13 / 21
一年目の夏
12. 突撃! おうちの執務室
しおりを挟む
その日の、夕方。
予想通りといえば予想通りだが、古典詩の講義はきつかった。みっちりと一日受けた自分をほめてやりたい、とさえ思う。
(韻を踏んで、ってもなー)
家庭教師が読み上げる詩は、セイリオスには古語風の日本語に聞こえる。だが実際は大陸共用語における古い言い回しが使われているわけで、うまく意識のピントを合わせないと意味が分からなくなってしまうのだ。
例えば、「青」という単語も意識の焦点を日本語寄りにすれば「レテ」と聞こえる。とはいえ、それだと単語の意味が分からなくなるので、うまく「青」と聞こえるようにしなければならない。
読み書きはまだ「文字」というわかり易い差異がある。セイリオスにとってはありがたいことに、この国の文字はアルファベットとほとんど同じだったからだ。「lete」という綴りを見れば「青」だとわかるし、逆に「青」と書こうとするなら「lete」と書けばいいと、知識を引っ張り出しやすい。だが、音声のみだとそうした道標がないため、自動翻訳機能が働きすぎて加減が難しいのだ。
ただでさえ詩の解釈などが苦手な上に、脳内自動翻訳機能の調整までしなければならず、精神力とかいろいろなものがごりごり削られた気がする。
「違います。そこは『天空』ではなく『大空』となります。『海原』と韻を踏んだ形になりますので、気が付くはずです。ではもう一度、初めからどうぞ」
「『愛しき人よ、海原の彼方より届け』」
「だめです。もっと格調高く。ではもう一度」
「……」
思い出すだけでへこんできそうだ。よく逆切れせずに済んだものだと自分を褒めてやりたい。
そもそも、6歳の子供に抒情詩を格調高く朗読させようとしてる時点で、何かが間違っている気がしなくもない。せめて、「そういう言い回しがある」程度にとどめておいてもらわないと、永遠に課題がクリアできないのではないかとさえ思う。落ちこぼれないために及第点を下げてもらう、というのはやや本末転倒気味だが、そもそもの合格ラインがおかしいのだから仕方がない、と開き直るほかはない。
「セイリオス様。どうされましたか?」
「ん。大丈夫。ちょっと思い出しただけ」
前を歩いていたカペラが、ふと振り返った。力なく笑みを返すと、そうですか、と頷いてカペラが再び歩き出す。
今ふたりが向かっているのは、屋敷内のマルフィクの執務室である。
古典詩の授業が終わった後、口から魂が抜け出そうなほどにくたびれきっていたセイリオスだったが、一息ついてすぐにカペラに「クルサかウェズンに会いたいんだけど」と伝えた。朝方にカペラと話して思いついた「友達増やそう計画」のためだ。
「……それにしても。本当にいいの?」
「ええ。今でしたらちょうどいいとのことでした」
屋敷の、そして領地の主としての仕事を執り行う執務室は、今までセイリオスが入ったことのない場所だ。
それに、今は仕事が忙しい、とちょうど一昨日、マルフィクが言ってたはずだ。いくらカペラの案内とはいえ、本当にそんなところへ子供が近づいてもいいのだろうか。
公私でいえば私……プライベートの場にあたる西館(セイリオスの私室や、日ごろ使うダイニングはこちらにある)から、応接間や客間などがある南館の端を通り、東館へ。執務室のほか、過去の行政資料などを置いた資料室等がある東館は、半ば行政府といってもいいほどの、限りなく公に近い場である。そのため、今までセイリオスは東館に足を踏み入れることさえなかった。
だからかもしれないが、東館の雰囲気はどこか物々しいように思える。あるいは、厳めしいというべきか。通り過ぎる使用人たちの雰囲気も、カペラやそのほかの今まで西館で見た者たちとは全く違い、近寄りがたいものがある。
「……ねぇ、本当に」
「つきました」
セイリオスの問いを遮るようにして、前を歩いていたカペラが扉の前で足を止めた。扉の両脇には、濃紺のかっちりとした衣服を纏った男が二人、立っている。お仕着せというよりはもはや、制服……もっと言ってしまえば、軍服に近い恰好だ。よくよく見れば、腰から長剣を下げているようだった。
きろり、と二人の視線がカペラとセイリオスに向けられる。射抜くような視線の強さに、思わずセイリオスの背筋がぴんと伸びた。
「何か御用でしょうか、侍女どの」
「セイリオス様付のカペラと申します。旦那様、および家令のクルサ、執事のウェズン、お三方にセイリオス様が御用があり、参りました」
