らないオルレゲン議員の秘密を知っている・・・という事なんですね?」
マリウス長官は腕組みした片方の手をこめかみに当てて、口角をクッとあげました。
「そんな大したことじゃないよ。・・・・王妃様が亡くなられたあの日。僕がこの人を気にしたのは、その日までのこの人の行状がちょっとね」
楽しげでありながらも何か言いにくそうにしたマリウスにカレラは怪訝な表情をします。
「行状?」
「ええっと・・・ん~、彼は贈り物をよくする人でね、国王陛下にもしてたし、王妃殿下にもしてた、エメスさんはにはもちろんだけど地元出身の高級士官以上の軍人にもしてた・・・そして」もったいぶったように間を開け、彼らを見た後に言いました。
「・・・反国家審問委員会にも頻繁に贈り物をしていた」
「え?」
「どうも反国家審問委員会と何とか繋がりを持とうとしていたフシがあったようにも思えるよね」
その言葉にカレラもエデリカもハッとしました。もしかしたらローデン捕縛の因は彼かもしれない、と思ったのです。
「マリウス長官」
「うん?」
「王妃様がお倒れになっときにのオルレゲン議員の様子を詳しく教えてくれますか?」
背もたれに身を預け、傾げた首で天井を見上げるような仕草をしたマリウスは思い出すようにして言いました。
「あれは不思議だったねぇ・・・」
「不思議?」
「うん。王妃様が倒れたのを見た元老院議員たちは殆ど瞬時に立ち上がったのに、オルレゲン議員はもの凄くゆっくりと立ち上がったんだ。このぐらいの感じで」
マリウスは老人が椅子から立ち上がるほどの速度で実演して見せました。確かにそれは41歳という年に似合わない動作と言え、何かしら不気味でもあったのです。
「立ち上がりながら見る間に彼の顔面が蒼白になっていったんだけど・・・。あの表情はまるでそれが起こることを知っていたって感じにみえたんだよねえ」
「それじゃあ彼が王妃様の死に何らかの関係が・・・」
カレラもエデリカもオルレゲンに対する疑惑をぐっと深めます。
「壇上から僕自身が見た感じではそう思えた」
「あなただけが見てたんですか?」
念を押すようにカレラが言います。
「それを言われると痛いなあ。確かにそうだ。僕自身が思った事に過ぎない。でもあの時、当然だけど人々の目は壇上の王妃様に集まっていた。会場に注目してたのは僕だけだったことも付け加えておくよ」
「オルレゲン議員の調査は?」
「もちろん。それが仕事だからね。でも彼は白だったよ」
エデリカはがっかりしましたがカレラは気を緩めません。
「本当に?理由は?」
「もしもあんなことを事前に知っていたなら、彼の身の回りで必ず情報や金の流動が現れる、例えば知った事をエメス公爵に話すとか、敬愛していた王妃様の危機に知り合いの軍人に相談していたかもしれない。もっと踏み込んで考えて、仮に彼が陰謀を企てた一味の一員だったら当然情報や金が必ず彼の身近で出入りする。ところがオルレゲン議員の身辺にそういった類の変化は全く見られなかった。それでも少し間を置けば何かあるかもと暫くの間部下を張り付けたけど、やっぱりなーんにも動きがなかった」
マリウスは諜報の専門家です。彼の口調に何かよからぬ動きを期待するような色が見て取れましたが、それがかえってカレラの疑いを晴らす役割となったのです。つまり彼自身が期待していたおいしい成果は得られなかったという事です。
マリウスは指を折りながらオルレゲン議員が潔白である証拠を言い連ねました。
「あの時からこれまでの間、議員に多額の金が流れた形跡もない。大きな借金もない。・・・彼の血筋は王族と交わることはない。つまり血縁を後ろ盾にした王位簒奪などの欲望が生まれようがない。・・・つながりのある貴族の中にそれらを思わせる線が浮かんで来ない。・・・所領の農園での収益も悪くないし税金もちゃんと収めてる。収める額に不平も言ってないどころか喜んで収めてる。これは頻繁にされていた前国王陛下や王妃様との手紙のやり取りからわかったことなんだけど、その他の手紙の内容も詳細に調べたけど不穏な人物との接触も怪しむべき所も全くなかった。調査報告書があるから読みたければ持ってくるけど?」
カレラはその申し出を断りました。その点についてはオルレゲン議員を擁護してマリウスの得られるものは何もないと断言できたからです。
「調査の過程で気になる点がひとつだけあった」
「?」
うつむき加減だったカレラの視線がマリウスに向けられます。
「さっきも言っただろ?オルレゲンさんはカフラー委員長にも贈り物をしてたって」
「・・・してた」
「そう、過去形。王妃様が亡くなられたとたんにオルレゲンさんからカフラーさんに贈り物が届かなくなった。やめちゃったんだよねぇ」
「お亡くなりと同時に?」
「まあ頻度が月に1~2回だから月が明けても届いてない。だからやめたっていう判断なんだけどね」
マリウスは寄りかかっていた椅子から身を起こすとテーブルのカップを取って一口飲みました。
どういう意味があるのあろう。エデリカが疑問を頭に浮かべたのが見えたかのようにマリウスは言いました。
「オルレゲン議員がカフラー委員長に贈り物をしていた期間はおよそ1年半。そして贈り物は気の毒な事にすべて突き返されている」
「なぜ?」
「なぜって、カフラーさんが特定の元老院議員や機関からの贈り物を受け取るわけないよ。賄賂だ癒着だと糾弾の種になるような事はしない。彼は万全を期する人間だもの」
カレラもエデリカもああそうだったという感じで納得しました。
「彼も1年半、相当頑張ったけど結局この恋は実らなかったってわけさ。ふふふ」
マリウスの不謹慎な物言いにエデリカは少々うんざりしました。
「カフラー委員長への贈り物の内容は何だったんですか?」
「知りたいかい?」
すかさずカレラは微笑みながら言いました。
「話したくないですか?」
一瞬の間が開いてからマリウスが笑い出しました。
「あっはっは。あとでモルドさんににらまれたくないからね。話すさ。順序だててね。でも少尉。君はいいところを突いてくるね」
マリウスは椅子に座り直して背筋を伸ばしました。
「まず。僕は王妃様がお亡くなりなった現場でのオルレゲン議員の様子が気になって彼のことを調べ始めた。で、これまで話した彼の生い立ちや個人情報を手に入れ、彼の元老院に対する見識や抱いている感情を知り、彼自身の人生観から政治には関わりたがっていない事を知った。関わりたがらないその理由は彼が小心者で本を読んだり絵を鑑賞したり、庭木の世話をするのが好きなおとなしい性格の人物であるからだと探り当てた。・・・ここまではいいかな?」
大袈裟ににこっとするマリウスにカレラもエデリカも頷きます。
「うん。さらに僕は、―もちろん部下を使って― 彼の経済状況はもとより、人間関係は使用人から近所づきあい、郵便物の差出人、隣家の犬に至るまで綿密に調べ上げた。そして郵便物を調べた結果、彼が陛下や王妃様、軍人、果ては反国家審問委員会にも贈り物をしている事が発覚したんだ。・・・”発覚”は大袈裟かなぁ」
なるほど、とエデリカもカレラも思いました。
「その貢ぎ物がどんな物かを調べ、さらにいつごろから貢ぎ始めたのかを突き止めた」
さっきも言っていた。1年半前からだ。エデリカはそう思ってマリウスの次の言葉を待った。
「贈り物自体はオルレゲン家の名義で数十年前までさかのぼれたんだけど、反国家審問委員会に対する贈り物は1年半前までしか遡れなかった」
「じゃあ反国家審問委員会への贈り物はオルレゲンが議員になっ・・」
「・なってからだね」
カレラは少々の不信を眉間に表して言いました。
「どうして反国家審問委員会に贈り物をしようなんて考えた・・・・」
「考えた理由はわからない」
いちいち言葉をかぶせてくるマリウスにちょっぴり苛立ちを見せたカレラでしたが、めげずに続けます。
「だったら・・・」
「わからないけど想像はつくでしょ?保険に保険を掛ける事すらしかねないよあの人なら」
そうだったとカレラは心の中で悔やみました。
「でもね少尉。理由なんてどうでもいいんだよ。さっき僕が行って気になる事っていうのは贈り物に必ず添えられていた手紙さぁ。ふふふ」
「手紙?どんな内容ですか?」
マリウスは彼女たちの反応を楽しむかのように少し間を置いてから言いました。
「オルレゲン議員は自領で採れた作物やその加工品を贈り物としていた。もちろん審問委員会あてに贈ったのも同じものだ。さっきも言ったけどカフラーさんは贈り物を突っ返し続けた。その手紙もろともね。万全を期す彼らしく政治家との癒着は絶対的に拒否という理由ぅ。そしてその贈り物に添えられていた手紙の内容はいつも一緒だった」
「全く同じ?」
「全くじゃないけど。概ね内容は”元老院議員のオルレゲンです。地元で採れた~ですお納めください”」
一瞬の間が開きます。
「それだけ?」
「貴族が有力者に宛てる手紙の内容なんてそんなもんだよ。オルレゲン議員もそういうところは心得ていたみたいだね。へんな事を書いて痛くない腹を探られたくはない。でもまあ、カフラーさんみたいな人宛てであればなおさらかな・・・でも贈り物をした理由はだーいたい他の人たちと一緒」
「・・・」
「彼のようにカフラーさんに贈り物をする元老院議員や有力者はたくさんいる。そしてその誰もがカフラーさんの自分に対する攻撃の手を緩めてもらおうと考えての行動・・・わかるよね?」
「賄賂ね」
「そういう事」
マリウスは小さく咳払いして話を続けます。
「まあ中には採れた野菜の隙間に金貨の一枚も忍ばせた・・・なんて人もいたけど。オルレゲン議員もカフラー委員長が自分の思惑通りにならないことを悟るのにずいぶん時間をかけたものだよねぇ」
マリウスはそう言ってカレラを見て意味ありげに微笑みます。そのわざとらしさに虫唾が走るのをカレラは何とかこらえます。
「なにか?」
「国王陛下が亡くなられてオルレゲン議員からの贈り物が止まり、王妃様が亡くなられた時も同様に贈り物は止まった。これは当たり前だよね。でもカフラー委員長は生きてるのに贈り物を止めたんだよ。彼は」
これだけもったいぶるからには何かがあるのだと思いうのは当然です。
「委員長から反応があったから?」
ここでローデンとオルレゲンが繋がると思いました。
が。
「残念ハズレ。・・・彼はエメス公爵や地元出身の軍人さんには贈り続けてる。・・・だけどね、新国王陛下には贈り物をした形跡がないんだ」
「本当に?」
「もちろん即位式の時は盛大に奮発してたけどそれは貴族なら当たり前の事だからね。まあそれは置いとこう。問題はどうしてカフラーさんへの贈り物をやめたかなんだけど、最後の贈り物が手紙もろとも突っ返された現物を調べた結果、文面がそれだけ違ってたんだよねぇ」
エデリカはなぜかドキッとしました。
「なんて書かれていたんですか?」
「”カフラー委員長殿。是非お話したいことがあります。”」
「!」
「気になるだろ。僕も気になった。だから王妃様の一件では僕も思った、何かあるんじゃないかって。だから調べたんだけど・・・でも何もなかった。現状では最後の贈答品に同封した手紙に思わせぶりな事を書いて気を引きたかったんじゃないかって結論で収まってる」
ふうっと息を吐いたマリウスは飲み物をまた一口飲んでから言いました。
「実はここからちょっと話がややこしくなるんだ。だからちょっと整頓しよう。すこしまってて」
マリウスはそう言って部屋から出て行ってしまいました。
二人は顔を見合わせてお互いの気持ちを理解しました。カレラはさっと指先を振って魔法を使います。
「アノワよ。言いたいことあるんでしょ?あたしもあるけど」
「なんかイラっと来るんですけど、あの人」
「あら、奇遇だわ」
二人はそのまま大笑いを始めます。
「でもねエデリカ。あの人は諜報ではすごく頼りになるわ。人間性には問題あるけどね。だから我慢して」
「わかってます。でもオルレゲンって人はカフラー委員長に話があるって・・・もしかするとお父さんの事を何か・・・」
「う~ん。私もそれは考えたけど、長官がオルレゲン議員は白だって言ってたから違うと思う」
「信じるんですか?」
「ええ」
それほどマリウスを信頼しているのかとエデリカはちょっと驚きました。
カレラは腕組みをして片方の手を顎に当てます。
「一番最後の贈り物のメッセージが変わっているっていうのは、このメッセージが突き返されたらもう諦めようっていう意思の表れにも思えるんだけど、あの人もったいぶりながら話すからイラっと来るんだけど、そういう時って絶対なにか重要な事がある時なの、まずはそれを聞いてからでないと何とも言えない」
「そうですか・・・」
「そんな顔しないで。先生は潔白なんだし今してるのはあくまでもカフラー委員長を黙らせるための情報集めなんだから、頑張りましょ」
「はい」
「おっと」
カレラはまた指をさっと動かします。パチという音がしてアノワが解除されます。それと同時にマリウスが帰って来ました。
「お待たせ。ちょっと細かい話もするからね、飲み物のおかわりと・・・甘いものを持って来た。ふふふ」
意外なもてなし精神にカレラもエデリカも表情を緩めますが「まあ僕も疲れるからね」自分の為か。と評価を上げたことを後悔します。
「さて、さっきの続きなんだけど」
マリウスは持ってきたチョコレートを詰まんで口の中で溶かしながら話を始めました。
「話を整頓するためにちょっと時間をさかのぼらなきゃあならない。まずは前陛下のご逝去が12月19日で、これ以降オルレゲン議員は陛下に贈り物はしてない。そして王妃様のご逝去は1月10日、これ以降贈り物は途絶えてる。そして新国王へは贈り物をしていない。そして彼は王妃様が亡くなられた翌日の1月11日に国務院にある申請書を出している」
「申請書?」
「フスラン王国への渡航申請書だ」
「え?!国外へ?しかもフスラン?まさか逃亡?!」
「逃亡じゃない。別に逃亡する理由もないしね。まあそれに近くはあるかなぁ」
「どういうことなんです?」
カレラが怪訝な顔をします。
「おそらく亡命しようとしたんじゃないかな。一時的かもしれないけど」
「え・・・」
「まあ亡命って言い方は大袈裟かな。とにかくこれから話をつなげるから聞いててくれる?」
何も言わず居住まいを正したカレラを見て、マリウス特に機嫌を損ねたわけでもなく話を続けました。
「ちなみにフスランへ行くときに渡航申請が必要な理由は渡航先が仮想敵国だからでこれを怠るとスパイ容疑がかけられてしまうからなんだけど・・・まあこれはいいか、とりあえずオルレゲン議員は申請を出してその申請が通ったのが1月15日、そしてフスランへ出発したのが1月25日」
「ちょっとまって、十日も何してたんですか?」
「旅の準備にしては長いよね。でもその十日間の間にしていたある事実が発覚したんだけど、例の贈り物がある人物に届いてるんだけど、君は知らないかなぁ?」
二っと笑ってマリウスが見たのはエデリカでした。
「え?私が?」
それを見てカレラはすぐにピンときたようです。
「まさか!エノレイル先生に贈り物を!?」
「え?」
エデリカはカレラの言葉ですぐにオルレゲンがローデンに贈り物をした事を知っているかと訊かれたのだと理解ましたが、混乱もしました。
「エデリカ。自宅に届いてないの?」
「し・・・知らない・・・届いてない、と思う、でも私もお父さんも最近アレ・・・陛下のそばにずっといたから家には帰ってなくて・・・」
「家になかったとすれば、じゃあ、マリウス長官その贈り物はいつ届く予定だったんですか?」
マリウスはクククと笑いながら言いました。
「慌てすぎだよふたりとも」
カレラがイラっとした表情を見せますが、マリウスは笑顔を絶やしません。
「調べはついてる。オルレゲンさんが発送したのは1月14日で、到着は1月16日。で、荷物はずっと留守だったんで発送人に送り返されてる。そしてこのことは、カフラーさんも知ってる」
「委員長がどうして・・・」
「僕が知らせたからさ」
「え?!」
「そんな顔しない欲しいなあ。仕方ないんだよ。法律で決まってるんだ。・・・反国家審問委員会から情報開示或いは情報の共有を求められたら応じなければならないってね。これしないと面倒な事になっちゃうからさぁ・・・」
カレラはイライラを何とか抑えて、目の前で楽しそうにしている男に言いました。
「カフラー委員長がその情報をどうして欲しがっているんでしょうね?」
語尾がとんがります。
「反国家審問委員会名義で情報部諜報課にこう通達があった。『後見人に贈り物をしている者があれば誰であっても報告するように』ってさ。それ以上の詳細は僕たちにも教えてもらえなかった」
「あの・・・」
「ん?」
エデリカがおずおずと質問します。
「贈り物にはメッセージは・・・」
「ああ、それはね”ヴォルジ=オルレゲンです。お見知りおきを、つまらないものですがお納めください”だったかな?」
エデリカは内心でホッとしました。特に陰謀などを想像させる文面ではなかったからです。しかしマリウスが放った次の言葉でドキリとさせられます。
「陰謀には関係ないって思うだろうけど、これはあまりよろしくないねぇ」
「え?何でですか?」
「考えてもごらんよ。オルレゲン議員は・・・」身を乗り出して声を潜めます「国王陛下には贈り物してないんだよ?」
「あ」
そうです。これはオルレゲン議員が国王つまりアレスを蔑ろにしているとみられても仕方のない事です。
「気が付いた?」
「カレラさん・・・どうしよう」
カレラは困った顔のエデリカの肩に手を置くとキッとした眼差しでマリウスを見ます。
「長官。脅かすのはやめてください。それで?先生に贈り物をした人は何人位いたんですか?その中に陛下に贈り物をしていない人もいたんですよね?」
「ははは・・・ごめんごめん。脅かすつもりはなかったんだけどね。え~と・・・たしか陛下に贈り物をしてない人も3、いや5人かな。でもそれ以外の人も含めてみんな送り返されちゃってるね。だってほらあの時は陛下が塞ぎこまれていたり、弔問団の出迎えの計画とかでみんな忙しかったでしょ?仕方ないよね。でも後でお詫びしといたほうがいいんじゃないかな。住所教えておこうか?」
「お、お願いします・・・」
「ふふ」
オルレゲン議員だけじゃなかったという事は、贈り物をする行為自体に深い意味はない事を知ってエデリカは再度ホッとしました。
「でも長官。そう言う事なら先生の捕縛に贈り物の有無は関係してないってことですよね」
「まあそうだね。贈り物を受け取っただけで捕縛されるなんて割に合わない。・・・・とりあえず話をオルレゲン議員に戻そう」
マリウス長官は椅子に座り直して小粒のチョコレートを口に放り込むと続きを始めました。
「オルレゲン議員が1月10日のあの日、元老院議会場で明らかにおかしな立ち上がり方をした理由は、彼の性格と行状を踏まえて考えるとこうなる」
「・・・」
エデリカはジッとマリウスの次の言葉を待ちました。
「オルレゲン議員は亡くなられた前国王陛下のことをものすごく頼りにしてた。でも新国王陛下は頼りになるとは思えなかったんだ。だから一時的にだけど王妃様を頼ることにした。でもこれは僕の推測。信じるかどうかは任せるよ。いいかな?」
確かに先の国王と比べれば王妃がいくら聡明でも、紛(まご)う事無き血統の持ち主の新国王であっても見劣りするのは誰の目から見ても明らかです。
だから自分の父親に贈り物をした?
