紅花雀と忘れられた皇子

猫宮 雪人

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4. 少女は主人に振り回される

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 変な方向に話が転がりそうな気配がする。思わずぱちりと瞬いたリーギルの前で、サラキアがそれはそれは美しい笑みを披露してくれた。美しすぎて、妙な迫力がある。怖い。
「私の紅花雀リーギルの、たってのお願いですもの。これは全力で叶えてあげないと、主としての力量が問われるわ」
「え、いや、そこまでは……」
「すぐに見つかるといいわねぇ。がんばりましょうね」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なぁに?」
 咄嗟に声をあげ、立ち上がりかけたリーギルに、サラキアの無邪気そうな眼差しが向けられた。悪意など欠片もない、善意がにじみ出た双眸に怯みそうになるのを、ぐっとこらえる。とはいえ、勢いを削がれたことには間違いはない。中途半端に上げた腰をぽすんと椅子に戻し、おそるおそる伺う。
「……あの、もしかして。サラキア様も一緒に……?」
「もちろんよ。皇妃だとさすがに公務があって身動き取れないけれど、側妃ならこういうとき自由に動けていいわね」
「えぇ……? そういう問題……?」
「安心してちょうだい。念のため、カルデネも同行させるわ。カルデネ、お願いね」
「もちろんです、お任せください」
 サラキアの背後にひっそりと控えていた女性が、静かにうなずいた。どうやら主の暴挙を止めてくれないらしい。
 「昼間見かけた子を探す」というのは、完全にリーギルの私事だ。空いた時間にやるべきもので、仕事に影響を与えるなどもってのほかだし、サラキアを巻き込むなど論外にもほどがある。いくら親切からの申し出とはいえ、きっぱり断るのが侍女として正しい在り方だろう。
 それに、サラキア自身は暇を持て余しているような言い方をしていたが、実際はかなり忙しいことをリーギルも知っている。帝国内の有力貴族との茶会、皇妃やもうひとりの側妃、あるいは多くの妾妃たちとの茶会、他国からの使者のもてなし、地方や帝都の商人たちとの面談、技術と感性はあっても商売っ気がない芸術家たちへの支援などなど。そもそも、茶会ひとつとっても、優雅に茶を飲んで菓子を摘まんで呑気なお喋りに興じていられるのはリーギルが相手の場合ぐらいで、たいていの茶会は典雅な微笑みの裏で精神をすり減らす戦いの場でもある。下準備もなしに戦に臨むなど阿呆のやること、事前の綿密な調査と努力が茶会の成否を分ける、とは誰の言葉だったか。
 ともあれ、忙しいサラキアを下らない個人的事情に巻き込むなど、本来はあってはならないことなのだが。
(しょうがない、かなぁこれは……)
 ちらりとサラキアの様子をうかがう。穏やかな貴婦人の微笑みを浮かべてこちらを見守ってくれている姿は絵に描いたように美しい、が、目にはみえないけれども否を絶対に言わせない圧力がひしひしと感じられる。さきほどの口ぶりからして、サラキアの中では同行が決定しているのだろう、遠慮したところで押し切られるのは目に見えていた。
 それに、これがサラキアの優しさでもあるのだと知っているから、よけいに断りにくい。
「……えっと、じゃあ、お願いします」
「ふふふ、一緒にがんばりましょうね」
 素直に頭を下げた途端、ぱっと華やいだサラキアの様子に、自然とリーギルの表情も緩くなる。こういう時、サラキアの気まぐれに振り回されるのも自分の仕事のうちだと理解している半分、素直にサラキアの親切が嬉しくもあった。
 『帝国で2番目に偉い女性のお気に入りの侍女』という立ち位置は、何の後ろ盾も持たないリーギルにとってはかなり危なっかしいものだ。側妃の権勢に阿り取り入りたい者、逆に害意を持つ者、いずれにしても『リーギル』は分かりやすいとっかかりだ。今のところ、勘の良さと幸運とに助けられて痛い目に合ってはいないが、今後も安心という保証はどこにもない。明日同行する宣言も、自身の好奇心が勝ったのもあるだろうが、途中でリーギルが嫌な思いをしないか直接見守りたいという『親心』もあるに違いない。
「さて、そうと決まれば、今日のお仕事は終わらせてしまいましょうか。悪いのだけれど少し立ってもらえるかしら」
「はーい」
 少しばかり真面目な声音のサラキアに首をひねりながらも、リーギルは素直に指示に従って立ち上がった。うっかり袖をカップに引っ掛けないよう、テーブルからわずかに距離をとる。
「ひと月ほど前、ドレスの売り込みにご執心だった、北のほうの商会の方……覚えているかしら?」
「えーとすみません、まったく覚えていません」
 侍女として立ち会ったはずなのにこれっぽちも思い出せず、リーギルは潔く白状した。
 サラキアが茶会なり面会なりしてる時、リーギルも基本的に侍女として傍に控えている。やることは全くなくて、本当にひっそりと立っているだけだ。優秀な侍女なら、そんな状況でもいつ誰がどんな用事で訪れていたのかきっちり記憶しているのだろうが、あいにくとリーギルにそこまでは無理だ。よほどの珍事件でもない限り、3日もたてば誰が来ていたかなんて思い出すのが難しい。夕食のメニューなら5日前まで覚えている自信はあるのだが。
「私のドレスはお願いするところが決まっているけれど、とても仕事熱心な方だったから。代わりにあなたのドレスをお願いしてみたの。どうかしら?」
「どう、と言われても難しいですが……」
 抽象的な質問だけに意図をつかめず、リーギルは自分の衣装を見下ろした。真月宮に戻ってくるなり、サラキアの侍女たちに有無を言わさず着せられた真新しいドレスは、制作にあたりサイズを伝えていたのだろう、リーギルの体に寸分の狂いもなくぴったりと合っていた。これから盛りを迎える夏に備えてか生地は薄めで、さらりとした手触りが心地よい。上のほうは真っ白だが、緩く絞られた腰を境に、裾に向かって濃い青になっていて、去年サラキアが見せてくれた湖をどこか思い起こさせた。雪解け水が流れ込むというその湖は、近くで見ると透明なのに遠くを見ると夜空を溶かし込んだような深い深い青色で、今でもリーギルの記憶に残っている。
「なんか、うまく言えないですけど……かわいいってよりはかっこいい感じ?」
 デザインがどうの刺繍がどうのとか、サラキアのように的確で難しいことは言えない。できるのは、ふわっとした印象を伝えるだけだ。
 それと。

 胸のあたりからぴんと伸びた一本の糸を見下ろしながら、リーギルははっきりと言い切った。
 細い細い糸だ。蜘蛛の糸より細いかもしれない。ここではないどこか遠くに繋がっているはずのその糸は、ドレスとはまた異なる美しい青色だった。濁りのない、澄んだ色。いい色だな、と素直に思う。
 だから、これはきっといい縁なのだ。
「……そう。ありがとう、わたしの紅花雀」
 リーギルの言葉に何か思いあたるところがあったのか、猫のように目を細めたサラキアが綺麗で底の見えない笑みを浮かべた。
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