あしたに一歩!

南木野ましろ

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第三章

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「ちょっ……とォォォォ!?」

 樹生の悲鳴が爆風に掻き消される。一瞬でも手を離したら振り落とされそうで、デジャヴを感じながら必死に古谷の背中にしがみついていた。

 わけも分からないまま土曜日を迎えた樹生は古谷に連れ去られてバイクに同乗している。午前九時過ぎに古谷はネオクラシカルなごついバイクに乗って病院のエントランスに現れた。揃いのライダースジャケットとヘルメットを被せられ、松葉杖を背負い、有無を言わさず後部座席に乗せられた。落ちんなよ、と簡潔にアドバイスされたと思ったらいきなり猛スピードで病院を脱出したのだった。
 バイクなんて初めて乗ったし、どこに行くかも知らされていないし、何より全身で風を切る感覚が恐怖で目を開けられない。

「お……ッサン! 頼むからコケんなよ!」

「そんときゃ今度こそ一緒に死のうぜ!」

 冗談じゃないよ! と叫んだ樹生の声を無視して、古谷はスカイラインを走り抜けた。
 ほとんど目を瞑っていたせいでどこを走ったのか分からなかった。右に曲がったとか左に曲がったとか、体感で予測していただけだ、古谷がスピードを落として風が弱まった時、ようやく目を開けた。眼前に飛び込んできたのは山道から見下ろせる海。古谷は半島の海沿いをひたすら走り、そのうちに山頂駐車場に入ってバイクを停めた。ここから更に展望台に上がるという。風を浴びただけでクタクタだし目が回るのに。

 展望台までは駐車場から丸太の階段を上る。当然エレベータ―やエスカレータ―などないので松葉杖と片足で上がらなければならない。嫌だ、めんどくさいと文句を言ったところで尻を叩かれた。背後から古谷に見守られながら一段一段、確実に上がる。上り切ったところが展望台だというが、あるのは小さな東屋だけだ。たったこれだけのために、と拍子抜けはしたものの、そこからの景色はなかなか綺麗だった。紅や黄色に色付き始めた木々の向こうに広がる海。手前側は薄浅葱色で、水平線に近付くほど銀色に変わり、太陽光が海面に反射してゆらめいている。綺麗だなとは思うのに、「海じゃん」と甚だ乏しい感想しか出なかった。

「憂さ晴らししたくなったらバイクに乗るんだよな。なんも考えないで走って、綺麗な景色見て帰る。最高」

「オッサンでも憂さ晴らししたくなるんだ」

「そら人間だからな」

 手摺りに両腕を置いて小さな島と船が浮かぶ穏やかな海を眺める。確かに癒されはするが、考え事は尽きない。

「樹生はムシャクシャした時どうやって発散するんだよ。思春期なんて年中ムシャクシャしてんじゃねーの」

「年中ってことはないけど、しいて言うならゲームかな」

「お、なんの?」

「スモブラとかフォークナイトとか」

 やったことねぇや、と古谷はベンチに座った。

「俺はなぁ、RPGならよくやったぜ」

「RPGなんて長くない?」

「それが面白いんだろ。何ヶ月もかけてクリアした時の感動ったら」

「何ヶ月もかけるとか無理」

「最近のガキは短気だな」

 古谷との会話は楽しかった。どんな漫画が好きだとか、学校で何が流行っているのかとか、聞かれて答えたら古谷が「自分の時はこうだった」と語る。節々でジェネレーションギャップを感じて新鮮に思ったりしらけたりするのも良かった。

「父ちゃんや兄ちゃんとはゲームしねぇのか」

 そんな思い出がないな、と思っていたところでの質問だった。樹生は「ない」と即答した。

「興味ないんだよね、二人とも。ゲーム機買ったの俺が初めてなんじゃないかな。本ばっか読んでる」

「クソ真面目なんだな」

「俺がサッカーばっかりしてるの、父さんも兄ちゃんも気に入らなかったみたいで。庭で練習してたら兄ちゃんには出てけとか言われたし、父さんは応援に来てくれたこともない」

 一緒にゲームをするどころか、たあいない会話をすることすらなかった。だからこそ樹生が事故に遭ってサッカーができなくなった途端に受験だやれ勉強だと言われても困惑するだけだった。展望台にはちらほらと観光客がやってくる。五歳くらいの少年とその父親が肩車をしているのを見ても自分にはその記憶がない。

「……あーあ。オッサンみたいなのが父さんだったらなぁ」

 けっこう本気の願望で言ったのだが、笑い飛ばされて終わりだ。

「俺は絶対、いい父親になれねぇから」

「なんで? ってか、子どもはいないの?」

「子どもは――いない」

 不自然な間が妙に気になった。
 しっかりした足取りで一人で駆けていく少年を目で追って、樹生は丸太の階段を見下ろした。今度はこれを下りなければならない。足があれば一分もあれば下りられるのに。滞在時間一〇分のためにえらい苦労をした。

「来てよかっただろ?」

 古谷の空気を読まない質問にイラッとする。

「どこが……。腕痛いし、左足も痛いし、疲れるし……」

「ここに来られることが分かって、よかっただろ?」

 樹生は振り返って古谷を見上げた。

「両足があれば、こんな階段、なんてことはないよな。でも片足だと上がるのも下りるのも一苦労だ。怪我をする確率だって上がる。今まで当たり前にできていたことが、健常者が簡単にできることが、身体の一部が不自由なだけでハードルが上がる」

「……」

「今のお前はそうなんだ。そしてどんなに悔やんでも元に戻ることはない。認めたくないのは分かる。今すぐ頭を切り替えろとは言わない。でもお前は確かに身体がい者になったんだ。それはもう変えることができない」

 改めて言われなくても分かっている。ただ、その事実をどうやって受け止めればいいのか分からないだけだ。松葉杖を握る手に力が籠もる。

「でも、今までよりは大変な思いをするってだけで、できなくなるわけじゃない」

 樹生はそこでようやく古谷の狙いを知った。綺麗な景色を見ることじゃない、それを見に行くことに意味があるのだと。

「片足でも松葉杖でもここに来られる。少し難易度が上がるだけだ。その難易度を下げるのが義足だよ。もちろん義足も万能じゃねぇから、健常者よりはもたつく。でも松葉杖だと難易度一〇になるところを六にすることはできる。その価値をお前自身が見出せないとリハビリは進まない」

「……でもやらなきゃいけないのはリハビリだけじゃない。勉強だって……。やらなきゃいけないことが多すぎて、何を優先するべきか分からなくて焦る」

「そうだな。義足にはな、必要最低限の機能だけが付いたものから、AIが搭載された高性能なものまである。できれば誰だって高性能なもの使いたいよな。でも性能が高いとそれだけ値段が上がる。いいものを着けたくても金がないと付けられない。金を得るには稼がなきゃいけない。稼ぐには仕事をしなければいけない。一度でたくさん稼ごうと思ったら、職種が限られる。その限られた職種につきたいなら、勉強しなければならない。だから勉強や就職が大事だっていう父ちゃんと兄ちゃんの考えは正しい。ただ、それらは日常生活を自分の力で送れることが前提だと俺は思うんだよな」

「……うん」

「どんなに良い義足を履いても、歩くことができなきゃ意味がない。例えばあちこち飛び回る営業職に就きたいと思っても、移動すらできないんじゃ叶わない。まずはお前の思う「普通の生活」ができるようになること。飯食って学校行って友達と遊んで、行きたいところに自由に行ける生活を少しでも楽に送るために頑張る。それでいいじゃないか」

 今の自分にできることは何もない。何かができるから頑張れるのではない。何かをできるようになるために、それを探すために、まずは歩かなければならないのだ。

 樹生は松葉杖を古谷に託して手摺りを持ち、片足で跳びながら下りた。一段跳ぶのにも神経を使うのでやっぱり時間はかかる。すれ違う観光客に物珍しそうに見られて、恥ずかしいやら惨めな気持ちにもなる。だが、それが今の自分の精一杯だった。

 現実を受け入れるのは辛い。でも古谷はそんな樹生を激励も叱咤も同情もせず、がんじがらめになっている思考を整理してくれた。今の樹生にこれといって残っているものがなくても、何もできなくなったわけではないと身をもって教えてくれた。

 こんな試練を課せられて生きててよかったとはまだ思えない。でもあの時勢い余って死ななくてよかったとは、やっと思えた。

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