70 / 97
70
しおりを挟む
「なんかもうお前には敵わねえなあ……」
そう独りごつと、良はきょとんとした目で裕司を見た。何もわかってないような顔をしやがって、と思いながらも、裕司はそれを憎めない。
「お前だって俺がお前に弱いっていい加減わかってんだろうが」
「……弱いかどうかは知らないけど、俺にめちゃくちゃ優しいのは知ってるよ」
充分だろ、と裕司は笑った。
「ほら、そんでどうすんだ? 飯まで部屋でだらだらするのか?」
「え、俺が決めていいの?」
「そうだよ、すげえだろ? 何でもしたい放題だぞ」
良は裕司の言葉を噛み締めるだけの時間を置いて、徐々にまたその目を輝かせ始めた。
「そういえばあんた、散歩行きたいって言ってたよね?」
「え? ああ」
「それって今からでもいい? 俺もっと外見たい」
良の楽しげな声に、裕司は笑ってしまう。大浴場よりも周辺の野山の方が彼の心をくすぐっているらしかった。
「そんじゃそうするかぁ。お前、その辺の木とか虫とかホイホイ触ってかぶれんじゃねぇぞ」
「どういうこと?」
「お前ウルシとか見分けられねえだろ」
「……わかんない」
「長袖着ていい子にしてろ」
あからさまに子ども扱いする言葉とともに頭を撫でてやっても、良は黒い瞳で裕司を見ただけで怒らなかった。裕司がさっき脱いだばかりの上着を着るのを眺めながら、ねえ、と声をかけてくる。
「んー?」
「あんたって、俺のことほんとに可愛いって思ってるよね」
裕司は苦笑し、今さら何言ってんだ、と返した。
従業員の挨拶にいちいちビクつく良を外に連れ出してやると、良は来たときには気付かなかったらしい庭の池を見つけてさっそく寄っていった。
古く広い池を覗き込むと、細い藻がたゆたい、傍らの低木の影が投げかけられた水の中を、つっと錦鯉が横切って、鮮やかな彩りを添えていた。
「高いんだろうなぁ」
つい風情も何もないことを呟くと、池の縁にしゃがみこんだ良が見上げてきた。
「錦鯉な。いい値段するんだろうなって」
雰囲気が台無しだと怒られるかと思ったが、良は目をぱちぱちと瞬いて、尾を翻す魚を目で追った。
「そんなに高いの?」
「家が買えるくらいのやつもいるらしいぞ。俺にはよくわからんが」
ひえ、と良は呟いて、すぐに池の奥の方を指さして言った。
「あそこ金色のやついる」
良の目線を追うと、黄金色の錦鯉が水草の間で寛ぐようにじっとしていた。
「輝いてんなぁ」
「魚って眩しいとかないのかな」
「さあ……でも深海魚なんかは目が退化してたりするから、光でものを見てるのは人間と同じなんだろうけどな」
ふうん、と良は言って立ち上がる。その影からアメンボが飛び出した。
「お、アメンボなんか久しぶりに見たな」
「何?」
「アメンボ知らないか? ほら、水の上に脚の長い虫がいるだろ」
裕司が指さすと良はそれを二度見し、じりりと下がった。
「……なんか見たことある気がするけど何あれ……」
だからアメンボだよ、と言って裕司は笑う。
「お前虫苦手なのか?」
「……あんまり好きじゃない」
「カブトムシとかも?」
「嫌いじゃないけど好きじゃないよ」
裕司はくつくつと笑いながら池から離れた。田舎は虫の王国だと教えてやりたいような、黙って反応を見ていたいような、二つの好奇心の間で心が揺れた。
敷地を出ると木陰が増えて、空気も冷たくなったような気がした。川か沢が近いのかもしれない、と思いながら良を見ると、枝ぶりのいい木々が気になるのか上を見上げながら歩いていた。
「足元見ないと危ねえぞ」
声をかけると、何を思ったのか裕司の袖を握ってきた。良が転んだら巻き添えになるだけじゃないだろうかと思いながらも、黙ってそのままつかまらせておいた。
「……田舎って案外静かじゃないって聞いたけど、ほんとにいっぱい音がするね」
裕司は良を見返し、ややあって、そうだな、と答えた。ちょうど静かだなと思って歩いていたところだったので、良の言葉を飲み込むのに時間がかかってしまった。
風で木々がざわめくのも、鳥の鳴き声も、耳に馴染んでいて意識していなかった。
「田んぼでカエルが鳴く時期とかやべえぞ。合唱なんて生易しいもんじゃねえからな」
「……そんなにいっぱいいるの」
「オタマジャクシで一面真っ黒になってる田んぼ見せてやろうか?」
そう言ってスマホを取り出すと、やめてよ、と言って良は逃げた。裕司は笑いながらカメラを起動して、木漏れ日の間で拗ねた顔をしている良の姿を写真に撮った。
