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第3章 第4話 その日の午後
しおりを挟む「我々はこの紛争をもしも金によって解決できるものならそうしたいと考えています」
先頭列車の中にある特別室にはノスユナイア第八師団司令官ロマ、旅団長のゼン、イサーニ、デルマツィア、そしてレアン共和国の筆頭元首補佐官ナスカット=ロベリアの5人がテーブルを挟んで向かい合っていました。
「金で?」
カルロ=ゼンは祖国を蹂躙された事に対する解決方法として金を使うというのが気に障りました。
「僭越ながら申し上げるロベリア殿。金を使って仮に解決できても、さらなる金を要求され、根本的な解決には至りません。それがあなたには・・・・!」
イサーニがゼンを手で制し、静かに聞きました。
「あくまでも解決のいち手段として・・・ですかな?」
ロベリアは頷きます。
「仰る通りだ。我々ジェミン族は金と言う物を効果的に使う術を熟知している。少なくともそう自負しています。交渉相手が明らかに我等より強大であるなら武力での解決は難しい。ゼン中佐。あなたの言い分も理解できます。だが我々は金に武力をもしのぐ力を与えることに長じている・・・そうお考えいただきたい。
国家を支える、いや、国家そのものともいえる貴重な職人である国民を戦争などで失えばわが国の存亡にかかわります。金に依る解決が可能ならば我らは迷わずそちらを選びます。」
ロベリアは一瞬だけゼンを見て伏目勝ちな顔で「軍人さんには理解しがたいかもしれませんがね・・・」言いました。
他国の為政がどのように行われるかを議論する気はありませんでしたがそれでもゼンは金を払う事によって相手が益々つけあがる事を危惧せずにはいられませんでした。その考えを見透かしたイサーニが。
「貴国の古からの防衛方法・・・と言ったところですな」
ロベルアは目でうなずきます。
「あらゆる犠牲の中で我々は常に一番理にかなった犠牲を採択します」
デルマツィアがその言葉にハッとしたように言いました。
「あなたのような国家の重職を担う方が、最前線に来たことに私は疑問を感じていましたが、・・・それが理由なのですね?」
ロベリアはデルマツィアを見ます。
見られたデルマツィアはさあ答えろと言わんばかりに自分の考えを口にしました。
「金で解決するという事は、つまりは交渉相手がいる。その交渉相手を確かめる為にここへ来る必要があった。・・・・・あなた自身が一番理にかなった犠牲。そう言う事ですね?」
ロベリアは口元にほんのちょっぴり笑みを作るひと呼吸を置いて表情を無に戻すと大きくうなずきました。
「そう、ご推察の通り。私が犠牲者で・・・暗号を知る私こそが来なくてはならなかった」
ロマは勘づいたように静かに言いました。
「暗号?」
「ええ。それを知る者は数少ない。だが私が犠牲になったとしても変わりはいる。だがもしも暗号を受け取った時点で交渉が必要なら私がここに来る必要があった」
「あなたが交渉を?」
「そうなればよかった」
ゼンはただ事ではない空気をロマとロベリアの間に感じ取り、思わず訊いてしまいました。
「交渉相手は・・・・誰なんです?」
そして間を置かず想像した名前を口にしました。
「まさか皇帝と?」
ロベリアは薄く笑みを浮かべて頭を振りました。
「今回の私の交渉相手は帝国筆頭宰相、・・・タン=ゲーゼルのはずだった」
筆頭宰相。デヴォール帝国の事実上のナンバー2ゲーゼルの名はそれでもそこにいた者たち全員が息苦しさを感じる名前でした。
「はず・・・ということは」
「ええ、彼はここにはいません」
ゼンはたまらず聞きます。
「ここにきて間もないのに、なぜいないという事がわかったのです?」
その言葉にロベリアは何度か頷きます。
「私がここへ来た理由の第一はエーヴェイ対岸に潜んでいる仲間から情報を受け取るためです」
その言葉に誰もが怪訝な表情になります。
あの敵兵が津波のように押し寄せている状況下、まさに危機一髪の脱出劇を演じなければならなかったあの状況でどうやって?と、誰もが疑問を抱いたのです。
「そんな時間がいったいどこに?」
あの戦乱のさなかに情報を受けとる時間などあるはずがないと誰もが思いました。
「時間がないからこその方法がある。・・・・発光信号です」
「伝光塔のことですか?」
ロベリアは詳しい説明を始めました。
「我々は武力を最小限しか持たない。だからあなた方ノスユナイア王国の軍事力を頼りにし、傭兵を雇って国境守備にあたらせています。だがそれだけでは十分ではありません。だから情報を重要視しています。常に帝国の全ての要人の居場所は確実に把握しておきます。起こった事態に適切な交渉相手がどこに居るかを。そして予め取り決めておいた交渉内容を現場の担当者に伝えておき、現場の判断で交渉にあたらせるのです」
デルマツィアがそれに応えます。
「有事の際には現場の指揮官が国家の中枢機関に打診することなく全権を担って事にあたるのと同じですね。その方が素早い作戦行動が出来る」
「その通り。軍人と違う点と言えば剣の代わりに情報と金を使う事です。そして情報伝達方法は様々だ。」
レアン共和国の諜報網が商人を隠れ蓑に構築されている事は公然の秘密となっています。長い平和によってその事実が大した脅威になっていないと判断されたのか帝国内にも大勢のジェミン族の商人がいるのはもとより大きな町には商館さえ構えていたのです。ただし彼らは油断しません。情報を手に入れる為に金を使うことももちろんありますが、帝国内に隠れ家や秘密の情報共有コミュニティを構築し、その伝達経路なども木の根のように張り巡らせているのです。
「レアン共和国評議会は、もしも紛争が起こるなら交渉相手はゲーゼルでなければと判断した。その作戦遂行と元首からの許可を伝える為に色々な方法を使うが・・・今回は上空に発光信号を上げて情報伝達をしたのです」
第八師団の幹部たちは上空に放たれていた発光信号を見た事を思い出しました。
「なるほど」
「あれが・・・」
感心する一同を見ながらロマが訊きます。
「それではあの発光信号ではゲーゼルが国境にいないと?」
「・・・」
視線を落としたロベリアの様子にみんなが顔色を変えます。
交渉は決裂したのか。
「いえ・・・仲間からの情報では交渉相手が・・・ゲーゼルが国内のどこを探しても見つからない」
「見つからない?」
「重要人物の動向は把握しているのでは?」
返す言葉もない。そんな情けない表情でロベリアは膝の上で握った拳に力を籠めます。
「これはもしかすると交渉するつもりがまったくないというゲーゼルの意思表示かもしれません。いずれにせよ交渉による解決は現時点で出来ない事がハッキリした。それを基に対策を立て直すよう評議会で進言せねばならない」
ロマはすぐにそれに反応するように言いました。
「では現時点では武力による対抗手段を講じねばならないが・・・よろしいか?」
ロベリアは口を引き結んで力の入った目で頷きました。
「不本意ですが・・・・、」
ロベリアの返事を聞いたロマが迷うことなく言いました。
「デル。作戦を」
「はい」
デルマツィアが作戦を話始めます。
「ロベリア補佐官。我々は籠城戦は避けるべきと考えております」
ロベリアは驚きました。
「ナウルを捨てると?バカな!」ロベリアは慌てました。「そんなことをしたら帝国軍は首都まで無傷のままで進軍してしまう!」
ロマは落ち着いた口調で言いました。
「デル。ナウル城塞での籠城戦を避ける理由を」
デルマツィアが説明を始めます。
「ロベリア補佐官が仰ったように首都まで無傷で帝国軍が到達することは、もちろん回避せねばならない事ですが、此度の状況で考えるとまず籠城するにはこちらの不利が大きすぎです」
デルマツィアはテーブル上の地図を指で指し示しながら続けます。
「兵数差、兵站、補給、それらを総合的に考えると、会戦は無謀、そして籠城戦を採れば敵は間違いなく兵糧攻めで来るでしょう。そうなれば死は時間の問題です」
「確かに結論はそうでしょうが、それを回避するために我々はゲーゼルと交渉するために奔走しているのです。ナウルを捨ててしまっては交渉そのものが破綻しかねない!」
デルマツィアが「ナウルは捨てません」そう言うとロベリアは、え?という顔をします。
「籠城も敵の展開を鈍らせるための駒としては重要です。あれだけの城塞を作戦に使わないという手はありません」
ロベリアは揺れる列車に揺り起こされるように背筋を伸ばしました。
「あれだけの大軍です。十重二十重(とえはたえ)と帝国軍に包囲されたらナウル城塞から撃って出る事も叶わず、外部からの支援もまず届かない。考えるまでもなく敗北は時間の問題です。しかしナウル城塞の兵糧がある程度持ちこたえられる人数で籠城すればそれは帝国軍をナウルに釘付けにする格好の囮という名前の罠になる」
「罠?」
ロベリアは罠というからにはそれにかかった獲物を仕留める存在が必要だと言おうとしましたが、ロマがそれに対する答えを言いました。
「囮に引き寄せられた敵を思いがけない方向から奇襲するのが我々の役割です」
デルマツィアはそれを聞いてから付け加えました。
「大軍に対して籠城も有効な戦術のひとつですが、それだけでは敵に対して打撃は与えられません。しかし正面切っての会戦はこの戦力差では考えられない。」
ロベリアは「待ってください・・・」ゆっくりと皆の顔を端から端へと眺めます。
「なにか?」
「あなた方はあの膨大は大軍に対して積極的に戦いを挑もうというのですか?」
「挑む?・・・挑むという言葉が相応かはこの際のちの誰かに任せますが、私の師団は勝つための作戦行動をとります」
「無謀です!素人の私にだってわかる。あなた方は焼けた鉄板に落とされた水滴のような物だ!」
2秒ほどの沈黙の後、ゼンが言いました。
「うまい言い回しですな。・・・だがうちの参謀はそう言うやつなんです。それが我々のやり方・・・と言いたいところですが、まあ先を聞いてやってください」
これから死地へと向かう彼らの落ち着きように唖然として、なにも言えないロベリア。
デルマツィアはロベリアの様子を確認してから話始めます。
「ナウル城塞周辺に集まった敵の脇を突く奇襲を敢行します。それは見方によっては挟撃となる。奇襲もヒットアンドアウェイなら被害も最小限です」
「しかし・・・」
「ロベリア補佐官殿」
「?」
「現時点でゲーゼルとの交渉が出来なくても、それでもあなたはまだ何らかの交渉を画策している。だがそれには時間が必要・・・ですね?」
「国家のより良い先を考えることが筆頭補佐官である私の役割です・・・」
「敵もそれは悟っているでしょう。だからこそ我々はこの作戦を敢行せねばなりません。・・・国境駐留軍として」
ロベリアはその言葉に背筋がひやりとしました。
確かに敵に時間稼ぎが悟られれば、攻城戦を兵糧攻めという時間がかかるものからより積極的に破壊的な作戦へと切り替えてくるかもしれません。それを避けるために打撃を与えたとしても軽微であることがわかっていても積極戦法で相手に考える時間を与えないつもりなのだ。ロベリアは戦争の二文字が残酷で過酷極まりない事を実感し始めました。
「だが我々は死兵ではありません。兵士を呪われたアンデッドのように死を厭わず闇雲に突っ込ませるようなことはしません」
「そう言う事が好きなのがうちには一人いますがね」ゼンが冗談交じりに言ってすぐに言い直します。「でも私はその部下を大切に思いますし、頼りにしてます。敵にのんびり攻城戦などさせませんよ」
イサーニもロマも誰の事を言っているのかすぐに理解してふと顔に笑みを浮かべます。ロベリアは拳を口に当てて悲痛な面持ちを隠しました。
「この作戦が成功すれば、時間も稼げるうえに、与える打撃も地味でしょうが痛手になるはずです」
時間。とにかく今は時間が必要なのです。時間稼ぎが出来れば、ゲーゼルとの交渉を開始してこの紛争を解決に導けるかもしれません。
「ロベリア補佐官。いかがですか」
ロベリアは口を引き結んでデルマツィアを見上げました。
「私は軍事には明るくはありません。その作戦が良いか悪いかは判断できかねます。だが時間が稼げる点は非常に助かります。ゲーゼルを探す時間が手に入る。しかしあれだけの大軍に奇襲というのはやはり・・・正直なところ心配です」
ロベリアは静かに言いました。
「あなた方の協力には本当に感謝という言葉では足りません。だからこそ思うのです。奇襲部隊が帝国軍に追い回されて多勢に無勢で蹴散らされてしまうのではないかという不安が・・・」
「それはあなたの考える事ではない」
落ち着いた口調でしたがロマが鋭く言いました。
「あなたは政治的判断でゲーゼルを交渉の場に引き出すことが仕事で、我々は戦う事が仕事。役割分担はそういうものでしょう?」
ロベリアは何も言い返せませんでした。
感傷的になっている暇すらないのが戦争だのだと、またまた実感させられてしまったのです。
とにかく一刻も早くゲーゼルの所在を突き止める事。こうしている今もデヴォール帝国内で仲間がゲーゼルを探しているはずです。彼さえ見つかれば交渉は実を結ぶ。ロベリアはそう信じるしかありませんでした。
デルマツィアは何度か頷いてから話を続けます。
「ゲーゼルが見つかれば、共和国の交渉力をもって停戦も可能かもしれません。しかし戦争ではひとつだけの解決方法に頼る事は危険です。あらゆる状況を想定して多面的に同時進行で事を進める事が兵力の有効活用に繋がります。したがって様々な状況の変化に対応する作戦を予め用意しておく事が肝要です」
それはロベリアにも納得できる言葉でした。
タイミング良しと見たロマはそこにいた全員に向けて話しました。
「私はマッサレイという司令官は数を頼む戦い方を好むと見ているが、みんなはどう思う?」
3人の旅団長が同じように口元に笑みを浮かべました。
「物は言いようですな閣下」とはイサーニです。
「いや、イサーニ大佐」ゼンが言葉を返します。「相手が格下でなければ動かないのは決して卑怯ではなく思慮とも取れます」
「卑怯とは言わんが、貴公も読んだであろう?共和国から提供されたマッサレイという男の資料を」
「勿論です。ただ私は情報をうのみにしすぎる事は危険だと」
「慎重派のおぬしらしいな。だがここにきてあの資料以上の情報は得られまい」
イサーニの言葉に誰もが同意を示すように頷きました。
「だが此度、マッサレイが圧倒的有利という状況を利用して動き出したのは間違いないだろう」
「しかし閣下。マッサレイの性格から推測するに数を頼んでの戦が好みは納得できるとしても、そもそも一番知りたい事がハッキリしません」
「一番知りたい事とは?」とゼン。
「そもそも帝国がこの紛争を起こした動機だよ」
最期のデルマツィアの言にロベリアも同意しました。
しかしロマは意外な事を言ったのです。
「動機か」
「確かにな。だがこの開戦が帝国の意思ではないとしたら、想像出来ないか?」
ロマの言葉にゼンとイサーニが驚いた顔をします。
「まさかそんな・・・」
「マッサレイが独断で?」
「あり得ない」
ロマは補佐官を見ます。
「ロベリア殿。過日、元首閣下やあなたから、レアン国境の防衛軍司令官に就任しているマッサレイは・・・上官の愛人を引き受けた代価として国境軍総司令官に就任したと聞きましたが・・・」
「え、ええ・・・事実ですがそれが何か?」
ロマは表情を変えずロベリアに言います。
「もしも私が帝国の筆頭宰相という立場にあったらこんな紛争は起こす許可は与えません。あまりにも不利益です。あなたはそう思いませんか?」
ロベリアはハッとします。
デヴォール帝国は自国民よりジェミン族の交易手腕によって経済活動が活発化し潤っているという事実があります。そしてそれが国体の下支えをしているのは明白でした。それが無ければすぐに国民が飢える、というワケではありませんが貧困者が増える事は確実です。そうなれば失業者の増加、それを原因とした治安悪化と軍事力の散漫化による防衛力の低下。そこに注力する財源が確保できないという悪循環に陥る事も考えられます。
フスラン王国は今や帝国の傀儡国家と言えますが、エーヴェイ川は公的にはフスラン王国との国境であることから商業的な行き来は盛んなのです。フスラン王国を通じてとはいえ、帝国国内で活躍するジェミン族の交易活動によって生まれる膨大な利益、そしてそこから得られる税金や手数料という旨味はとても無視できない額です。レアン共和国と紛争など起せばそれらの財源を全て失う事になりかねません。
「国家間戦争には必ずはっきりとした原因や動機が存在します。だが今回の開戦には腑に落ちない点が多い」
「確かに。確かにその通りだ・・・」
ロベリアはどうしてそんな簡単なことに気付けなかったのかとジェミン族である自分に呆れ、恥じ入りました。
「ロベリア補佐官殿。私は国境防衛に着任してから帝国の軍事情勢や経済的国情をあなた方からもらった資料を基に勉強しました。おかげさまで帝国の事を深く理解できました。感謝しています」
「いや、お恥ずかしい。情報を与えた我々が情報の本質を見逃すとは・・・」
ロマたちは思いました。有事とはそういうもの。突然起こった非日常事態が的確な判断力を鈍らせ、平時では当たり前に出来ている事が出来なくなる。
一般人にとっては有事という非日常も日常的な事としてとらえられるのが軍人であり、そこで成される思考も行動も、多くの日々を非日常空間に身を置いているからこそできる技なのです。
敵と戦うという事は己を知り相手を知り常に優位に立つ努力が必要である事は獣人との闘いを常としているノスユナイア王国軍であれば当然の事なのです。そうであるからこそ情報の使いどころも利用方法も冷徹に見極めて取捨選択する事が出来、ゆえに果断な行動が実現できるのです。
ロベリアは現在起きている状況を金と交渉力だけで乗り越えようとしていた自分の浅はかさを恥じました。それと同時にノスユナイア王国軍に国境防衛を依頼した事に間違いなかった事を確信し、彼らノスユナイア軍人たちに改めて敬意を表したのです。
ロマは更に言葉を続けました。
「マッサレイの経歴と、この開戦が齎(もたら)す唯一の戦利を考えればわかる事です」
ロベリアはようやく補佐官らしい思考力とその頭の回転の速さを発揮し始め、ロマの言わんとするところを理解したのです。
「帝国の意思ではないとするなら・・・しかし、そんなまさか」
ロベリアは思い当たった事に思わず片方の口角に嘲笑めいた笑みを表しました。
「あり得ない・・・」
「ロベリア殿、軍人にとって戦功による栄誉とは、己の価値を周囲に認知させるには絶大でしかも甘美な陶酔や自己満足、顕示欲を満たす最高の媚薬です。マッサレイ司令官は60歳という年齢から考えても、この機を逃せば次はない、常にそう考えていたと思うのはあながち外れていないと私は考えています」
「デルマツィア殿。確かに私はあなた方にお渡しした資料の中でマッサレイ司令官の情報を色々と書き連ねました。そこには推測もなかったとは言いません。・・・自賛にはなりますが概ね正確な情報であると自負しております。しかしマッサレイが私欲のためにこの紛争を起こしたなんて、俄(にわか)には・・・」
「確かに本人に聞けない以上可能性でしかありません。ですが・・・もう一度言いますが この紛争が帝国に齎す唯一の戦利を考えればわかる事です」
「これは推測ですが、マッサレイの背中を押したのはほかならぬ帝国かもしれません」
「先ほどこの紛争は帝国の意思ではないと言っていたではありませんか」
「いえ、つまり例えばマッサレイに異動や、もしくは退任をにおわす様な辞令があったとしたら・・・もちろんこれは想像です」
経歴、年齢、そして10万単位の兵力の長である事。国境を挟んだ対岸の敵兵力との大差。こんな状況が永遠に続くと思う事はマッサレイでもないでしょう。
「確かに・・・。ではマッサレイは最後の最後にひと花咲かせようと・・・己の栄誉の為に侵攻したと?」
ロマは解決が困難であることを予見した表情で言いました。
「ロベリア補佐官」
「・・・」
「マッサレイ司令官はゲーゼル宰相を疎んじていると、資料にありましたが・・・」
「ええ、10年前の第27次ダコナ戦役でゲーゼル宰相の・・・当時ゲーゼルは師団長でしたが、彼の身勝手な作戦行動で100kmもの国土拡張が実現したその陰でマッサレイは手持ちの兵士をほとんど失ってしまうという被害にあっています。それはまだいいとしてもその後しばらくの間、兵士を持たない”裸の師団長”と陰口を叩かれた経緯があった事で、疎むというより逆恨みをしているかもしれません」
ゼンもイサーニもその話を聞くと、ならばゲーゼルを出し抜いて手柄を上げたいという動機は成り立つと思いました。
「その逆恨みによって今回の紛争を起こしたとなれば、目的は二つ。ひとつはゲーゼル宰相を見返す事。もうひとつはゲーゼルが手にした戦功と同じものを手にする事です」
ロベリアは愕然とするのみならず眉間に皺を作って目を泳がせました。
「なんと・・・領土の」それが事実なら金で解決出来るという目論見は実現が難しいかもしれない。「拡大とは」
交渉相手がゲーゼルではなくマッサレイなら御しやすいとも思った事を考え直さねばなりませんでした。
マッサレイが紛争終結で臨むものが金でなく領土拡大となると解決に導くのが相当に厄介です。下手をすれば200年前に領土を失った悪夢の再来です。
これ以上領土を失えば国そのものを失いかねません。
「ううむ・・・しかしそれはあくまでも推測でしょう?」
「仰る通りです。だが現時点で一番真実に近い推測だと私は考えています」
ロベリアは反論できません。情報がないのです。
確かに過去の事例やマッサレイの経歴を紐解けばデルマツィアやロマの言う事も頷けましたが、マッサレイの背後に控える帝国宰相や皇帝ギャベックキッツの思惑までは計り知れません。
それでも マッサレイが大軍を率いて目の前に迫っている事だけは紛れもない事実でした。帝国側にいかな理由があろうとこれは何としてもくい止め、撃退せねばならないのです。
そのためにロベリアには情報が必要でした。
「ロベリア補佐官殿。ナウル城塞は籠城には適した要塞です。だが場所がナウル川の帝国側です」
ロベリアは何が言いたいのか、とデルマツィアの次の言葉を待ちます。
「先ほども言いましたが、城塞で籠城をしている間にナウル川に橋を架けられたら、城塞を包囲するために必要な兵力を残し、それ以外の軍隊が共和国首都まで無人の野を行くがごとく進軍をを始めましょう」
冬なので雨季と比べれば水量が少ないのが川というものですが、それでも川幅が300メートルはあるナウル川は深さもあり、徒歩や騎馬で渡るには少々難があります。進軍するのに必要な橋はプランテの魔法で土台を作って丸太を敷き詰めれば十分な強度です。
「最悪の筋書きは、首都城壁まで帝国軍が迫り、さらにナウル城塞かの兵士がすべて足止めされてしまい、その時点で帝国軍が講和を持ち掛けてきたときです。その時おそらくエーヴェイ川とナウル川に挟まれた領域を要求してくる・・・」
ロベリアは手で口を塞ぐようにしてテーブルに視線を落としたり、ロマを見たりデルマツィアを見たりしました。
「ここまで言っておいてなんですが、これらの予測を是とするか非とするかはあなた次第です補佐官。我々ば攻め入ってくる敵に対して対抗手段を講じて実行するのが仕事です」
つまり戦争行為です。ロベリアは無言でうなずきます。何度も。
「我々第八師団は籠城ではなく常に奇襲、夜襲を含む遊撃によって敵を攪乱、敵兵力の減衰、そして物資供給妨害に努める作戦を実行します」
それを聞いたロベリアは眉間に皺を寄せます。
架橋工事を妨害する者がなければ、帝国軍の兵力なら城塞兵力の封じ込めと同時進行で容易く成されてしまう事は想像に難くありません。それを城塞の胸壁から指をくわえて見ているなどあり得ない事。それはロベリアとて理解できました。しかし。
「わかります。あなたに課された義務もそれをする理由もわかりますが司令官、それは無茶だ。とてつもない兵力差があるのですよ?追撃され追いつめられれば包囲されて無駄死にです」
ロベリアは思いとどまらせるつもりで付け加えます。
「我が国の情報伝達網を使って帝国の宰相でなくても帝国内部の重責を持つ実力者でも市井の民でも構わずにマッサレイの独断専行を出来る限り拡散するつもりです。そうすれば宰相や皇帝の耳に届くでしょう。あなた方の予測が当たっていればこのバカげた不利益な紛争を早期解決できるかもしれない。だからどうか・・・」
ロベリアがそう言ったところに列車がナウル城塞に到着するという報せが入りました。
「まだ時間はあるはずです。性急な判断は禁物です司令官!」
城塞脇の停車場にブレーキ音を響かせて列車が滑り込んでいき、停止します。
「各旅団長は全ての大隊長を伴って作戦立案室へ集合。急げ!」
ロマの声に3人の旅団長が列車から降りて走り去りました。
「ガーラリエル司令官!私の話を・・・」
ロベリアはロマを呼び止めました。しかし。
「私はかつての上官からこの派兵任務を勤め上げろと言われました。勿論そうするつもりです。戦場は我々軍人の持ち場です。あなたにはあなたの持ち場があるはずだ。お互い自分の力を一番発揮できる場所で戦いましょう。我等とあなた方の行動がひとつに結実する事を信じています」
多面的に同時進行で事を進める。事ここに至って話し合いなどという悠長なことはやっていられない。口元に笑みを浮かべたロマの目にその言葉が揺らめいたのを感じたロベリアはドキリとしました。未だかつて感じた事のない高揚にも似た感情のふくらみを感じると同時に、堪えるように持ち前の自制心で冷静さを取り戻します。
彼女の後姿を見送ることを恐れるように素早く踵を返したロベリアは本国への報告の為に伝光塔に向かいました。
「ワウルよ。やはりこいつらを動かすのか?」
「止むをえまい。だがあの事故以来50年間、研究と実験を重ねて安全性は相当に高くなっとる事は確かだ」
「だといいのだがな・・・」
開発ギルドマスターのジーチェ=ワウルとサブマスターのズカ=ゼフレンストが見上げていたのはずらりと並んだほぼ同じ形をした金属製の箱です。正六面体だったり僅かに形が歪んでいたりもしましたが、六面体という事では一致している物で、鈍い銀色をしていました。
「何を言うか」
ワウルはゼフレンストの憂いのある横顔に向かって一瞥すると銀色の六面体に視線を戻します。
「連続機動は2時間!というタイムリミットを守りさえすれば良いのだ。脱出装置も取り付けたから少なくとも死ぬことは無いはずだ」
「もしもの時は敵に囲まれてるところで脱出か?留まるも地獄、出るも地獄じゃな」
「・・・嫌味ばかり言いおって」
「こんなものを掘り起こしてしまったのは果たして・・・」
「おぬしはこの戦に負けてもいいというのか?」
「そうは言うておらん」
「200年前、若かりしおぬしとわしはあの一番端に立っとる融合機に乗り組んで帝国軍にひと泡吹かせるはずじゃった。だが結局有耶無耶のうちに戦争は終わってしまい、残ったのは領土を四分の一にされた祖国の情けない姿だった」
「1機で何が出来るものか。あの時はあれでよかった」
「なんじゃと!」
祖国が削り取られて良かったのかといきり立つワウルにゼフレンストは静かに言いました。
「200年間、改良に改良を重ねたが、その間にも事故は絶えなかった。いったい何人の同胞が人機融合技術の犠牲になった?我等が最初の犠牲者になっていたかもしれん。それが怖いとは当時の私も思ってはいなかった。第一アレを扱える者が我々しかおらなんだしな。覚悟の上の搭乗だった。それこそ帝国軍にひと泡吹かせてやると意気込んでおったわい。・・・だが紛争が再開しないと分かった時、わしは心底ほっとした。自分の命だけでなく、親友の命も助かったと・・・ホッとしたんだ」
「・・・・」
「おぬしの気持ちもわかる。200年前は忘れてはならん。だが今回の搭乗者は我等2人だけの200年前とはわけが違う。80人もの同胞がこれに乗る。200年の改良期間を経てそれでもマシになった安全性じゃが100%ではない。それでもこれで戦えと言う元首評議会の連中に我らの気持ちのどれぐらいが理解されとるのやら・・・。それを思うと切ないのう・・・」
ワウルはゼフレンストの言葉を聞いて長く息を吐きます。
「ズカよ。それでも若者たちに200年前に我らが胸に抱いた屈辱を、いや不完全燃焼の思いを味わわせたくはない。戦力の出し惜しみをして、あの時こうしておけばなどという負け惜しみを言うよりは、やる事をすべてやった方が気分がええわい!覚悟を決めよう。搭乗者はベテランぞろいじゃ!我ら失くしても若者たちが我らの遺志を継いでくれよう!」
「世代交代がこんなところで訪れるとはな、他の八傑たちも苦笑いしとるだろうて!はっはっは!」
二人は笑いあいました。
その時ナウル城塞の中央にある中庭から響動(どよめき)が聞こえてきました。
「ん?何事だ?」
「行ってみるか」
ワウルとゼフレンストはどよめきの聞こえた方に向かって歩き始めました。
暫くすると聞こえてきた声は。
「あの声はガーラリエル殿か」
「いったい何を?」
「行ってみよう」
城塞内中央の中庭にある円形の壇上にはロマとデルマツィア、ゼンとイサーニのノスユナイア第八師団幹部に向かい合う様に傭兵隊長を先頭にした傭兵幹部がいて、何やら言い合いの様相を呈しています。
「ノスユナイア第八師団は奇襲によって打撃を与える遊撃戦法を採る!」
「我々傭兵軍は城塞に籠城して共和国と帝国の講和締結を待った方が良いと考えている!城塞の外で戦闘を繰り広げるなど無謀すぎる!」
ざわめきが広がります。
「ならばそうされるがよろしい!我らと行動を共にせよとも、我らに賛同せよとも言わない。これは第八師団司令官である私の下した決定事項である!」
「馬鹿な!わざわざ死にに行くようなものだぞガーラリエル司令官!」
「そうだ!補給はどうするんだ!」
「逃げ回るだけだぞ!」
「追いつめられて死ぬ!」
ざわめきはどよめきに変わってゆきます。
「済まないが、あなた方傭兵と我らの意見の食い違いは承知の上!落としどころを模索する時間はない!傭兵隊長のヴァンヘイム殿がそうしたいのなら私はそれに対して非難する気も反論する気もさらさらない」
ヴァンヘイム傭兵隊長の背後では「兵糧を持ってかなければどこへでも行けばいいさ」「突撃狂とかいう士官がいたが、司令官もそうなのか?」「全員かもよ」と言った誹謗がささやかれました。
「ガーラリエル司令官!第八師団はいいとして第七師団はどうなのだ?!いまだに一兵も来ていないようだが!」
「そちらは現在確認中だ」
「この事態にまだそんな悠長なことを?!」
「ドリエステル司令官はご病気と聞いたが、そんな体たらくでは第七師団司令官が務まらんでしょう!」
「どうされるつもりなのか?!」
無責任なヤジが飛び交いますがロマはどこ吹く風です。
「ここで些末(さまつ)な言い合いをするつもりはない!第八師団は全て城塞外へ出立する!その後に第七師団兵士がこの城塞に到着した暁には速やかに受け入れてほしい!」
その言葉に円形の壇上の周りを囲んだ傭兵たちが、無責任、横暴、無謀とやいやい言い出し始め、中にはやる気がないのかという的外れなヤジを飛ばす者もいました。その時壇上に駆け上がったのはロベリア元首補佐官です。
よく知った顔。自分たちの給料に一番関係が深い顔が両手を上げて静粛を求めると騒ぎは収まります。
「たった今、元首評議会から返答があった。講和への作戦開始とナウル城塞への作戦司令だ。諸君らは三つの選択肢を与えられる。ひとつは契約を破棄してこの城塞を去る。ふたつ目はこの城塞に残って籠城戦に備え戦う。最後のひとつは第八師団の補助兵力としてガーラリエル司令官に従う。
従軍するなら日当は5割増しで支払おう。諸君らの自由意思で決めていい!ただし!日没を待たずに帝国軍が城塞を包囲する事になるため一度城塞を出たら戻ってくることは不可能。残るもしかりだ。どうするか考える為の猶予は1時間だ!・・・それでいいですね司令官」
ロマを見て言うロベリアにそこにいた第八師団幹部全員が頷きました。
ざわつく中庭を後にしながらロマにデルマツィアが囁きます。
「物資は全て運搬用の車両に積載済みです」
「では、あったのだな?」
デルマツィアは微笑みながら言いました。
「ジェフト大臣の仰ったとおりです。通常の物資保管庫ではなく、傭兵たちも知らない城塞から少し離れた地下倉庫に」
ロマはあの時のことを思い出してふと笑います。
「よくこの短時間で探してくれた。ありがとう」
「なんの」
「まさかこれが役に立つときが来ようとは思わなかったけど」
「同感です」
「で、どのくらい?」
「十日分・・・もって半月という所ですね・・・」
贅沢は言えない。ロマはそんな顔で頷きます。
「紛争が半月で終えるとは思えないけど・・・」
「共和国からの供給があれば少しは伸びましょうが・・・」
一瞬だけ考える風をしてロマは顔を上げます。
「ここであれこれ言っても仕方ないわね。私にも考えがある。とにかくあるだけでどうするか考えましょう。なるべく節約の方向でね」
「はい」
「第七師団から連絡は?」
「現在伝光塔を使った通信で確認させていますが、我々がここを出るまでに返事があるかは微妙なところです」
「それにしてもドリエステル司令官の体調不良は本当でしょうか?」
「確かめている暇はないな」
「ドリエステル司令官には私たちの作戦行動は伝えるように手配したな?」
「はい」
「ならそれでいい。おそらく今夜中にも帝国軍は城塞にやってくるだろう。それまでに我々はここから出来る限り離れなければならない。それと」
「はい」
「ナバ=コーレル大尉に追加の伝令は?」
「送りました。しかし彼がどの経路でナウルに向かっているかわかりませんので念のため三隊に分けて伝令を別経路で放っております」
「三隊?」
「ゼン中佐に頼んで編成した隊です。先行させました」
ロマは気心の知れているゼンとナバの事を思い出して頷きます。
「そうか・・・上手く合流できればいいが」
「祈りましょう」
「うん・・・」
ロマは不安の面持ちです。
「ガーラリエル閣下」
デルマツィアが声をかけてきます。
「ん?」
「コーレル大尉の率いる2000兵の事も気になるでしょうが、本国への連絡についてもどうかお忘れなく」
「それなら第七師団から使者が・・・ああ、そうか越境か・・・・」
「実は・・・」
「ん?・・・例の件で?・・・うん。同期の男?」
「ええ、・・・はい。念のため私の独断で」
「済まない。助かる」
「礼には及びません。閣下に戦線に集中して頂くためです」
「ふ・・・気遣いばかりかけるな。よし、行こう」
ロマはふとモルドの顔を思い出して、彼ならこの状況をどう乗り越えるだろうかと考えました。
帝国軍はエーヴェイ城塞を占拠するとあらゆる場所を荒らしまわりました。司令官の部屋もその例にもれませんでしたが、物理的には荒らされることなく新しい司令官が椅子に座したのです。
「中々いい座り心地だな」
「さようで」
「ジェミン族はこういう所に金を使いたがるものなのかな。おそらく極上の鹿か牛の皮を使っているが、私は獣の皮革より布製の方が好みだな。座り心地はそっちの方が上だと思うが君はどう思う?」
ジスカーはマッサレイから言われてどちらでもいいと考えていました。
そこへ。
「マッサレイ閣下。偵察からの報告です」
「うむ、聞こう」
「ナウル城塞にはおよそ1万の傭兵が残り籠城戦に備える模様。ここに第七師団が合流する可能性大。ガーラリエル少将率いる第八師団はナウル城塞を出て山岳地帯へ向かったようです」
「山岳地帯か・・・」
マッサレイは眉を曲げて視線を左から右に流し、ある一人の男を視界に入れました。
「ジャミール大佐。デースキン少将並びに上級士官諸君は残念だった」
「お気遣い、痛み入ります。私がお傍にいながらお守りできませんでした・・・」
ジャミール大佐は深く頭を垂れました。
「まあ敵乍ら天晴としよう。君が無事だっただけでもよかった。・・・ところで大山岳地帯の化け物についてだが・・・本当なのかね?」
ジャミール大佐は鼻を一度すすり上げると少し迷いを持った表情で話始めました。
「先頭の部隊からの報告のみですので私もハッキリとは申し上げられませんが・・・」
「かまわんよ」
「恐れ入ります。・・・細く伸びた行軍形態だったとはいえ、2千からの兵員があっという間に山の津波のごとく押し寄せた怪物どもに飲み込まれたと・・・」
「それを助けようとして反撃に出た後続兵が負傷、さらに怪物の追撃で3千が戦線離脱せねばならないほどの痛手を負ったのだな?」
「は・・・面目次第もございません」
ジスカー参謀が渋面を作ります。
「指揮官1名に主だった幹部数名・・・そして1個師団がほぼ壊滅とは・・・」
マッサレイは厳しい顔をしながらも、表情にはまだ余裕が見えました。
「落ち着き給えジスカー君。それをしたのがノスユナイア軍だというのなら私も心穏やかではいられんが、未知の怪物相手ともなれば、向こうから攻めてくるわけでもあるまいし、こちらから手を出さなければいいだけの事だ。それに」
マッサレイは余裕の笑みを浮かべます。
「わが方には無傷の10個師団が残っている。それに引き換え敵方はナウル城塞に1万、城塞外の2万の内、半数は城塞を出て、残りの半数はまだ首都から出てもおらず、城塞に到着すらしていないのだろう?」
「仰せの通りです」
「ふん。各個撃破なら10倍戦力で当たれる。単純計算すれば10人で1人殺せばよいのだ。一個師団を失ったとておそるるに足らん数だ」
「しかし」
「作戦に変更はない。君は引き続き軌道による進軍準備と各拠点建築を進め給え」
「ハ」
「ジャミール大佐」
「ハ」
「貴公は引き続き従軍して貰うぞ。君の残りの配下は?」
「はい。千ほどが」
「戦えそうかね」
「無論であります。全員名誉を手にを合言葉に、士気も十分高く維持できております」
「それは結構。では君に新しい任務を与えよう」
「何なりとお申し付けください」
マッサレイは壁に貼り付けてある地図を指で指し示して言いました。
「ここに補給基地を置く」
「ナウルと、ここの中間ですか」
「その通りだ。ここからの距離は約10㎞のここを一時集積所として機能させ、さらにここから敵を排除する追撃隊を組織する」
「なるほど。で、私はどこに?」
「この基地には3万を常備軍として配備する」
「3万ですか・・・」
「まあ補給任務だけでなくその3割ほどは敵からの攻撃に備える為の防衛部隊であり追撃隊だ」
ジャミールは頷きます。
「君には追撃隊の一隊として働いてもらいたい」
「かしこまりました!」
「これが辞令だ」
辞令を受け取ったジャミール大佐は補給基地に配属され、そこから敵軍の追撃部隊として着任する任務を帯びて部屋を後にしました。
「ブェークショイェアアア!」
「うっわ!きったねぇ・・・」
「誰か俺を激しく噂してやがるな・・・」
「隊ぃ長。ハナ垂らしてないで・・・」
「わりわり・・・」
ナバは手鼻で鼻水をフンと吹き出すと鼻を擦りながら言いました。
「それにしてもソレスよ。どう思う?」
「本隊ですか?無傷かどうかはわかりませんが、ナウルへの撤退は完了したでしょうね」
「なぜそう思う?」
「出来てなきゃ、それこそ伝令が矢継ぎ早に来るはずです」
ナバはうんうんと頷きます。
「んじゃ俺の予測も楽観的ではなかったってわけだ」
副隊長のミルゲルト=ソレスは”司令官がナバ=コーレルの愛するビーナス(ロマ)だからという根拠のない適当な予測”をした事は言わない事にしました。
しかしナバならずともロマとデルマツィアの判断力と行動力をもってすればうまくいっているはずだと確信めいた思いはあったのです。
「でもよ。逆に伝令が一人も来ないってのも気になるな・・・」
「こっちからは送ってます。いずれ返信が来ますよ。待ちましょう」
「だな」
ソレスはそれはそうと、とため息をつきます。
「それにしても参りましたね。2000もの兵力を率いて、兵糧が尽きかけてる」
「当初の予定じゃ一日で帰る訓練だったしな・・・」
さすがのナバも憂鬱そうに目を伏せます。
「とりあえず小麦は節約してあとは現地調達するしかあるめぇ。ここらあたりは動物も多いし、狩りでしのぐしかねぇな」
「2000人分をですか・・・」
山の動物たちにとってはとんだ災難でしたが、現在ナバ隊のいるあたりは鹿が多く生息している場所でもあったのです。
「兵共に伝えとけ。獲物のひとりじめは尻叩き10回だってな」
「そんなこと言うと、女の兵隊から白い目で見られますぜ」
「ひゃははははは。罰則は罰則だ。白い目で見られようがそれをしなきゃ隊長なんて木偶の坊だ。あの人だけが黒い目で見てくれる。俺はそれでいい」
「そうですか」ふうっと息を吐くソレス。「・・・それよりどうするんです隊長」
「なにが?」
「ナウルへ向かえってったってナウルへの道はそのまま帝国軍の進軍コースでしょ?」
つまりナウル城塞への道を辿れば帝国の大軍と鉢合わせしてしまうという事です。
「あ~・・・とりあえずこのまま大山岳地帯の裾野を北上する。まあ距離的には20km程度だがこんだけの大所帯だから帝国軍の野郎どもには見つからないように注意はしないとな。ナウル川に着いたら渡河地点を探す」
「渡るんですか?」
ソレスは少し驚いたようです。
「その方が安全だし、俺が思うにガーラリエルの送ってくる伝令もナウル川の北側を西に進んでくるだろ。とりあえずナウルの西側で野営地を探しつつ渡河地点を探す。探索の人選はお前に任せる」
ソレスはスケベでバカな割には用兵はきちんとしているのがナバ=コーレルだという事を思い出して敬礼して返答すると控えていた部下たちにその旨を伝えました。
「ところで偵察は?」
「数人放ってます」
「戻ったら報せろ、帝国軍の動向によっては急いで川を渡らなきゃならないからな」
「了解」
「それと、山岳地帯の奥に行き過ぎるとあの怪物どもが襲ってくるかもしれんから気を付けるようにみんなに伝えておけよ」
「伝えなくてもみんなわかってますよ」
あの帝国の大軍をも津波のように呑み込んだ精霊兵にも似た樹木や岩石の怪物たちの事を思い出すと身が引き締まります。
「まさかあんなものが存在していようとはね・・・」
「獣人どもはどうしてんだろうなあ・・・」
「え?」
「獣人の奴らは大山岳地帯が住処だろ。ああいう化け物たちとどうやった共存してんのかと思ってよ」
「う~ん・・・」
「無遠慮に住処を荒らさなければ大丈夫なんじゃないんですか?」
そう言ったのはニスタ=パニーニです。
「お、これはこれは、作戦参謀殿」
「やめてください隊長。あの作戦は魔法使いだからこその意見・・・・っていうより、ツェーデル先生の受け売りです」
パニーニは不本意そうに口をへの字に曲げます。
「帝国軍は大軍でしたから、木を切り倒したり石を谷底に蹴落としたりして山の神の怒りを買ったんですよきっとね」
「山の神?」
「私の知り合いのジェミン族達の間じゃ当たり前のように話してますよ。山に対して不遜で無礼な態度で接すればそれなりに報いを受けるって」
「じゃあお前はあの状況は予測できてたってのか?」
「まさか。・・・私だって驚きましたよ。あんなこと・・・」
パニーニの表情に恐怖が浮かんで消えました。
「だがよソレス。このオッパイ娘の進言には俺ぁ痺れたね、数少ない魔法使いは絶対指揮官を守っているハズです!ときたもんよ」
「オッパ・・・。隊長!ツェーデル先生に言いつけますよ!」
顔を赤らめてパニーニが黄色い声を上げます。
「あっはっは!まあそう言うなパニーニ。これでも隊長は褒めてんだぞ」
パニーニはむくれ顔です。
「そうとも。俺をやる気にさせる作戦を思いついて口にするなんざなかなか出来るこっちゃねえ。次も頼むぜニスタ=パニーニ上等兵!ハッハッハ!」
ナバの言葉には強がりのような色が見て取れました。
やはり救えなかった部下の事が頭から離れなかったのです。
「パニーニ。何か報告に来たんじゃないのか?」
ソレスの言葉にパニーニはハッとして背筋を伸ばしました。
「あ、そうでした!」
「ん?」
「鹿狩り隊を編成して出発しますが・・・」
「ああ、命令に変更はないぞ?」
「それに加えて、山野草に詳しい者を同行させます」
「そいつは助かるな。肉ばかりだと料理に華がない」
「ソレスの親はレストラン経営だったな。パニーニ、ソレス料理長殿の口に合う野趣あふれる珍味ってやつを揃えてやってくれ」
「了解です!それじゃコーレル隊長にはシュンチを。では!」
「ぶ・・・・」
「シュン?・・・・なんだそのシュン何とかって!おいパニーニ・・・何笑ってんだよソレス」
「いえ・・・別に」
「面白い事なら教えろよ」
ナバがハーヴァルウォッケンをソレスの首元に添え当てます。
「や!薬草ですよ薬草!」
「薬草?」
「うちのレストランでも付け合わせによく使うんで!」
「・・・なんで笑うんだよ」
「そんな付け合わせ程度で隊長が満足できるわけないなーって・・・やっぱあれでしょうよ。俺らは鹿肉のもも肉をカブリつきでないと!でしょ!?」
「おうよ。まあそれでもその薬草とやらが味を上げるなら食わんでもないが・・・」
「そうなんですよ。シュンチは肉の味を良く引き立ててくれるんです。うちの親父も言ってましたよ。荒ぶる肉のうまみを整える奇跡の野草だっ・・・なんてね」
ソレスは物知り顔に身振り手振りを加えて力説します。もちろん全部嘘っぱちです。
「あのオッパイめ・・・俺の気を惹こうってんじゃないだろうな・・・俺にゃあお前のオッパイ100個並べたって敵わない無敵の女神が・・・」
「どうしました?」
「くそおお!ガーラリエルの目が・・・見てぇなぁ・・・」
そう言ってこぶしを握るナバを見ながら、シュンチというハーブが興奮状態をやわらげる鎮静効果の高い薬効がある事を思い”オッパイ言い過ぎ”と密かに笑いました。
「ああそうだソレス」
「え?!」
「第七師団はナウルへ来るのかな」
「そりゃあ来るでしょうが・・・でも・・・まてよ・・・」
「どうした?」
ソレスは思い出したように眉間に皺を作って考え込みます。
「ナウル城塞・・・籠城戦・・・となると・・・」
「籠城戦か・・・」
「第七師団をもしもナウル城塞の籠城戦力にするとなると、もしかしてあの爺さん・・・・」
「もしかして?」
何かを言いかけたソレスがハッとしてナバを振り返ります。
「いやそれよりも、隊長!」
「なんだよ!話を続けろよ!」
「いやいや!この状況ですが本国への報告はどうなるんですかね?」
「本国に?国境が越えられるかどうかもあるが・・・いずれにしたって紛争ぼっ発だからな、誰かが派遣されると思うけどなぁ・・・・」
「何のんきなこと言ってるんですか隊長!こういう場合に越境させるのに必要な能力者と言ったら・・・」
「・・・・・・・あ!」
ナバはこれはまずいかもしれないという顔になって口を開けました。
「ロデル・・・か」
ロデル=メイラードは断熱能力のある膜魔法を駆使する魔法使いです。
「隊長のおかしなわがままで本国に返しちまったんですよね?レンともども」
「うわっちゃぁぁ・・・これは・・・バレるな・・・」
「叱られるどこじゃないですよ。本国への連絡も出来ないって事は援軍呼べないじゃないですか」
ひそひそ声でナバとソレスは青ざめながら馬上で身を縮こまらせました。
しかしナバは、あ、という顔をして背筋を伸ばします。
「まてまてまて!・・・・本隊からの伝令ではその事についてはなんにも言ってきてないよな?」
「ええ・・・それが?」
「あいつらを本国に返したのは俺の独断で誰にも報告なんてしてない。だから今でも俺が率いてる部隊にロデルもレンもいる事になってるのに、・・・何も言ってきてない」
ソレスはそれを聞いて眉をひん曲げます。
「確かにあの二人を本国へ返したのは俺と隊長しか知らない・・・なのに呼出し命令もないですね・・・。・・・て、ことは?」
「てことは・・・」
二人は声を合わせ、指を鳴らしました。
「通常越境が可能になったって事か!」
第3章 第5話へ続く>>>>>>>>>>>>
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