エデリカは思いました。
自分で言うのも癪だけど、政治の世界で頼りにされないのに、そんな後見人を頼るなんて、臆病でおとなしい性格の人がそんな綱渡りみたいなことをどうしてするのだろう、と。そしてマリウスが自分を見ているのにハッとして視線を外します。
「エノレイルさんへの贈り物の件について、僕はこう解釈している。おそらく贈り物は後見人へ宛ててと言うより、後見人が属している王国評議会へ送ったつもりなんじゃないかってね」
エデリカは自分の考えを見透かされたことに嫌な感じを抱きながらもなるほどと思い、さらに終始表情を崩さないカレラの態度にも納得がいきました。カレラはマリウスの前で油断しないように努めていたのです。
マリウスがカレラをして油断が許されない人物。エデリカは気持ちを引き締めました。
「なるほど。王国評議会の構成員一人一人に送るより代表者に贈った方が効率もいいし、なにより変に勘ぐられないから・・・」
「でもね少尉。王国評議会は発足したばかりの組織だったから、全国にある出先機関へ王国評議会への贈り物は受理しないように国務院を通じて通達してあったんだ。しかも王妃様がお亡くなりになる時には完ぺきにその通達は機能してた。さすが王妃様だよね」
「それで先生宛に?」
「たぶんね。エノレイルさんに贈り物をした人たちは時の最高権力者が誰なのかをよくわかった上で贈り物をしていると考えて間違いないだろうねぇ。そしてオルレゲン議員はこれから頼りにするであろう王妃様が倒れられたとき、弱弱しい自分守ってくれる守護天使が消え失せてしまった事に絶望した・・・、・・・彼が見せたあのゆっくり立ち上がるという動作にはそんな意味があったんじゃないかなぁ」
推測にせよ辻褄はあっているように思えました。
王妃の死去を初めから知っていたのではなく、突如予定が狂ったことへの絶望感の現れ。そういう事なのかとカレラは体が重くなったような錯覚に囚われます。
「その後彼は後見人 ―実際は王国評議会― に宛てて贈り物をし、それと同時にフスランへ亡命しようと画策もした。危機分散を考えるのは珍しくないけど、行動力がすごいよね。まあ亡命は僕の勝手な想像だけど」
マリウスの話を聞き終えたカレラはそれでもオルレゲンの動きに疑問を感じました。
「でも亡命する程の事かしら?王国評議会は正常に機能しているし、国内はいたって平和だわ。私からすれば王妃様の事件に関係していて、発覚を恐れたから国外逃亡を企てたっていう方が・・・」
「しっくりくる?」
「ええ」
マリウスは思案するように暫くエデリカたちの背後にある壁をじっと見てからまた話を始めました。
「それじゃあ君のその思いは後でまた聞かせてくれ」
「え?」
「もう少しオルレゲンさんの事を掘り下げれば君のその疑問に答えがでるかもしれない。いい?」
「・・・ええ、わかりました」
カレラはマリウスの話に耳を傾けます。
「まず贈り物ではなくて純粋な手紙のやり取りなんだけど、オルレゲン議員は前国王陛下には実によく手紙を書いていた。うんざりするほどね。そして国王陛下もそれに負けないほどまめな人で、自分あてに全国から届く膨大な量の手紙には代筆を頼んでいたにせよ返事を書いていたんだ。臣下や国民にとってこれほどうれしい事はなかったと思うよ」
国王陛下の治世が平和だった原因のひとつかもとエデリカは思います。
「もちろん陛下や王妃様に宛てられた手紙は検閲対象だから、国務院の郵便課で全部名簿化されてどこの誰が送ってきたのか、その人物に前科はないかなど事細かに記録が残ってる。オルレゲンさんだけでなく、ね」
何か出たんだろうかとエデリカは聞き耳を立てます。
「この手紙の名簿は国務院で保管されていて、郵便課以外には僕たち情報部諜報課の人間にしか開示されない決まりになってる。だけど陛下のご逝去の後にどういう訳か反国家審問委員会から閲覧請願があったんだ」
「陛下の時も?」
「うん、陛下の時も王妃様の時も、ね。この動きに対してはツェーデル院長も気が付いて僕に相談しに来てる。確かにもしも陛下が暗殺されたのであれば反国家的犯罪だから調査はするだろうけど、あの時エノレイルさんは病死と判断していたんだ。それを無視してまでなんで?というのがツェーデル院長の思いだったんだろうねぇ。結果から言えば、特権を盾にカフラーさんの閲覧請願は受理されてる」
「でも王妃様の時は・・・」
「そうなんだ。とても不自然な死に方にあの場にいた人間なら誰もが思ったはずさ。僕だってこれはと思ったよ」
「カフラー委員長も?」
「当然だろうね。だから委員会にとって陛下に届いた手紙の贈り主に加えて王妃様へ届いた送り主も閲覧対象になったんだけど、委員会の名簿情報持ち出し記録をみたら面白いことが分かった」
「なんです?」
「名簿の記録を書き移すのが持ち出し記録なんだけど、その複製をみるとどうも反国家審問委員会に贈り物をしている人物に的を絞っていたらしいんだ。全部確認したわけじゃないからそういう傾向があっただけなのかもしれないけど、的を絞るとなれば指標とか基準が必要になる、僕の考えは当たってるとは思うんだけど」
「その基準が委員会に贈り物をした人の・・・」
「反国家審問委員会は贈られた物はすべて突き返したけど、贈ってきた人の記録だけは取ってた。まあ考えてみれば当然だけど。んふふ」
カレラはハッとします。
「じゃあオルレゲン議員も?」
「もちろん」
「情報部ではオルレゲン議員の手紙は調べたんですよね?」
「もちろん。彼が白と判断した材料の一つだよ。カフラーさんがどう判断したかは知らないけどね」
「でもどうして贈り物をした人を基準に・・・」
思わずそう質問したのはエデリカです。
「さっきも言ったでしょ。少尉教えてあげなよ」
カレラはマリウスをキラッと見ましたが、エデリカに穏やかに言いました。反国家審問委員会に届く贈り物は賄賂だと。
「ただあくまでも基準だからね。反国家審問委員会に贈り物をして、陛下や王妃様に手紙を送っていたという事実だけで容疑者扱いは出来ない。ところがここでちょっと笑っちゃうような行き違いがあっったんだ」
「行き違い?」
マリウスはまたカップに口を付けて小粒のチョコを口に放り込みました。
「カフラーさん・・・いや反国家審問委員会は王妃様が亡くなられた翌々日、国務院にこんな通達をしているんだ。『国外渡航者は何人であっても反国家審問委員会に報告せよ』ってね」
オルレゲンは国外渡航をしています。
「じゃあやっぱり議員を疑って・・・」
マリウスは手のひらを見せます。
「いや。これはオルレゲン議員を捕まえようっていうより、王妃様が亡くなられたことに事件性があってもなくてもする審問委員会の既定行動だよ。つまり網を張っておいて委員会が怪しいとしている人物がかかったら一時的に確保して事情を聴く、そういう事さ」
「でも商人は?それこそ膨大な数になるんじゃ・・・」
「まさか」
マリウスは笑みを浮かべます。
「あの時議場にいた人間の他には、前科者とか、反国家的思想を持っていると目されて目を付けられている人とかに限定だよ。40人もいないあの委員会じゃそれぐらいが限界だろうね。だから情報部の人間も協力させられることもある。今回はマルデリワ港とチピア港、ノスユナイア港、他にいくつかあるすべての港に委員会と情報部の人間が常駐する事になってる」
「じゃあ今でも続行中ですか?」
「もちろん」
「で、オルレゲン議員は確保されたんですね?」
「いや」
「どうしてです?」
怪訝に表情を変えるカレラ。