そう独りごつと、良はきょとんとした目で裕司を見た。何もわかってないような顔をしやがって、と思いながらも、裕司はそれを憎めない。
「お前だって俺がお前に弱いっていい加減わかってんだろうが」
「……弱いかどうかは知らないけど、俺にめちゃくちゃ優しいのは知ってるよ」
充分だろ、と裕司は笑った。
「ほら、そんでどうすんだ? 飯まで部屋でだらだらするのか?」
「え、俺が決めていいの?」
「そうだよ、すげえだろ? 何でもしたい放題だぞ」
良は裕司の言葉を噛み締めるだけの時間を置いて、徐々にまたその目を輝かせ始めた。
「そういえばあんた、散歩行きたいって言ってたよね?」
「え? ああ」
「それって今からでもいい? 俺もっと外見たい」
良の楽しげな声に、裕司は笑ってしまう。大浴場よりも周辺の野山の方が彼の心をくすぐっているらしかった。
「そんじゃそうするかぁ。お前、その辺の木とか虫とかホイホイ触ってかぶれんじゃねぇぞ」
「どういうこと?」
「お前ウルシとか見分けられねえだろ」
「……わかんない」
「長袖着ていい子にしてろ」
あからさまに子ども扱いする言葉とともに頭を撫でてやっても、良は黒い瞳で裕司を見ただけで怒らなかった。裕司がさっき脱いだばかりの上着を着るのを眺めながら、ねえ、と声をかけてくる。
「んー?」
「あんたって、俺のことほんとに可愛いって思ってるよね」
裕司は苦笑し、今さら何言ってんだ、と返した。
従業員の挨拶にいちいちビクつく良を外に連れ出してやると、良は来たときには気付かなかったらしい庭の池を見つけてさっそく寄っていった。
古く広い池を覗き込むと、細い藻がたゆたい、傍らの低木の影が投げかけられた水の中を、つっと錦鯉が横切って、鮮やかな彩りを添えていた。
「高いんだろうなぁ」
つい風情も何もないことを呟くと、池の縁にしゃがみこんだ良が見上げてきた。
「錦鯉な。いい値段するんだろうなって」
雰囲気が台無しだと怒られるかと思ったが、良は目をぱちぱちと瞬いて、尾を翻す魚を目で追った。
「そんなに高いの?」
「家が買えるくらいのやつもいるらしいぞ。俺にはよくわからんが」
ひえ、と良は呟いて、すぐに池の奥の方を指さして言った。
「あそこ金色のやついる」
良の目線を追うと、黄金色の錦鯉が水草の間で寛ぐようにじっとしていた。
「輝いてんなぁ」
「魚って眩しいとかないのかな」
「さあ……でも深海魚なんかは目が退化してたりするから、光でものを見てるのは人間と同じなんだろうけどな」
ふうん、と良は言って立ち上がる。その影からアメンボが飛び出した。
「お、アメンボなんか久しぶりに見たな」
「何?」
「アメンボ知らないか? ほら、水の上に脚の長い虫がいるだろ」
裕司が指さすと良はそれを二度見し、じりりと下がった。
「……なんか見たことある気がするけど何あれ……」
だからアメンボだよ、と言って裕司は笑う。
「お前虫苦手なのか?」
「……あんまり好きじゃない」
「カブトムシとかも?」
「嫌いじゃないけど好きじゃないよ」
裕司はくつくつと笑いながら池から離れた。田舎は虫の王国だと教えてやりたいような、黙って反応を見ていたいような、二つの好奇心の間で心が揺れた。
敷地を出ると木陰が増えて、空気も冷たくなったような気がした。川か沢が近いのかもしれない、と思いながら良を見ると、枝ぶりのいい木々が気になるのか上を見上げながら歩いていた。
「足元見ないと危ねえぞ」
声をかけると、何を思ったのか裕司の袖を握ってきた。良が転んだら巻き添えになるだけじゃないだろうかと思いながらも、黙ってそのままつかまらせておいた。
「……田舎って案外静かじゃないって聞いたけど、ほんとにいっぱい音がするね」
裕司は良を見返し、ややあって、そうだな、と答えた。ちょうど静かだなと思って歩いていたところだったので、良の言葉を飲み込むのに時間がかかってしまった。
風で木々がざわめくのも、鳥の鳴き声も、耳に馴染んでいて意識していなかった。
「田んぼでカエルが鳴く時期とかやべえぞ。合唱なんて生易しいもんじゃねえからな」
「……そんなにいっぱいいるの」
「オタマジャクシで一面真っ黒になってる田んぼ見せてやろうか?」
そう言ってスマホを取り出すと、やめてよ、と言って良は逃げた。裕司は笑いながらカメラを起動して、木漏れ日の間で拗ねた顔をしている良の姿を写真に撮った。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる