大人になる約束

三木

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 牧と食事に行く日の良は、まるで初デートを前にした若者のようだった。
 いつもならどんなに身嗜みを気にしても裕司に大丈夫だと言われれば納得していたのに、この日は本当に大丈夫かと念を押されたし何度も鏡を覗いていた。
 牧を相手にそんなに緊張しなくてもよいのにと思いながら、その姿を見ていると嫉妬とまではいかないにしても、少しばかり羨ましい気持ちが湧く。
 裕司と良は親しくなるより先にこの部屋でともに暮らし始めたし、ここに来たばかりの日の良は髪も伸び放題でサイズの合っていない服を着ていて、いかにも疲れて神経を逆立てていた。そんなふうに始まったから、相手に自分をよく見せようだなんて余裕はなくて、裕司もろくに気にしなかった。
 お互いに相手がどんな人間なのかわからないまま生活を共にし始めて、同じ食卓を囲んで同じ布団で眠るということを繰り返して、ようやく恋人という名前がついた。会うことに緊張したり一番いい自分を見せようとしたり、そんなところに気を遣う機会は最初からなかったのだ。
 良との関係に悔いるものなどないけれど、緊張を隠しながら格好をつけてデートをするようなことを、一度くらい彼とやってみたかったという気持ちはなくもなかった。
 裕司がじっと見ていることに気が付いたらしい良は、怪訝そうに眉を曲げた。
「何……やっぱどっか変?」
「変じゃねえって。どこに出しても恥ずかしくねえよ」
「……逆に不安になるんだけど」
 良は難しい顔をして自分の髪に触れる。切ったばかりの短い髪は、毛先が少し揺れただけだった。
「そんな神経質になることないだろ。──でも髪切っといてよかったな。かっこいいよ」
 良は困ったような目をして、裕司を見た。
「寝癖ちゃんと取れてる?」
「取れてるよ」
 いかにも心細いという声音に、裕司はつい笑ってしまう。良は涼しげになった襟足を掻いて、嘆息した。
「ほんとに俺行っていいの? 牧さん忙しいんでしょ」
「何に不安になってんだよ」
 きっと色んな不安が渦巻いているのだろうと思って、裕司は良の頭を撫でる。そのまま引き寄せるとおとなしく肩に頬を乗せてきた。
 肉がついたといっても、裕司に比べればまだまだ細く薄い背中を軽く叩いてやると、良は裕司の背に手を回して呟いた。
「……あんたもだけど、牧さんて、ちゃんとした大人って感じがするから、俺みたいなのどう見えてるのか考えるとなんか怖い」
 裕司は苦笑する。それは良の正直な気持ちなのだろうが、あまりにも杞憂だと思われた。
「んなこと言ったら、牧の方がビビるぞ」
「なんで……?」
「店のことは確かに頑張ってるけど、ちゃんとしてるなんて言われるタイプじゃないからなぁ」
「そうなの?」
「そうだよ。どっちかっていうと色々抜けてて、いつも誰かしらに助けてもらってるようなイメージだなぁ。まあ、それも人徳ではあるんだが……」
「……」
「俺だって、お前から見たら大人に見えるだけで、中身は大して変わらねえって何度も言ってるだろ。それらしく振る舞うのに慣れてるだけで、お前に偉そうにできるもんじゃねえよ」
 良は何も言わずに、裕司の肩にぐりぐりと額を押し付けてきた。子どもじみた仕草は気を許してくれている証拠だと感じられて、また背中を叩いてやる。
「……あんたは、俺を牧さんに会わせるの全然心配じゃなかったの……?」
 どうしても拭い切れないものがあるのだと、その声は言外に言っていた。それは良にとって、防衛本能に近い恐怖心なのかもしれないとも思う。
「俺か? 俺は……ひやかされるかもな、とか、知り合い連中に噂が広まるかもなとか、色々考えないじゃなかったが……。それよりお前のことをいい加減知っておいてもらいたい頃合いだったから、ちょうどよかったかな」
「俺のこと……なんで?」
「なんでって、これからも一緒に暮らすんなら、俺の問題はお前の問題にもなるし、逆もそうだろ。生活してくには、どうしたって人と関わんなきゃいけないし……何かあってから初めて実は同居人なんですって言っても向こうだって困るし、お前だって心細いだろうが。やっぱりある程度は、あらかじめ事情をわかっておいてもらわないと不都合が多いだろ」
「……」
「誰でもかれでも紹介できるわけじゃねえけど、わかってくれそうな人間には、俺はお前と暮らしてるんだって知っといてもらった方がいいと思ってるよ」
「……そっか」
 うん、と応えて、裕司は良の髪を撫でる。短くなって手のひらに毛先が当たるのがくすぐったく、心地よかった。
「お前が会いたくないとか、疲れるって言うなら、無理に紹介して回ったりはしないから……」
 プレッシャーには感じてほしくなくてそう言うと、良は裕司の肩の上で首を振った。
「緊張はするけど、あんたの友達とかに紹介してもらえるのは嬉しいよ……もっと内緒にするかと思ってたし……」
「お前のことをか?」
「だって、こんな若いのに手ぇ出すタイプじゃなかったんでしょ」
 そう言われて、裕司は苦い顔をする。その一点がまさに裕司を躊躇させていたのだ。
「……手ぇ出したのは俺なんだから、腹くくるよ」
 ため息混じりにそう言うと、良のくすくすと笑う声がした。

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