「さっき言っただろ。笑っちゃうような行き違いがあったって」
「それはどんな?」
「まあ傍(はた)から見た感じでは、オルレゲンさんがカフラーさんを出し抜いた・・・ってところかな。あははは」
マリウスは実に愉快そうに笑いました。
「出し抜いた?じゃあやっぱり国外逃亡したんじゃ・・・」
マリウスは笑い声交じりに答えます。
「違う違う。そうじゃない。逃亡はない。頼むから信じてくれよぉ」
「じゃあどうして」
「オルレゲン議員は、王妃様が倒れられた翌日に国務院に渡航申請を出したって言っただろう。それが1月11日、そしてカフラーさんが渡航制限要請を通達したのが1月12日」
「あ」
「申請があればそれも報告対象・・・いや申請者で網を張ってたのかもしれない。その方が書類で残るから楽だしね。ところが!どうも国務院の方で1月12日以降の申請のみを委員会に報告すればいいと勝手に判断したみたいでね。気が付いた時には既にオルレゲン議員はフスランに入国二日前で、慌てて追っかけたけど間に合わず、オルレゲンさんは入国を果たしてしまった」
「・・・」
「でも国務院は更なる失態を犯してたんだ」
「え・・・」
マリウスはおかしそうにしながら話します
「反国家審問委員会は国王陛下が亡くなられた時にも同じ通達をしているんだ」
「え?だったらオルレゲン議員は・・・」
「そう、実際は確保の対象者だったことは明らかなんだけどぉ、国務院の担当職員はその通達が継続ではなく更改と受け取っちゃたみたいでね」
お役所仕事と一言で片づけるには少し呆れる対応だとカレラは首を振ります。
「ただ事後であったにせよ議員渡航済みの情報がカフラーさんの耳に入った。そして委員会がオルレゲン議員の身柄確保に動き始めたのは、反国家審問委員会あての贈り物の名簿にばっちり載っている人物だったからだ」
「あ」
エデリカが気が付いたように顔を上げます。
「でも、オルレゲン議員はさっき亡命しようとしてたって・・・」
「お、鋭いね。さすがは後見人の娘さんだ」
言い方が決して褒めてない感じです。エデリカは身を少し引きました。
「でもそれは僕の推測。だけど状況から考えるとカフラー委員長も亡命と考えていたかもしれない。そう考えると後々のオルレゲン議員、カフラー委員長の行動に納得できるんだ。けど・・・とりあえずその事を含めて、ここまでの事は頭に置いといてくれるかな」
何か続きがあるという事のようです。エデリカもカレラは何度か頷きました。
「じゃあ話をいったん戻して、オルレゲン議員の人柄について掘り下げるよ」
元老院議員を恐れている小心者で、心静かな生活を望み、国王陛下を頼り切っていたがそれを失って絶望し、亡命しようとしている小領主。それ以外にまだ何かあるというのか。エデリカは一人の人物を知るのにこれほどの労力が必要とは思いもしていませんでした。少々体に疲労を感じ始めます。それとは対照的に饒舌なマリウスに、この男はきっとこれが転職なのだろうと小さく嘆息したのです。
「さて、自分を守ってくれるはずだった防壁も防波堤も失ってしまったオルレゲン議員なんだけど、なぜ一時的にせよ亡命までしようとしたと思う?」
その理由は今までさんざん説明してましたよね?エデリカはそう言いたいのを我慢しましたが、すぐにマリウスが言った事にハッとさせられます。
「そう、今君たちが頭の中に思い浮かべているオルレゲン議員の性格がそうさせた・・・。でもね、さっき少尉も言ってたよね」
「そうか・・・そうですね」
カレラが気が付くとエデリカもハッとします。
「実に静かで、謀反も反乱も、その影すらもない。それなのにオルレゲン議員はいったい何でそこまでしたんだろうって思うだろ?」
カレラは自分が思っていたことを口にします。
「じゃあやっぱりオルレゲン議員は王妃様の事件に関係が?」
「少尉。どうしても国外逃亡説を貫きたいようだけど、王妃様が亡くなられた後に国外渡航した人間はオルレゲン議員のほかにも大勢いたんだよ。なんでだと思う?」
カレラは少し考えてすぐに思いついたようでした。
「あ、・・・もしかして財産?」
「そう、国情が不安定になると予測した貴族や有力者たちの中には海外に財産の移動をする者が結構いた。そう言う事は別に珍しくもなんともない。だからオルレゲン議員もそのうちのひとりだというのが結論なんだよ。・・・ただオルレゲンさんの場合は従者も連れず、持って行った物も手荷物程度。それを考えると僕はすんなり財産の移動の為だと納得するわけにいかない」
「じゃあ」エデリカが言います。「亡命でもなく、財産の移動でもないなら親族を頼って・・・」
「そうそれ」
マリウスはエデリカを指さします。
「両親が亡くなっている彼には親族がいない。ノスユナイア王国で天蓋孤独になってしまった。だからこの行動に頷けなくはない。だけどさっきも言ったようにさして不安もない今の国内状況なら議員が頼るべきは彼の一番近しい存在であるエメス公爵や地元出身の高級士官といった有力者なんだ。・・・事実、オルレゲン議員はもしもの為に国王陛下にも王妃様にも、委員長にも、身近な親しい人たちにも贈り物や何かにつけ協力をして互助努力を怠らなかった」
ずいぶん自分に負担が少ない互助だけど。カレラはそう思いながら耳を傾けます。
「それは彼が編み出した技じゃなくオルレゲン家で先祖代々行われてきた処世術で、それがあったからこそ小領主であっても安泰だったんだ。それはオルレゲン議員自身が一番よくわかってたと思うよ。
代々受け継がれてきた処世術によって築き上げられてきた安寧な日々を捨てて彼は仮想敵国であるデヴォール帝国の息のかかるフスランへ行った。しかもこんな時期に。そして僕らの調査では彼は王族達のご逝去に何らかかわっていた形跡がない。・・・では何でだと誰もが思うよね。だから僕はこれは亡命ではないかと勘繰ったわけさ」
何もかも捨ててフスランへ行く理由。新国王に対する信頼が持てないなら、身近な人々の助力を得て国王が育つのをも待てばいい。それをするだけの時間も余裕もオルレゲン議員にはあるはずです。
亡命と言うのも逃亡と言うのも考えすぎかもしれない。新年のあいさつへ行っただけで。
カレラはそう考え始めました。
「まあ憶測だからね。新年のあいさつにかこつけた財産移動の方がしっくりくるんで、僕は考えるのをやめた。そして思ったのさ。いっそ議員に直接聞けばいいんだって」
エデリカもカレラも確かにそうだと手を叩く思いでした。
「実際に会って『どうしてフスランへ行ったの?』って訊けば何もかもすっきりするよねぇ」
「会ったんですか?」
マリウスは両手を置きく広げてこう言いました。
「ここで最初に行った僕の話につながるんだ」
「最初の話?」
「少尉。君が言ったんだよ。エノレイルさん捕縛直前に反国家審問委員会に動きがあったかって。それで僕が、審問委員会ではなくて、僕の組織に動きがあったって答えた」
カレラは思い出して、ああ、と言います。
「どうつながるんですか?」
「まず国務院の手違いでオルレゲン議員はまんまと・・・ごほごほ、何の障害もなくフスランへと渡航できた。ところが反国家審問委員会は海外での活動を許されていない。だから僕たちはカフラーさんから依頼されてオルレゲン議員の身柄確保に乗り出したんだ。
間もなくして部下から確保したという連絡と同時にオルレゲン議員が帰国を望まれていたのでそのまま護送するという事も連絡して寄越した。護送の時は必ず2人の護衛を付けるのが決まりになっていてね、合計3人が船でこちらへ向かったわけさ。マルデリワ港への到着予定日は2月28日」
「一昨日(おととい)?じゃあもう会ったんですか?」
うーんと言ってマリウスはまた頭の後ろで手を組んで椅子をギシギシ言わせます。
「ここからがわからないんだよねぇ。実は委員会の連中に確保される前に僕が直接会って渡航の理由を聞こうと思っていたんだけど、その為には彼らより早く港に着かなきゃならない。だから到着予定日の前日の27日の午後、マルデリワ港に出発するつもりだったんだけど・・・さあ出発だと荷物を持った僕のところに、ある報せがあったんだよねぇ」
表情がマリウスらしくもなく少し沈んだ感じに見えたので、カレラは思わず訊きます。
「それはどんな?・・・」
エデリカとカレラは黙ってマリウスを注視します。
マリウスはホウッと息を吐いてから話を再開しました。
「護衛は二人って言ったでしょ?」
頷く二人。
「その護衛の一人が死んだ」
二人のお女の表情が固まりました。
「え・・・どうして」
「議員は?」
「もう一人の護衛と議員は行方不明で目下捜索中。そして目撃情報によると、その3人以外にもう一人誰かがいたらしいんだけど、どうもそれが反国家審問委員会の人間の可能性がある・・・」
その話を聞いたカレラもエデリカもどう処理をしたらいいのかわからなくなっていました。
特にエデリカはオルレゲンもが死んでいる可能性や、その死に反国家審問員会がかかわっている可能性、そしてこれまで聞かされたカフラーという人間に対しての不信感から危機意識が突如大きく膨らんだのです。
何かしらの情報を持っているオルレゲンを亡き者にするために諜報員を殺害しオルレゲンをさらってどこかで情報を手に入れてから殺したのではないか。
「お父さんが!」
エデリカはそう叫んで立ち上がると脱兎のごとく部屋を飛び出して行ってしまいました。
「エデリカさん!長官、すみませんまた来ます!」
「まったまった。まってくれよ少尉」
「え?」
「気持ちはわかるけど落ち着きなよ。カフラーさんがエノレイルさんを暗殺するかもってあの子は思っただろうけど、現段階では大丈夫だよ。彼のそばには近衛が護衛についているんだろ?」
「でも・・・」
「いいかい。カフラー委員長がどういう情報を得てエノレイルさんを捕縛したのかはわからない。だけどもしも暗殺が目的ならとっくにやってる。実を言うとさっき僕が部屋から出て行ったときに、部下からの定期連絡を聞いてるんだ。エノレイルさんは生きてるってね。安心しなよ。諜報員を審問委員会に潜り込ませてるから情報は定期的に入ってくるんだ。何も連絡がないって事は今も彼は生きてる」
カレラは口を結んだ表情でしたが、鼻でする息遣いがいくらか荒い事に気が付いて薄く口を開けます。
「どうして最初に言ってくれなかったんですか?」
その言葉はいくらか非難めいていました。
「最初に?それは無理だよ」
「!・・・」
マリウス長官は片方の手のひらで何か言いたげなカレラを制します。
「順序が合ってこそ、今の話につながるんだ。僕は情報伝達をするときには正確を期するたちでね」
確かに突然オルレゲン議員の行方不明を言われても、諜報員の死を告げられても混乱するだけです。
「ではどうして国務院長やライジェン侯爵にはそれを言わなかったんです?」
「彼らが聞いてきたのはエノレイル先生の身辺についてだけだったから。それにこの情報は君だからこそ話してるんだよ?」
「え?」
「ライジェン侯爵や国務院長に話したらどう考えてもカフラー委員長の糾弾という過激な行動に出る事はわかってる。・・・・でも君ならこういう話も冷静に聞ける人だと僕は評価してるんだ。カレラ・ドルシェ少尉」
カレラは黙ってマリウスを見ていましたが、彼はすぐに話を始めました。
「じゃ、順序だての事前情報を言うよ。・・・実はこの事件が起こったのはチピアの港だった」
「え?マルデリワじゃ」
「そうなんだよ。オルレゲン議員の引き渡しはマルデリワ港だったんだけど。事件が起こったのはその一つ手前の停泊地であるチピアの港だったんだよねぇ」
「待ち伏せですか?」
マリウスは少しだけ間をあけます。
「さっき死んだと言ったけど、正確には殺されたんだ。で、その殺された部下はね、後頭部を至近距離で魔法攻撃されて絶命してた。これは明らかに殺意を持ってやったことだ。やった人間はもう一人の諜報員かオルレゲン議員か、その場にいたという反国家審問委員会の誰かってことになる」
カレラは口元ににがわらいをうかべました。
「オルレゲン議員を候補に?本気で行ってますか?」
「あくまでも可能性の話さ。でも最初に言っておく。裏切りはあり得ない」
「なぜです?」
「それはこれからする説明ではっきりする」
「なら、委員会の誰かが?」
「いや。それもちょっと違う」
カレラはマリウスがおかしくなったのかと思いました。自分で部下を殺したのが誰なのかと選択肢を出しておきながらその誰もが当てはまらないと言っているのです。
「まあ聞きなよ。実はこの事件のおかげでいくつか興味深い事実が浮かび上がったんだよねぇ」
事件のおかげで浮かんだ興味深い事実。
カレラは内心で楽しそうな顔で言うマリウスを蔑みましたが、それがどんな事なのかに興味を持ってしまいました。
「どんな事です?」
マリウスは聞かれた事が嬉しかったのか笑みを浮かべます。
「まず。反国家審問委員会の誰かの出現が必然か偶然かを考えると、そもそもオルレゲン議員の身柄確保の依頼はカフラーさんからされたわけだし、偶然なんかじゃないでしょ。
ただし、身柄引き渡しがチピア港でなくマルデリワ港という約束だった事を考えると何かしらの行き違いか偶発的要素があったことが考えられるねぇ」
「委員会の人間が偽物だった可能性は?」
選択肢にない人物を出すとすればこれだとばかりにカレラは言いました。しかし。
「なかなかいいね。いい意見だ。それもある。
たぁだ。
僕の部下たちは議員を委員会へ引き渡す事は承知していたから、チピアで出現した誰かが委員会の人間であることがわかれば引き渡すだろうし、万全を期すならマルデリワまで同行してもらったうえで引き渡すかしてるはずだよ。
仮に偽物であればカフラーさんから受け取っているはずの依頼確認証書を持っていないはずだからすぐばれる」
カレラの推測は外れです。
「でも、この事件が起こったという事は、君が言う様に委員会を騙(かた)った偽物との争いが発生して僕の部下が死んだとも考えられる。情報がどうやって漏れてしまったのかという疑問も残るけど、それでもやっぱり違うと僕は思ってる」
「じゃあいったい誰だと思って・・・」
「中尉。誰が部下を殺したかなんて小さなことなんだ。重要なのはそこじゃない」
「あなたの部下は浮かばれませんね」
あまりの言いようにマリウスを見るカレラの視線に軽蔑が見え隠れします。
それを見たからなのかマリウスは顎に手を当てて声のトーンを落とします。
「死んでしまった部下は気の毒に思うけど、それも任務中ともなれば想定されることさ。まあまあ それは置いといて
重要なのは部下の死じゃなくて、オルレゲン議員の価値なんだよ」
あっという間に目の輝きを取り戻すマリウス。
「議員の価値?」
「僕は議員は白だと言った。エノレイルさんの捕縛には関与してないってね。ところがチピアで議員の奪い合いが起こった。・・・だとするならオルレゲン議員には死人を出す程の争いを誘発する価値がある・・・もっと言うなら価値ある情報や秘密を抱えていると言ってもいい」
上気するマリウスの様子とは裏腹にカレラは冷静に返します。
「それはマリウス長官の推測ですよね?それとも希望的観測かしら?」
「今度は僕が言う番だね」
マリウスはにこりとします。「それ本気で言ってるのかい?」
カレラは少し悔しそうな顔を浮かべます。
「・・・じゃあ僕の推測を最初から整頓してみようか
オルレゲン議員はカフラーさんやエノレイルさん含め、色々な人に贈り物をして自分の身の安全確保のための互助活動を先祖代々していた。だけど議員はエノレイルさん捕縛に関しては無関係。白だ。
そして偶然にもカフラーさん(実際には国務院や僕ら)の監視の目をかいくぐってフスランへ渡航する。これについては年始の挨拶まわりか亡命なのか、現在は議員が行方不明だから理由はわからない。
そして委員会から僕らにオルレゲン議員確保の要請があり、実際に確保したが・・・チピアで誰かに奪取されて行方不明。
・・・ここまでの経緯で僕が思うに、いや、僕でなくともチピアの港到着前までは何も問題はなかった。君もそう思うだろ?」
カレラは頷き、マリウスは満足そうにそれに頷き返しました。
「補足しておくと、審問委員会は正式に国務院に渡航制限を申告して受理されそれは国策として厳正に実行された。しかし偶然出国出来てしまったオルレゲン議員に気づいたカフラーさんは情報部の長である僕に議員の連れ戻しを依頼。僕とカフラーさんの間に齟齬も争いもないから依頼を拒否する理由はないから言われたとおりにして、任務を完遂した」
頷くカレラ。
「それではカフラー委員長がオルレゲン議員の連れ戻しを依頼した理由を、マリウス長官はオルレゲン議員の知られざる価値なのだとお考えなんですね?」
立てた人差し指を振りながら何度か頷くマリウス。
「さっきも言ったように、当時オルレゲン議員の渡航が成功したのは国務院の手落ちによるものだとは思われてなかったから、なにか不正な手段を使ったんじゃなかという疑いをもたれていた。だからその辺を問い質したかった・・・っていうのは表向きの理由だったんだな・・・、と僕に思わせたのが今回のチピア港での事件後のカフラーさんの態度だった」
「それはどんな?」
マリウスはカップに口を付けて喉を湿らせました。
「まずはチピア港に委員会の人間がいたらしいという目撃情報を伝えると、チピアには誰も行かせていないと彼は答えた」
「信じたんですか?」
「信じてはいないけど、追及するわけにもいかないしねぇ・・・。それどころかさっき君が言っていた僕の部下の裏切り行為を逆に指摘された。僕の不手際だってね。参ったよ。まあそれについてはこっちで調査するといってごまかしたんだけど、・・・その時マルデリワ港に迎えに行かせた委員会の人は誰だと聞いたんだ。もしかするとその人が勘違いしてチピアに行ってしまった可能性もあるからね」
「誰でした?」
「いいや。隠す必要もないだろうに教えてくれなかった。・・・で、今後オルレゲン議員追跡はどうするかを聞くと国内であれば委員会でやると言って議員の身柄確保の依頼はとりあえず完了という事になった」
マリウスは一呼吸置きます。
「オルレゲン議員の行方探しは我々委員会で独自に行う。君たちは殺人犯を追ってほしい・・・ときたもんですよ」
どうという事もない情報開示も拒否するなんてあるだろうか。カレラは思わずつぶやきます。
「頑なすぎる・・・」
「そう。そこがひっかかった」
マリウスは居住まいを正すとまた飲み物で喉を潤した。
「で、議員の価値について考えるようになった」
「なるほど・・・」
「そうなると興味が湧いてきてしまってね。僕も無聊をかこつわが組織の部下たちに委員会のメンバーの動向監視を発令したってわけさ」
「私用で?」
カレラが怪訝な表情をします。
「そんなことないよ。仮にも元老院議員が命を狙われたんだし、反国家審問委員会の動向もなにか匂う。公的職務の範囲だよ。」
そんなものかしらと半ばあきれ顔で肯定も否定もせず小さく肩を上下させました。
「・・・委員会の誰かがオルレゲン議員と接触或いは目撃すれば僕のところに連絡が来る手はずになっているけど・・・今のところ音沙汰無し。ただ委員会の連中は逃げるのも隠すのも上手いからねぇ・・・」
カレラが頷く暇を与えずマリウスは指を立てて何度も前後に振りながらホンの少しだけ興奮した様子で言ったのです。
「で、そのすぐ後さ。エノレイルさんが王妃殿下殺害の嫌疑をかけられてカフラーさんに捕縛されたのは。正直驚いた。でもそれではっきりしたよ。」
マリウスはドヤ顔で笑顔を見せました。
「なにがです?」
「カフラーさんもチピアの事件は予想外だったんだ。だけどその事件がカフラーさんにオルレゲン議員の価値に気付かせ、そして何かを確信した。そしてその確信した何かによってエノレイルさんを捕縛せざるを得なくなったんだ」
「確信って、何を?」
「それがわかれば苦労はないよぉ。ただ少なくともエノレイル氏の王妃殿下殺害を確信したわけではないだろうね」
「それじゃあやっぱり王妃様殺害の嫌疑なんて・・・」
「でっちあげ、なにかの口実・・・ってところじゃないかな。でもそれを証明する証拠は何もない。だからカフラーさんはエノレイルさんを解放する事もない」
「・・・」
「カフラーさんが何を掴んだのか、とりあえず我が部下たちの報告を待ってておくれよ」
カレラは落胆しましたが、これまでの話の中でどうしても気になる事を口にしました。
「でも」
「ン?」
「議員はどうしてチピア港でさらわれたのかしら・・・。そこにしなくてはならない理由があったのかな・・・」
マリウスは思い当たったのか大きくうなずきました。
「ああ・・・」
「議員の拐取が目的ならチピアでなくても、というか国外の方が都合がいい気がします。殺すにしたって・・・」
「するどいね。それは君の言う通りだと思うよ。だけど突発的な事情の変化があったとしたらどうかな?」
「突発的な事情の変化?」
「さっきも言ったけどチピアの港に到着する直前まで、何も問題はなかった。だけどチピアで事件は起こった。
もしも僕の部下の裏切りがあったと前提して、最初から議員の誘拐または殺害が目的ならチピアでなくたっていい。誘拐なら途中にある国外の港でいくらでも出来たし、海上で事故を装って海に投げ込んでも良かったはず・・・君はそう言いたいんだろ?」
頷くカレラ。
「でも裏切って誰に利したかが問題です」
マリウスはすべてを否定するように両掌をカレラに向けて左右に振った。
「待った待った。僕とカフラーさんの約束がちゃんと履行されていれば、黙っていてもオルレゲン議員の身柄は最終的にカフラーさんに確保されていたんだ。だから裏切りなんてありえない。そういったろう?」
公的機関同志で取り交わされた約束が履行されれば何も問題はなかった。だとすれば第三者の介在が考えられます。しかし第三者の襲撃こそチピアでない方が都合がいいとカレラは考えます。
突発的な事情の変化とやらが敵方か内部かどちらに起こったかによっても結果は変わりますが、カフラーが議員を迎えに行った委員会の人間の名を明かさないのは、最初から議員を抹殺する予定だったが国外で事件化され国際問題だと騒がれるより国内で始末した方が握りつぶしやすいとかいう事情があったのではないか、そしてそれを阻止する第三勢力が議員を誘拐したと考えた方が自然ではないか。
そしてその第三勢力こそが議員の価値を知っていたのではないか。
カレラのそう言った考えを聞いた後でマリウスは尊敬を籠めた目で彼女を見てうっすらと微笑みました。
「それは一理あるね。さすがは国内一の学府卒の才女だ」
カレラ表情を変えずにいます。
