中途半端な知識で異世界転生してみました

猫宮 雪人

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一年目の夏

18. 『侯爵』の価値

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「さて、と」
 ウェズンが作ってくれたスペースの上にばさっと紙を広げる。用意してくれた紙は、セイオリスが両手をいっぱいに広げてなお足りないぐらいの大きさのため、机の上には乗りきらなかった。少しずつ書いては動かし、動かしては書いて、空白を埋めていくほかはない。
(では、いざ!)
 見本として渡された地図は、縮尺も地図自体の大きさもばらばらだ。これをうまいことつなぎ合わせてひとつの地図にする、というのがセイリオスの目標だ。全体像が分からないまま書き出すというのはさすがに難易度が高すぎる気もするが、とにもかくにも、まずは書き出さなければ話は始まらない。順当に左上から書き出すのが楽だろうか、と地図を眺めて、セイリオスは小さく声を上げた。
「……あ」
 棚の資料が並んでいる順番が分かりにくいのなら、地図を作ってわかりやすくすればいいじゃないか、と単純に考えていたのだが。
 ふと唐突に、あえて地図を作らなかったのではないか、という可能性が思い浮かんだのだ。
 現代の日本は平和だからピンとこないが、戦時下など戦が身近だった時代では、地図は軍事資料だったはずだ。どこにどんな町があって、どんな風に道がつながっているのか。攻め手にとっては、これらを記載した地図は、ぜひとも手に入れたいものだろう。本当かどうかはわからないが、日本でも戦国時代などでは、城内の見取り図や合戦場の配置図などは、持っていることが見つかれば命が危なかったと聞いたことがある。
 そんなものを作ってしまっていいのか。
「ち、父上……」
「ん? そんな顔してどうしたんだい?」
 思わずマルフィクの服の裾を引っ張ると、すぐにやや驚いた表情を浮かべて振り返った。やる気をみなぎらせて白紙に向かい合っていた息子が、いきなり顔を青ざめさせて自分を呼んだのだから、マルフィクが驚くのも無理はない。
「父上、あの、本当に地図を作ってよかったんですか? 本当はものすごい機密事項だったりとかしませんか? 僕が地図を作ったせいで父上が処罰されたりとか……」
 セイリオスの訴えかけに、目を丸くしたマルフィクが、一瞬置いて盛大に噴出した。
「ははは、君は本当に面白いなぁ」
「父上っ」
 セイリオスにとっては、わりと本気で心配したのだが、マルフィクにとっては笑い事らしい。ツボに入ったのか、声を上げて笑いながら、マルフィクはセイリオスを抱き上げた。
「参考までに、なぜそう思ったのか聞いてもいいかな」
「えぇと……最初に、もしかして地図をわざと作らなかったのかも、て思ったんです」
 マルフィクは地図がなくても仕事できるだろうが、代々の当主全員がそんな記憶力を持っていたとは限らない。とすると、地図があれば便利だろうに、とは自分以外の誰かが思いついていてもおかしくはない。
 セイリオス自身は凡人だ。少なくとも、本人はそう思っている。今なら、かつて日本で生活していた知識や経験があるし、それらは確かにほかの人間にはないものかもしれないが……およそ人間の蓄積された知識というのは、「かつて不便だった何かを改善するために生み出された」ものがほとんどだ。そうやって積み重ねられたものである以上、この世界においても誰かが不便だと思い、改善され、そうやって蓄積された文化と共に今の社会があるはずだ。
 要は、セイリオスが思いつくことは、だれもが思いつくことでもあるわけで。
「で、わざと作らなかった理由を考えたときに、もしかして敵に攻められたりしたときに不利にならないように、かなぁと……」
「なるほど、それで『機密事項』か」
「若の発想はちょっと面白いっすね。子供らしくないけど子供らしいっつーか」
 笑みの混じったウェズンの言葉に、セイリオスは曖昧に笑った。
 実際に中身は子供ではないのだから、ウェズンの言葉は真実の一端をついている。同時に、外見に中身が引きずられているのか、あるいはセイリオスと計都の融合が進んでいるのか、原因は不明だが感情の起伏が激しくなりつつあるのも自覚していた。もしかしたら、社会人になって摩耗していた柔らかいところが、子供として蘇ってきているのかもしれない、と少しだけ思う。どちらにせよ、あまり大人びすぎても周りが心配するだろうから、ちょうどいい。
