中途半端な知識で異世界転生してみました

猫宮 雪人

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一年目の夏

12. 突撃! おうちの執務室

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 その日の、夕方。
 予想通りといえば予想通りだが、古典詩の講義はきつかった。みっちりと一日受けた自分をほめてやりたい、とさえ思う。
(韻を踏んで、ってもなー)
 家庭教師が読み上げる詩は、セイリオスには古語風の日本語に聞こえる。だが実際は大陸共用語における古い言い回しが使われているわけで、うまく意識のピントを合わせないと意味が分からなくなってしまうのだ。
 例えば、「青」という単語も意識の焦点を日本語寄りにすれば「レテ」と聞こえる。とはいえ、それだと単語の意味が分からなくなるので、うまく「レテ」と聞こえるようにしなければならない。
 読み書きはまだ「文字」というわかり易い差異がある。セイリオスにとってはありがたいことに、この国の文字はアルファベットとほとんど同じだったからだ。「lete」という綴りを見れば「レテ」だとわかるし、逆に「青」と書こうとするなら「lete」と書けばいいと、知識を引っ張り出しやすい。だが、音声のみだとそうした道標がないため、自動翻訳機能が働きすぎて加減が難しいのだ。
 ただでさえ詩の解釈などが苦手な上に、脳内自動翻訳機能の調整までしなければならず、精神力とかいろいろなものがごりごり削られた気がする。
「違います。そこは『天空ツェリト』ではなく『大空フィルメア』となります。『海原レンテア』と韻を踏んだ形になりますので、気が付くはずです。ではもう一度、初めからどうぞ」
「『愛しき人よ、海原の彼方より届け』」
「だめです。もっと格調高く。ではもう一度」
「……」
 思い出すだけでへこんできそうだ。よく逆切れせずに済んだものだと自分を褒めてやりたい。
 そもそも、6歳の子供に抒情詩を格調高く朗読させようとしてる時点で、何かが間違っている気がしなくもない。せめて、「そういう言い回しがある」程度にとどめておいてもらわないと、永遠に課題がクリアできないのではないかとさえ思う。落ちこぼれないために及第点を下げてもらう、というのはやや本末転倒気味だが、そもそもの合格ラインがおかしいのだから仕方がない、と開き直るほかはない。
「セイリオス様。どうされましたか?」
「ん。大丈夫。ちょっと思い出しただけ」
 前を歩いていたカペラが、ふと振り返った。力なく笑みを返すと、そうですか、と頷いてカペラが再び歩き出す。
 今ふたりが向かっているのは、屋敷内のマルフィクの執務室である。
 古典詩の授業が終わった後、口から魂が抜け出そうなほどにくたびれきっていたセイリオスだったが、一息ついてすぐにカペラに「クルサかウェズンに会いたいんだけど」と伝えた。朝方にカペラと話して思いついた「友達増やそう計画」のためだ。
「……それにしても。本当にいいの?」
「ええ。今でしたらちょうどいいとのことでした」
 屋敷の、そして領地の主としての仕事を執り行う執務室は、今までセイリオスが入ったことのない場所だ。
 それに、今は仕事が忙しい、とちょうど一昨日、マルフィクが言ってたはずだ。いくらカペラの案内とはいえ、本当にそんなところへ子供が近づいてもいいのだろうか。
 公私でいえば私……プライベートの場にあたる西館(セイリオスの私室や、日ごろ使うダイニングはこちらにある)から、応接間や客間などがある南館の端を通り、東館へ。執務室のほか、過去の行政資料などを置いた資料室等がある東館は、半ば行政府といってもいいほどの、限りなくおおやけに近い場である。そのため、今までセイリオスは東館に足を踏み入れることさえなかった。
 だからかもしれないが、東館の雰囲気はどこか物々しいように思える。あるいは、厳めしいというべきか。通り過ぎる使用人たちの雰囲気も、カペラやそのほかの今まで西館で見た者たちとは全く違い、近寄りがたいものがある。
「……ねぇ、本当に」
「つきました」
 セイリオスの問いを遮るようにして、前を歩いていたカペラが扉の前で足を止めた。扉の両脇には、濃紺のかっちりとした衣服を纏った男が二人、立っている。お仕着せというよりはもはや、制服……もっと言ってしまえば、軍服に近い恰好だ。よくよく見れば、腰から長剣を下げているようだった。
 きろり、と二人の視線がカペラとセイリオスに向けられる。射抜くような視線の強さに、思わずセイリオスの背筋がぴんと伸びた。
「何か御用でしょうか、侍女どの」
「セイリオス様付のカペラと申します。旦那様、および家令のクルサ、執事のウェズン、お三方にセイリオス様が御用があり、参りました」
 威圧するような声音に、いつもの通り平然と、笑みを浮かべたカペラがこたえる。その通常運転ぶりに、後ろで見ていたセイリオスのほうが冷や冷やする。
「……」
 男二人の視線が、セイリオスひとりに向けられる。圧迫面接さながらの強い視線に、腰が引けそうになるのをこらえて、セイリオスはにへら、と愛想笑いを浮かべた。
 長い気がする、一瞬のあと。
「どうぞ、お通りください」
「足元にはお気をつけて」
 す、と男二人が揃って頭を下げた。重苦しい扉が、ぐっと押開かれる。
「え、と。ありがとうございます」
 ぺこりとつられて頭を下げて、セイリオスはカペラに続いて執務室へと足を踏み入れ……ようとして、足を止めた。
「あの」
「どうぞお入りください」
 困ったように男を見上げる。
「えーと、本当にいいんですかこれ」
「どうぞ」
 そもそも入室を求めたのは自分である。正直なところ、今すぐ回れ右をしたいところだが、そういうわけにもいかない。重ねて促され、セイリオスはあきらめて、慎重に足を踏み入れた。
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