「暗殺者が一般人に姿を見られてしまったのもそういう第三勢力の存在によって現場の混乱が引き起こされたのならじゅうぶん頷ける。
ただ僕は考えられる可能性を全て出し切った後に、カフラーさんから僕の部下の不手際、つまり裏切りをほのめかして指摘された事を思い出して気が付いたんだ。」
「それは?」
「うん。これはまあ推測でしかないんだけど・・・。これまで話した事実に、あるひとつの条件を加えると驚くほどつじつまが合い始めるんだ」
「条件?条件ってなんですか?」
「君の言った第三者の存在だよ。
裏切りはありえないと僕は何度も言った。オルレゲン議員の身柄確保がカフラーさんの最終目的なら何もせず座して待てばいい。こっちは言われた通り彼に差し出していた。
だけどチピアで不測の事態が起こって議員は行方が分からなくなってしまった。だからこの事件をカフラーさんが主導したとは考えにくい。だからチピアに現れた審問委員が誰なのかがとても気になる」
「・・・」
「そこで僕の推測はこうだ。
チピアに着く直前に事情が変わった。オルレゲン議員の身柄を確保ではなく抹殺にね。理由はわからない。けどだからと言って公衆の面前で抹殺劇を繰り広げさせるほどカフラーさんは間抜けじゃない。」
「でしょうね」
「でも例えば、カフラーさんの背後に誰かがいたとしたら?或いは僕の部下の背後に僕さえも知らない誰かがいたとしたら?」
「第三勢力?」
「さあね。いずれにしてもそういう現場を知らない人物や組織から”チピアの港に着く直前にオルレゲン議員の存在を消せ”と命令が下った・・・とすればどうだい?」
「第三者から命令された実行犯がいたと?」
「推測だけどね」
カレラは自分の考えを取り入れて気を使ってくれているとも考えましたが小さく首を振りました。マリウスという男は殊、諜報に関しては情とか妥協などはしないと知っていたからです。
「つじつまは合いますね・・・でも自分で言っておいてなんですけど都合が良すぎる気もします」
「でもそう考えると筋が通り始めるのは事実さ」
カレラは暫く沈黙した後、ぽつっと言いました。
「今わかっている事は、現場に二人いた諜報員の内一人が殺害されてひとりは行方不明で議員も行方不明。反国家審問委員会の人間が目撃されていた。そこに第三勢力が現れたとを考えあわせるとあなたの部下や議員はもしかするともう・・・」
「殺されている可能性はあるね。動機はさっぱりだけど。ははは」
「情報部で議員の捜索はしているのですか?」
「してますよ。委員会監視と同時進行でね」
「行方不明のあなたの部下の捜索も?」
マリウスは頷きます。
「質問です」
「どうぞ」
「現場にいたあなたの部下と委員会の誰か、結託していたとは考えられないですか?」
チピア港で殺されたマリウスの部下は相棒と審問委員会の誰かの結託によって殺された。当然可能性としては考えられます。
「結託は誰のそそのかされてかな?」
「第三勢力」
「人を殺してまで手に入れたい何かがあれば諜報員の懐柔策は常套手段だしね。ないことは無いと思うよ。でもそれは推測の域を出ないな。情報がない」
「・・・」
「ただカフラーさんの行動が彼らしくないってのは確実だね」
「らしくない・・・」
「君はモルド大佐の部下だから、大佐同様カフラーさんを暗いだろ?だから自然と接点を持とうとしない。そうなれば彼の人となりなんて知る由もない。だけど僕は違う。仕事で嫌でも顔を合わせる上に職種柄連携しなきゃならない事も多い。だからわかるんだよ。今回はカフラー委員長らしくないアラが目立つ」
「アラ?」
「カフラーさんの性格からすると暗殺や口封じとかはどうもね。これって今僕が持っている情報の使い方如何(いかん)ではカフラーさん失脚しちゃうよ。
僕の部下をたぶらかして、口封じのために元老院議員を拐取または殺害・・・それを胡麻化すために後見人を不当逮捕。大問題だ。
・・・だけどカフラーさんとのやり取りも含めてこれまであったことは王国評議会での報告義務があるからね。これをしないと義務違反で僕が咎めを受けちまう。事実をすべて報告すれば、カフラーさんは評議会から査問を受ける事は間違いないねぇ」
「・・・というと報告はしないつもりなんですか?」
目に批判的な色を浮かべたカレラにマリウスはあわてて付け加えました。
「報告はするさ。でも今じゃない」
「なぜです?」
「現状だとオルレゲン議員を連れ去ったのは諜報員という可能性もあるからね。そうするとその指示をしたのは僕って事になる。とんでもない事だ。
でも逆に審問委員会の誰かがいたという目撃情報を掴んだ僕に対してカフラーさんも同じ理由で報告出来ない」
つまり暗黙の取引と言ったところです。
「私がモルド大佐に言いますよ?」
怯むかと思いきやマリウスは事も無げに。
「構わないよ」
「起訴されるかもしれないんですよ?」
「大佐が評議会で提示しても、僕はとぼける。きっとカフラーさんもこういうさ。”その件については目下捜査および調査中です”・・ってね。忘れちゃいけないな。王国評議会は司法機関でもあるんだから」
「・・・・」
「怖い顔しないでよ
つまり表向き今はオルレゲン議員の行方探しは委員会がしていて、諜報員の殺害については僕らが犯人探しをしているということなのさ。・・・僕たちの方が先にオルレゲン議員を見つけられたらいいんだけど・・・」
クラッカーをかじりながらマリウスは。
「さて・・・。
現時点での事実関係が出そろったところで、そろそろエノレイルさんの娘さんのところに行った方がいいよ。・・・・・・・・ああ、それと」
立ち上がったカレラが視線をマリウスに向けます。
「?」
「さっきエノレイルさんの捕縛の理由が口実ででっち上げと入ったけど」
「違うんですか?」
「いやいや100%でっち上げだよ。それじゃなくて」
マリウスはがりがりと頭を書いてから言いました。
「議員の行方も、カフラーさんの掴んだことも、彼が何を考えているかも、そして僕の生きてる方の部下の行方も分からないから今のところどん詰まりの状態で決め手がない」
マリウスは一瞬間を置いて言いました。
「だから僕の考えすぎなのかもしれないけど・・・・もしもどこかの誰かが、何かしらの悪だくみをしているとして、その結果、今の状況が作り出されたのだとしたら、現時点でその企みはまさに完了しているってことになる。・・・ただ、あのカフラー委員長をもたばからなきゃいけないからそれを承知の上でやってのけたとしたらたいしたやつなんだけど・・・」
カレラにはこんな滅茶苦茶な状況が目的とは考えられませんでした。
「この状況はどこかの誰かさんの企んだ計画の通過点なのかもしれない。・・・つまりこの状況下における我々一人一人の立ち位置が、どこかの誰かさんの思惑通りだったらってことさ。・・・だけどそこからいったい何をするのかはわからない。・・・・・だからそのうえで、諜報や謀略に君たちよりは詳しい僕からの助言を伝えておきたい」
「・・・・」
あまり感情を篭めずに言うマリウスの言葉にカレラは底知れぬ不気味さを禁じ得ませんでした。
「エノレイルさんの身辺にはいつも以上に気を付けた方がいいよ」
「いつも以上って・・・・」
「僕はなにか問題が起こりそうな時には常に最悪の事態を想定して行動する。・・・とにかく油断はするなってことさぁ」
そう言ってマリウスはまた小粒チョコを口に放り込んみました。
続く
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