「まずひとつずつ、君の疑問に答えていこうか。最初に言っておくと、地図を作ってはいけないなんてことはないよ。そもそも、本当に駄目だったら、さっき君がやりたいと言い出した時に止めているからね。なるべく父として君の希望を叶えさせてあげたいけれども、さすがに領主として許可できないことは君にきちんと伝えるよ」
「そうそう、旦那は意外とこれで厳しいとこもある人だからなー。若はだから、心配しなくていいっすよー」
「あ、そうか、そうですね……すみません」
 子供可愛さになんでも許すわけではない、というマルフィクの言葉に、セイリオスはうなだれた。確かに先ほどの自分の心配は、マルフィクが判断を誤っているのではないかと疑うのと、ほぼ同義だ。セイリオスとしてはそんなつもりはなかったが、言葉尻をとらえてそう非難されても弁明しにくいところだ。ウェズンのフォローが身に沁みる。
「それに、地図が軍事機密かどうかっちゃそうっすけど、あんまし気にしなくていいっすよ」
「そう、なんですか?」
 一応手を動かしながらのウェズンの言葉に、セイリオスは首をかしげた。軍事機密には値するが気にしなくていい、というのは矛盾しているような気がする。
「あー、資料置いてるのは、屋敷の中じゃないっすか」
「え、と……それはそうですけど」
「だからー、屋敷に身元不明の者が侵入した場合は、地図を含む資料の優先度は下がっちまうんすよね」
 ますます意味がわからなくて疑問符を飛ばすセイリオスに、クルサが丁寧に言葉を紡ぐ。
「セイリオス様はずっとこの屋敷で生活なさっているので、いささかわかりにくいかもしれませんが……この屋敷で最も護らなければならないのは、領主である旦那様とそのご家族です」
「父上や僕たち……?」
「ええ。資料類も大事ですが、旦那様方に比べれば二の次です。そもそも、警戒をくぐって侵入できたものが、その優先度を見誤ることはほぼ無いでしょう」
「普通のおうちに入った泥棒が、お金や宝石よりも鍋を盗むようなもの、てこと?」
「……なんか変なたとえだけど、まぁそういうこったなー」
 自分なりに噛み砕いたセイリオスに、ウェズンが頷いた。
「もし私が密偵なら、地図を盗み出すよりも、素直に井戸へ毒を投げ入れたりするだろうね。実際に毒殺できなくても、『毒殺されるかもしれない』という恐怖を抱かせるだけで、判断は鈍る。足止めとしても十分すぎる手だ」
「……わぁお」
 さらりと紡がれたマルフィクの言葉に、セイリオスは顔をひきつらせた。
 言われてみれば確かにそうなのだが、殺し殺される状況というのはなじみがなさ過ぎて、頭から抜け落ちていた。
(てか、父上怖ぇ……)
 優しい人だと思ってるけど。誠実な人だと思っているけれど。
 ……同時に、領主として必要なら苛烈な手段も取れる、ということなのだろう。清濁併せ呑むといえば格好いいが、間近で聞かされるとちょっと怖い。
「だから、君が地図を持ち出したり、外で吹聴したりしない限りは問題ないということだよ。それから、『処罰されるかもしれない』ということだけど」
「はい」
「覚えておきなさい、セイリオス」
 すっとマルフィクの声音が変わった。セイリオスと同じ色合いの瑠璃色の双眸が、まっすぐにセイリオスを射抜く。
「わたしが罪を犯したときに、それを処罰できる人はほとんどいない。『キタルファ侯爵』という地位は、それぐらいの特権を得ているのだよ」
 『侯爵』という爵位は、上から二番目にあたる。当然低いとは思っていなかったが、マルフィクの言葉に含まれる意味合いは、少し異なるようだった。
 ぱちりと瞬きしたセイリオスの髪が、さらりと撫でられる。
「他国では違うところもあるようだけれど、この国では『公爵』位は代々皇帝陛下の弟君など、帝室縁戚の方のみが授かる。もし帝室に何かあれば、公爵の中から継嗣が選ばれることもある……そういうことになっているからね」
(江戸幕府における徳川御三家みたいなものか)
 医療技術の水準にもよるだろうが、子供ができなかった場合、あるいは子供ができる前に若くして亡くなった場合などを考えると、そうしたバックアップシステムは大事だろう。本家に反旗を翻す分家がないわけでもないが、他人よりも血縁のほうが信頼できるというのは、一般的な心情としては普通に考えられる。
「とすると、父上の持っておられる『侯爵』という役職……じゃない、爵位は、普通の……というのも変ですけど、一般的なこの国の貴族としては最高位になるということですね」
「そうだね。細かいところを言うと、うちはその中でもちょっと特殊なのだけれども……そのあたりはおいおい学んでいくといいよ」
「はい」
 くしゃりともう一度頭を撫でられて、セイリオスは素直に頷いた。
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