大人になる約束

三木

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 良の瞳はじっと裕司を見ていて、そしてそこには少しの不安が見え隠れしていた。
 良にとってそれはおそらく勇気を要する問いかけで、裕司の返答如何では、彼の中の何かがたやすく傷付いてしまうのではないかと思った。
 裕司はそこに感じた緊張と動揺を和らげようと、熱いココアをすすって息をつく。良は黒い瞳を真っ直ぐ裕司に向けていた。
「……どっちにするか迷ってるのか?」
 できる限りゆっくりと、穏やかな口調で訊いてみると、良は視線をテーブルの上に落とした。
「迷うっていうか……俺が決めていいのかなって……」
 裕司は瞬く。その言葉の端に、良の不安の輪郭が覗いた気がした。
「そりゃ……お前……」
「俺が何したって、あんたに何かしら手伝ってもらわないといけないんだろうなって思って……俺のことなんだけど、俺だけで決めたらいけないんじゃないかって思ったんだけど……」
 ひどく自信がなさそうに良は言って、うつむいてしまう。あらわになった首筋や、滑らかな頬の線がいかにも瑞々しくてこれから伸びていく若木のようであるのに、そんな彼が背中を丸めてうなだれている姿は痛々しかった。
「……良」
 裕司は良の手を取って、そのひんやりとした肌をゆっくりと撫ぜた。
「何を選んだって、生きるのはお前なんだから、まずお前がどうしたいかが一番だろ。それがしていいことなのか、できることなのか、そうじゃないのかは、その後考えることだし、一緒に考えたらうまくいくかもしれねぇだろうが。最初から決めなくったっていいし、後から変えたっていい。──お前は今からいくらでも挑戦できるし、いくらでも失敗していい歳なんだって言ったろ」
 良は妙に憂いのある目で裕司を見て、しばらく首を傾けて考えていたが、やがてぽつりとこぼすように言った。
「……なんか……そういうの慣れてなくて……」
「え?」
「あんたがそんなふうに言ってくれるの、すごい嬉しいんだけど、じゃあ俺はどうしたいのかって考えようとすると……何て言うんだろ、ブレーキがかかるっていうか……」
「……」
「俺、将来とか、したいこととか、……ずっと考えたことなくて…………全然考えなかったわけじゃないんだけど、考えても無駄だって思ってたっていうか……わかる?」
 自分の言葉が伝わっているかどうか、不安になったという顔で見つめられて、裕司は曖昧に頷く。それでも不安を除いてやりたくて、良の手を包んで握り締めた。
「俺、小学校も中学校も普通に公立だったし、高校も、公立で遠くないとこならどこでもいいって言われて、うちから歩いて行けるとこにしたんだよね。偏差値もちょうどぐらいだったし……」
 しかし、その高校は親の都合で中退させられたのだということを思い出して、裕司は苛立ちそうになった自分をなだめる。良の親に対する不満を、良にぶつけることだけはしたくなかった。
「……その、こんなんじゃダメってのはわかってるんだけど、俺的には、あんたと一緒に暮らしたいっていうのが一番大きな夢だったから……それが叶うなんて思ってなかったし、一番したかったことができてて、それ以上のことなんてわかんないっていうか……」
 悲しいような目をしてそんなことを言う良にたまらなくなって、裕司はその肩を抱き寄せた。その骨のかたちももう手のひらが覚えている、愛しい温度と重みを強引に抱き込んだ。
「ちょ、何……」
「何じゃねえよ。お前、年寄りの涙腺試してんのか?」
 本当に泣きそうなのを冗談で誤魔化しながら、裕司は良の髪に顔を押し付ける。艶のある髪は冷たくて心地よくて、裕司の好きな香りがした。
「……裕司さん、なんでそんなに俺のこと好きなのさ……」
 裕司の腕を撫でながら呟かれて、泣いていいのか笑っていいのかわからなくなった。良に対する裕司の気持ちを良が疑わないでいてくれることは嬉しかったが、良にはもっと愛されることを当然だと思ってほしかった。
「ばか、お前……ちょっとは自覚しろ」
「……何を?」
 言葉にしたら泣いてしまいそうで、裕司は返事ができなかった。良がおとなしいのをいいことに、裕司は自分の感情の波が治まるまで良の頭をひとしきり撫でて、大きく息をつきながら手を離した。
「……悪い、ココアが冷めるな」
 良はくすりと笑って、別にいいよ、と言った。その瞳から悲しげな色が消えていて、裕司はほっとする。自分がたまらなくなってした抱擁が、良の心にも良い作用をもたらしたのなら怪我の功名と思えなくもなかった。
「……あんたはさ、俺がどうするかは別として、こうしてほしいってのはないの?」
 ココアのカップを両手で包んで、良はいくらか落ち着いた調子で訊いてきた。
「え……進学とか就職とかでか?」
「うん。あんた俺に気ぃ遣って言わないけど、色々あるでしょ?」
 当たり前のように言われて、裕司はまたこの若い恋人を子ども扱いしていた己に気付く。彼は口がうまくないだけで、いつも周りをよく見ていたし察する力も持っていた。
「……そりゃ、欲を言や進学してほしいよ。高校はもちろん、大学なり何なり……」
 良に気を遣われた格好になったことを気恥ずかしく思いながら言うと、良は黒い目を丸くして裕司を見た。

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