サクササー

勝瀬右近

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第2章 第4話 伝令の行方

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ノスユナイア王国軍 各師団長

第一師団 アナン=ログロック=ゼーゼス大将
第二師団 カニエム=サダ=コッツォーラ上級大将
第三師団 メイデ=ナッカス=ベルトースカ中将
第四師団 レグラ=ジャン=ベニーチェ中将
第五師団 アローダ=オズ=ノーエル中将
第六師団 ザナ=ホロ=レバンダル中将
第七師団 カズール=ドルバ=ドリエステル大将
第八師団 ユリアス=ロマ=ガーラリエル少将
第九師団 ヌーダ=ウェス=トポイ少将
第十師団 ロカ=ヴィッツ=ボーラ大将






◆創世歴3734年3月2日

 3月2日。この日の午後イシア城塞にあるノスユナイア王国軍第五師団兵舎の司令官執務室で越境計画書を眺めていたノーエル中将がノックの音に応えると高級副官のタラムス大佐が珍しく明るい表情で訪れました。
「司令官」
「ん。タラムスか。どうした?」
「朗報と言って良いと思います」
 その言葉に内容を察したノーエルは立ち上がります。
「行けそうか」
「完全というわけではないですが、シェルダー小隊の報告ですと、条件付きですが越えられそうだと」
「条件付き?」
 ノーエルの表情が曇ります。
「峠の退避施設までの路面状況は雪を除雪サーリングによる除去作業をしながらの行軍であれば3日で、そのあとは天候次第と言う判断ですが、除雪を2交代で出来るなら残りの行程は3~4日とのことです」
「除雪サーリングの準備は?」
「既に除雪サーリング10機は出発させております」
「そうか。・・・そうするとこの天候がいつまでもつかだな・・・」
 昨日から天候は安定していて風も西風が吹き始めていました。西風は春の報せです。
「強行軍になるが、風に乗るか」
「行きますか」
 ノーエルはしっかりと頷きます。
「だが念のため山越えする師団は第5師団のみとする」
「閣下」
「退避施設は2個師団には小さいから危険な賭けになる。他の師団に無理強いは出来ないよ」
「しかし」
「それに少ない兵数の方が行軍速度も速くなる」
 タラムス大佐は何度か頷いて承知しました。
「峠の待避所に着いた時点で越境が完了できると判断したら連絡すればいい」
「では早速追加の除雪部隊を組織して先発させます」
「人選は任せる。頼んだぞ」
 さあ行くぞと部屋を出ようとしたところへ、突然ドタドタと軍靴の音を響かせた慌てた様子の士官が一人、開け放たれた司令官執務室の前に躍り出るように現れました。
「た、大佐すみませ・・・あ、し、司令官!」
 何事かとタラムスが驚きり、ノーエルもタラムス越しに首を伸ばすようにします。
「し・・失礼します!!かっ、火急の報せにてご容赦を!」
「ケラー少佐・・・どうした?」
 タラムスにケラーと呼ばれた男は呼吸もままならないような感じに息を弾ませ二人を交互に見ています。
「たっ、たった今、・・・国務院の軍管理局から伝令が!」
「軍務管理局から?」
 国務院軍務管理局は評議会や元老院で議決した事をその名のとおり管理遂行するための組織です。王国評議会で取り決めた内容を受け取って元老院議会に承認を求め、その後各師団に通達と言う流れになっています。たいていの場合、通達方法は書面で行われましたが今回は違いました。
 伝令が口伝てで司令官に言うべきところですが目の前にいるのはただの士官で、その表情は伝令が持ってきた内容を知っているという事を物語っていました。
 ノーエルの脳裏に嫌な感覚が広がります。
「伝令が来たのかケラー少佐。なぜ君が」
「はい!実は第3師団の兵站倉庫で除雪サーリングを借りたのですが、その出発を見送っっている時にベルトースカ閣下がいらっしゃいまして、伝令内容を一言だけ言われ飛んできた次第で・・・、レバンダル閣下にも・・・別の者が・・・」
「一体なんだ。どうしたというのだケラー」
 慌てふためくケラーの言葉に二人は驚きます。
「は、反国家審問委員会により、後見人ローデン=エノレイル様が、捕縛されたとのことです!」
「な?」
「なんだと?詳細は?!」
「後見人が王妃様殺害に関係していたという容疑だそうです」
「殺害?病死じゃなかったのか」
「なんと・・・」
 タラムスが信じられないという顔をしてノーエルを見ます。
「後見人殿は医者だろう。娘もいた。あのような忠臣が王妃様を?・・・何かの間違いでしょう」
「ん~」
 検死をしたのはローデンであることをそこにル全員が知っています。詳細を聞かねばならないと判断したノーエルですがレアンの国境に不穏があるこの時期にこのタイミングでの出来事に胸騒ぎを覚えました。
「とにかくベルト―スカ中将に会ってこよう。タラムス大佐、君は先発隊の準備が出来次第出発させるよう指示を」
「良いのですか」
 それは越境準備を師団長同士で合意することなく進めても良いのかという意味でした。
「責任は私がもつ、ケラー少佐も行ってくれ。急げ!」
「は!」
 タラムス大佐はケラーと共に走り去り、その反対方向にノーエルは急ぎ足で向かいました。



 第三師団兵舎のメイデ=ナッカス=ベルトースカ中将の執務室に第六師団ザナ=ホロ=レバンダル中将が向かい合って何やら話していると、後ろのドアが何度か叩かれます。
「おお、ノーエル中将待っていたよ。何やらカフラー委員長が動き始めたらしい。あのエノレイルという御仁が何かやらかしたのかとも思ったが、まさか王妃様殺害の容疑とは驚きだ」
「とにかく伝令の話を」
「うむ。おい、君、もう一度聞かせてくれ」
 伝令の兵士は落ち着いた口調で話し始めました。
 ライジェン公爵と会話している時に突然現れたカフラー委員長が王妃様殺害と言う容疑を述べてその容疑を晴らすためと言ってローデン自ら捕縛に応じた。容疑の詳しい内容やそこに至る根拠などはまだわかっていない。以上が伝令から齎された内容でした。
「自ら?それでは逮捕連行されたというより任意同行か・・・ふうーむ・・・。万全を期すあの委員長にしてはやり方が中途半端な・・・」
「君もそう思うか・・・私もレバンダル中将とそう話していたんだ」
 ベルト―スカは腕組みをしながらノーエルの言葉に応えました。
「私は何かの間違いだと思うのですが・・・」
「私もだ。もしそんなことが本当なら三賢者の方が先に気づきそうなものだよ」
「いずれにしても国家運営に影響するのは間違いないでしょうね・・・・」
「命令系統やその承認にもな」
「そうなると・・・・・」
 何か言いたげなノーエルを見たレバンダル中将は。
「どうかしたのかねノーエル中将」
「はい。実は先ほど軍事的越境が可能であるとの報告を受けまして」
「おお!」
「嬉しい報告だが、間が悪いな・・・」
 二人の司令官が懸念しているのは命令系統が乱れている今、越境の是非を王国評議会に求めたときにその返事がいつになるかわからないという事です。
「現時点でのフスラン国境の状態がわからないからな・・・さて」
 平時なら後見人の捕縛による命令系統の乱れや遅れはさして問題になりませんが、軍事と言うものは常に見えない先を見て判断しなければならないものです。しかし判断を誤れば進退問題にまで発展する可能性もあるため、たいてい上層部の人間はどっちともつかない微妙な結論でお茶を濁そうとします。
 しかしノーエルは迷いませんでした。
 カフラーの思惑への詮索や推測よりも、カフラーがした事実、今自分が置かれているイシア城塞、不明な国境の状況、天候、越境可能。それら全てを俯瞰し、考えあわせたうえでの判断でした。
「ベルト―スカ中将、レバンダル中将、すべての責任は私がとります」
「どうするつもりだね?」
「第5師団全軍を越境させてください」
「なんと。正気かね」
「ええ。この状況でもしも越境に待てがかかると少なくとも1か月は動けなくなる気がします。幸い天候は安定しているので今出れば三日後には峠の退避施設に到着できると思われます。待避所に到着した時点で状況をお知らせしますので、ベルト―スカ中将はその時点の状況で越境するかしないかをご判断ください」
 レバンダル中将は顎髭をいじって唸りました。しかしベルト―スカ中将は厳しいまなざしでノーエルを見てから伝令に向き直り、言ったのです。
「伝令。王国評議会にはこう伝えてくれ。後見人捕縛の件について了解した。次の報せを待つ。なお、現時点での軍事的越境は可能である。以上だ。余計な事を言うなよ。すぐに出発してくれ」
「ハ!」
 伝令兵は敬礼すると部屋を出ていきました。

「私は何も聞かなかった・・・」
 レバンダル中将がそう言うと。
「ああ、私もだ」と、ベルト―スカ中将。
 3人は笑いあって握手します。
「事故に気を付けたまえ」
「無理はするなよノーエル君。状況が許すなら私もすぐ後を追う」
「ありがとうございます」
 ノーエルは表情を引き締めました。
 こうして現場の判断により王国評議会の承認を受けず、第5師団は越境する事になったのです。
 この突然の決定に混乱が全く起きなかったのは、いつでも出発できるようにとノーエル中将が着任当初から準備をさせて完全な状態にしていたからです。
 10000の兵士がイシア城塞を後にしたのは翌日、よく晴れた朝の事でした。








 ◆王城第三層 近衛隊詰め所

「いつも以上にローデンの身辺に気を付けろ・・・か」
「はい」
 マリウスからの情報を聞き出したカレラは近衛隊詰所に戻るとモルドにその内容を報告しました。それを聞いたモルドは腕組みをし、片方の手を口に当ててしばらく考えていました。
「誰かが何かを企んでいて今の状況こそが目的なら・・・。カレラ、奴も手づまりしているのか」
「ええ。他は知りませんけどそこの言葉には嘘やごまかしを言っているとは思えませんでした。・・・大佐。わたし、マリウス長官の言葉って受け取り方に注意しているんですけど、そこだけは何だか気になってしまって・・・」
 低く喉を鳴らしたモルドはすぐに決断します。
「・・・よし。警備を増員しよう。ローデンの部屋に近衛を4人、通路に2人を24時間体制で常駐させる。カフラーには私が直接言って承知させる・・・」
 カフラーの思惑など知ったことかと言わんばかりの言葉をモルドが吐き出します。
「で?エデリカはどうしている?」
「先生と一緒です」
 エデリカはあの後、審問委員会の入り口の衛兵が止めようとしたその隙間を抜けて飛び込むと、鍵のかかっているローデンのいる部屋の扉を蹴り一発で吹き飛ばし、中に入るとまずテーブルをたたき壊してその足を2本持ち、しりもちをついて目を丸くし何も言えなくなっているローデンを背にして身構え、駆け付けた委員会の人間たちに『近寄った者は容赦しない!!』と叫んだそうです。
 幸いそこにローデンから頼まれていた書物を持ったカーヌがやってきて場をとりなしたので大事にはなりませんでした。
「すみません。私が付いていたのに・・・」
「まあ、エデリカにしてみれば無理もない。マリウスの脅し透かし思わせぶりは人を混乱させる。奴はわかっててやってるからな・・・だがお前も」
「話を聞いているうちに乗せられたというか・・・今考えればちょっと恥ずかしい・・・」
「気を付けろ」
 そのとき、扉がノックされ、入ってきた近衛兵士が言いました。
「大佐。伝令です」
「なんだ?」
「は、ツェーデル院長がすぐに反国家審問委員会に来て欲しいとのことです」
 カレラと視線を合わせたモルドは立ち上がって制服をつかみあげました。

 モルドがカレラを伴って反国家審問委員会を訪れると、入り口の衛兵は止めることなくすぐに道を開けました。そしてローデンの部屋の前に到着すると職人がドアを修繕しているのを目にします。
 分厚い新品のドア板が入り口の横に置かれていて、それをため息交じりに見ながらモルドはかつて扉があった場所を通り抜けました。
 中に入るとエデリカがローデンのすぐ近くにいて、未だに油断も隙も見せないというその佇まいは近衛兵の制服も相まってまるで要人警護のようでした。その近くにいたツェーデルが声をかけてきます。
「大佐」
 モルドは頷いてエデリカに言います。
「エデリカ。まずそのテーブルの足を置いて座れ。ここに敵はいない」
 エデリカはグッと口を引き結んだだけでした。
 それを見たローデンは優しい口調でエデリカに言いました。
「エデリカ、見てごらん。モルドとカレラさんが来た。ツェーデル院長やアー様までいらっしゃるんだ。ここにどんな敵が来たとしても、いやこの面々を見たら誰も襲ってくる気をなくして逃げ帰ってしまうよ。ここにいる人たちはみんな私の味方なんだから。な?」
 確かにその通り。ツェーデルやカレラがクスリとします。
「私はここに座るよ。さあエデリカも隣に座って」
 はあッと息を吐いてエデリカはテーブルの足を傍らに置いてローデンの隣に座りました。
 やれやれと言った感じでモルドがツェーデルに向くと呼び出しに応じてくれた労をねぎらう言葉と共にソファをすすめ、全員が座ると話を始めます。


「既に王国評議会議員の方々にはお知らせしてあるのですが。・・・つい先ほど現在の元老院王弟派の領袖(りょうしゅう)であるハイノス=ワックノード元老院議員から元老院議会において緊急動議が提出されました」
「緊急動議?」
 ツェーデルは頷いて5人をぐるっと見ました。
「エノレイル先生。ハイノス=ワックノード元老院議員はライジェン侯爵の盟友と呼ばれいている存在です」
「盟友?」
 モルドが苦い顔をして頷きます。
「ああ。ライジェン侯爵の懐刀と言われている論客だよ」
 エデリカは困惑した顔をツェーデルに向けます。
「わかりやすく言うとワックノード議員は王弟ライジェン侯爵の代理人です」
 それはつまり元老院議員でなくとも元老院に働きかけをする手段があるという事でした。ワックノード議員の背後にはライジェン侯爵がいるという事です。
「そのワックノード議員が緊急動議を提出したのはつまり・・・ライジェン侯爵が関係しているって事ですか?」
 ツェーデルが頷きます。
「明日元老院で、エノレイル先生の拘束理由についてカフラー委員長に答弁を求めるそうです」
 それを聞いたみんながそれぞれの思いででハアっと息を吐きだしました。
 エデリカはそれを聞いてカフラーの捕縛理由が出鱈目であることが暴かれるかもしれないと思い、これは喜ぶべきことだと思ったのですが周りの大人たちの反応が困惑している様に見えたので少し不安になり質問しました。
「ツェーデル先生。それは裁判じゃないんですか?」
「ええ。裁判ではありません」
 裁判ではない。その意味は告発されて裁かれるわけではないと言う安心感はありました。しかしツェーデルの表情には安堵より困惑や不安の色が見て取れたのです。
「エデリカさん。これは元老院がカフラー委員長を元老院権限で呼びつけて質疑応答をするものなの」
「元老院権限?質疑応答?」
 カーヌが言葉を挟みます。
「言うなれば予備審理ですね」
 ツェーデルもそれに頷きました。
「予備審理?」
 次々と出てくる聞きなれない言葉に?の文字を頭の上にいくつか並べているエデリカの様子を見てツェーデルは言いました。
「エノレイル先生を起訴、つまり裁くに足る証拠が有るか否かを判断するのが予備審理です。そのためにカフラー委員長から話を聞くという事よ」
「それじゃあ証拠がなければ放免されるんですね?!」
 エデリカは笑顔で言いました。
 ところが。
「いや。エデリカ。放免するかどうかを決める事とは別なんだ」
 モルドがそう言って首を振ります。
「どういうこと・・・ですか」
「カフラー委員長は反国家審問委員会の権限でエノレイル先生を捕縛し、拘束しています。その権限によって施行された事は何よりも優先される。つまり裁判よりも優先されるという事です」
「そんな・・・」
「これは反国家的思想や活動が発覚、或いはその疑いがもたれる団体や個人があれば、被害が拡大する前の初期段階でくい止めるのが理由です。容疑を固めてから逮捕拘留するのでは間に合わない。だから冤罪容疑も許されるというのが反国家審問委員会権限なのです」
 これは国防にかかわる事なので国王から与えられている権限です。
「まいったな・・・でも院長、取り調べや尋問は行われるのでしょう?」とローデン。
「そのはずです。その後裁判になるのですが、この種の裁判は一般法廷では行われないのです」
「じゃあどこで・・・」
「王国評議会です」とツェーデル。
「ええ?・・・じゃあいったい何のための予備審理なんですか?」
「元老院は、いえ、ライジェン侯爵はカフラー委員長の行き過ぎを糾弾するために元老院権限を利用するつもりなのでしょう。だからこの予備審理はカフラー委員長を召喚するための口実ね」
「そんな・・・」
 エデリカはぬか喜びさせられた感じで脱力しました。
「カフラーが来た時にかなり激昂していたらしいからな・・・。予備審理の名を借りた査問という事か」
「こんなに早く通達があったということは、おそらくライジェン侯爵の、いえワックノード議員の緊急動議がが満場一致で採択されたんでしょうね」
 目の前の大人たちの態度の真意を理解したエデリカは少し焦りました。
「それじゃあライジェン侯爵はお父さんの事を思っての事じゃなくて・・・腹いせのために予備審理をするの?そんなことをしたらお父さんのことが酷くなったりしないの?」
「心配しないで。そんなことにはならないから」
「できればライジェン侯爵には少し差し控えていて欲しかったんだが、王国評議会から延期の要請はできないのか?」
 迷惑顔のモルドがツェーデルに言うと。
「実は既にカフラー委員長は召喚に応じてしまったんです」
「むぅ・・・。ツェーデル。カフラーが何か答えると思うか?」
 ツェーデルは首を振ります。
「核心に触れることは何も言わないと思います。少なくとも拘束期限であるひと月を過ぎるまでは」
「ひと月?先生、ひと月って?」
 エデリカが身を乗り出します。
「反国家審問委員会が被疑者を尋問するために拘束できる最大期限です。それを過ぎた場合は正当な理由なく拘束し続けることはできないの」
 それが本当ならひと月すれば解放される。エデリカは何とも言えない気持ちになりました。
「1ヶ月か・・・アー様、せっかく本をいくつか持ってきていただきましたが、もう少し追加をお願いするかもしれません」
 ローデンの冗談にカーヌはほほ笑みます。
「まあ、ひと月待って解放されるなら、それが過ぎるのを待つのも手か・・・」
「確かにな。だがローデン。お前への容疑は残ったままになってしまう」
「え?」
「問題はそこなんだ。容疑者のままで後見人を続けるのは難しいかもしれん」
「・・・」
「そうなると困った事が起こります」
 ツェーデルの方にローデンは顔を向けます。
「?」
「後見人は国王陛下に変わって国の舵取りをするのが仕事です」
「でも実際には何も・・・」
 ローデンは恥ずかしそうに頭を掻きます。
「先生。失礼を許してくださいね。あなたは確かに執政にかかわる事はあまりしていません。でもどんな組織でも存在する事に大きな意義のある立場、役職はあるのです。そうする事で内外に対して体面を保つ、王妃様の狙いもそこにあったと思います。ですから先生にそれが出来ないとなれば新たに後見人を任命する気運が高まってしまうかもしれない。・・・・でも私は、このままエノレイル先生に後見でいて頂く事を望んでいます」
 それは私情ではなく王妃の判断を信じてと言う事です。ツェーデルだけでなく他の評議員もそうなのです。
 ローデンは自分の力ではどうにもならない自分の立場を思い、背もたれに体を預けて顔を手で覆います。
「う~む」
「お父さん・・・」
 ツェーデルはカーヌに視線を移しました。
「アー様」
「はい」
「実は私たちも予備審理には出席せねばなりません。ドルシェ公爵も諡号の儀式の準備を一時中断して出席なさるそうです」
「中断?・・・では、ドルシェ様もやはりこの件については疑問を感じていらっしゃるんですね?」
「そのようですね」
「わかりました」
 カーヌに頷き返したツェーデルは、エデリカが予備審理に出席したがっている事を察して言いました。
「エデリカさん」
「はい」
「気持ちは分かるのだけど、何が話し合われたのか全て後で話してあげるから、辛いだろうけど待っていてね」
「・・・・はい」
 いったいどうなるのか。不安でいっぱいのエデリカは待つしかできない我が身を歯がゆく思い、力なく頷くばかりでした。










 いつもはしんと静まり返っている深夜の登山道に機械の回転する音や人の声がにぎやかに山間部にこだまします。
 大きなスコップを持った兵士たちが道幅いっぱいに並んで右から左へと雪を掻いていき、一番端の兵士が崖下に雪を落としていきます。そして5分ほどそれを繰り返すと次のグループに交代してまた同じことを繰り返します。
 その人力の雪かきでは完全に除去することが出来ませんが、人の背丈ほどに積もった雪に直接除雪サーリングを投入してもうまく動かないので、予めこうして兵士たちが交代で少し削るのです。
「ほいよ、ほいよ、ほいよ!」
「おいよ、おいよ、おいよ!」
 兵士たちはタイミングを合わせる為に掛け声を口ずさみながら雪を掻き続けます。兵士たちの躰からは湯気が上がっていますがそれは汗の為ではなく霊牙力が発揮される事で体温が上がるためです。

 軍道は幅も広く舗装に使う石も割れにくいものを使っているので除雪用のサーリングがその上を進んでも道が陥没する事はありません。3台並んだ除雪サーリングの前部に取り付けられたドリル状の雪かき器がギュイーンという音を立てて雪を飲み続け、その雪は道の片側の崖下に吐き出されています。
「隊長ぉ!」
「なんだ!」
「もうてっぺんにつきますかあ?!」
「まだ1割ってところだな」
「ひいいい!」
「長すぎる!」
「交代まで我慢しろ!」

 数百人の兵士が5分で交代しているので体力的にはそれほど辛くはありませんでしたが、相手が雪だけに中々先には進めません。彼らはこのまま夜明けまで交代で雪かきを続けるのです。そして夜が明けても別の兵士が同じことを繰り返します。

 交代まで休憩中の兵士たちがテントの中で発熱クリスタルと発光クリスタルの明かりに照らされています。そこへシェルダー大尉がやって来ました。
「ネンダイウス。どうだ調子は」
「大尉。ええ、魔法医に直してもらったからこの通り」
 ぐるぐると腕を回すネンダイウス。すると他の兵士が言いました。
「あれから1週間で越境だもんな・・・それほど国境はやばいんすかね?」
「詳細はわからんそうだ。だからこそ急ぐのさ」
「なんもなけりゃいいなあ」
「そりゃまあな」
「エデリカは元気にしてるかなあ」
 エデリカの名前に小隊の全員が顔を上げます。
「そういや、後見人ってエデリカの父親だろ?」
「絶対なんかの間違いだろ」
「だよなあ。前に一度見たことあるけどそんなことする人には見えなかった」
「ああ、あの時な。みんなに回復魔法してくれたんだよな」
「あれは驚いたな」
「それまでの疲れとかだけじゃなくって、持病かと思った肩の痛みとか腰の痛みがなくなったんだよな」
「いずれにしたってあのカフラーとかいう陰気な委員長は間違ってると思うぜ。人を見る目がねぇんだ」
「エデリカ。悲しんでなきゃいいな」
 場が静まり返り、遠くから除雪サーリングの音が聞こえます。
「そういやもうすぐ近衛になるのか」
 そうだそうだと騒めきます。
「いんや、陛下の嫁さんかもよ」
「まだ早ぇだろ」
「いやいや~わからんぞ」
 みんなが笑います。
 その時テントの入り口が捲られます。
「第一小隊。交代だ!」
 また雪かきです。
 テントを出ると東の空が明るくなってきていました。歩く先を見ればずいぶん作業が進んだ様子が見て取れます。
「よっしゃあ!やるかあ!」
 またしても第一小隊は雑兵を称える変な歌を歌いながら雪かきへと向かったのでした。










 朝早くからある予備審理にはモルドと三賢者が出席することになり、カレラとエデリカはその時間をローデンと過ごすことにしていました。
「そろそろ始まるころね」
 頷くエデリカ。
「まあまあ。そう深刻な顔をするなよエデリカ」
「お父さんのことだよ?もう・・・なんでそんな呑気に・・・」
「エデリカ。確かに誰にも相談せずカフラー委員長についてきてしまった私に落ち度はあるさ。でもね他で誰が騒いでいようと何を言おうと、私が王妃様を救えなかったのは事実なんだ」
 声のトーンを落とすローデンにエデリカは何も言えません。
「王族の解剖は出来ない。それでも死因を特定したのは私だが、実際、その死亡診断が100%正しかったのかと言えば疑問は残るんだよ」
「先生」
「あの時、モルドやツェーデル院長に検死を依頼されて私は憤りながらも診断の正確性に努めた。だけど解剖できなかった事が唯一の疑問を残す原因となってる。そいう言う意味で、この僕の捕縛が王妃様の死因を裏付ける、または新事実の発見につながるなら、私は後見人としてより医者としてこの身を捧げたいと思うんだ」
 ローデンは少し長めに息を吐きだすと、窓の外に視線を移しました。ガタガタと窓枠が音を立てます。
「もう3月か・・・もうじき冬が終わる。そうだエデリカ」
「ん?」
「暖かくなったら陛下とアシア湖に釣りに行こう。その時は頼むよ」
「え?」
 カレラもその話に乗ります。
「そうね。陛下が行くなら私たちもお供しなくちゃね」
「え?」
 何か思わせぶりな二人の言葉にエデリカは笑いながら何だろうという顔をします。
「3月21日・・・あと3週間で17歳だろ?」
 ローデンはほほ笑みます。
「あ・・・」
 17歳。ノスユナイア王国では成人となる年齢です。そしてエデリカが入隊試験に合格すれば、晴れて近衛兵になれる年齢でもありました。
「おいおい、まさかマカタチで満足しちゃったのか?」
「まさか!そんなわけないじゃない!」
「だよな。はははは」
「待ってるわよ。新兵さん」
 エデリカは頬を赤くしてカレラに頷きました。
「よろしくお願いします少尉」
「だけどだめよ。陛下の居室のドアを壊しちゃ」
 ローデンが笑い声をあげるとエデリカは不服そうな顔をしました。
「全くあの時は、5年ぶりぐらいにびっくりしたよ」
「だって・・・」
「あんな分厚いドアが真っ二つになって吹き飛ぶなんて・・・いやホント」
「マリウス長官が悪いんです。私も乗せられちゃったけど」
 エデリカはその事について聞きます。
「あのあとカレラさん暫く帰ってこなかったけど・・・」
「うん」
「事件があったのは確かなの。ただそこに・・・」カレラは声を潜めました。「いたのが委員会の人間だったかは調査中みたい」
 ローデンも少し不安そうにしています。
「次回の王国評議会で報告されるんでしょう?」
「公式にはまだしないって。時期じゃないそうです。でも既に王国評議会議員たちはその事実を知っているんですどね」
 ローデンは立ち上がると窓際へと歩きます。
「私がいなくても評議会は開かれるわけだ」
 エデリカは意外そうにして聞きます。
「出たいの?」
「え?そりゃ・・・」
 ローデンは小さなじょうろを手に取って窓際に並べられた植木鉢に水をやり始めます。
「まあ。今回は当事者だから・・・さすがに門外漢と言えども気になるよ」
 カレラがオヤッと言う顔で言いました。
「先セ?」
「はい?」
「昨日までそんなものありました?」
 そんなものとは窓際に並べられた植木鉢の事です。しかも植木鉢にはサワサワと背の低い草が背を伸ばし、太陽光を反射した水滴がキラキラと光を零しています。
「あ、これ?」
 実はね、と言いながらローデンは本を手に取ります。
「アー様に暇つぶしに持ってきてほしいと頼んでおいた本の中に薬草の本があってね。・・・薬草は風邪とか精神医学に関係が深いから私みたいな魔法外科医にはあまり縁がなかったんだけど・・・」
 ローデンは以前王国評議会で初めて言った意見を話して聞かせました。屈強な兵士であっても戦闘で大きな怪我をすると精神面で弱くなってしまう事がある事を。
「それで、薬草による効能が精神面に効果を齎(もたら)すって書いてあったから育ててみようと思ったのさ」
「へえ・・・」
「どこで苗を?」
「いやこれは種から育てたんだよ」
「え?だって今日からじゃ・・・」
 ローデンは得意げに指を立てて話します。
「ふっふっふ、少尉。ところが民間魔法術でこんなのがあるんだ」
 民間魔法術とは、戦闘魔術とは違い生活に活用される魔術の事です。
「種を植えて、この本に書いてある魔法をかけると、すぐに芽が出てここまで育つのさ」
「へ~」
「ああ、思い出しました。私の養母がそういうのしてたわ・・・懐かしい~」
「ただ効果は植物の種類によってまちまちでね。うまく使わないとカビが蔓延ったり雑草まで育ってしまうから気を付けないといけないらしい」
 ローデンは愛おしそうに薬草を手で撫でるようにして言いました。
「何かを育てるのは楽しいね。これを乾燥させて粉末にすれば立派な薬になる。まさに神の恵みだよ」ローデンはエデリカに近寄ると肩に手を置き微笑みます。
「私の育てたエデリカも成人するし、あとは近衛になるのを待つばかりだ」
「いい薬になれればいいけどね?」
「カレラさん・・・」
「冗~談ヨ♪」
 反国家審問委員会の廊下に、いつもと違う聞きなれない笑い声が響き渡り、偶然通りかかった職員がドキリとして肩をすくめました。










 その頃。
 元老院における王妃殺害容疑の裁判の予備審理はハイノス=ワックノード元老院議員の壇上での宣言から始まっていました。
「予備審理を始める前に、元老院議員諸氏に改めて申し上げておきたい」
 ワックノード元老院議員はライジェンの後ろ盾を感じながら自信溢れる声で議場いっぱいに響くように声を張り上げました。
「此度の後見人であるエノレイル氏の反国家審問委員会による召喚、および謂われ無き疑義による拘束については既に聞き及んでいることと思う」
 議場の議員たちはワックノードの声に耳を傾けています。
「私はこれからこの場にいない人物の話をするが、諸君にはどうか誤解をしないで聞いてもらいたい。私の盟友であるライジェン公爵は、かの後見人エノレイル殿との非常に短いながらも有意義な会話を交わした中で、彼が邪(よこしま)な欲望を胸に秘めるなどありえない人物であると確信するに足る信を見るに至ったと私に語ってくれた」
 議場のあちこちから小さなざわめきが起こりましたが、大きくなることはありませんでした。それを見届けたワックノードは話を続けます。
「ライジェン公はこうも言われた。ここに居る元老院議員諸君の誰もが彼と接する事があれば、私と同じ思いを共有することは決して意外ではなく、想像するにも決して難くない。つまり彼が言いたかったのは、エノレイル氏が王妃様を殺害する事など論外であるということだ」
 力強い感じで言葉を切ったライジェンでしたが、議場からはパラパラと拍手が聞こえただけでした。そのほとんどがおそらく王弟派なのでしょう。
 すると王弟派と対極をなす側の派閥の誰かが立ち上がって口を開きました。
 そのことに議長はマッタをかけなかったので、視線はその男に集まり、彼はそのまましゃべり続けます。
「ワックノード議員。あなたはそう仰るが、何の根拠もなしに反国家審問委員会が動くとは私には思えない。後見人殿には疑いを持たれるだけの何かしらの証跡(しょうせき)があるのではないですか?」
 議場がざわざわとし始めました。
 ワックノードは発言した者に向かって、続いて議場を見渡しながら言いました。
「証跡?なるほど・・・エノレイル氏に何かしら疑われてもやむを得ない事実があるのではないか・・・そういうことですね?・・・それはここにいる誰もが胸中に置いている一事でしょうな」
 そこにいた全員が、頷いたり、議場に来ているカフラーの方を密やかに見たりと様々な反応を見せていました。
 ワックノードは発言した議員を見て。
「あなた方の知りたい事実!」そして次に議場の人々に視線を向けて「『なにかしら』という不明瞭極まりない言葉でこのような理不尽が許されて良いと思われますかな?いや良いはずがない!皆さんいかがですか?覚えのない事を執拗に尋問され、痛くもない腹を探られることに不愉快な思いをしたら、どんなに温厚な人間でも憤るはずだ」
 議場に並んでいる頭がうんうんと頷く様子が波のように見えました。それらは反国家審問委員会から不愉快な思いをさせられた人々だったのかもしれません。
「此度、元老院の召喚に応じてくださったカフラー委員長には感謝の言葉とともにぜひ問いたいことがある。エノレイル殿に疑惑があるというのならばどのような根拠で疑惑を抱くに至ったのかをはっきりと今ここで聞かせてもらいたい」
 最後にワックノードの視線が向かった先は反国家審問委員長ボロギット=カフラーでした。
 全ての人々の視線が一気に議場の左の方にある反国家審問委員会の専用席に注がれます。
 しかしカフラーは目を閉じたまま、身じろぎひとつしません。至って落ち着いたものでした。しかしあまりの無反応に議場内がざわめき始め、それを見かねて立ち上がったのは三賢者の一人、ディオモレス=ドルシェでした。
「カフラー委員長。私も今回のエノレイル殿の捕縛の件については詳しい経緯をあなたの口から直接聞きたいと思っている。それはここに居る元老院議員の方々も同じ気持ちだと思うが・・・。職務上言えないこともあろうし悩ましい気持ちもわかる。だが悪戯(いたずら)に秘密主義を貫くよりもここで反国家審問委員会の総意を君自身の許す範囲で伝えておいたほうが良いと思うのだが、どうだろうか」
 両側にカーヌとツェーデルを控えたディオモレスがカフラーに向かって静かに言うと、閉じていた目を開けてほとんど目だけを動かして議場の全員を見、そして壇上に立つワックノード議員を見ました。
 そしてゆっくりと立ち上がると。、やれやれと言った風に静かなため息をついてから口を開きました。
「三賢者ドルシェ公にご心配をおかけしているとあらば、お応えしましますが、しかし現時点で言えることは・・・・」
 カフラーはわざとらしく小さく咳払いをして話を始めました。
「此度の反国家審問委員会が断行した後見人エノレイル氏に対する嫌疑及び処遇は、国家の危機を孕む大変繊細かつ重要な事項です。例え三賢者であるドルシェ公爵様の情報開示の要望があったとしても、・・・・重ねて申し上げるが、現時点で言える事はこれまでどおり、国王陛下の後見人であるエノレイル氏が王妃殺害容疑者であること、それ以外何も言えません。だがそれであなた方は収まらないでしょうから、ひとつだけ言っておきましょう。私は国王陛下のものであるこの国を守るという使命を果たすために働いている、と」
 ディオモレスがやはりかというようにフウッと鼻から吐息すると、今度はツェーデルが立ち上がって言いました。
「国家の危機とは?あなたの抱いている危機とはいったいなんでしょうか?」
 しかしカフラーはツェーデルをチラッと見ただけでその質問には答えません。それどころか議場が騒然となることを言い放ったのです。
「私はどんなに些細なことでも、国家の危機に類することには目を瞑(つむ)りません。王国を守るという職責を全うする為であれば、万難を排してことに当たります。真実を真実として誰もが納得できる形で言えるようになるまでは、私は決して口を開かない。どうしても、というのなら、情報開示要請を記した国王陛下の委任状なり、命令書を提示して頂きたい。そうでなければ反国家審問委員会の長である私はいかなる質問にも何も答えない」
 この一言で王弟派を中心とした十数人が立ち上がって口々に非難し始めました。
「国王陛下がまだ政治的決断など出来ないのを知っていての発言か!あなたには羞恥心と言うものが無いのか!」
「カフラー委員長は道義的にもエノレイル氏への疑惑を抱くに至った事実関係を答える必要がある!今ここで!!」
「委員長は職権を濫用している!言動も行状も独裁的だ!貴公こそが我が国の危機の要因ではないのかね!」
「あなたは陛下より与えられた権限を濫用している!」
 議場は一気に怒号の嵐に包まれ、議長の木槌が鳴り響きます。
 ワックノードがとりなすように同派の人々に手を挙げ、ようやく収まると。
「委員長。あなたは裁判を行うと言われたが?」
「ええ、それが何か」
「私の友人はエノレイル殿の弁護人を引き受ける、いや、弁護人をするつもりだと言っておりました」
 ワックノードの発言にカフラーはさして驚くふうでもなく、ただじっと彼を見つめただけでした。
「ではあなたのご友人にお伝えくださいワックノード議員。裁判では是非とも公正に弁舌を戦わせたいものです。とね」
「・・・」
 まさに四面楚歌の中でのカフラーの落ち着きようはワックノードには不気味でもありました。常人であればこれだけの圧力に縮みあがるか、少なくとも怯むか臆するかするものなのに、カフラーは全く動じないのです。決定的な確証でも掴んで裁判で勝てる自信があるのか、ワックノードならずとも誰もが思いました。しかしカフラーの胸中を見透かすことなど誰にも出来ません。
「いいでしょうカフラー委員長。・・・だがしかし、もしも裁判で負けた時に、どのように責任を取られるおつもりかな?」
 ワックノードの言葉にカフラーはどう答えるのか。議場が一瞬張り詰めた空気に包まれました。
 しかしそれを聞いたカフラーは口元に僅かに笑みを浮かべたのです。
「責任?ワックノード議員。私は既に責任を取っていますよ。ライジェン侯爵のご友人ともあろうお方の言葉とも思えませんな」
 ワックノードは訝しげな顔で。
「どう言う意味かね?」
 一秒にも満たないホンの僅かな沈黙でしたが、その時ワックノードはカフラーの目に呆れたような色が浮かんだのを見逃しませんでした。
「・・・私は先ほどこう申し上げた。私は国王陛下のものであるこの王国を守るという責任を果たすために働いている、と。そして裁判には公正を持って臨むとも明言しました」
 ワックノードはいったい何を言い出すのかという表情になるのを見てからカフラーは口を開き話を続けます。
「後見人であるエノレイル医師への疑惑が晴れようが晴れまいが、私の行動によって結果として王国が守られたのならば、反国家審問委員会の長として、責任を全うしたと考えるのが当然ではないですかな?」
 この言葉にはワックノードも元老院議員たちも反論できずに渋面を作る事しかできませんでした。
 カフラーの言ったことは事実以外の何者でもないということだけでなく、反国家審問委員会は国王の直属機関で基本的に国王以外からは干渉されない組織であるという事を思い出させたからです。

 そこにいた全員がカフラーに与えられた特権を実感し、それに従うならカフラーの言っていることは正否は別としても筋は通っている、と思い始め、そして直後に、これまで同様、背筋に冷水をかけられた気持ちになった議員も少なくなかったのでした。
 ここでカフラーに敵対すれば後でとんでもない仕返しを食らってしまうかもしれないと恐れる議員さえいたのです。
 カフラーはざわめいてはいるものの何も反論できないでいる元老院の議員達を前にこう言い放ちました。
「これ以上申し上げることもありませんので、失礼させていただく。何かと忙しい身なので。では・・・」
 席から立ちあがり、三賢者、元老院議長席、元老院議員席の順に会釈をしたカフラー。
 議場を後にしようとする彼に捨て台詞のような怒号がいくつか響きましたが、それらを彼はまるで意に介さず数人の取り巻きのうちの1人が開けた議場の出入り扉をくぐって出て行ってしまいました。
 「予備審理」という名目ではあったものの、カフラーを追いつめるはずだった元老院議員たちのささやかな謀略は、標的が元老院議会閉会の宣言も待たずに議場を出て行ってしまうという結末を見、面目丸つぶれの哀れな返り討ちという幕切れに失敗と相成ったわけです。
 しかしカフラーを追い詰めるはずだった元老院議員たちは鼻先に審問委員会の”特権”という剣をやんわりと突きつけられ、これ以上の審理続行不可、すなわち会議の事実上終了を意味していたのでやりどころのない怒りに震えるか、喉を唸らせて憤慨するかしかできなかったのです。

 カフラーが出て行ったあとの議員たちの、特に王弟派議員の剣幕は凄まじいものでした。
「ワックノード議員!あの者の態度なんとも赦し難い!」
「まったくです。いくら国王陛下直属の特別機関の長とは言え、あまりにも度を越しています」
「いったい自分を何様と考えているのか!」
「独裁者気取りめ!」
「元老院議会に対する侮辱だ!赦せん!」
「ここは元老院議会でカフラー委員長を権力濫用という名目で提訴してはいかがだろうか?彼とて国王の臣下のひとりにすぎない。我らと何ひとつ変わらないということを思い知らせてやらねば!」
「その通り!奸臣に鉄槌を!」
「そうだ!そうだ!」
 ワックノードは息巻いている同派の者たちの様子を厳しい表情で見ながら鼻息を吐き出しました。
 確かにカフラーの態度には許容でき兼ねるという思いもありましたが、王弟派の議員たちの中にもカフラーから弱みを握られるのを恐れている議員も何人かいて、それらが比較的大きい発言力を持っている中堅議員だったこともあり、声を上げる議員たちにワックノードは何も応えられませんでした。
 寧(むし)ろ彼はそれよりも、先ほどカフラーの発言にあった一事に苦悩していたのです。

 国王の委任状。

 亡き前国王の実弟であるライジェン侯爵の力と立場を持ってすれば現国王であるアレスからそれを取り付けるのは難しいことではありませんでした。しかしワックノードはライジェンがそれを望むかと自問すれば否と自答が返って来たのはライジェンという人物の人となりを彼がよく知っていたからです。なぜならワックノードはライジェンの置かれている状況もよく理解していたのです。
 仮に委任状を手に入れてカフラーを追い詰めるという強硬策に出れば、アレスから、つまり国王からの特別な配慮を受けられる立場であることを自ら顕示することになってしまいます。それを元老院との接触を禁じられているにもかかわらず自派の権力増大のために国王懐柔を画策しているのではないかと、他派閥の議員たちから糾弾されることはもとより、国家転覆の疑いを反国家審問委員会に持たれてしまったら、今回の件で味方につけておきたい勢力をも敵に回してしまうかもしれないのです。そうなれば逆にこちらが追い詰められかねない。
 もしかすると後見人の裁判が公正に行われなくなってしまう怖れもある。そんな思いが脳裏をかすめると、ここは慎重に行動しなければならないと同派の者たちをなだめるしかありませんでした。
 三賢者たちもカフラーの態度には困惑させられましたが彼の言を信じるのなら、彼も自分たちと同じく国王を補佐し王国をより良い方向へ導こうとしているのです。
 いずれにしても元老院は予備審理に名を借りた査問を出来はしたもののカフラーにひと太刀も浴びせられずに終わったのでした。










 元老院の議場を出たモルドとツェーデルは城壁通路へと上がり、前方にディオモレスとカーヌが何か話しながら歩いているのを見ながら並んで歩いていました。城壁通路を歩いていけば王城の第3層へ入ることが出来、そこは近衛隊の兵舎兼常駐階層なのです。
「やはり予想したとおりだったな」
「ええ・・・ですが・・・」
 ツェーデルはそう言って軽く握った拳を口元に当てました。モルドはそれに自分が気がつかなかった何かに彼女が気づいたのかと幾分期待を込めた顔をします。
「どうかしたのか?」
「確かに落ち着き払ったあの態度はエノレイル先生の容疑に確信があるようにも思えましたが、でもマリウス長官が言っていたエノレイル先生の容疑に関連する情報が皆無という話と考え合わせると・・・」
「はったりか?」
「いえ。はったりといったような事をあの方がこんなふうに使うのは少し疑問です。ただ少し気になるんです」
「どういうふうに?」
 ツェーデルはしばらく考えてから。
「カフラー委員長のらしくないというか・・・モルド大佐も感じませんか?」
「・・・」
 モルドは好意を持っていない人間のことはあまり深く考える方ではなかったのでツェーデルの問いかけに少し戸惑いましたが、たったひとつ思い当たる答えがありました。
「万全を期す・・・」
「ええ。万全を期するのが委員長のいつものやり方なのに、ワックノード議員に対する受け答えはまるで煙(けむ)に巻こうという・・・そういう意図が見え隠れしていたように思うんです」
 らしくない。モルドは頭の中でそう繰り返します。
「何かを掴んでいたなら・・・もしも今までの委員長なら、有無を言わせずこんな査問じみた・・・元老院議会の予備審理召喚などには絶対に応じないというのがあの方らしい行動だと思うんです」
 モルドは何度か頷きました。
「ん。私もそれには同感だ。だがこうして召喚に応じてあの態度・・・」モルドはわざわざ来てすぐ帰ったという行動から推測しました「なにか・・・何かを確かめにきたのか・・・」
「確かめる・・・つまり元老院が今現在どんな情報を持っているか・・・」
「ん。どう思う?」
 ツェーデルはたった一つだけ思い当たることがありましたが、それはモルドも同じでした。
「チピア港でのあの事件・・・」
「そうだ。マリウスがチピア港で起こった諜報員殺害時にそこにいたであろうオルレゲン議員が行方不明だと言っていたが、そこに委員会の人間がかかわっていた可能性があると言っていた。・・・それを取りざたされることを予測して召喚に応じた・・・とは考えられないか?」
 ツェーデルは遠くにかすむアシア湖を見ながら思考を巡らせます。
「それを知られていたら委員会にとってまずい事だという事かもしれんな・・・だがどうして・・・」
 ふと前を見ると王城の三層目の入り口に立っているディオモレスとカーヌがこちらを見て待っていました。
「ツェーデル院長。私は諡号の塔へ戻る。どうも雲行きが怪しいが二日後の王国評議会でチピア港の事を提議して委員長から説明を聞こう。後見人殿の事はそれまで騒ぎ立てるのはやめておこう。では失礼するよ」
「ご苦労様でした」
 去り行くディオモレスに頭を下げた3人のうちカーヌは。
「私はエノレイル先生のところに行ってきます。皆さん予備審理の結果報告を待っているでしょうから」
「お願いします」
 ツェーデルとモルドはそのまま王城の第三層にあるモルドの執務室へ向かいます。
 部屋に入った二人は先ほどの続きを話そうとしましたが、モルドが突然ツェーデルを庇う様に腕を上げます。

「誰だ!」
 部屋の奥にある書棚の影に気配を感じたのです。
 モルドは腰の短剣を引き抜いて身構えました。
「姿を現せ!」
 モルドの後ろでは両手に魔方陣を浮かび上がらせたツェーデルが控えています。
「先生待って!」
「すみません!」
 誰もいないところから声だけが聞こえましたが、そこの空間が揺らめくとにじみ出るように人の姿が現れました。
「まあ。ロデル・・・あなたたちいったい・・・」
「お前は・・・確かロマの・・・ガーラリエル閣下の・・・」
 レンもロデルも敬礼して姿勢を正しました。
「レン=スールであります」
「ロデル=メイラードです。無礼をお赦し下さい」
 モルドは探検を鞘へ納め、ツェーデルは魔方陣を握りつぶすように元素へと昇華させました。
「貴様たち。どういうつもりだ。まさか国境任務を放り出して帰ってきたのではあるまいな?」
「違うんです大佐」
「これを!上官からの指令で大佐に伝言を預かってまいりました!」
「伝言?お前たち伝令兵なのか?」
 モルドは封印された封筒を受け取り表裏と眺めます。
「まあ事情は後で聞くとしましょう大佐。さああなたたちもお座りなさいな」
「ありがとうございます先生」
「お久しぶりねロデル。お元気でしたか?」
「はいおかげさまで、上官に悩まされてますけど元気です」
「おい・・・」
「だってホントの事じゃない。おかげでこんな目にあってるんだから」
「それにしても二人とも、よく山越えできましたね」
 レンはロデルを見て言いました。
「メイラード曹長のおかげです」
「あら?感謝してくれてたんだ?」
「・・・お前、言葉に棘がありすぎ」
「でもいったいどうしてそんな危険を冒してまで伝言を・・・」
「それはですね、私たちの上官であるコーレル大尉が・・・」
 するとモルドが呆れたように封を切った封筒をもってやって来ました。
「お前たち。コーレルの命令で来たんだな?」
 レンとロデルは椅子から立ち上がります。
「そうです!」
「大佐。手紙にはなんと?」
 モルドはため息をついて手紙を渡しました。
「読んでみろ」
 二人は内容を見て本当にがっくりとしました。そこにはたったの2行だけこう書かれていたのです。

 ”モルド大佐へ。国王陛下及び王妃様のご逝去について本当のことをお知らせ下さい。ガーラリエル閣下もそれを望んでいます。 第八師団第一旅団第一大隊長ナバ=コーレル”

 ふたりとも椅子にヘタっと座り込んでしまいました。
 もうちょっと何かないのか。
 もっと具体的に。
 ホントの事って・・・。
 たった2行。宛名を入れても4行の手紙を渡すために命懸けで冬の山を越えたのだと思うと、虚しさでいっぱいになります。
「・・・帰るか、ロデル」
「そうね・・・そうしよう」
 ロデルは悲しそうに笑っていました。
「いったいどういう事なんだ。説明しろ」
 二人は国王崩御と王妃の逝去が連続するという異常事態に本国からの報せが果たして真実なのかどうか不明瞭であることから不信感をつのらせてしまっているロマを見たナバが、ロマが帰りたがるには相応のわけがあるのだと思い込み、自分たちに命令したのだと説明しました。
「あのバカ者め・・・派兵任務を何だと思って・・・」
「待って大佐」
 モルドを制したツェーデルは。
「あなたたちここへ来るまでの間誰かに姿を見せましたか?」
 レンが答えます。
「いえ。一応隠密という事で命令を受けましたから・・・」
 ツェーデルがホッとしたように頷きモルドが答えます。
「ならいい。・・・しかし」二人を交互に見て。「来てしまったものは仕方ない。すぐに帰れとは言わん。但し、私がいいと言うまで第八師団の兵舎に身を隠しておけよ。こんなことが知れたら他の師団の元帥たちに何を言われるかわかったものじゃないからな。だがこのことはガーラリエル元帥には報告するぞ」
「・・・懲罰決定ですね」
 レンがやれやれと首を振りました。
 ロデルがため息交じりに、あぁ、と気が付いた感じで言いました。
「では大佐。来たついでに聞かせていただけませんか?」
「なんだ」
「例のアカ族のことです。調査は進んでいるんですか?」
「アカ族の調査?何の話だ」
 モルドの様子にレンもロデルもいぶかしげな表情をし、ツェーデルもまたロデルたちに同じような表情を向けたのです。
「え?」
「大佐。ガーラリエル閣下からの手紙。受け取って・・・おられますよね?」と、レン。
「手紙?元帥から?」
 レンはロデルと目を合わせました。二人の様子があまりにも深刻そうだったので、モルドは立ち上がって聞き返しました。
「ロマが私に手紙を寄越したのか?」
「え、ええ。第七師団にアカ族兵士が編入されていて、その事についてドリエステル閣下からは何の説明もなくて・・・」
「第七師団にアカ族だと?」
「受け取っておられないのですか?」
 レンは怪訝面持ちで不安そうな表情のロデルと顔を見合わせると、ロデルは不穏な空気を感じて緊張した口調で言いました。
「第七師団へのアカ族編入に不審な点がないかガーラリエル少将が大佐に手紙を書いて伝令兵に託したんです。そしてその返事が南回りの普通郵便で届いたと・・・私たちはコーレル大尉からそのように聞いて・・・」

 モルドは返事をせずツェーデルを見ます。厳しい表情で目を泳がせてからすぐに低い声で言いました。
「そんなものは受け取っていない。返事だと?本当に私からの返事だったのか?」
「そんな・・・」
 何かの手違いかとそこにいた全員が思いました。
「内容をもっと詳しく話せ」
 レンとロデルは順序を整理して話を始めました。まず手紙の内容にしたためられていたであろう内容はドリエステル元帥指揮下の第七師団にアカ族が少なくとも数名いた事。それを不審に思ったロマがモルドに手紙を書いてその事について調査をお願いした事。そして大佐からの返事を間違いなくロマが受け取っている事です。
「閣下は国王陛下に続き王妃様が亡くなられた時に余程帰国したかったのか、冗談でしょうが、コーレル大尉に自分の代わりに元帥をやってくれと言ったんだそうです」
 元帥でなければ帰国も許されるのに、という意味だと考えたナバ=コーレルがロマを安心させようと、大佐から直接情報を聞き出すために自分たちを帰国させたと説明します。
「メイラード。スール。閣下が私に手紙を出されたのは厳冬期に入る前だと言っていたな?」
「はい」
「正確にはいつだったか覚えているか?」
 二人はすぐにあ、と言って応えました。
「隊商警備試合の時だ」
「11月の中旬ね」
「確かに冬季前だな・・・受け取っていない手紙に返事など・・・何かの間違いじゃないのか?」
 モルドはうーんと唸って腕を組みます。
「そんな馬鹿な。・・・直接聞いたわけじゃありませんが手紙の件は懇意にしているゼン中佐から聞き及んでいたのはおそらく間違いないかと思いますし・・・ゼン中佐にしてもアカ族の件については旅団長クラスの会議で聞いたのでしょうし・・・」
 レンもロデルも少し不安になって来ました。
 確かに少佐以上の士官で行われる会議にナバは出席しません。ただかなり確実度の高い推測として会議で話し合われた内容をゼンの直接の部下であるナバに口頭で伝えるのは全く不自然ではなく、その折に手紙の事も伝えられたと考える方がむしろ自然です。
 第一王妃が亡くなったという報せの時はロマのそばにナバがいたのは確実なのです。
「大佐」
「ん?」
 ツェーデルが紙とペンを要求し、それをテーブルの上に置いてさらさらと何かを書き始めました。
 それを見たモルドは目を見張ります。
「これは・・・」
「たんなる偶然・・・とも言えますが・・・」


11月上旬 第七師団にアカ族入隊発覚
11月中旬 ガーラリエル少将の密書モルド大佐へ 到着せず?
12月上旬 モルドから返信あり
12月中旬 国王陛下ご逝去
1月中旬  王妃殿下ご逝去
2月下旬  チピア港事件


 何かがひと月ごとに起こっているのをモルドは改めて認識しました。
「先生。チピア港の事件ってなんですか?」
 ツェーデルが説明するとロデルとレンが驚きます。
「そんなことが?」
「まあ細かい部分でわからないところもありますから、一概にこれらの事象が繋がっているとは言えませんが・・・」
「でも怪しむには充分です」と、レン。
「また謀略論?」
「ロデル。お前はそういうけど、チピアでは人ひとり死んでるんだぞ?おかしいよこれは絶対に。何かあるっ」
「何の話だ?」
 ロデルは少し面白がった調子で言いました。
「スール曹長は山越えしている時から言ってるんです。陛下はともかく王妃様の亡くなり方はおかしい、きっと何かの陰謀が進行中で、今頃国が無くなってるかもしれないって」
 笑いどころと思っていたロデルでしたが、あまり反応が良くない事に少しドキリとしました。
「あ、の?」
 ツェーデルは複雑な表情をしてロデルに言いました。
「確かにスール曹長の言う事は大袈裟ね。ただロデル、現状では笑ってやり過ごせないのよ」
「まさか・・・」
「ロデル。お前たちはまだ知らんのだな。実はチピア港の事件の後、後見人が反国家審問委員会に捕縛された」
 この言葉にロデルとレンが真っ先に考えたのは、後見人=謀反人です。
「こうけ・・・え?エノレイル先生が?」
「あの人がまさか・・・謀反人・・・」
「それはない」
「じゃあなぜ反国家審問委員会が捕縛なんて・・・」
 ツェーデルはつい先ほど終えた予備審理の事も含め、この容疑には不審な点がいくつかある事を説明しました。
「実はな、マリウスがこう言っていた」

 ”誰かが何かを企んでいて、今の状況こそが目的なら、目的は遂げられている”

 レンはマリウスが言いそうな言葉だと言ってから状況を理解しようと座り、腕を組みます。それと対照的にロデルはすぐに顔を上げて言いました。
「先生、大佐、まずはガーラリエル閣下が出した密書の行方です。まずは手違いがないか国務院に問い合わせをした方が良いと思います」
 言われた二人は頷きます。
「そうね。まずはそこから調べましょう。それと誰が大佐を騙って返事を出したのか」
「そうだな。返事の内容は知っているか?」
「確か・・・調査の件了解とかなんとかですごく短い内容だってコーレル大尉が言ってました。もらった手紙の内容がわからない返事の仕方が大佐らしいとも」
 ツェーデルが不信をあらわにします。
「変ですね。内容が単純ならたとえ盗まれても詳しい通信内容は漏れないでしょうが、まがりなりにも司令官が出した密書に対する返事が普通郵便なんてありえない」
「そうだな。12月上旬なら山越えは難しくなっているはずだな。南回りの郵便か・・・」
 誰かがロマの出した手紙を盗み、モルドを騙って返事を出したのです。
「そうなると、もうひとつ探さなければならないものがありますね」
「なんですか?」
「手紙を持ってきた伝令がどこへ消えたかです」
 通常、密書の返信は持ってきた伝令に託されます。しかし返事が普通郵便なら、ロマの出した密書を携えた伝令はどこへ消えたのか、越境して第八師団に戻っているのか、そうではないのか。ロデルは初めてこの件で不気味さを感じました。
「そうか・・・」
「あ!」
 声を上げたレンを3人が見ます。
「大佐。わかります!最初の・・・消えた密書を持って行った伝令!」
「誰だ?」
「第二旅団第二大隊所属の第三小隊のエントレ=クダーフです」
「なぜそれを知ってる?」
「それは、ええと自分たち第一旅団第一大隊の伝令の、ロデルも知ってるだろエリヤ=ムラーノ」
 訊かれたロデルはすぐに相槌を打ちました。
「ああ、彼ね。ムラーノから聞いたの?」
「ん。ただその時はこんな大事(おおごと)とは思いもしなかったから、その時の話が面白くて覚えてたんだ」



・・・・・・・・・・・



 レアン共和国 派兵軍兵舎の娯楽室。
「なあレン。この前の話は無しになった。すまん」
「なんだエリヤ。任務外されたのか?」
「いや。外されたんじゃなくて、志願って事になって、立候補しようとしたら他の旅団のやつがどういうワケかすっげーやる気出しちゃって、勢いに負けたっつーか」
「へえ。変な奴だな」
「そう思うよな?普通なら」
「まあ、本国に戻るのは正直面倒だもんな」
「だろ?それが一歩踏み出して手を挙げてこうだぜ」
 ”ぜひ私にご命令を!必ずやり遂げ、ご満足いただける結果を残します!お任せください!”
「そこにいたみんなが唖然としてたよ」
 デルマツィア参謀すら口を開けていたと聞いてレンは笑います。
「そりゃ見てみたかったな。ははは。だれよそれ」
「俺もちょっと気になって訊いてみたんだよ。奴と同じ大隊の一人に」
「で?」
 ひそひそ声になります。
「それがなんだかやばい奴みたいで、鼻つまみ者っていうか、嫌われ者っていうか・・・」
「どうゆう事?」
「まあわかりやすく言うと、軍務には忠実なんだけど協調性がない。ちょっとした冗談も通じなくて怒り出す」
 軍人にとって協調性は必須です。それがないとなれば嫌われたり敬遠されるのは当然でした。
「なる・・・」
「しかも協調性がないだけならまだしも、それまで支障なく遂行されてきた決まりや物事を自分が良いと思った方法や考えで勝手に変えちまって、上官からよく叱られてたって話でな」
「変えたいなら正式に申し出ればいいものをなんで・・・」
「さあ。しかもここからがますます変な奴でさ。いったんは叱られて改めるみたいなんだが、同じようなことを何回も繰り返すんだってさ」
「ええ?まさかそのたびに叱られて?」
「ああ、叱られては改めるの繰り返しが何度もあったんだけど、反省はしてなかったみたいだぜ。叱られた後に”あの人はわかってない”みたいな批判をするんだと」
 上官の悪口ぐらいなら誰でもいう。レンはそう思っただけでした。
「でもさ。俺たちだってあるじゃん。上官のいう事がおかしいとか、こうすればいいのにとかさ」
 あるある。あの大尉の命令にはよくある。とレンはナバの顔を思い浮かべます。
「クダーフは上官には従順って言ったろ?」
「うん」
「だが、あんまり評判の良くない上官にも卑屈なほどに従順なんだよ」
「どうして?」
「そうやって上官の自分に対する心証をよくしておくのさ」
「ゴマすりか」
「そんな生易しいもんじゃない」
「ええ?」
 興味を覚えたような顔のレンを見てムラーノは苦々しくニヤッとしました。
「クダーフの奴は自己主張が強いんだけどその主張が破綻してるんだ。そして自分で気づいてない。だから叱られては改めてが繰り返される」
 レンは頷きます。
「である日の事なんだが、俺の知り合いが奴の主張を受け入れて奴の言う通りに作業をしたらしいんだが、3倍疲れたってこぼしてた。当然そんなやり方はどんなに力説されたって誰もやろうとはしない。そう言う事ばっかりしてりゃ誰も言う事なんて聞かなくなる」
「だな・・・それでまた叱られるのか?」
「ところが、取り入っていた上官にこの話を予めしておいて、文句を言われたらこう言うんだ”●●少佐の了解を得ている”とか言って反論を突っぱねるんだ」
「うわ、めんどくせ」
 虎の威を借る狐。レンはその言葉以上に胸に嫌なものを感じました。
「でもさ、そういうことが続くと必ず何処かの誰かがその上官の更に上の直属の上官に苦情が行って、クダーフの奴がおかしくしちまったことがまた元に戻る・・・なんて事が何度もあった」
「そりゃ嫌われるなあ・・・」
「食事当番の時が一番嫌われてたな。普通にやらないから準備の時間が2倍になったって同じ当番の連中が恨むなんて毎度の事だった」
「あらら」
「自分のやり方が一番で他のやり方は一切認めないんだ。強情と言うよりあれは偏執的で・・・ああ、あと人が失敗した時に鬼の首を取ったように非難して、非難合戦始めたり、まあとにかく人を怒らせるのがすげぇうまかった」
「ははは」
「笑い事じゃないぜ。・・・だから奴は所属小隊を何度も転々として、自分で自分の評判を落としまくって、終の棲家が伝令兵だったんだと」
 終の棲家。しかしレンはすぐに疑問を口にします。
「でも伝令役って期間任務だよな?」
「ああ、ところがそれにも話があってさ」
 伝令任務は秘匿性が強く精神的に疲れるため、3か月毎の交代任務になっていました。
「あいつは自ら志願して、もう1年も伝令役をやってる」
「マジか。居心地よかったのかな?」
「さあな。ただこういう派兵任務の場合の伝令役って国境とレアン本国間の連絡係ぐらいだろ?それほど負担にはならないんだけど、あいつはいっつも率先して伝令に志願してるんだとさ。一人でやれる仕事が好きなんじゃないの?俺は御免だけど」
 ムラーノは大隊毎の単独伝令では殆どクダーフが伝令役をしていたとも言いました。
「孤立してたんだな」
 そう言ったレンにムラーノはこともなげに肩をすくめます。
「自業自得さ」
「で、ムラーノも奴に役を譲ったって事か」
「いや、初めてあいつ見たときからなんかメンドクサイ奴だって感じてたから、そんな奴と仕事の取り合いなんてしたくなかった。そんで調べてみたらそんな奴だってわかって自分の判断の正しさを噛みしめたってわけさ」
「ムラーノ。まさかお前、行くのが急に面倒になったからじゃ・・・」
「バカ言うなよ」
「ホントか?」
「ホントだって。俺だってレンの頼みごとがなかったら遠慮してたけど、約束は約束だからな。お前のママンへの手紙をもって行ってたさ」
「そういう言い方するな」
「でもどうかと思うぜ。いくら検閲を免れたいからって、ママンへの手紙なんて」
「あのなぁ、何度も言ってるけど。うちの母親がそろそろ結婚しろって見合い写真送りまくってくる恐れがあるからそれを止めるために・・・」



・・・・・・・・・・・・




「へえぇ。お見合い写真ね」
「そこはどうでもいいだろ」
 ロデルがニヤッとするとレンは状況説明のためにやむを得ずしたまでと反論します。
「じゃあこれから行ってくれば?ママンのところに」
「~~おま・・・」
「ええいもういい。やめろふたりとも」
 モルドが二人の言い合いを止め、ツェーデルも呆れたように額に指を置いています。
「問題のある兵士だったようですね」
「クダーフだな。そこまでわかっているならやることはひとつだ。レアンに帰る前に貴様たちにひと仕事してもらうぞ」
 仕事と聞いて二人の若者の表情が引き締まります。
「第八師団の兵員名簿を盗み出してこい」
 それを聞いた3人が驚いた表情を見せました。
「ぬす・・・」
「大佐?」
 モルドは落ち着いた声で続けて言いました。
「兵員の名簿を公式に要求すれば入手は可能だが、理由を探られると厄介だ。これからの行動は全てにおいて秘密裏に行う方が無難と考える」
 確かにそうかもしれないとツェーデルは思いましたが。
「でも大佐。もしも発覚したらその方が面倒なことになりますよ?」
「いやそんなことにはならない。私の執務室に忍び込んで長時間潜み続けていたんだ。この二人なら出来る」
 鋼鉄のモルドに太鼓判を押されたロデルもレンも喜んでいいのか心境は複雑でした。
「潜ってもらうのは国務院の軍管理室だ」
「国務院・・・」
 レンは諜報員だった頃の記憶を辿って、あああそこかと思い出していました。
「そこから名簿を盗み出せば?」
「いや。盗むのは情報のみだ。現物は持ち出すな。足が付く。書き写して来い」
 確かにその任務ならミノーの使い手であればうってつけです。
「何を調べるんですか?」
「名簿には兵士の現況が書いてある。それを見てきてほしい」
「現況?」
「お前たちも知らんのだろう?クダーフがレアンに戻ったのかどうか」
 レンたちは頷きます。
「私を騙った偽手紙が普通郵便でレアンへ行ったのなら、クダーフはもしかすると殺された可能性がある」
「え?!」
 不穏な言葉に場の空気が凍り付きます。
「返事を持って行かせる相手に偽の情報を持たせるとすると、その偽の情報を与えた者が伝令兵に知られてしまう。もしも良からぬことを考えているのなら、それは避けたいと考えるのは至極当然だ」
 たしかにその通り。レンは頼まれた任務の重みをこの時になってようやく感じました。
「わかりました。でも管理室のカギが閉まっていたら?」
「レン。あんた元諜報員でしょ?カギぐらい開けなさいよ。針金で」
「あそこのカギは特別仕様なんだよ」
「へえ。どんな?」
「お前も良く知ってるだろ?魔法圧錠だよ。しかもカギそのものに魔法印が施してあって、決まった魔力と魔法圧の組み合わせでないと開けられない」
「組み合わせって・・・ずいぶん厳重ね。名簿程度に」
「名簿以外にも重要書類とか保管してるんだろ」
「でも魔法圧錠か・・・その情報から盗まないと」
「無理だね。それは三賢者が管理して・・・って、あわわ・・・」
 ツェーデルは仕方ないという風に頷きました。
「ええ。私が複製を造ります。それを使いなさい」
 三賢者がそのカギに魔力と魔法圧を設定する事をレンは知っていましたが、目の前にいる人物を見てバツの悪い思いをします。
「これでここにいる全員が共犯者って事ね」
 ロデルの言葉がまるで結束の誓いに聞こえました。
「いいかスール曹長、まだ確定したわけではないが、もしこれが意図的に行われた事なら、それを画策した者に対して先手をとる事になる。くれぐれも油断するな」
「手紙を盗んだ者はあなたがたが山越え不可能なこの時期に帰国してくるということは想定していないと思います。おそらくまだ知らないでいるでしょう」
「はい」
「絶対に姿を晒さない事。いいですね?」
「はい」
 モルドはツェーデルの言葉を受けて腕組みをします。
「それにしても・・・怪我の功名だな。バカな命令をしたコーレルのしたことも全くの無駄ではなかったということか」
 ナバのしでかしたことに皆が苦笑いを浮かべ、場の雰囲気が和んだところでレンが言いました。
「それにしてもガーラリエル閣下は何故ドりエステル閣下に直接アカ族編入の理由を聞かなかったんでしょうね?」
 ツェーデルがそれに応えます。
「有事において兵力の現地調達は司令官権限で可能です」
「それはそうかも知れませんが、有事でもないし・・・現地と言ったってレアンでアカ族ですよ?」
「そうね。でもアカ族がレアン共和国に滞在してはいけない理由はないですし、有事であるか否かは微妙なところですがは違法とは断言できない。
 そしてだからこそドりエステル閣下の気性を考えると、アカ族と言う異種族編入について直接問い質(ただ)せば”言いがかり”と捉えられかねず何を言われるかわからない。・・・おそらくガーラリエル少将はこれから1年を共に過ごさねばならない難物との付き合いに配慮してモルド大佐を頼ったのだと思いますよ」
 レンがそれに相槌を打ちます。
「なるほど・・・だとするとドリエステル閣下は手紙のことに感づいて、伝令を脅すとか買収するとかして手紙を奪ったのかも」
「まさか・・・なんの為よ」
「それは・・・わからないけど、ドリエステル閣下自身後ろ暗い思いがあれば・・・。それにアカ族と言えば勇猛で戦力としてはかなり期待できるし・・・入隊させて隊商警備とかで手柄を立てさせて既成事実作っちまえば、言い訳なんて後で何とでも言えるだろうし・・・」
 何となく納得できない顔をするロデル。しかしモルドは違ったようです。
「ふむ・・・そういう考え方はマリウスに倣ったのか?」
「い、・・・いやまあなんというか・・・」
「だが確かにアカ族が手柄を立て国家に貢献したとあれば、陛下も評議会も無下には出来ん」
 功名心ゆえの行き過ぎというのは時折あることで、人より一歩抜きん出るには異例なことにも臆さない度胸が必要なこともあります。
「ですよね?」
 それに対してロデルが呆れたような顔でいいます。
「ま、それなら国は亡くならないものね?」
 ロデルの言に指をさして威嚇するレン。
「暗殺だとか言ってたわよね?」
「・・・」
 レンはモルドに縋るような感じで言いました。
「大佐。エノレイル先生が謀反なんて大それたことをしない事はわかりますが、その反国家審問委員会の先生捕縛の前に、不穏な噂とか、怪しげな動きに対する推測などはなかったのですか?
 自分は諜報部にいたからなんとなくそんな風に考えてしまいがちですが、あまりにも不自然なお亡くなり様に疑問を感じてしまって・・・おそらくガーラリエル閣下も自分と同じような納得できない気持ちになったから帰りたがったんだと思うんです」
 モルドは公的には解決済みの事だけに微妙な表情をします。
「自分自身そういう推測はしなかったと言うと嘘になる」
 やっぱりと言う顔をするレン。
「だからお前の言うように謀殺や暗殺の可能性も視野に入れていたことはあった。だが担当医であるローデンが病死と診断し、その時の状況もそれを裏付けるものだったのだ」
「そうですか・・・」
「確かに王妃様はお亡くなりになるには若すぎた。しかし陛下がお亡くなりになってからそれまでの日常が一変してしまい、心労の増大など生活環境の激変に伴って精神的負担が増えたことは事実だ。それが原因かどうかは別にしても王妃様のお体にそれらが影響しなかったとする方が不自然だからな・・・」
 少しの沈黙のあと、ツェーデルがさみしそうな笑顔と共に付け加えました。
「唯一救いがあるとすれば、陛下も王妃様も苦しまれた様子が全くなかったことです・・・」
 近衛であるモルドや三賢者のツェーデルがどちらの死にも臨在していたことは考えるまでもなく、ロデルとレンはいつも厳しい顔をしている彼らの表情に一抹の寂寥感を見て取ると、遠隔地にいた時と違って事実がひしひしと我が身を苛むことを感ぜすにはいられませんでした。
 国王の死。
 間を置かずに王妃までもが身罷(みまか)られるという突然すぎる異常な事態。
 国王に近ければ近いほどその者の持つ悲しみの深さはいや増していくことを眼前で見せられると、ただの情報としか考えていなかったガーラリエル元帥が帰りたがったという事実が、にわかに生々しく、実感を伴って胸に迫りました。
 あの時兵士たちの前で一粒の涙も見せなかったユリアス=ロマ=ガーラリエルが、逆にどれほど悲しみを我慢していたのかと、それを分かっていなかった自分たちがいかに鈍感だったのかと後悔してしまうほどだったのです。
「すみません。わたし・・・」
 レンは隣のロデルが目頭を抑えて涙にむせぶのを見て辛そうに眉間にしわを寄せました。
「いいのよロデル。あなたたちには派兵による国境防衛という重要な任務があったのだから」
「いえそうじゃないんです・・・。ガーラリエル閣下もきっと、きっと・・・ここへ来てみんなと一緒に素直に悲しみたかったのだと思うと、ここにいる事がなんだか申し訳なくなってしまって・・・」
 モルドはその時のロマの表情を簡単に想像出来ました。そして彼女の思いを掬い取れないもどかしさに心を痛めたのです。
 ツェーデルはロデルの肩に手を置いて優しげな口調で言いました。
「あなた方がここに来たことは必然と私は考えます。何かに導かれてここへ来た。それを運命と言う人もあるでしょうが・・・。あなた方の帰還を少なくとも私や大佐はありがたく思っていますよ」
 モルドもうなずきます。
「ナバ=コーレルの迂闊とはいえ任務であることは明白だ。任務遂行を申し訳ないなどと思う必要はない」
「さあ、涙を拭いて」
 腕で涙を拭うロデルを見ながらツェーデルは神妙な顔つきで話を元に戻します。
「もしも伝令兵クダーフ軍曹の名簿の現況欄に”従軍中”とあればあなた逹にはレアンに行って彼の現状を確認してもらわなければなりません。しかしもし”退役”と書いてあったら彼の居場所を突き止める必要があります」
「居場所?」
「家なのか、墓場なのか、それとも誰も知らない海の底か・・・ってことですよね先生」
 ツェーデルは頷きます。
「油断しないでロデル、レン。まだ何もハッキリとしてないのだから」
 ロデルは本当に心配してくれている師の言葉に感謝の意を込めて返事をしました。
「はい」
 他に食料や入浴時の注意などを話し合い、モルドは決して人前に姿を晒さぬように念押しをして第八師団兵舎にいったん戻るよう言いました。
「まずは陛下にご報告だ。気をもまれているだろうしな」
「私も行きます」


 モルドとツェーデルはアレスの元へと向かいます。ローデンが捕縛されて以来、国王の警護には近衛兵以外に国家審問委員会の誰かが付くようになっていました。
 モルドたちがアレスを訪ねると、アレスは子供らしからぬ厳しい表情で迎え入れ、こういったのです。
「大佐。ツェーデル先生。僕がカフラー委員長に言うよ。先生は無実だって。僕が言えば済む事でしょう?」
「陛下・・・」
 アレスはたまらなくなって言いました。
「こんなの何かの間違いに決まってるんだから。国王の僕が言えば・・・」
 モルドはアレスを隣の別室へ連れて行くと声を潜めて言いました。
「陛下。私も陛下に同意します。しかしこれは間違いではなく言いがかりです。ただ私はカフラーと言う男を好きではありませんが、能力は認めています」
 公私混同はしないモルドの表情も胸中も複雑でした。
「だから思うのです。カフラーは何かを隠していると」
「隠すって?」
「それを今我々で探っています」
 ツェーデルはアレスを諭します。
「いま陛下が勅を出されればエノレイル先生を解放できます。その気になればカフラー様を委員長の座から解任する事もできます。しかしあなたの御父上はそう言う事をしてこなかった。何故だかお分かりになりますか?」
 アレスは少し迷いましたが答えます。
「・・・信義に悖(もと)るから?」
「ご立派です陛下。お分かりになっているのですね。そうです。王権を無闇に行使すれば信義をもって結ばれている者たちとの絆が千切れてしまうからです。それは家臣との信頼関係を自ら壊す前例にもなってしまいます。どうか今しばらくご辛抱ください」
「エデリカはどうしてるの?」
「エノレイルに付き添っています」
「陛下に会えない事を残念に思っていますよ」
 アレスは躊躇いながらもハッキリと言いました。
「僕・・・エデリカに」
「!」
「僕はエデリカに会いたいんだ。それもダメなのかな」
 ツェーデルはほほ笑んで言いました。
「カフラー委員長には私から進言いたします」
「本当に?」
 アレスの顔がパッと明るくなります。
「勿論です。お約束します」
 進言したとてあの委員長がどういうかはわからない。それでも小さな国王の不憫を考えると何とか願いを叶えてあげたいとツェーデルもモルドも思うのでした。






◆◆◆第二章 第五話へつづく



設定集・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【除雪サーリング】
 前部にある大きなドリルで雪を内部に取り込み、内部にあるドリルで雪を車外に噴出する装置を付けた車。鉄車輪に発熱クリスタルを装着し、更に鋲を付けて滑らないようにしている。

【軍道】
幅6mの石畳の道路。
軌道も軍道と同じだが、ノスユナイア王国内の軌道は基本的に複線で兵員輸送能力はそれほど高くない。ジェミン族の兵站大臣のジェフトはせめてイシア城塞への線は複々線に出来ないかと陳情しているが、予算がないらしい。

【峠の退避施設】
 レアンとノスユナイアを結ぶ軍道のちょうど中間点にある宿泊施設。軍隊が越境するときに使用する。洞窟を改造したもので内部は1年を通して同じ気温が保たれるので意外と快適。
 1個師団分ぐらいの宿泊が可能。ここ以外は宿泊施設はないので基本的に天幕を張った野宿になる。
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