威圧するような声音に、いつもの通り平然と、笑みを浮かべたカペラがこたえる。その通常運転ぶりに、後ろで見ていたセイリオスのほうが冷や冷やする。
「……」
男二人の視線が、セイリオスひとりに向けられる。圧迫面接さながらの強い視線に、腰が引けそうになるのをこらえて、セイリオスはにへら、と愛想笑いを浮かべた。
長い気がする、一瞬のあと。
「どうぞ、お通りください」
「足元にはお気をつけて」
す、と男二人が揃って頭を下げた。重苦しい扉が、ぐっと押開かれる。
「え、と。ありがとうございます」
ぺこりとつられて頭を下げて、セイリオスはカペラに続いて執務室へと足を踏み入れ……ようとして、足を止めた。
「あの」
「どうぞお入りください」
困ったように男を見上げる。
「えーと、本当にいいんですかこれ」
「どうぞ」
そもそも入室を求めたのは自分である。正直なところ、今すぐ回れ右をしたいところだが、そういうわけにもいかない。重ねて促され、セイリオスはあきらめて、慎重に足を踏み入れた。
予想通りといえば予想通りだが、古典詩の講義はきつかった。みっちりと一日受けた自分をほめてやりたい、とさえ思う。
(韻を踏んで、ってもなー)
家庭教師が読み上げる詩は、セイリオスには古語風の日本語に聞こえる。だが実際は大陸共用語における古い言い回しが使われているわけで、うまく意識のピントを合わせないと意味が分からなくなってしまうのだ。
例えば、「青」という単語も意識の焦点を日本語寄りにすれば「レテ」と聞こえる。とはいえ、それだと単語の意味が分からなくなるので、うまく「青」と聞こえるようにしなければならない。
読み書きはまだ「文字」というわかり易い差異がある。セイリオスにとってはありがたいことに、この国の文字はアルファベットとほとんど同じだったからだ。「lete」という綴りを見れば「青」だとわかるし、逆に「青」と書こうとするなら「lete」と書けばいいと、知識を引っ張り出しやすい。だが、音声のみだとそうした道標がないため、自動翻訳機能が働きすぎて加減が難しいのだ。
ただでさえ詩の解釈などが苦手な上に、脳内自動翻訳機能の調整までしなければならず、精神力とかいろいろなものがごりごり削られた気がする。
「違います。そこは『天空』ではなく『大空』となります。『海原』と韻を踏んだ形になりますので、気が付くはずです。ではもう一度、初めからどうぞ」
「『愛しき人よ、海原の彼方より届け』」
「だめです。もっと格調高く。ではもう一度」
「……」
思い出すだけでへこんできそうだ。よく逆切れせずに済んだものだと自分を褒めてやりたい。
そもそも、6歳の子供に抒情詩を格調高く朗読させようとしてる時点で、何かが間違っている気がしなくもない。せめて、「そういう言い回しがある」程度にとどめておいてもらわないと、永遠に課題がクリアできないのではないかとさえ思う。落ちこぼれないために及第点を下げてもらう、というのはやや本末転倒気味だが、そもそもの合格ラインがおかしいのだから仕方がない、と開き直るほかはない。
「セイリオス様。どうされましたか?」
「ん。大丈夫。ちょっと思い出しただけ」
前を歩いていたカペラが、ふと振り返った。力なく笑みを返すと、そうですか、と頷いてカペラが再び歩き出す。
今ふたりが向かっているのは、屋敷内のマルフィクの執務室である。
古典詩の授業が終わった後、口から魂が抜け出そうなほどにくたびれきっていたセイリオスだったが、一息ついてすぐにカペラに「クルサかウェズンに会いたいんだけど」と伝えた。朝方にカペラと話して思いついた「友達増やそう計画」のためだ。
「……それにしても。本当にいいの?」
「ええ。今でしたらちょうどいいとのことでした」
屋敷の、そして領地の主としての仕事を執り行う執務室は、今までセイリオスが入ったことのない場所だ。
それに、今は仕事が忙しい、とちょうど一昨日、マルフィクが言ってたはずだ。いくらカペラの案内とはいえ、本当にそんなところへ子供が近づいてもいいのだろうか。
公私でいえば私……プライベートの場にあたる西館(セイリオスの私室や、日ごろ使うダイニングはこちらにある)から、応接間や客間などがある南館の端を通り、東館へ。執務室のほか、過去の行政資料などを置いた資料室等がある東館は、半ば行政府といってもいいほどの、限りなく公に近い場である。そのため、今までセイリオスは東館に足を踏み入れることさえなかった。
だからかもしれないが、東館の雰囲気はどこか物々しいように思える。あるいは、厳めしいというべきか。通り過ぎる使用人たちの雰囲気も、カペラやそのほかの今まで西館で見た者たちとは全く違い、近寄りがたいものがある。
「……ねぇ、本当に」
「つきました」
セイリオスの問いを遮るようにして、前を歩いていたカペラが扉の前で足を止めた。扉の両脇には、濃紺のかっちりとした衣服を纏った男が二人、立っている。お仕着せというよりはもはや、制服……もっと言ってしまえば、軍服に近い恰好だ。よくよく見れば、腰から長剣を下げているようだった。
きろり、と二人の視線がカペラとセイリオスに向けられる。射抜くような視線の強さに、思わずセイリオスの背筋がぴんと伸びた。
「何か御用でしょうか、侍女どの」
「セイリオス様付のカペラと申します。旦那様、および家令のクルサ、執事のウェズン、お三方にセイリオス様が御用があり、参りました」
威圧するような声音に、いつもの通り平然と、笑みを浮かべたカペラがこたえる。その通常運転ぶりに、後ろで見ていたセイリオスのほうが冷や冷やする。
「……」
男二人の視線が、セイリオスひとりに向けられる。圧迫面接さながらの強い視線に、腰が引けそうになるのをこらえて、セイリオスはにへら、と愛想笑いを浮かべた。
長い気がする、一瞬のあと。
「どうぞ、お通りください」
「足元にはお気をつけて」
す、と男二人が揃って頭を下げた。重苦しい扉が、ぐっと押開かれる。
「え、と。ありがとうございます」
ぺこりとつられて頭を下げて、セイリオスはカペラに続いて執務室へと足を踏み入れ……ようとして、足を止めた。
「あの」
「どうぞお入りください」
困ったように男を見上げる。
「えーと、本当にいいんですかこれ」
「どうぞ」
そもそも入室を求めたのは自分である。正直なところ、今すぐ回れ右をしたいところだが、そういうわけにもいかない。重ねて促され、セイリオスはあきらめて、慎重に足を踏み入れた。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
不倫されて離婚した社畜OLが幼女転生して聖女になりましたが、王国が揉めてて大事にしてもらえないので好きに生きます
天田れおぽん
ファンタジー
ブラック企業に勤める社畜OL沙羅(サラ)は、結婚したものの不倫されて離婚した。スッキリした気分で明るい未来に期待を馳せるも、公園から飛び出てきた子どもを助けたことで、弱っていた心臓が止まってしまい死亡。同情した女神が、黒髪黒目中肉中背バツイチの沙羅を、銀髪碧眼3歳児の聖女として異世界へと転生させてくれた。
ところが王国内で聖女の処遇で揉めていて、転生先は草原だった。
サラは女神がくれた山盛りてんこ盛りのスキルを使い、異世界で知り合ったモフモフたちと暮らし始める――――
※第16話 あつまれ聖獣の森 6 が抜けていましたので2025/07/30に追加しました。
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします
未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢
十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう
好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ
傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する
今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった
貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ
凜
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます!
貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。
前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる